2013-12-01から1ヶ月間の記事一覧

妄想って何?・ネアンデルタール人と日本人・34

1 ある人が「ユーミンの歌はブスの妄想だ」といっていた。そうかもしれない。 そして、かつて「勝ち組負け組」だかの言葉を流行らせた酒井順子という人が最近『ユーミンの罪』というユーミン賛歌の本を出して「ユーミンの歌とは女の業の肯定である」といっ…

この生の即興性・ネアンデルタール人と日本人・33

1 ネアンデルタール人たちの連携は、あくまで即興的なものだった。 たとえば、火を囲んでみんなで語り合うことは、未来も過去も忘れて「今ここ」に浸され癒されてゆく体験である。この即興的な語らいから人類の知性や感性や連携の文化が育っていった。 原始…

イワシの他者性・ネアンデルタール人と日本人・32

1 戦後日本は平和と繁栄を謳歌していった社会だった。 われわれはそれによって何を得て何を失ったのか?ネアンデルタール人のことは、そういう問題を考える契機にもなる。 戦後日本の人々は、明日も生きてあることを前提にし、明日はもっと平和と繁栄が充実…

王女の誇り・ネアンデルタール人と日本人・31

1 人間は、置き去りにされてある存在、すなわち生きてあることのいたたまれなさを抱えながら「生き急いでいる=死に急いでいる」存在であり、だから「出会う」という体験をする。 一緒に暮らしていようといまいと、人と人の関係は、「出会う」という関係性…

集団の秩序と背徳・ネアンデルタール人と日本人・31

1 直立二足歩行をはじめたころの人類はもちろん知能も身体も猿と変わりなかったわけで、言葉も持っていなかったはずである。 それでも猿とは違う生態になってゆき、やがて地球の隅々まで拡散していった。 作為的に集団の秩序をつくってゆこうとするなら言葉…

「なりゆき」という原始性・ネアンデルタール人と日本人・30

1 人間は、一から集団をつくってゆくことができる。猿にはできない。 それは集団の秩序をイメージできる能力によって実現するのではない。 最初は集団の秩序などないし、集団にすらなっていないわけで、そのなりゆきまかせの無秩序を生きることができるかど…

拡散の契機・ネアンデルタール人と日本人・29

1 まったく、こんなことをだらだらと書いていても人が興味を持ってくれるはずがないとは思うのだけれど、僕にとっては、ネアンデルタール人や日本文化のことを考えるためにはどうしても考えておかないといけない基礎的な問題であるわけで、なかば無視される…

たかがセックス・ネアンデルタール人と日本人・28

1 人類拡散の契機になったのは、べつに「狩の獲物を追いかけていった」とか「住みよい土地を求めて集団で移動していった」とか、人類学者たちがいうようなそういうことではないのである。そんな政治的経済的理由だけが人類の生態をつくってきたのではない。…

この生を追跡する・ネアンデルタール人と日本人・27

1 原初の生命は、「追跡する」はたらきとして発生した。 「今ここ」のこの世界から置き去りにされた存在が「今ここ」のこの世界を追いかけてゆくのが命のはたらきである。 置き去りにされたものが追いかけようとすること、このかたちで命のはたらきや意識の…

置き去りにされている・ネアンデルタール人と日本人・26

1 いつの間にか人が寄り集まって来てそこに集団ができてしまう……これを文明社会の言葉でいえば「市(いち)=バザール」という。人間のこの生態は、二本の足で立ち上がったときからすでにはじまっていた。これが人間の集団性の基礎であり、人間は無意識の身…

自然としての集団性・ネアンデルタール人と日本人・25

1 原始人は狩りとかアニミズムとかの集団運営のためのモニュメントとして洞窟壁画を描いたのではない。 人類がそういう目的で壁画を制作するようになったのは氷河期明け以降のことだ。 原始人の集団運営は自然状態において先験的になされていることであって…

洞窟の精神(まとめ)・ネアンデルタール人と日本人・24

1 けっきょく「洞窟の精神」という問題だろうか。 人間がなぜ絵を描くようになったのかということは、原初の人類が二本の足で立ち上がったところからすでにはじまっている。それは、身体すなわち生きてあることの居心地の悪さを抱えた存在になってしまった…

絵を描く脳・ネアンデルタール人と日本人・23

1 氷河期のヨーロッパの洞窟壁画は社会のどんな機能を果たしていたのか。そして、絵を描くこと、すなわち人間にとっての「表現する」とは根源的にはどういうことか。 氷河期の洞窟壁画は、「狩」とか「アニミズム」のためのモニュメントだったのではない。…

自我と表現技法・ネアンデルタール人と日本人・22

1 古代ギリシャ人が人間賛歌をして精緻な人間の彫像をつくっていたのは、人間としての自我の追求だったのだが、技術的にそれが可能であったのは、ネアンデルタール以来の自我のフェードアウトの視線を持っていたからである。彼らの人間賛歌は、自我追求の思…

安らかな眠り・ネアンデルタール人と日本人・21

1 洞窟壁画の起源を「狩猟」とか「アニミズム」という問題設定で考えるべきではない。 問題はあくまで、人はなぜ絵を描くのかということ。 絵なんか、子供だって描くのだ。しかしだからこそ、人間にとってそれほどに自然で切実な行為だともいえる。 現代の…