無力で無能であることの嘆きこそ美しい・神道と天皇(39)

神道は、「宗教」ではない。「人の道」でもない。われわれの心は、この世界に対してであれこの生に対してであれ、深く腑に落ちて納得することを渇望している。そういうのを「悟り」といったりするのだろうが、古代および古代以前の日本列島の住民は、それを「宗教」にも「人の道」にも求めなかった。「みそぎ」のカタルシスに求めた。その「カタルシス」を「かみ」といった。
「みそぎ」とは、さっぱりと洗い流すこと。この生をもっとも深く認識することは、みずからの存在がきれいさっぱりと消えてなくなることを腑に落ちて納得してゆくことにある。だから、古代および古代以前の日本列島の住民は、「死んだら何もない黄泉の国に行く」と言い習わしていた。文明社会で暮らすわれわれは、その「認識」の深みにたどり着くことができるだろうか。彼らは、そういう深い「認識」を持っていたから、仏教だけに染まってしまうことなく、神道を生み出した。
神道は、宗教のように神や仏を頂点にしたこの世界の「構造=ヒエラルキー」を確かめることではなく、この世界もこの生も、すべての森羅万象は「消えてゆく」ということを、深く腑に落ちて納得してゆくことにある。それを「みそぎ」といい「かみ」という。
それは、幸せになることでも救われることでも、清く正しく生きて満足することでもない。
神道は生命賛歌ではないし、自意識を満足させるために腹を切ったりすることでもない。
「もう死んでもいい」と思えるほどのカタルシスを、「みそぎ」といい「かみ」という。そのカタルシスとともに天皇を「かみ」として祀り上げていった。
起源としての天皇は、おそらく支配者ではなかった。
大陸の王は、軍隊や国家制度をつくって民衆の生存基盤を異民族の侵略から守ってやり、それと引き換えに民衆から税を徴収した。
しかし弥生時代奈良盆地においては、そんなことを心配しなければならない環境ではなかった。民衆は、生命財産を守るために天皇を祀り上げていったのではない。逆に、生命財産に対する執着(=けがれ)をそぎ落として「みそぎ」を果たすためのよりどころとして天皇を祀り上げ、「捧げもの」をしていったのだ。

宗教においては「神=ゴッド」は生命をつくり「霊魂」は生命の基盤として存在しているわけだが、日本列島における「みそぎを果たす」という流儀は、生命をそぎ落とし生命のことを忘れてゆくことにある。
「みそぎ」とは、「身(み)をそぐ」こと、ようするにそれだけのことだが、そこにはとても深い実存的な「認識」がある。「身(み)」すなわち身体、すなわち生命、そういうこの生にたえずまとわりついてくる鬱陶しいもの(=けがれ)をさっぱりとそぎ落とし、他愛なくこの世界や他者にときめいてゆく……それが古代および古代以前の日本列島の住民の生きる流儀だった。したがってそこに宗教が生まれてくる根拠は存在しないし、同時に、「みそぎを果たした清浄な存在」としての「畏き姿」を祀り上げてゆこうとする切実な動機があった。彼らにとって(起源としての)天皇は、この世のもっとも「畏き姿」の持ち主だった。その「畏き姿」を「かみ」といい、そしてその「畏き姿」に「気づく」ことを「かむ」といった。
起源としての神道における「かみ=かむ」は、宗教とは対極にある世界観や生命観だったのであり、仏教が輸入されたときの民衆は、その「かみ=かむ」の世界観・生命観のままに仏教に対するカウンターカルチャーとしての神道を生み出していった。
だからそのとき権力者は、神社のそばに寺を建てたり、神社を国の管轄にしたり、神社にも仏教的な色合いを持たせたりしながら、「神仏習合」を推し進めていった。そうやって神に対する仏の優位を構造化させながら、支配を強化していった。
神社はあくまでシンプルで清浄な空間であろうとし、寺院はひたすら豪華絢爛な極楽浄土を体現しようとする。たとえば江戸時代に出雲大社が建て替えられるとき、幕府はそれを日光東照宮のような極彩色のものにしようとしたが、神社のがわがけんめいに抵抗して白木のままで建てることになったのだとか。
神道には開祖も教義も救済も戒律もないし、神社は「何もない」清浄な空間であろうとする。そこは、極楽浄土でもなんでもなく、この生の「けがれ」をそそぐ「みそぎ」の空間にほかならない。その「清浄」な気配こそ神社の「畏き姿」であり、そこはもう、仏教伝来以前というか神道成立の前からすでに純粋な「祭り」の場として機能してきた空間だった。
もしも日本列島の住民が天皇に「畏き姿」を見ているのだとすれば、その天皇が支配者として歴史に登場してきたということは論理的に考えてありえない。「支配者=王」はいつか必ず殺され、別の「支配者=王」に取って代わられるのが歴史の法則なのだ。それが「支配者=王」の宿命なのだ。断絶しなかった「支配者=王」の系譜など、世界中のどこにも存在しない。
天皇は、何もしない。もともと民衆にとっての天皇は、そこにいてくれるだけでありがたく畏き存在だったのであり、天皇もまた民衆のすべてを許していた。
起源としての天皇と民衆のあいだには支配と被支配の関係などなかったのであり、それが神道における人と「かみ」との関係だった。

起源としての天皇は、「支配者=王」として登場してきたのではない。
まあ、奈良盆地の「祭り」の場における、民衆が勝手に祀り上げた祭りのシンボルというかカリスマのような存在だったのだ。
その祭りは、みんなで歌い踊る場だった。であればそのとき、歌や踊りの名手が祀り上げられていったのかもしれないと考えることができる。……だが今は、このことに深入りするのはやめておこう。
ともあれ、そこには宗教などなかったのだから、もちろんそのカリスマは「呪術師」だったのではない。
「呪術師」にも「王」にも、「畏き姿」などない。彼らは森羅万象や国家を「支配する能力」を持っているだけで、その能力そのものがすでに不純(=けがれ)なのだ。
「畏き姿」は、すべてを許している存在のもとにある。その「清浄」な気配は、どんな能力も持たないところにこそ宿っている。
天皇がすべてを許している存在であるということは、「支配者」として発生してきた存在ではないということを意味する。支配することは許さないことだ。社会秩序に反することを許さないことの上に支配が成り立っている。であれば、すべてを許している天皇は、支配することにおいてまったく無力な何もできない存在であるということでもある。
天皇は、人も自然も社会も支配しない。権力者がでっちあげる「国家神道」によってひとまず人も自然も社会も支配する存在にされてしまっているが、それは起源としての神道のコンセプトではない。支配することの無力性こそほんらいの天皇の存在理由であり、民衆は、「無力であることの嘆き」を生きるためのよりどころとして天皇を祀り上げてきた。なぜならその「嘆き」こそ、心が華やぎときめいてゆくときの水源だからだ。
この世に生まれ出てきてしまったことの過ちはもう取り返しがつかないということ、その「嘆き」は根源的だ。その「嘆き」を水源にして心はこの世界の輝きにときめいてゆくのだし、その「嘆き」ゆえに「自分=この生」の外の世界に対する「遠い憧れ」を抱いている。親密さとは、「遠い憧れ」なのだ。「遠い憧れ」のよりどころとして「天皇=かみ」を祀り上げてゆく。

「問う」ことは「遠い憧れ」、それが人間的な知性や感性の基礎になっている。人がそのような脳のはたらきを持ったのは、この生がこの生は取り返しのつかない過ちであるという無意識の認識の上に成り立っているからであり、そこに立てば、世界のすべては赦されている。この生が正当で素晴らしいものであるなら、正当で素晴らしいものであるための条件が設定され、不当で悪しきものと区別されてゆく。そうやって世界や他者は吟味し裁かれ、「問う」という「遠い憧れ」を失ってゆく。
わかったつもりになって安直に裁いてしまうことなんかできない。永遠に問い続けることを「遠い憧れ」という。そうやって人類の知性や感性は進化してきたのではないのか。そうやって科学の真実はたえず変更されてきたのではないのか。
これは、人類の脳のはたらきの、「認識」という問題なのだ。人類の歴史は、たえず「わからない」とみずからの「無力」を嘆きながら問い続けてきたのだ。「認識する」とは、「わからない」と「嘆く」ことだ。この国に天皇が存在するということは、そういう問題とかかわっている。
何かを発見し認識することは、それにともなう新しい「わからない」問題を抱えてしまうということだ。そうやって人類は、問い続けて歴史を歩んできた。
人類拡散だって、まあ「問う」というムーブメントだったといえる。「幸せ(=住みよい土地)を求めて」とか、そういうことではない。いつだってそこはより住みにくい土地だったのであり、だからこそ問わずにいられない何かがあった。人は、問わずにいられない存在なのだ。
猿には、「わからない」という「嘆き」はない。人間だけがそうした「嘆き」を持っている。「わからない」とは「ゼロ」の地点に立つということ、さっぱりと「消えてゆく」こと、人は、そこから生きはじめる。そこから心が華やぎときめいてゆく。その体験を、「みそぎ」という。
認識論といっても、ここでは難しい科学や哲学の問題をいっているのではない。それは、人との「出会い」において起きる心の動きとして、誰もが体験しているのだ。「何もわからない」ということ、そんな生まれたばかりの子供のような心でそのつどそのつど生きはじめ、世界と出会う。生きるなんて、原始時代も現代も、それだけのことさ。
幸せもよい社会もよい人生も、どうでもいい。みんなもうすぐ死んでゆくのだ。しかしそれでも今は生きているのだし、世界は輝いている。その「出会いのときめき」のタッチとして、天皇が祀り上げられ、神道が生まれてきた。
今どきの右翼であろうと左翼であろうと、彼らが考える天皇神道のことなど、僕はぜんぶくだらないと思うし、真実だとは思わない。三島由紀夫だろうと江藤淳だろうと、大江健三郎だろうと丸山眞男だろうと、どいつもこいつも自意識過剰で、自分が考える天皇の姿がほんとうの天皇の姿だと思っていやがる。ボブ・ディランは「アイム・ノット・ゼア」といった。まあそういうこと。自分のいない場所に真実があると思え。自分が天皇をどう思うかということなど、どうでもいいのだ。現在の民衆であれ古代の民衆であれ、彼らにとっての天皇はどういう存在であるのかと、なぜ問うことができない?
日本人の無意識の中の天皇とはどういう存在であるのか?それが問題だ。