置き去りにされている・ネアンデルタール人と日本人・26


いつの間にか人が寄り集まって来てそこに集団ができてしまう……これを文明社会の言葉でいえば「市(いち)=バザール」という。人間のこの生態は、二本の足で立ち上がったときからすでにはじまっていた。これが人間の集団性の基礎であり、人間は無意識の身体感覚としてすでに集団性を持っている。
そしてこの生態の繰り返しで地球の隅々まで拡散していった。人類は集団の移動によって拡散していったのではない。既成の集団の外にいつの間にか新しい集団が生まれてしまう。この集団性によってどこまでも拡散していったのだ。
断っておくが、おそらくこれは、人類学者の誰もまだいっていない。先行文献がないからそんなの嘘だといわれても困る。いわせていただくなら、すべての先行文献が間違っているのだ。
原始時代に集団の移動(旅)などというものはなかった。
もちろんアフリカのサバンナで、ひとつの決められた地域をぐるぐる回って移動生活をしている家族的小集団は2〜300万年前からすでにいた。しかしだからこそ彼らは、そこからどこにも拡散していかなかった。現在のマサイ族やブッシュマン等のサバンナの民は、その2〜3百万年前の家族的小集団の末裔なのだ。
拡散していったのは、森の中にはまだ大きな集団がのこっていて、そこからはじき出されたものたちである。既成の複数の集団からはじき出されたものたちが集まってその外の新しい土地に新しい集団をつくって住み着いてゆき、さらにまた、その外にそこからはじき出されたものたちによる新しい集団が生まれてくる。この繰り返しで拡散していったのだ。
こうして人類の居住域がアフリカの外まで広がっていったのがおよそ200万年前だといわれている。
拡散していったグループは、サバンナですでに進化を遂げていたグループと違って、まだ猿とそう変りない原人段階の身体や脳容量だったらしい。
彼らは、家族的小集団で移動生活をしてゆくということができないものたちで、直立二足歩行の開始以来の人間ほんらいの「集団性」を残したまま拡散していった。そしてその集団性は拡散してゆくほどに発達していった。
人類が氷河期の北ヨーロッパまで拡散していったのはおよそ50万年前くらいだが、彼らは住み着く能力によってそこに住み着いていったのであって、旅する能力によってではない。そんなことは当たり前のことだろう。旅をする能力があったってそこに住み着いてゆくことはできないし、原始人が集団で旅をしていったという事実などどこにもないのだ。
住み着く能力を持ったものたちが拡散していったのであり、氷河期の北ヨーロッパにたどり着いたものたちは、もっとも住み着く能力を持ったものたちだったのだ。
人類は、旅する能力で拡散していったのではない。住み着く能力で拡散していったのだ。こんなことくらいちょっと考えればわかりそうなものなのに、どいつもこいつも「旅をしていった」と合唱してばかりいる。



住み着いてゆく能力とは、「集団性」のことだ。
人類は、人類ならではの特化した集団性によって地球の隅々まで住み着いていった。
まあ、いちばん集団性が未熟なのは、今なお移動生活をしているサバンナの民であるのかもしれない。彼らは、2百万年たってもまだそのときのままの家族的小集団で暮らしている。集団性を放棄してサバンナの暮らしをはじめたのだ。だから、拡散してゆくことができなかったし、世界の文明の歴史からも取り残されてしまった。つまり、世界の動きと無縁の存在になってしまった。彼らの移動生活の習性は、人類拡散となんの関係もない。移動生活をしたがる習性だから、集団性が育たず、拡散の能力を喪失し、世界との関係を持てなくなってしまった。
人類拡散の最初の出来事は、複数の集団群の外に新しい集団が生まれてきたことにある。
おそらく、その新しい集団のメンバーは、ほとんどが成人したばかりの若者たちだったのだろう。
既成の集団から飛び出したり追い出されたりするのは、いつだって若者たちである。現在の都市流入者と同じように。
その新しい集団が生まれてきた場所は、みんながどこからともなく集まってくるひとつの「市(いち)=バザール」であり、お祭り広場だった。たとえば、美味しい木の実がなっているとか、泉が湧いているとか、まあそのような場所だったのだろう。
共同体の集団運営はリーダーの指示によって進められるが、お祭りはリーダーも階級もない無礼講である。人類の集団運営は、そこからはじまっている。猿の集団のようにボスがいたのではない。
集団から追い出された猿の若いオスは、やがて集団に戻ってくる。力を蓄えてボスにとって代わるチャンスをうかがうし、ボスになれなくても、群れの上位のポジションにつける。だから、みんな戻りたがる。
しかし人間の集団にはボス制度も順位制度もなかったから、戻るメリットがない。それに、子供の時から見慣れた相手よりも、新しく出会った相手と一緒にいる方が楽しい。
人間は、成長すると家族から出て新しい家族をつくってゆく。人間の赤ん坊は自力では生きられない状態でうまくるから、親の介護に大きく依存して密着したな関係になってしまう。それは、他者の身体とのあいだに「空間=すきま」を確保しようとする人間性を阻害している。そのために成長すると、そうした人間性に沿った関係を求めて家族の外に出てゆく。原初の人類が既成の集団を出ていったのも同じだろう。くっつき過ぎた関係から逃げるように出てゆくのだ。
くっつき過ぎた関係では、ときめきが起きてこない。集団の外に出て新しい他者と出会ったときに、はじめてときめきを体験する。
原初の人類の赤ん坊が現代の赤ん坊のように超未熟児として生まれてくるはずもないが、他者の身体とのあいだに「空間=すきま」を持とうとする本能を持った人間は、どうしても集団の外での新しい出会いにときめいてしまう。とくに集団の人口が飽和状態になっているときは、どうしても出てゆこうとする衝動が起きてくる。
しかしその「空間=すきま」は、ただ離れていればよいというものではない。二本の足で立つ姿勢を安定させるためには、くっつき過ぎず離れ過ぎない按配があるのだ。そのちょうどいい按配のところでときめきが起きる。だから、その按配をたがいにつくり合ってゆくうちに新しい集団が出来上がってゆく。集団の中でなければ、そのちょうどいい按配のときめきは体験できない。
知らないものどうしという「空間=すきま」でときめき合う。そこにはリーダーもいなければ、順位関係もない。そのときめき合う関係をつくりながら、よりダイナミックな集団になってゆく。拡散してゆけばゆくほど集団性はダイナミックになってゆく。



その新しい集団の生成は、お祭り広場としてはじまった。
リーダーもいないし順位性(階級)もない。これが、人間の集団の基礎的なかたちである。
人間の集団のかたちは、共同体としての町や村や国や会社や学校や家族だけではない。「市(いち)=バザール」としてのお祭り広場こそ、人間の集団の原型なのだ。
現代社会のコンサート会場やサッカースタジアムだって、人類史の伝統としてのひとつのお祭り広場であろう。まあ、いろんなイベント会場がある。その伝統は、現代にも生きているし、いつの時代にも人類はそういうお祭り広場の集団を必要としてきたのだ。不自然な共同体の制度性から逃れる自然としての集団性の場として。
この集団性から人類拡散が起きてきた。
人と人がときめき合いながら集団になっていったのだ。集団をつくろうとする政治的な目的も、食料を確保しようとする経済の目的も、二次的な問題だった。
政治や経済のパラダイムだけで原始社会を語るべきではない。
では原始人たちは、その新しいお祭り広場で、まずはじめに何をしたか。
出会ってときめき合えば、表情や身振り手振りが生まれる。言葉の原型としての音声も発せられたかもしれない。
人間的な文化は「一緒に暮らす」ところから生まれてきたのではない。「出会う」という体験から生まれてきたのだ。
まあ、外見や知能が猿とあまり変わらない歴史段階はその萌芽のようなかすかな現象があっただけだろうが、とにかくそういう「出会いのときめき」という関係性から言葉が生まれ踊りや歌が生まれてきたのだ。
最初は、すぐにセックスがはじまり、それによって、住み着こうという気になっていったのかもしれない。そこは、既成の集団よりもはるかにスムーズにセックスの行為に移ることができる場だった。男はすぐに勃起したし、女は解放感でそれを受け入れる気になっていった。
人間は、集団から逃げようとする存在であると同時に、集団をつくってしまう存在でもある。集団をつくろうとするのではない。そんなふうにして人間的な文化が生まれ育ってきたのではない。
人間の集団性の基礎は、他者との出会いにときめいてしまうことにある。「出会う」という関係性によって人類拡散が起きてきた。
二本の足で立っている姿勢は、他者と向き合っている姿勢であり、「出会う」という関係性の上に成り立っている姿勢である。他者と向き合って安心している姿勢ではない。安心してしまったら、姿勢がふらついてくる。他者の身体からちょうどいい按配のプレッシャーを受けていることによって安定する。すなわち、他者の身体に驚きときめくという心の動きが起きているときにはじめて安定する。
一緒にいて安心するのではなく、出会ってときめいてゆくという心の動きが二本の足で立つという姿勢を成り立たせている。人類拡散は、そういう体験をもたらす現象だった。
「出会う」という体験をもたらすお祭り広場こそ、人類の集団性の基礎になっているのだ。
人間は、その本性として、「出会う」という体験を追求している。
意識は、この世界との出会いによって発生する。意識のはたらきが先にあるのではない。意識は、世界から一瞬遅れて発生する。意識が発生するとは、世界との出会いに気づく体験である。
「出会う」という体験こそが「生きる」という現象の基礎になっている。これは、人間だけのことではない。生き物であることの根源のかたちなのだ。
意識とは、「出会う」というはたらきなのだ。



人間の集団性や人類拡散の本質的な契機は、「出会う」という体験にある。そしてそれこそが生き物の命のはたきの基礎なのだ。
原初、「世界と出会う」という体験として、この地球上に生命が誕生したのだ。
すべての物質は、世界との関係として存在している。物質が世界である、ともいえる。それに対して生命は、世界の外の存在として世界と出会っている。世界と出会うというかたちで生命が誕生し、やがて世界の一部に戻ってゆく。
生命の誕生とは、世界の一部として存在していた物質が世界の外に出て「世界と出会う」という体験をすることである。世界の外の存在になることである。「命がはたらいている」とは、「世界と出会っている」ということである。
こんなことはじつに当たり前のことだが、はじめに世界=物質が存在し、そのあとに生命が発生した。生命はつねに、世界の一瞬あとから世界を追跡してゆくかたちではたらいている。すなわちそれは、世界と出会い続けている、ということだ。
生命は、世界から置き去りにされるかたちで発生した。ある物質が世界との関係で生命体に変質させられた。つまり、世界の一部であることができなくなってしまった。水が水であることができなくなって気体になってしまうようなことだろうか。氷が氷であることができなくなって水になり、水が水であることができなくなって気体になり、気体が気体であることができなくなってまた氷になる。
世界の一部であることができなくなって発生した生命体もまた、やがて生命体であることができなくなって世界の一部になってゆく。
この世界の現象とは、それ自体が世界との関係によってそれ自体であることができなくなってゆくことだろうか。
ともあれ、この地球上に生命が誕生したことは、「足し算」ではなく「引き算」なのだ。世界の一部であることができなくなって生命になったのだ。すべてのものは、それ自体であることができなくなってゆく。
生まれることだって、ひとつの死の体験なのだ。この世界の生成は、死の体験として成り立っている。それはつまりこの世界から置き去りにされることであり、死ぬことも生きることも、この世界から置き去りにされる現象にほかならない。
世界から置き去りにされながら世界を追跡しているのが、命のはたらきであり意識のはたらきなのだ。
物質だって同じである。この世界のすべてのものは世界から置き去りにされてゆく。
まあ、物質の現象の延長としてこの地球上に生命が誕生してきた。
置き去りにされ、あとを追いかけてゆく……これが、この世界の(物質の)現象である。



そうして、人類拡散も人間の集団性も、根源的には、置き去りにされながらあとを追いかけてゆくひとつの自然現象なのだ。
ひとつの集団は、不可避的に集団であることができなくなってゆく。そのようにして集団の中にいられないものがあらわれてきて人類拡散がはじまったのだ。集団から飛び出したものたちは、集団から置き去りにされたものたちである。そして集団から置き去りにされたものたちは集団を追跡しようとする衝動を持っており、それによって新しい集団が生まれていった。
われわれは、この世界から置き去りにされながらこの世界のあとを追いかけてゆくというかたちで存在している。意識のはたらきだって、そういう現象なのだ。
その新しい集団は、集団をつくろうとして集団になっていったのではない。集団はすでに存在しており、その集団のかたちをそのつど追跡していったのだ。最初は二人の集団からはじまり、三人になれば三人の集団として生きようとし、五人になれば五人の集団のかたちを追跡し、十人になれば十人の集団のかたちを追跡してゆく。
十人になったからといって、そこから二十人にしてゆこうとは思わなかった。あくまで十人の集団のかたちをあとから追いかけていった。
人間にとって集団はすでに存在しているものであって、つくろうとするものではない。
その新しい集団は、集団から置き去りにされたものたちによって構成されており、その集団のダイナミズムは、集団をつくろうとする意欲にあったのではなく、置き去りにされたものならではの、「今ここ」に存在する集団を追いかけようとする衝動にあった。
十人いれば、十人でまとまろうとした、それだけのこと。集団をつくろうとする意欲で成り立った集団よりも、すでに存在している集団のかたちを追跡している方がずっとダイナミックなのだ。
集団の中に安住しているものたちよりも、集団から置き去りにされたものたちの集団の方がずっとダイナミックな集団性を持っているのだ。そのようにして人類の歴史は、拡散してゆけばゆくほど豊かな集団性をそなえていった。
まあ、人類の集団性は、アフリカで育っていったのではない。拡散してゆくことによって育っていった。そしてその集団性は、集団から置き去りにされたものたちの集団を追跡しようとする衝動とともに育っていったのであり、それは生き物の命のはたらきの根源がそういうかたちになっているからだ。
なんだか話が横道にそれてしまったが、人類が二本の足で立ち上がったことや地球の隅々まで拡散していったことは、いかにも現代的な政治経済的パラダイムで語っても埒が明かない。それは、生き物の命のはたらきの根源と通底している問題であり、生き物の命のはたらきの根源の問題として起こるべくして起きたのだ。
人類の自然としての集団性は、地球上に生命が誕生してきた問題と通底している。
ひとつの物質が、世界から負荷を受けながら物質であることができなくなってゆくというかたちで生命が発生した。
われわれの命や意識は、世界から置き去りにされながら世界を追いかけるというかたちではたらいている。そういう問題なのだ。
物質であることができなくなった生命は、物質であることを追いかけながら物質にかえってゆく。それで、われわれの一生もつじつまが合うだろう。意識は、この身体という物質を追跡し続けている。
命のはたらきとは、この身体を世界の一部としての物質にしてゆくはたらきである。世界の一部としておさまっていれば、痛みも苦しみも起きてこない。そういう状態になろうとして命のはたらきが起こる。
世界の一部になれない身体だから、命のはたらきが豊かに起こる。
集団の一員になれない存在だから、集団の一員になろうとする衝動が豊かにはたらく。集団性とは、集団をつくろうとすることではなく、集団の一員になろうとすることなのだ。原始時代の集団は、この衝動の上に成り立っていた。集団から置き去りにされたものたちの集団の一員になろうとする衝動、これによって人類拡散が起き、集団性が発達していった。
人間は、集団から置き去りにされたものとして存在している。集団の一員として存在しているのではない、集団の一員になろうとする存在であり、そのようにして人間的な集団性が発達してきた。
それに対して現代社会の「市民」とは、すでに集団の一員であることを自覚しつつ集団をつくろうとしている存在である。彼らは、原始人のような「集団から置き去りにされて集団の一員になろうとしている存在」ではない。
現代の市民がそういう存在であるのならそうでもいいのだが、その論理をそのまま原始人の集団性にあてはめて論じられてはちょっと困る。
原始人のメンタリティは、人間が集団から置き去りにされたかたちの存在の仕方をしていることの上にはたらいていた。だから、新しい出会いにときめき、そこがお祭り広場になっていった。原始的な集団性は、「一緒にいる」ことではなく、「出会う」という体験のときめきにあった。「出会う」ということこそ、命のはたらきの根源のかたちなのだ。
みんながすでに集団の一員であるつもりの「市民」になってしまったら、その社会は停滞してゆくだけである。しかし現代社会にだって、集団から置き去りにされたもの言わぬ民衆(サイレントマジョリティ)はたくさんいる。というか、誰もがどこかしらにそのような存在の仕方を持っている。だから、現代社会おいても出会いのときめきが豊かに交錯するたくさんのお祭り広場が発生するし、そうやって恋をしている男女もたくさんいる。
人間=生き物は、根源において、世界から置き去りにされて存在している。それは、生命の誕生以来の伝統なのだ。
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