非宗教としての神聖なもの・神道と天皇(136)

言葉の「意味」といっても、あらかじめ決められたこの社会の約束事にすぎない。
それに対して言葉に込められた「感情」は、聞く人が汲み取らないといけない。ただ「ばか」といっても、いろんな意味(ニュアンス)がある。
日本語(やまとことば)は、「意味」よりも「感情」のニュアンスを表現する言葉として洗練発達してきた。それは、社会的な関係よりも一対一の関係のほうを大事にする社会だったことを意味する。
やまとことばは、「書き言葉」としてではなく、「話しことば」として発達してきた。
古代以前の日本列島は「無主・無縁」の混沌とした社会だった。だから、他者を支配するとか説得するという機能を言葉に持たせる必要がなかったし、したがって言葉の「意味」を限定することの上に成り立った文字を持つべき必然性がなかった。
日本列島は文化が遅れていたから文字を持たなかったのではなく、文字を必要とするような社会をつくっていなかったのだ。
文字は、支配のための道具として発達してきた。言葉の意味をはっきりさせておかないと書き言葉はうまく機能しないし、支配の道具にならない。それに対してやまとことばはそういう関心が育たない社会構造の中から、あくまで感情の表現を第一とする機能を洗練させて育ってきた。つまり、言葉の「意味」によって支配・説得・伝達し合う関係ではなく、ただもう感情を共有しながらときめき合ってゆく関係をつくるための言葉だった。
「しを」というやまとことば、これは「潮」をあらわす言葉として生まれてきたようにいわれているが、そうじゃない。「萎(しを)れる」というくらいで、「かなしみ」をあらわす言葉だった。「しを」と声に出せば、いかにもそんな感じの響きではないか。
「潮(しを)」の満ち引きは、「別れ(のかなしみ)」を連想させる。だから「しを」と命名されていったわけで、最初はあくまで「かなしみ」をあらわす言葉だった。和歌で「潮(しを)」というときは「別れのかなしみ」のメタファになっている。古代人は「しを」と聞いただけで「潮」と「別れのかなしみ」を同時に思い浮かべた。そういう重層的なニュアンスで遊ぶことができたから、和歌が発達した。
「潮」と書いてしまえば海の潮以外のものはあらわさないが、話し言葉として「しを」と聞けば、「潮」と「別れのかなしみ」の両方を思い浮かべることができる。文字がない方が人と人の関係や文化が豊かになった。だから、文字を持とうとしなかった。
和歌は声に出して詠むものだという伝統は、「宮中歌会始」をはじめとして現在にも残っている。
文字を持つことは、必ずしも社会の発展を意味するのではない。
仏教伝来のときの民衆社会には、仏の教えとか戒律支配ということに対する拒否反応があった。民衆社会の構造においてそういう関係性の文化がなかったから、そこからのカウンターカルチャーとしての神道が生まれてきた。
人と人の関係の豊かさは、「伝達=コミュニケーション」によってではなく、ときめきやかなしみの「感慨」を共有してゆくことによって生まれてくる。
文字を持たない古代以前の奈良盆地には、現在よりももっと豊かな人と人の関係の文化が生成していた。だからこそ、日本列島でいちばん大きな都市集落へと発展してゆくことができたのだ。
神武天皇がやってきて大きな都市集落にしたのではない。そう思いたい人たちはそう思えばいいのだけれど、歴史の真実はそういうところにはないのだし、こちらだって天皇の「神聖さ」はどこにあるのだろうと本気で考えているわけですよ。
「無主・無縁」の混沌とした原始性の集落だったからこそ、切実に祀り上げることのできる真に本格的で根源的な「神聖さ」を必要としたのだ。
そこは、支配伝達の秩序ではなく、人と人のときめき合う関係が豊かに生成している社会であろうとしていたことが、やまとことばの構造からもうかがえる。

弥生時代晩期から古墳時代にかけての奈良盆地には、支配者など存在しなかった。そしてその後に支配者が登場してきたとしても、それは天皇ではなかった。支配者が支配の隠れ蓑として天皇を利用していっただけなのだ。
天皇が支配者であった時代など、じつはどこにもない。しかしいつの時代も天皇がもっとも「神聖な」存在だったし、支配者自身がもっとも天皇の「神聖さ」を怖れていた。
藤原道長にしろ、平清盛にしろ、足利尊氏にしろ、織田信長にしろ、徳川家康にしろ、なぜ天皇を怖れたのだろう。彼らは天皇家なんか滅ぼしてしまうことができるだけの権力を持っていたのに、それでもしなかった。権力のためには人を殺すことなんかなんとも思わない連中なのに、そんなの、ただのお人好しではないのか。権力者が、天皇に対してだけは、どうしてお人好しになってしまうのか。この問題をきちんと説明してくれた歴史家がいるだろうか。
日本列島の歴代の権力者は、どうして大陸の「王」のように徹底的に「頂点」まで上り詰めようと振る舞うことができないのか。どうして自分が神であるかのように振る舞うことができないのか。それは、天皇を神だと思っているからではない。天皇だってただの人間に決まっている。神というものを知らないから、神のように振る舞うことができないのだ。彼らは、神ではなく、「神聖なもの」を怖れている。
この国においては、「神聖なもの」になることは、権力を放棄して「生贄」になることだ。「神聖なもの」になることは、「死」を意味する。現世を放棄することを意味する。そういうパラドックスに陥ってしまう。この国は、「神聖なもの」と「権力」は別々のものだという歴史を歩んできた。彼らは、権力の座にいるがゆえに、「神聖なもの」になろうとしてはいけないことを本能的に知っている。「神聖なもの」は「異次元の世界」にある。その「空虚=非存在」を怖れる。彼らにとって「神聖なもの」になることは、ものすごく気味悪いことなのだ。そういうことは、天皇にまかせておきたい。
「神聖なもの」に対する畏れと遠い憧れ、それが日本列島の歴史に通底している。日本人の歴史的なメンタリティ、それはきっと原初の人類が二本の足で立ち上がって以来の「原始性」の問題であり、現在の人類が心の底で共有しているものでもあるにちがいない。
「神聖なもの」に対する畏れと遠い憧れは、世界中の人類が持っている。
「神聖なもの」すなわち「異次元的なもの」に対する想いが、死の怖れにも、この生の世界の輝きにときめくカタルシスにもなっている。
日本人は、「神聖なもの」を「異次元的な空虚=非存在」として認識している。権力者はそれを怖れ、民衆は「遠い憧れ」を抱いている。そのようにして「神聖なもの」がこの国の精神風土を覆っている。

「無主・無縁」の混沌とした集団においては、支配による秩序が存在しない。支配者よりも「神聖なもの」が祀り上げられる。「神聖なもの」は、「意味」が存在しない「空虚=非存在」であり、ひとつの「混沌」でもある。すべて、支配者の嫌うものだ。
日本列島は、言葉そのものが「意味の不在」の混沌の上に成り立っている。だから「無主・無縁」が成り立つ。「すべては赦されている」というという前提のもとに他愛なくときめき合ってゆく、そのためのよりどころとして支配しない存在としての天皇が祀り上げられてきた。
どうやら日本列島には、じっさいの支配者が天皇を押しのけてみずから「皇帝」とか「王」というような存在になることができない文化風土があるらしい。基本的には「無主・無縁」の集団性 であり、それが、支配者が頂点に立つことを阻んでいる。支配者がいてはならない土地柄だから、支配者はつねに天皇を隠れ蓑にしてきた。
この国では、支配者だろうと民衆だろうと、自分の支配欲の隠れ蓑として天皇を祀り上げるものたちがいる。そうやって、戦前的な家父長制を基礎とする国家神道の右翼思想がつくられてゆく。彼らにとって天皇はこ、この国の「家長=支配者」でなければならない。まあそういう思想が生まれてくるのも、この国が「無主・無縁」の集団性の文化風土になっていることの証しなのだ。
もともと天皇は「差別しない」ことのよりどころであり、しかしだからこそ「差別する」ための隠れ蓑にされてしまう。
天皇は、彼らがいうように「誰よりもえらい」のではない、「誰とも違う異次元の世界にいる」のだ。
この国は、あくまで現世的な存在でしかない「偉大なもの」を祀り上げるのではなく、清浄で異次元的な「神聖なもの」を祀り上げるのだ。
「偉大」と「神聖」とは違う。「神聖」という概念は世界中にあるし、世界中に「王」はいるが、天皇と会った外国人が、ああ「神聖」とはこういうことか、と気づくところがあるらしい。
天皇は国の家長である」だなんて、そんな俗っぽいことをいうものではない。日本人は「俗っぽい」ことをとても嫌う。

氷河期の大陸とつながっていたときの日本列島は人類拡散に「行き止まり」の土地であり、南から西から北からと、さまざまな風俗習慣や顔かたちの違いを持った人たちが集まってきていた。しかしそんな状況だからこそ「無主・無縁」の豊かにときめき合う賑わいが生まれていったし、行き止まりの地だから誰も追い出せないし逃げ出せない。そういう状況の中で集団を運営してゆく作法として、自然に日本語(やまとことば)が生まれてきた。誰もが許し合いときめき合ってゆく集団性から生まれてきたのが日本語(やまとことば)なのだ。
それは、感情を共有してゆくための言葉だった。
言葉の起源において、「意味」を音声に変換することは不可能だ。たとえばリンゴの色や形を思い浮かべながら、それをあらわす音声も同時に思い浮かべることはできない。ひとの音声は、心の動き(感情)にともなって思わずこぼれ出くるのであり、こぼれ出たあとから、それが心の動き(感情)をともなっていたことに気づく。
人類の言葉は、感情を表出する音声として生まれてきた。そういうかたちでしか生まれてくる契機はない。だから最初は、名詞を生み出そうとする意図などなかった。りんの色や形を音声に変換することなんかできない。しかし、リンゴに対する感慨はあるし、その感慨をあらわす言葉をリンゴの名前にしてゆくことはできる。つまり、感慨をあらわす言葉が出そろってから、名詞が生まれてきたのだ。
心が揺さぶられれば、思わず音声がこぼれ出る。その音声を共有してゆくかたちで、集団に流通する「言葉」が生まれていった。感慨を共有すれば、集団がときめき合い賑わってゆく。もらい泣きするように、ときめきだって人から人へと広がり伝わってゆく。
人類は、集団運営のための支配・説得・伝達のための道具として言葉を生み出したのではない。たがいに感慨を共有しときめき合ってゆくカタルシスとともに生まれてきたのだ。そしてそういうことがもっともダイナミックに起きていたのは人類拡散の行き止まりの地としての日本列島や北ヨーロッパであり、おそらくそこが最初に言葉が生まれてきたところなのだ。
つまり、ネアンデルタール人より早く言葉を生み出した人類などいないのであり、日本語が中国大陸や朝鮮半島から伝わってきたということなどありえない。日本語がなぜこんなにも中国語や朝鮮語と違うかということのもっとも大きな理由は、日本語のほうが先に生まれたからだということにあるのではないだろうか。そして中国語や朝鮮語も、その地域の風土に合わせて独自に生まれてきたのだ。
言葉の起源においては、どこにおいても、どこかから伝わってきたということはない。すでに言葉を持っているから、ほかの言葉を取り入れるということも可能になる。
日本列島の言葉は、日本列島でしか生まれえない契機を持って生まれてきたのだ。氷河期の日本列島は、どこよりも「無主・無縁」の集団性がダイナミックに起きているところだった。まあそれが世界普遍の原始性であるわけだが、日本列島の場合は、出てゆくものがいないままどんどん人が入ってくる地理的条件にあった。そしてそれは弥生時代奈良盆地の状況でもあり、それによって列島でいちばん大きな都市集落になっていった。
日本列島の「無主・無縁」の集団性が天皇制を生み出し、その歴史の無意識が、支配者が天皇を滅ぼすことができない理由になってきた。そういう「風土」が、支配者に圧力をかけ続けてきた。この国には、「神聖なもの」は冒すことができない、という歴史の無意識に覆われているらしい。

「神聖なもの」は「異次元の世界」にある。
宗教はあくまで「この生・この世界」を説明する装置であり、だから死後の世界すらもこの生の延長としての天国や極楽浄土や地獄や生まれ変わりなどをいう。それにたいして非宗教的なこの国の精神風土は、死後の世界などというものは「ない=わからない」として、つねに「今ここ」の「異次元の世界に対する遠い憧れ」を紡いできた。
この国の伝統としての、この世は「憂き世」であり「夢まぼろし」であるという感慨は、この生やこの世界の実在を説明しようとする宗教のコンセプトと逆立している。
織田信長でさえ、本能寺では「この生はゆめまぼろしである」という感慨とともに死んでいったという。それが史実かどうかということはどうでもよい。そういうことにして納得してゆくのが日本文化だということ、そういう「嘆き」を共有してゆくところでこそもっとも豊かな人と人の連携や集団の賑わいが生まれる、というコンセプトで歴史を歩んできた。そしてそれは、アメリカ人だろと中国人だろうと同じの世界の普遍のはずだが、文明社会はこの生やこの世界の実在こそ真実であり価値だと迫ってくる。そうやって人と人は、競争し闘争し合いながら、他愛なくときめき合う関係を失ってゆく。
日本列島では、他愛なくときめき合う関係を基礎にして歴史を歩んできたのであり、それによって高度な連携プレーの集団性が生まれてきた。他愛なくときめき合う関係はこの生やこの世界に対する感慨を共有しているのであって、その意味や価値を共有しているのではない。意味や価値を共有することによって競争し闘争し合う関係になってゆく。意味や価値に執着することによって、心を病んでゆく。
日本語(やまとことば)は「感慨」を共有してゆくことが第一義の言葉であって、意味や価値の共有は二義的なコンセプトにすぎない。それによって、他愛なくときめき合い連携してゆく人と人の関係や集団をいとなんできた。
人が生きて人と人の関係や集団をいとなんでゆく上で、意味や価値よりも、もっと大切なものがある。意味や価値の上に成り立った「偉大なもの」よりも、この生やこの世界に対する「嘆き」とともにある「異次元の世界」の「神聖なもの」に対する遠い憧れこそ、じつは人類が根源において共有しているものではないだろうか。
「神聖なもの」とは、この生やこの世界の「けがれ」を洗い流した「清浄なもの」のこと。非宗教的なものたちが抱いている「神聖なもの」に対する遠い憧れは、宗教者のそれよりももっと切実で純粋なのだ。「神聖なもの」は、神の外側にあるし、神の外側に隠れている。それを神道では「かみ」といった。「かみしめる」の「かみ」、心の底からつくづくしみじみと思うこと。
現在の地球上でもっともっとも非宗教的な場所である日本列島は、「神聖なもの」に対する遠い憧れに深く浸されている。だから、あの冷徹非情なサイコパスである織田信長でさえも天皇を滅ぼすことができなかった。
「神聖なもの」に触れることはできない。それは、触れられることもない、ということ。つまり、「神聖なもの」から裁かれることはない。「神聖なもの」は、天罰など下さない。それが神(ゴッド)の宗教とは違うところで、すべてを許して善悪の彼岸にいるのであり、支配者はその異次元性を前にして思考停止に陥ってしまう。そこに日本的な「あいまい」の文化の源泉がある。
支配者は「神聖なもの=天皇」を怖れている。それに対して民衆は、その善悪の彼岸にある異次元性に「遠い憧れ」を抱いている。支配者の天皇を祀り上げる心と民衆のそれとは、けっして同じではない。民衆は天皇を怖れて(畏れて)などいない。「他愛ないときめき」こそ民衆文化の基本的なコンセプトなのだ。

歴史は、風土の上に成り立った社会の構造がつくってきたのであって、人間がつくってきたのではない。「風土=社会の構造」が人間をつくっているのだ。
社会の構造が言葉を生成させているのであって、人の心(=脳)の中で生成しているのではない。言葉は脳細胞の中に記憶されてあるのではなく、そのつど「思い出す」のであり、「思い出す」とは社会の中で生成しているそれをそのつど「情報」としてキャッチしているということ。もともと脳の中に収納されてあるものではないから、歳を取るとなかなか思い出せなくなる。ものすごくかんたんな言葉でさえ、思い出せなくなる。
日本列島の歴史は、「神聖なもの」を祀り上げる精神風土とともに流れてきた。「神聖なもの」は、心を洗い流してくれる。「異次元の世界」にある「神聖なもの」には、現世的な「意味」も「価値」もない。その「ない=空虚=非存在」にこそ尊厳がある。日本列島においては、「意味」や「価値」を得る「自我の充足」よりも、「自分=自我」忘れた「心が洗い流される」体験のほうが大事なのであり、そうやって「日本語=やまとことば」が育ってきたのだし、舞の作法が洗練してきた。
日本列島においては、言葉を発することであれ舞うことであれ、「神聖なもの」を祀り上げる行為なのだ。そうやって「心が洗い流される」わけで、それを「みそぎ」という。
「神聖なもの」は、「清浄」に宿っている。そういう歴史風土なのだ。

日本列島の伝統における「語り合う」ことのカタルシスは、伝達することでも説得することでもなく、たがいにこの生の「嘆き」を共有しながら「神聖なもの」を祀り上げてゆくことにある。そうやって「心が洗い流される」体験をする。
「清浄」をあらわす言葉として「すむ」というやまとことばがある。
「すむ」は、「澄む」であり「住む」であり「済む」でもある。
もともと湿地帯だった奈良盆地の干上がった「清浄」な土地に住み着いていったから「住む」という。それは「澄む」という体験であり「済む」という体験でもあった。彼らにとって「住む」ことは、旅に疲れた心を洗い流す体験だった。
「済む」という「世界の終わり」、人はそこから生きはじめる。「世界の終わり」こそ「清浄」であり「神聖」なのだ。さっぱりと消えてなくなることの「清浄=神聖」。
「旅の終わり」という「世界の終わり」、それを「住む」という。
「けがれ」が洗い流された「世界の終わり」、それを「澄む」という。
心は、そうやって「異次元の世界」に超出し、「神聖なもの」を祀り上げてゆく。
人類拡散の行き止まりの土地である日本列島の歴史は、ここが「旅の終わり=世界の終わり」の土地であるという感慨からはじまっている。人々は、その感慨とともに日本語=やまとことばを生み出し、育ててきた。
「世界の終わり」から生きはじめるというイメージは世界中にあるわけだが、たとえば「ノアの箱舟」のユダヤ教キリスト教においては、そこで「自分は神に選ばれた人間である」という「自我の満足」を体験し「自我の拡大」を目指して生きはじめる。
それに対して人類拡散の果てに日本列島にたどり着いた人々は、誰もが「自我」をさっぱりと洗い流してみんなで生きてゆくという「連携」の文化を育ててきた。その集団性から「すむ」というやまとことばが生まれてきた。それは、「神聖=清浄」なものを祀り上げる言葉である。
「神聖なもの=清浄」に対する遠い憧れに浸された精神風土が、支配者に天皇家を滅ぼしてしまうことをさせなかった。善悪や正邪の彼岸、すなわち意味や価値の彼岸である「異次元の世界」に対する遠い憧れは、どこからともなく人が集まってきて盛り上がる祭りの賑わいから生まれてくる。ようするに人と人が他愛なくときめき合ってゆく文化、それだけのことだが、それはもう数万年前の氷河期以来の日本列島の歴史風土であると同時に、人類普遍の原始性でもある。
人と人が他愛なくときめき合ってゆくこと、たったそれだけのことだが、そういう基礎を持っていない文明は必ず病んでゆく。
まあ現在の世界の文明社会は何処も病んでいるともいえるわけだが、それでもそれぞれの人が生きて死んでゆく現場には、それとはまた別の問題がある。社会が病んでいようといまいと、人が人でなくなるわけでもない。