この生を支配するものは存在するか・神道と天皇(7)

この国には無宗教の人が多いし、欧米やイスラム社会と違ってそれを公言できる空気もある。熱心な宗教者が気味悪がられることはあっても、無宗教だから会社に入れてもらえないということなど、ほとんどない。
僕だって、カルト的な宗教信者だけでなく、心の中に「神と自分との関係」を持っているような自意識過剰の人は、正直いって気味悪い。彼らは、ふだんは普通の市民のような顔をしていても、心の中はたぶん人に対するルサンチマンや警戒心が充満していて、いざとなると、その肥大化した自意識を守るために平気で人を裁いてくる。どのようなきっかけがあろうと、人のあとをつけまわして因縁をつけるようなことばかりしてくるようになったりする。そんなに憎いのなら知らんぷりしていればいいだけなのに、彼らはそれができない。それでは自意識の安定が保てないらしい。
ストーカーとか、そういう自意識の肥大化による殺人事件も多い。
まあ欧米やイスラム社会は、そういう自意識の充足安定を目指すことを共有しながら原理主義の社会になっているのかもしれないし、そういう社会では、よほど極端でもないかぎり、それが病的だと気味悪がられることもないのかもしれない。
しかしだからこそ彼らの社会ではそういう極端な症例というか傾向を持った人があらわれてくるし、この国では、それほど極端でなくても気味悪がられる。われわれは、そういう肥大化した自意識の持ち主に対する免疫がなく、どうしてもナイーブに反応してしまう。
日本人の自意識が未発達なのは、宗教的な精神風土が希薄だからだ。
とはいえ今どきは、この国でも自意識過剰の人間が少なからずうごめいているらしいのだが、それでもわれわれが自意識の薄い民族であるという伝統風土が消えてしまったわけではないし、それは、仏教伝来以前に宗教などなかったことの状況証拠だともいえる。
この国の古代以前の人々がとても迷信深く宗教的だったのなら、その迷信深さがそのまま進化発展してきただけで、現在のような宗教に対するいいかげんな国民性(民族性)は生まれていない。人類の集団がそんなにもかんたんに非宗教的になってしまえるのなら、今ごろは世界中がそうなっているし、世界からの影響力が今よりずっと弱かったこの国の古代以前が今よりずっと宗教的だったということはありえない。
しかし今やこの国でも世界からの風を受けて、スピリチュアルやさまざまなカルト教団が生まれてきている。というか、表立って宗教を信じていなくても、宗教的な自意識過剰の人はいくらでもいるし、そこのところがかえってやっかいだともいえる。
まあ、「生命賛歌」なんかしてしまったら、すでにもう宗教なのだ。

日本人ほど世界から影響されやすい民族もいない。それが伝統としての進取の気性にもなっているし、この国の現代人は、世界のグローバル化の波にさらされながら、避けがたく宗教的になり、自意識を肥大化させてしまっている。
グローバル化の影響を受けているといっても、この国の伝統は自意識を薄くして世界に反応し受け入れてゆくことにあるのであって、自意識を膨らませながら世界に干渉したり世界と対立したりすることにあるのではない。
今やグローバル化に走ろうと拒否しようと、どちらも自意識の肥大化という近代の病理に冒されている。企業が世界に進出してゆくことが自意識の拡大だとしても、伝統を守れと叫んで右翼であることだって、それ自体がすでに伝統から逸脱してしまっている。この国では、伝統など守らないのが伝統なのだ。すべては移ろい流れてゆくということ、そうやって仏教を受け入れ、漢字を輸入し平仮名に変えていったりしてきた。
とにかく、仏教が向こうからやってきたのではなく、こちらから出向いて輸入してきたのだ。そしてそれは、そのとき宗教を持っていなかったことの証拠なのだ。
ヨーロッパにキリスト教が広まっていったのは、イスラエルを追われたユダヤ人のキリスト教徒がどんどんやってきて布教していったからだろう。宗教は、世界中どこでもだいたいそのように広まってゆく。土着の宗教があるのなら、自分から輸入するというようなことはしない。日本列島の仏教は、支配者が民衆支配のための道具として進んで輸入していった。すでに仏教が定着していた江戸時代には、あれほど激しいキリシタン弾圧をしたではないか。
ヨーロッパだって、そのとき一神教を持っていなかったし、落日のローマ帝国は、キリスト教が民衆を支配する道具としてもっとも都合がいいと気づいていったのだろう。そのときローマ帝国はもう、キリスト教ユダヤ教の布教合戦の場になってしまっていた。
しかし古代の日本列島の場合は、神道と仏教が布教合戦をしたということではない。はじめに仏教が輸入され、そのあとに神道が「古事記」とともに宗教のようなかたちになっていっただけのこと。神道が土着の宗教だったのなら、仏教なんか輸入しない。なぜならそのとき神道の信者が圧倒的に多数なのだから、神道で支配した方がずっと支配しやすかったに違いない。
でも、そのとき神道は、宗教ではなく、ただの祭りの行事だったのであり、それは権力者の支配から逸脱してゆく性格のものだった。
民衆を支配するためには、どうしても仏教という宗教が必要だった。奈良盆地が本格的な都市国家共同体になってゆく過程で、大和朝廷の権力者たちはそう考えた。

日本人は、祭りとして浮かれ騒ぐことができるのなら、キリスト教だろうと仏教だろうと神道だろうと、なんでもかまわない。大晦日にお寺の除夜の鐘を聞いて、その足でそのまま神社の初詣にゆく。結婚式は教会や神社でやって、葬式はお寺でする。それで、何の違和感もない。もともとお祭りしかない土地柄だったし、祭りが身体化している。
祭りは、「もう死んでもいい」という勢いで浮かれ騒ぐ行事であり、生産活動をはじめとする鬱陶しい憂き世のいとなみの「けがれ」をそそいでゆく「みそぎ」の行事なのだ。
民衆がそんなことばかりに熱中していたら、権力者の支配は思うように進まない。だから仏教を輸入して支配の秩序をつくろうとした。
仏は、世界の秩序の頂点に立ち、戒律によって人支配している。そのときこの国の権力者たちは、仏教の教義によって民衆に「被支配者」としての意識を植え付けようとしていった。
神に支配されることの恍惚と畏れ、それとともに民衆は従順な「被支配者」になってゆく。 
まあ、もともと日本列島の住民は、支配されやすい性格を持っている。お祭り騒ぎが好きで、国づくりにあまり興味がない。そこに参加しようとする意識が希薄なのだ。
日本列島には、ヨーロッパのような支配者と民衆との「契約関係」というものがない。「国」はあくまで「憂き世」であり、そんな鬱陶しいものに関わり合いたくはない。そんなことよりもお祭り気分でいたいというか、心のどこかしらに政治とはひとつの「けがれ」であるという思いがある。政治に対して民衆は、「おまかせします」という気分になってしまう。だから支配者に、好き勝手にやられてしまう。
戦後のこの国だって自民党政治にいいようにやられてきたし、その情況は現在まで続いている。
戦後の左翼は、「民衆も政治に参加しなければならない」と扇動してきた。
一方自民党は、「われわれにおまかせください」と訴えた。
そうして、ついに自民党政治を倒すことができなかった。左翼が提出したそうしたスローガンは、けっきょく説得力を持たなかった。
政治に参加するなんて鬱陶しいことだ、という気分は、日本列島の伝統的な風土なのだ。一般的な民衆だけでなく、エリートの学者や芸術家だってそういう気分の人が多い。そこのところは、ヨーロッパとはずいぶん違う。この国には、上にも下にも、「無党派層」とか「選挙に行かない人」がたくさんいる。
政治意識が薄いとか低いといっても、政治なんか鬱陶しいのだ。べつに知能が遅れているからではない。つまるところ、生き延びようとする自意識が薄いから、そういうことになる。

生き延びるためには、この社会の正義のがわにつかねばならないし、自分の中に正義を持たねばならない。生きてゆくためには、自分の能力や環境に合わせ正義を紡いでゆくしかない。社会や時代は、生き延びることに努力せよ、生き延びることは素晴らしい、と扇動してくる。まあ、時代や社会に踊らされてそういうことに熱心な人もいれば、しかし誰だって「もう死んでもいい」という勢いで何かにときめき熱中してゆく心の動きも持っているわけで、そこにこそ人間性の自然があり、それによって「無党派層」や「選挙に行かない人」が生まれてくる。
そして、もしかしたらこれは根源的な問題かもしれない、と僕は考えている。すなわち、生命は生命の外部に逸脱してゆく、ということ。この問題設定(パラダイム)抜きには生物学は成り立たないのではないか。リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』を読みながら、そういうことを考えた。
生物がいろんな形質に変化していったり、いろんな生態を持つようになってゆくのは、「生き延びる」ためではなく、「もう死んでもいい」で「生命の外部」に逸脱してゆくことではないだろうか。
どんな生きものも、四苦八苦して「生きられなさ」を生きているのだ。「生命のはたらき」とは、そのようなものではないだろうか。
無党派層」や「選挙に行かない人」になることは、「生命の外部に逸脱してゆく」ことではないだろうか。それは「もう死んでもいい」といっているのと同じで、そんなことをしていたら権力者にいいように支配されて、とても生きにくくなってしまう。
まあ歴史は、ひとまず誰が世の中を支配してきたかという問題設定で語られるわけだが、それを裏返せば、多くの民衆がなぜいいように支配されて歴史を歩んでこなければならなかったのか、という問題でもある。

人間性の自然は、「支配されてしまう」ことにある。そしてそれは「支配しようとする衝動を持っていない」ということでもあり、原始社会には「支配するもの」などいなかったのに、誰もが「支配されるもの」として生きていた。何に支配されていたかといえば、「この生」に支配されていた。だから、どんな生きにくさも受け入れることができた。そうやって地球の隅々まで拡散してゆき、生きられるはずもないような氷河期の北ヨーロッパネアンデルタール人が登場してきた。そこでは、誰もが「この生」に支配されていた。人は、どんな生きられなさも受け入れてしまう。「生きられなさを生きてしまう」というべきだろうか。そうやって「この生」に支配されながら、爆発的な進化の歴史を歩んできた。
だから、文明社会になって支配者が登場してくることも歴史の避けがたいなりゆきだったのかもしれないが、とにかくそういう社会になることによって「この生」を支配する存在としての「神」が見い出されていったわけで、それまで人々は「支配されている」という自覚など持っていなかった。
原始人は誰もが「この生」に支配されながら、誰もが「支配されている」自覚など持っていなかった。「生きられなさを生きる」ことによって、この世界や他者が輝いて立ちあらわれる。生き延びる能力を追求することによって、世界や他者の輝きを見失ってゆく。そういう二律背反を抱えて文明社会の歴史が流れてきたわけで、だから民衆は「支配される」ことを受け入れてしまう。したがって、古代の民衆の「支配」される歴史が不自然だったとはいえないのであり、民衆が支配することすなわち現代のような民主主義が自然だともいえないわけで、たとえ民主主義の世の中になっても誰もがどこかしらに「支配されるもの」としての部分を抱えて生きている。
「この生」を支配するものなどいないのだ。それでも人は、「この生」に支配されて生きている。つまり、「この生」それ自体が「支配するもの」であって、「神」がこの生を支配しているのではない。
政治に参加して民主主義のいい世の中をつくろうというだけではすまない。
前近代の悲惨な歴史が間違っていたということですめば結構だが、おそらくそれだけではすまない。その歴史の中にこそ潜んでいる人間性の自然や本質もあるのではないだろうか。
しんどい生き方になってしまうのは、人間性の自然なのだ。
古代の民衆は、権力者にいいように支配されながら、うたかたのような「祭り」の文化を守り育ててきた。それが初期の神道であり、彼らは生き延びようとしなかった。生きてあることのつらさやかなしみをそのまま受け入れ、宗教や政治のコンセプトである「生命賛歌」を求めなかった。
もしも古事記に豊かなイマジネーションがあらわれているとすれば、そのつらさやかなしみを受け入れるところから心が華やぎときめいてゆく生の作法の文化を持っていたからだ。彼らの神の物語は、「神がこの世界をつくった」というような安直なかたちで思考停止しなかった。それは、「この世界に神があらわれた」という書き出しではじまる。そうして、この世界が自然の作用で出来上がってゆく過程を、彼らなりの想像力で考えていった。つまり、自然が神であり、自然以上の存在など考えなかった。宗教など知らない歴史を歩んできたものたちは、そう考えるしかなかったのだ。
われわれは「この生=自然」に支配されているが、「この生=自然」が「神」に支配されているわけではない。