2017-03-01から1ヶ月間の記事一覧
1 何はともあれこの論考で確認したいことは、仏教伝来以前の日本列島に宗教(=神)は存在しなかった、ということだ。 本居宣長や賀茂真淵の「国学」における神道観は、「復古神道」といって、古代および古代以前の神道に戻れと提唱しているらしいのだが、…
1 森友学園の教育方針は、子供に「神ながらの道」を身につけさせることにあるのだとか。ただのこずるい世渡り上手が「神ながらの道」のなんたるかもよく知りもしないくせに正義ぶっちゃって、いい気なものだし、今ごろになってスサノヲのような「荒ぶるピエ…
1 本居宣長は、「古事記を読むことは『古語のふり(姿)』に推参することだ」といった。 たしかに『古事記伝』からやまとことばについて学ぶことはたくさんあるが、「まだ不満だ」という感想も拭いきれない。あの手放しの「神道オタク」ぶりに対する抵抗も…
1 本居宣長は、和歌の美しさ=本領は「姿」にある、といった。 それはよくわかる。 日本列島の伝統は、「姿」の文化なのだ。 どんなに立派なことをいっても、顔つきが卑しければ、その人は尊敬されない。その人の品性は、顔つきにあらわれる。その品性のこ…
1 神道以前の「かみ=かむ」という言葉は、「神」のことではなく、たんなる「出会いのときめき」をあらわす言葉だった。感動で胸が震えること、感極まること、人々の生きてあることのよすがは、その体験にこそあった。 現代人だって、その体験がなければ、…
1 国家神道オタクの右翼の人たちは、この国の伝統をあらわす言葉として「神ながらの国」というのが大好きらしいが、この「神ながら」は、必ずしも一般的に解釈されているような「神の御心のままに」という意味だとはかぎらない。 言葉は、古くなればなるほ…
1 万葉集の中の「神ながら」という言葉を見てみよう。 やすみししわご大君かむながら神さびせすと(三八) 蘆原の瑞穂の国はかむながら言挙げせぬ国(三二五三) 前者は「神そのものとして」、後者は「神の御心のままに」と訳されている。 そして「神ながら…
1 古代以前の日本列島には、宗教がなかった。そうとしか考えられない。これがこのシリーズの主題というか基本的な問題設定で、かんたんに「原始社会はアニミズム(精霊信仰や呪術信仰)という迷信の上に成り立っていた」といってもらっては困る。 現在の縄…
1 神道よりも先に祭りの場としての神社があったことは現在の日本史の常識で、仏教伝来から古事記の成立までのおよそ100年のあいだに、それぞれの神社が「祭神」を祀るようになっていったのだろう。その全国の祭神が奈良盆地に集められて古事記の話になっ…
1 映画や演劇に例えると、一神教の神は作者や監督のような存在で、多神教の神はあくまでも「俳優」の存在にすぎない。『古事記』の神は、森羅万象をつくったのではなく、森羅万象それ自体なのだ。というかそれは、森羅万象それ自体であると同時に、それ自体…
1 原始人はアニミズム(原始宗教)を持っていた、などとかんたんにいってもらっては困る。 原始時代に宗教などなかった。それは、国家文明の発祥とともに生まれてきたのだ。 宗教が存在しないことは、人類史のはじまりであると同時に究極のかたちでもある。…
1 それは科学の大問題でもあるのだが、「神がこの世界をつくった」ということにしなければ、宗教にはならない。まあじつは、科学の問題というより、「自意識」の問題なのだ。そうやって疑問に決着をつけてしまおうとする自意識がはたらいている。しかしこの…
1 この国には無宗教の人が多いし、欧米やイスラム社会と違ってそれを公言できる空気もある。熱心な宗教者が気味悪がられることはあっても、無宗教だから会社に入れてもらえないということなど、ほとんどない。 僕だって、カルト的な宗教信者だけでなく、心…
1 原始人がそうかんたんに宗教(アニミズム)に目覚めるということはないし、この国の現代人のほとんどが無宗教だといっても、それでも誰もが心のどこかしらに宗教的な部分を持ってしまっている。 無宗教者が「生命賛歌」で宗教と張り合っているかぎり、宗…