2016-06-01から1ヶ月間の記事一覧

都市の起源(その三十五)・ネアンデルタール人論186

その三十五・支配されてしまう 1 支配と被支配。 どうしてこんな関係が生まれるのだろう。 支配されるなんて、鬱陶しくて苦しいばかりなのに、どうして受け入れてしまうのだろう。 人類最初の国家は「王」という存在が登場してきたことによって生まれたとい…

都市の起源(その三十四)・ネアンデルタール人論185

その三十四・恥知らず! 閑話休題。 イギリスの国民投票による「EU離脱の決定」というニュースは、そりゃあ気になる。 この国の政治経済にどんな影響があるかということなどさしあたってどうでもいいが、「イギリスはこれからどうなってゆくのだろうか?」…

都市の起源(その三十三)・ネアンデルタール人論184

その三十三・「監視」という制度 1 都市生活の作法のひとつに「干渉しない」あるいは「監視しない」ということがあるはずだが、都市にだって、ときどきそういうことばかりしたがる人がいる。 「ストーカー」といっても、事件を起こす人だけじゃなく、一般的…

都市の起源(その三十二)・ネアンデルタール人論183

その三十二・生きられない弱いもの 1 氷河期の北ヨーロッパに住み着いていたネアンデルタール人は、「生きられなさ」を生きた人々だった。 人は、生きられなさを生きる存在なのだ。 人類は、生きられなさを生きる姿勢として二本の足で立ち上がり、生きられ…

都市の起源(その三十一)・ネアンデルタール人論182

その三十一・東京の復興 1 承前 秋葉原通り魔事件の加藤君は、東京に出てきて、自分は正しく優秀な人間であらねばならないという強迫観念がさらに強まり、その裏返しとしての挫折感や劣等感も頭の中でいっぱいになっていたらしい。 都市にはたくさんの人が…

都市の起源(その三十)・ネアンデルタール人論181

その三十・秋葉原事件の加藤君の場合 1 秋葉原通り魔事件は、都市の問題でもあった。まあ、都市の雑踏の中で起きた事件だったわけで、都市の雑踏とは何か、ということについて考えてみたい。 人と人の関係の基本というか自然は、一方通行の思いを向け合うこ…

都市の起源(その二十九)・ネアンデルタール人論180

その二十九・農業都市の起源 1 都市とは、たくさんの人が集まってきている場所のこと。そんな場所が住みやすいかといえば、基本的には住みにくいに決まっている。いろいろ鬱陶しいことや困ることがついてまわる。現在の都市は金さえあれば快適に暮らせる場…

都市の起源(その二十八)・ネアンデルタール人論179

その二十八・聖地巡礼 1 そろそろ都市の起源論を締めくくりたいのだが、迷走している。 最初に戻ろう。 起源としての都市は、どこからともなく人が集まってくることによって生まれてきたわけで、氷河期明けの1万年前ころ、そのことがもっともダイナミック…

都市の起源(その二十七)・ネアンデルタール人論178

その二十七・人間的な連携 1 知性とは「わかる」ことではない。「なんだろう?」と問うことだ。そうやって生まれたばかりの子供のようにこの世界の「不思議」に驚きときめいてゆくことだ。そういう「問い=ときめき」を生きているなら、無知な庶民だって「…

都市の起源(その二十六)・ネアンデルタール人論177

その二十六・心の中の神、という制度性 いくら自分の正しさを見せびらかしても、そのぶんだけ人から好きになってもらえるとはかぎらない。 人間なんて人に好かれてなんぼの存在だし、誰だって自分は魅力的な存在たりえているかということが気になっているの…

都市の起源(その二十五)・ネアンデルタール人論176

その二十五・都市生活の醍醐味 1 生き延びようとする欲望が人を生かしているのではない。 人間なんか、生き延びることができなくなるようなことばかりして生きている存在なのだ。 生き延びることができなくなるようなことをするのが人の生きるいとなみだ、…

都市の起源(その二十四)・ネアンデルタール人論175

その二十四・ここにはいられない 1 文化人類学者が人類発祥の地であるアフリカ中央部の未開の民族の生態を研究するのは、人間性の自然というか本質に迫りたいからだろう。 そこには、家族的小集団による移動生活があり、「部族」という幻想のネットワークが…

都市の起源(その二十三)・ネアンデルタール人論174

その二十三・アフリカで生まれたミーイズム 1 現在の人類集団は、規範によって「秩序」をつくってゆく「制度性」と、なりゆきまかせの「混沌」の中からときめき合い連携してゆく「祝祭性」の、相反する二つのベクトルの関係性の上に成り立っている、といえ…

都市の起源(その二十二)・ネアンデルタール人論173

その二十二・風景画と人物画 1 西洋の絵画史における「風景画」は、近代の印象派の登場ともに本格化してきた、といわれている。 それまでは、宗教画とか風俗画とか肖像画とか、もっぱら人の姿を描くことが中心で、風景はただの背景にすぎなかった。しかし印…

都市の起源(その二十一)・ネアンデルタール人論172

その二十一・風景の発見 1 「風景の発見」という言葉というか概念は、柄谷行人の『近代日本文学の起源』からの借用だが、べつにそこで教えられたことを書こうというのではない。それどころではない。ようするにこの人は「<風景の発見>は、近代的自我によ…