都市の起源(その二十四)・ネアンデルタール人論175

その二十四・ここにはいられない

文化人類学者が人類発祥の地であるアフリカ中央部の未開の民族の生態を研究するのは、人間性の自然というか本質に迫りたいからだろう。
そこには、家族的小集団による移動生活があり、「部族」という幻想のネットワークが機能している。それが人間性の自然で、人類の歴史はそうやってはじまったのか?
原初の人類はいくつもの家族的小集団に分散して暮らし、その中のひとつの集団が二本の足で立ち上がり、その生態が次々に他の集団に伝染していったのか?
そんなはずがあるまい。
そのフィールドワークが人間性の自然や本質を探究することに有効だとは思えない。
人類の集団は原初の二本の足で立ち上がったときからすでに都市的な性格のものだったのであり、良くも悪くも「都市(=密集した集団)」をつくってしまうことにこそ人間性の自然や本質があるのではないだろうか。
その二本の足で立つ姿勢は、きわめて不安定で俊敏に動くことができず、胸・腹・性器等の急所を外にさらしてしまって攻撃されたらひとたまりもない姿勢だった。したがってほかの集団もまねてゆくということになるはずがないのであり、ある密集した集団で全員がいっせいに立ち上がっていったのが起源なのだ。
それは、自然界でのサバイバルにそぐわず、猿よりももっと弱い猿になってしまう姿勢だった。
それでも立ち上がったのは、群れが密集して大混雑していたからであり、それによってたがいの身体のあいだに空間(すきま)を確保することができたからだ。しかしそうなればもう、ジャングルの中でほかの猿たちと競い合って生きることはできない。
人類は、サバンナに「進出した」のではなく、サバンナに「追い払われた」のだ。「逃げてきた」といってもいい。
人類の歴史は、きわめて密集したひとつの集団としてはじまった。まあそれによって二本の足で立ち上がったわけだが、その姿勢の居心地の悪さは、歩いてゆこうとする衝動をうながした。その姿勢は、立ったままじっとしているよりも、歩いている方がずっと楽だった。歩いていれば、その居心地の悪さを忘れていられる。つまり、足のことなど忘れて歩いていられる。それは、二本の足で全体重を支えているのだから疲れないはずがないのだが。疲れてもなお足のことなど忘れて歩いていられる。
まあこのことが人類拡散をもたらした基礎的な契機のひとつになっているのだろうが、アフリカ中央部に残ったものたちだって、あえて危険なサバンナを横切ってゆこうとしたのは、この「歩いてゆきたい」という衝動にうながされていたのかもしれない。


人類の「歩いてゆきたい」という衝動は、集団からはぐれ出てゆく生態と、それにともなって人が一カ所に集まってくる生態を生み出した。この二つの生態を果てしなく繰り返しながら、地球の隅々まで拡散していった。そうして繰り返せば繰り返すほど、密集した集団で暮らす生態も進化発展していった。
一方、アフリカ中央部にとどまったものたちは、サバンナの移動を繰り返しながら集団の規模をどんどん縮小してゆき、ついには家族的小集団でサバンナの中に点在する小さな森から森へと移動する暮らしになっていった。その小さな森では小集団の食糧(木の実)しかまかなえなかったし、サバンナで肉食獣に追われることを繰り返していれば、どんなに大きな集団も散り散りになってしまう。小集団のほうが見つかりにくいし、逃げるときの足まわりも自由がきく。100人の集団で全力疾走の100メートル競走ができるはずもなかろう。ぶつかり合ったりつまずいたりしてこけるものがいくらでもいて、あげくの果てに将棋倒しになってしまったりする。人間の場合は、たとえ7,8人の競争でも、それぞれ走るコースを決めておかなければ成り立たない。
二本の足で立って歩く猿が大集団でサバンナを横切ることなんか不可能であり、それはつまり、現在の人類学で常識であるかのように合唱されている、アフリカ中央部に居残った人類の子孫である数万年前のホモ・サピエンスがそこから世界中に拡散してゆくということなどあるはずがないことを意味する。
アフリカのサバンナでは、人間性の自然から逸脱して小集団で暮らす文化をはぐくみながら歴史を歩んできた。
まあサバンナの民は歩く能力も走る能力も発達しているのかもしれないが、その小集団の暮らしにおけるミーイズムや部族意識が人間性の自然。本質だとはいえない。しかし皮肉なことにそれが、氷河期明けの「国家文明の発祥」すなわち「定住生活の確立」の基礎になっていった。彼らはついに「都市」を生み出すことはできなかったが、その「部族意識」は、氷河期明けにエジプト・メソポタミアで「都市国家」が生まれてくる際の「規範意識=制度性」の基礎を提供した。


人類社会の「規範性=制度性」の基礎は、アフリカの「部族意識」にある。しかしそうやって小集団に別れて暮らしながら幻想のネットワークを形成してゆくことが、人間性の自然や本質だとはいえない。人間なんてもともと、一カ所に集まってきてお祭り騒ぎになってゆく生きものなのだ。そうやって人類拡散が起き、その果てに「都市」が生まれてきた。
原始的な「都市集落」がそのまま発展して「都市国家」になっていったのではない。「祭りの賑わい」の上に成り立った「都市集落」があまりにも大きく密集しすぎたためにその存続が危機に瀕し、そこから「規範=制度」を基礎にした「都市国家」へと変質していったのだ。
国家(共同体)は「規範=制度=法」を共有したネットワーク集団である、といえるのかもしれない。こんなにも大きな集団になってしまえば、じっさいにみんながひとつのところに集まることなんかできない。だから、「われわれは同じ国民である」とか「同じ法のもとで暮らしている」とか「同じ言葉を使っている」とか「同じ貨幣単位を共有している」とか、そんな「幻想のネットワーク」をつくりながらとりあえずひとつの集団を形成している。
ヨーロッパの都市は、中心に「広場」がある。そこにみんなが集まってくる。なにはともあれ彼らは「みんなが集まってくる」ということを集団の基本的なコンセプトとして持っている。だから、「都市の自治」というものを大切にし、つねに都市的な小国家がたくさん分立しているという歴史を歩んできた。それはもう、古代ギリシャ以来の伝統に違いない。いや、ネアンデルタール人以来の伝統なのだ。彼らは、「幻想のネットワーク」を半分しか信じていない。みんながひとつのところに集まってときめき合い連携してゆく、という原始的な都市文化の伝統を持っている。
アフリカにはそれがなくて、「部族」という「幻想のネットワーク」の意識ばかりが強い。だから「連携」という文化がなかなか育ってこなかったために世界の歴史から取り残されていった。
そして両者の混血である中近東では、どちらの文化も基礎として持っていないと同時に、どちらの文化も極端に大げさなかたちで表現しようとする文化の伝統になっている。「アラブの商人」などといわれるように彼らのところで商業が発達したのは、彼らがどちらの文化も基礎(=原則)として持っていないと同時にどちらの文化も上手に大げさに使い分けることができるからだろう。
ユダヤの商人」といっても同じで、ユダヤ人ももともとはメソポタミア文明の民だったのだし、彼らは人をだますことも説得することもうまい。そういうことにうしろめたさを覚える原則など持っていないし、そういうことを徹底的に追求する。それは、商業になくてはならない才能だ。
商業は、「連携」することのようでいて、「連携」ではない。相手をだまして自分だけが得しようとするミーイズムがなければ成り立たない。


最近の「アラブの春」は大きな革命的盛り上がりを見せたが、そこから人々の連携が進んでいるかといえば、そうともいえない。もともと権力者の極端なミーイズムが生み出した状況だったのだし、それに異を唱えた民衆にもそういうメンタリティがないとはいえない。
世界でもっとも聡明で平和的な民族であることを自負するユダヤ人が、現在のイスラエルにおいて理想的な国家運営をすることができているかといえば、それも疑問だ。彼らに人と人が他愛なく豊かにときめき合ってゆくメンタリティが豊かにそなわっているとはいえない。彼らは、ディアスポラ(離散)という行動習性の基礎となるミーイズムを極端なかたちで持っている人々であり、ヨーロッパ人のようなみんなが一カ所に集まって他愛なくときめき合い連携してゆくという行動習性の歴史を歩んでこなかった。そういう人間性の自然を、メンタリティの基礎として持っていない。
世界中に離散しているユダヤ人どうしの連帯はひとつの「部族意識」であり、一カ所に集まってときめき合ってゆくということがうまくできない人たちだから、そういう「幻想のネットワーク」に執着してゆく。彼らは、ミーイズムの基礎も連携の基礎も持っていない。だから、その両方を誰よりも大げさに表現する。だからこそ、ヨーロッパ人ほど孤独に耐えられないし、アフリカ人ほどの熱狂もない。
アラブの春」の熱狂はいったいどこに行ったのか。そこから豊かな連携へとなぜ発展してゆかないのか。そして、孤独に耐えられなくて精神を病むユダヤ人も多い。
都市で暮らせば、誰だって孤独を抱えている。誰だってさびしい。そのさびしさを携えて人が集まってくる。都市住民は、幻想のネットワークを基礎に持っていないから、それをよりどころにしてミーイズムという虎の穴に閉じこもってゆくということはしないしできない。それをすると、心を病んでしまう。どうしても、一カ所に集まってときめき合い連携してゆくという行動習性になってゆく。それは、たったひとりの「あなた」と出合うということでもよい。ときめく心がなければ都市では生きられない。


人類の、一カ所に集まってときめき合い連携してゆくという行動習性は、原初に二本の足で立ち上がったときからすでにはじまっていたし、人類拡散とともに進化発展してきた。
それは、今どきの集団的置換説の論者たちがいうような、アフリカのホモ・サピエンスの十数万年の歴史ではなく、直立二足歩行の起源以来の700万年の歴史の問題なのだ。
二本の足で立っていることは、とても居心地が悪い。だから歩いてゆこうとするのだし、歩いていれば居心地の悪さすなわち身体(=足)のことなど忘れていられる。
二本の足で立っている存在である人は、その居心地の悪さゆえに、どうしても「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いになってゆく。誰にということもなく、もう勝手に追い詰められてゆく。そうやって直立二足歩行が進化発展してきたのだ。
自分が生きてあることの意味や価値など、永遠に見つからない。それこそ人間性の自然において、自分は「ここにいてはいけない」存在なのだ。しかしだからこそ、猿よりもずっと深く豊かに「世界の輝き」にときめくのだし、それにせかされて一カ所に集まってくる。
とはいえ今どきは、誰もが自分の存在の正当性を確認し主張しようとする世の中であれば、そんな人たちと付き合ってゆくのは、ほんとにしんどい。まあそんな性向が極端な人は、世のつねとしてときめき合う体験が貧弱だし、嫌われることも多い。
自分の存在の正当性を主張する知ったかぶりや自慢話は鬱陶しいし、それも人に対するなれなれしさだろうか。彼らは、人を監視し人を裁くことによって、みずからの正当性を確認し主張してゆく。ミーイズムが強い世の中だからこそ、人と人の関係がべたべたしてゆく。まあ、あんまり人に好かれて生きてこなかったものほど、そんな関係になりたがる。そうしてときには好かれていると錯覚して、もっとべたべたしていったり支配しようとしたりしてゆく。というか、そういう関係になることが、好かれるための最善の方法だと思ったりする。
しかし人の意識のはたらきは、自己の存在のあいまいさと他者の存在の確かさの、その落差を実感することの上に成り立っている。そうやって他者にときめいてゆく。
自分をかけがえのない正当な存在だと思うことなんかできない。自分なんか忘れてときめいてゆく。二本の足で立っている人間という存在は、その姿勢の居心地の悪さとして、自分を忘れてしまう契機を持っている。そうやって「世界の輝き」にときめいてゆく。
われわれは、他者がみずからの存在の正当性を主張してくることによって追いつめられてゆく。もともと人は他者の存在の確かさに驚いたり引け目を感じたりしている存在であり、ダメを押すようにそんなことを主張してこられたら、自分の居場所はますますなくなってゆく。自分も対抗して主張し返すことなんかできない。たとえ自分の方がもっと豊かな人生体験や能力を持っていると思えたとしても、それはいえない。それは、他者の存在の確かさを否定することだし、自分の存在のあいまいさに嘘をつくことだ。自分なんか、「ここにはいられない」存在なのだ。そういう後ろめたさが、どうしても付きまとう。
まあ、そういう態度に出てこられたら、上手にはぐらかしてしまう技を身につけるしかない。それが都市生活の流儀のひとつに違いないわけで。
おそらく現在のグローバル資本主義はミーイズムの上に成り立っているのであろうし、それを持つことは今どきの世の中を生きるための有効な武器になると同時に、その不自然ゆえに心を病んでゆく契機にもなっている。
僕は、経済の専門的なことはよくわからない。しかし現在は、いたるところにミーイズムがはびこる言説空間が生成しており、「自尊感情が大切だ」とわめいている内田樹をはじめとして、グローバル資本主義を批判するあなたのその主張がじつはグローバル資本主義の後押しをしているのだ、といいたいことがたくさんある。
アフリカの未開の民のフィールドワークをすれば人間性の自然を解明できると思い込んでいる文化人類学者たちのナイーブで倒錯した問題意識しかり、今どきは、人間というのはほんとにそういう存在だろうかと頭をかしげたくなることがたくさんある。
アフリカの未開の民は、べつにグローバル資本主義と対極にある存在ではないし、ある意味で現在の生粋の都市住民よりももっと現代的でしたたかなところを持っていたりする。