すべては赦されている・神道と天皇(40)

天皇は、何もしない。しかしそれは、この世界のすべてを許している、ということでもある。
すべてを許している支配者など存在しない。すべてを許していたら支配なんかできない。集団の秩序と安定を守るのが支配者の仕事で、そのために民衆を裁く。
天皇は、民衆を守ることも裁くこともしない。したがって支配者ではない。古代から現在まで、権力者によって支配者であるかのように偽装されてきただけなのだ。支配のアリバイとして利用されてきたのだ。いいかえれば、天皇が支配する存在ではなかったから、天皇に代わって支配する権力者が生まれてきたともいえる。
天皇は、支配者として奈良盆地に登場してきたのではない。異民族による侵略のない日本列島では、集団を守ってくれる支配者を必要としなかったし、集団が存続しなければならない理由も、秩序を持たねばならない理由もなかった。だから、縄文時代には大きな都市集落が生まれてこなかった。
日本列島の集団は、基本的には人と人のときめき合う関係だけの上に成り立っており、集団そのものには、結束しようという目的も存続しようという目的もなかった。そんな土地柄だから、古代の民衆には「国家」という意識はなかった。
国歌や国旗がつくられたのは、ようやく明治になってからのことだ。それ以前の民衆にとっての「国(くに)」は、せいぜい「藩」のレベルまでだったし、「くに」という言葉は、今でも「生まれ故郷」というような意味でつかわれている。
やまとことばの「くに」は、もともと「世の中」という程度の意味だったのであり、そこには「憂き世」というニュアンスが含まれている。
日本列島の歴史風土には、集団の安定秩序という目的がない。つまり、そんな目的で天皇を祀り上げてきたのではない、ということだ。天皇はほんらい、「国家の統合の象徴」でもなんでもなく、人と人が他愛なくときめき合って暮らすためのよりどころとして祀り上げられたのであり、国家(大和朝廷)が生まれる前からすでに天皇は存在していたのだ。

天皇と民衆のあいだに、「国家(の統合)」という目的はない。つまり日本列島の住民には、そういう目的の「公共心」はない。
天皇は、人の心がこの世界の輝きにときめいてゆくことのよりどころとして存在している。
人は心がときめいていないと生きられない。そうやってすべてを許している存在である天皇が祀り上げられていった。
左翼であれ右翼であれ、天皇が「支配者=王」として奈良盆地に登場してきたと考えるなんて、ほんとにくだらない。「支配者=王」は、歴史の法則としていずれは殺されるようになっている。「支配者=王」が1500年以上君臨し続ける制度なんか、世界中のどこにも存在しない。
天皇は、その歴史のはじめから支配者でも王でもなかった。ただもう「かみ」として「畏き姿」をそなえているだけのこと。
古代以前の日本列島の住民には、「支配者=王」を祀り上げるべき理由がなかった。われわれ民衆は、「支配者=王」に頼って歴史を歩んできたのではない。この国の安定も、この生の安定も、どうでもいい。国なんかどんなかたちであろうと「憂き世」にすぎないのであり、この生はどんなに幸せだろうと「けがれ」でしかない。日本列島の住民は、そういう感慨すなわち「嘆き」を携えてというか共有しながら縄文以来の歴史を歩んできた。心は、そこから華やぎときめいてゆく。華やぎときめいてゆく心が「畏き姿」と出会う。

天皇を「支配者=王」というタームで考えても、その存在の本質は見えてこない。そういう西洋的な歴史観の常識に当てはめても、天皇の本当の姿は見えてこない。
まあ古代以前の天皇の呼称である「おほきみ」という言葉に「大王」という漢字を当てたことが、そもそもの間違いだった。そこには、ときの権力者による、みずからの民衆支配を正当化するための隠れ蓑にしようとする意図が隠されている。天皇を「支配者」ということにしてしまえば、自分たちの支配の「けがれ」はすべて免責される。天皇に「けがれ」をおっかぶせたのだ。
日本列島には、支配することに対する「けがれ」の意識がある。何ごとにおいても、支配して安定させることは、停滞させることでもある。そういうことを嫌う文化の伝統がある。
すべてのものは移ろい流れてゆき、すべてのものはやがて滅びてゆく……そういう思考の世界観や生命観があるからこそ、「進取の気性」というか、どんな外来文化もひとまず受け入れることができる。
天皇はひとまず「支配者」になって、支配することの「けがれ」を引き受けてくれている。支配しないで、その「けがれ」だけを引き受けてくれている。「けがれ」を引き受けている存在だからこそ、もっとも「清浄な」存在でもある。「みそぎ」は、「けがれ」を引き受けている存在のもとにこそ宿っている。
「けがれ」を自覚することのその「嘆き」を失ったときに、心の動きが停滞衰弱し、人と人の関係もぎくしゃくしてくる。まあ「けがれ」の自覚がないから、平気で人を支配し裁くことができる。この国の権力者はもちろんのことだが、庶民の大人たちの中にもそんな人種がたくさんいる。人の心は、そうやって病んでゆく。
心が移ろい流れてゆくのなら、人を裁くことなんかできないし、恨みや憎しみに凝り固まってしまうこともない。
人の心であれ世の中の仕組みであれ、安定した秩序をつくるということは、停滞衰弱しているということでもある。
神や仏との関係のもとに安定した秩序をつくることに対する「拒否反応」とともに神道が生まれてきたのだし、天皇はそれ以前から奈良盆地の祭りのシンボルとして存在していた。祭りは、生きてあることの「けがれ」を自覚したものたちの「みそぎ」を果たしてゆこうとする願いとともにあった。そういうかたちで心が移ろい流れてゆくことの上にそれまでの日本列島の住民の生きる作法が成り立っており、集団運営の作法でもあった。彼らは。「安定した秩序」そのものを拒否した。受け入れつつ、拒否した。そうやって神道が生まれてきた。

安定した秩序、すなわち「みんなで幸せを共有しよう」などというスローガンを叫ばれても、勝手にやってくれ、というしかない。そういう空想はバブルの時代とともに終わっているし、そういう空想をすることが日本列島の伝統であるのでもない。まあ、幸せも不幸も存在するのが人の世で、人が普遍的に共有しているというか共有できるのは、おそらくそんなことではない。
現在の世相がどのようになっているのかはよくわからないが、ともあれ二本の足で立ち上がった原初の人類はこの生の「けがれ」に対する「なげき」を共有しながら他愛なくときめき合っていったわけで、そこから人類の歴史がはじまっている。
幸せでも不幸でもいいのだけれど、人と人が他愛なくときめき合う体験に対する憧れはおそらく誰の中にもある。他愛ないときめきにこそ、人間的な知性や感性が宿っている。つまりそれが一流の知性や感性であって、世界や他者を吟味し裁く観念=知能のはたらきなど二流三流にすぎない。
人としての品性の問題だ、と言い換えてもよい。たとえば、他者を吟味し裁くときの基準は、相手の社会的地位や財産や社会的常識としての善悪の観念等にある。それに対して「他愛なときめき」は、それらの基準を全部忘れて相手の人間としての「姿」そのものを見ている。そういう「姿」にたちまち気づいたり感じたりしてゆく知性や感性がないから、それらの社会制度的な基準値に頼らねばならなくなる。それらは人を推し量るためのもっともわかりやすく確かな物差しだが、そんなものに頼る時点で、すでにその人の知性や感性は停滞衰弱してしまっている。物の値段でしか物の価値がわからないというのと同じだ。物の「姿」、すなわち「畏き姿」を見る視線を持っていない。

天皇を祀り上げるということは、人間的な知性や感性の問題でもある。それは、天皇を政治的なヒエラルキーの頂点に置いて政治に利用しようとすることとも、天皇制を否定して天皇の戦争責任を問おうとすることとも違う。どちらも「吟味し裁いている」思考態度にすぎない。
この世界や他者の「畏き姿=輝き」に気づいたり感じたりすることができるかということ。「畏き」とは、「本質的」「根源的」ということ。この世界の森羅万象の本質・根源に気づいたり感じたりしてゆくことができるかということ。われわれは、日本人である前に、人間としてそういう知性や感性を持っているかと試されている。
それは、お勉強ができるかとか、仕事ができるかとか、人を見る目があるかとか、人の道がわかっているかとか、よりよい社会を構想できるかとか、幸せになることができるかとか、そういうことではない。それらの問題は、バブルがはじけたときにぜんぶ終わっている。ただもう、この世界の輝きに他愛なくときめいてゆくことができるか、体ごと反応してゆくことできるか、そういう問題なのだ。そういうタッチを持っていないと、心を病んでしまう。いまだに戦後の高度経済成長の余韻を引きずりながらあれこれの社会病理があらわれてきている時代ではあるが、それでも人であるかぎりわれわれは、心の奥のどこかしらで、そうした「他愛ないときめきのタッチ」を求めている。
まあ、神を知らない縄文人弥生人は、そういうタッチを豊かにそなえていた。すなわち日本列島における天皇を祀り上げる習俗は、宗教を信じて生きることではなく、宗教を知らないものたちの生きる流儀として生まれてきたのだ。
宗教を信じてしまったら、無防備で裸一貫の存在としての「他愛ないときめき」はない。何しろ宗教者は、神の庇護のもとにある存在なのだから。
天皇は無防備で裸一貫の存在であり、人の心のそうした「他愛ないときめき」を守るために「神道」が生まれてきたのだ。そうして、自分たちを庇護してくれるわけではないが支配することもないところの、一方的に祀り上げてゆくことができる対象としての「神(かみ)」を見出していった。そのとき奈良盆地の人々はすでにそうした存在として天皇(おほきみ)を祀り上げていたし、その天皇の姿に合わせて神道の「かみ」を造形していったのではないだろうか。
日本列島の住民は、世界観や生命観の問題として、政治そのもの宗教そのものに対する拒否反応がある。それは、社会やこの生の「安定秩序」に対する拒否反応でもある。
なぜ仏教伝来以降に神道が生まれてきたのか?
それはやがて権力社会によって呪術的な効果が要求されるようになっていったが、そのことを目的にして生まれてきたのではない。もともとそうした政治的宗教的な性格を嫌って生まれてきたのだ。
つまるところそれは、男と女の性の問題だろうか。官能の問題、と言い換えてもよい。神道の起源について考えるなら、そういうアプローチもあっていいのではないだろうか。