2008-01-01から1ヶ月間の記事一覧

まれびと論・18 「なまはげ」は怖いか

「なまはげ」はわりとポピュラーに親しまれている来訪神であるらしいから、このことについて少し考えてみます。 「国文学の発生・まれびとの意義」の中で折口信夫は、「なまはげ」の「なま」は「海鼠(なまこ)」の「なま」で、追い払う、というような意味だ…

まれびと論・17 壊れてゆく家族

先日、門前仲町の小さな公会堂で、小津安二郎の「宗方姉妹」という映画の自主上映会をやっているのを見てきました。 いつも同じような映画をつくりながらいつ見てもけっして観客を退屈させない、裏切らない、という小津の職人芸のすごさを、あらためて感じさ…

まれびと論・16 沖縄の「まや」の国

折口氏があまりにもくだらないことばかり書いているから、なかなか先に進めない。 沖縄に、日本列島本土の古代を見ようなんて、ナンセンスです。沖縄には沖縄の歴史があるし、本土には本土の歴史がある。 沖縄に海の向こうの世界を信仰する習俗が色濃く残っ…

まれびと論・15 「あんがまあ」という村芝居

沖縄には、「あんがまあ」という来訪神の祭りがあります。 村の若い衆がこの神に扮装するのだが、これがまたとんでもなくわがままな神様なのです。住民をからかったり、えらそうな教訓をたれたり、ご馳走を催促したりで、人びとはひたすらご機嫌を取り結んで…

まれびと論・14 沖縄は日本文化の源流か

民俗学にせよ歴史学にせよ天皇論にせよ、この国の研究者たちの多くは、沖縄にその始原の痕跡を見出そうとする。 折口信夫の「まれびと論」ももちろんそうだし、吉本隆明氏なども、沖縄に残っている習俗から天皇制を語るということをよくしている。 しかし、…

まれびと論・13 まれびとの身振り

コンビニやカフェなどで、とくに女の子が、つり銭を渡すときにもう片方の手を下に添えるしぐさをすることが多くなってきたのは、最近のことでしょう。 それでときに手と手が触れて、客の男が、よろこんだり誤解したりしている。 そんなことをしてもこぼれた…

まれびと論・11 現代ファッションの「間(ま)」

ファッションとしての衣装は、80年代からバブル景気終焉のころまではたっぷりしたシルエットの「ルーズ・フィット」が主流だったが、このところまた70年代のような体にぴったりした細く小さめのかたちに変わってきている。 そして去年にいたっては、へそだし…

まれびと論・10 門付け

「ツマドイ」をする縄文人が女の家の「戸」の前に立つことは、サッカーでいえば、ゴールポストの近くまでボールを運んでゆく、ということです。そこでどんな芸ができるか。それが勝負です。 この国の芸能は、縄文時代から始まっている。縄文人の「ツマドイ」…

「まれびと論」・10 強引なシュートは正義か

縄文時代にレイプなどなかった。「ツマドイ」をする縄文の男たちは、女の家にずかずか入り込んでゆくことができなかった。戸の前に立って、けんめいに口説きつづけた。われわれは「訪(おと)なふ」という言葉にその痕跡を見ることができる・・・・・・ということ…

「まれびと論」・9 「ほと」

どんなタイプの女が好きかと聞かれたら、女なら誰でもいい、と答えることにしています。 はんぶんは、本音です。 ぜんぶ、と言えないのは、やっぱりいやな女というのはいますからね。 「ジェンダー」という言葉がよく聞かれます。そして、基本的には「性差」…

「まれびと論」・8  縄文時代にレイプはなかった

アメリカは、どうやら「レイプ」の国になってしまったらしい。 それにたいして日本列島の縄文時代には、強姦などなかったはずです。 なぜなら、縄文女なんか、みんな「やらせ女」だったからです。彼女らは、女子供だけの小さな集落をつくって、山野をさすら…

「まれびと論」・7  家と戸の文化

「まれびと」の文化のキーワードは、「戸(と)」という言葉です。「訪(おと)なふ」の「と=戸」です。この言葉にこそ、「まれびと」の文化の本質と根源が隠されている。 「訪(おと)なふ」は、「おと」を「なふ」ということでしょう。 「おと」は「音」…

「まれびと論」・6 神の訪れ

前回での折口信夫の「国文学の発生・まれびとの意義」から引用した部分は、さらに「神の訪れ」について、こんなふうに念を押しています。 _________________________________ 誰(たれ)ぞ この家の戸押(おそ)ふるに 「…

「まれびと論」・5  新嘗祭

折口信夫の「国文学の発生・まれびとの意義」という論稿の第二節の「門入り」では、武家や貴族の賓客をもてなす習俗をどうとかこうとかと説明しているのだが、僕は「貴人」とか「賓客」という言葉は嫌いだから、それはすっ飛ばします。 で、そのちょっとあと…

「まれびと論」・4  海の向こうからやってくる神

キリスト教徒やイスラム教徒に比べて、日本人は、どうしてこうも信仰心が薄いのだろうか。それだけでも、折口信夫の「まれびとの文化は(来訪する)神のイメージとして始まった」という説がいかに危なっかしいかがわかります。「まれびと」の文化が神のイメ…

「まれびと論」・3 祝福の構造

折口氏の「まれびと論」の何が気に入らないかといえば、「まれびと」のことを「貴人=神」という先入観で考えていることです。 「貴人」なんて、いやらしい言葉です。 義経がどうして民衆に愛されるかといえば、「貴人」でありながら、自分たちよりももっと…

「まれびと」論・2  「まれ」にこだわる

「ナンバーワンよりオンリーワン」などといやらしいことをいう。 われわれは、「オンリーワンになる」のではなく、すでにそういう状態で存在してしまっているのだ。「オンリーワン」でもかまわないけど、「オンリーワン」ではこの生が完結しないように存在さ…

折口信夫の「まれびと論」について考える・1

僕は、「まれびと」の文化のことを、現代の問題として考えている。けっして文学趣味でも歴史懐古趣味からでもない。 しかし、やっぱり、折口信夫という原典を素通りしてしまうわけにもいかない。 その歴史的なテキストである「国文学の発生・まれびとの意義…

下品でエッチな「まれびと」の文化

「客」を迎え入れるとは、無意識的には、女性器の中に男性器を迎え入れることをなぞる行為だと思っています。つまり、そういう「痕跡」をもった行為である、と。 「訪れる」、という行為も、同じように男性器のがわから入ってゆくことでしょう。 生き物は、…

「まれびと」の文化と自殺の現代

ついでに、もうひとつ現代社会の関心事を。 近ごろ、中高年の自殺が多い、という。 お金と健康の問題が、二大原因なのだとか。 しかしそんなことは、昔からあった問題でしょう。今にはじまったことじゃない。 借金なんか自己破産すればいいだけだろうし、僕…

「まれびと」と「スピリチュアル」の関係

「死後の世界がある」なんて、ずいぶん前近代的な考え方だと思うのだけれど、「スピリチュアル」のブームとして、現代人の多くがそれを信じているらしい。 とすれば、それはむしろ、とても現代的な観念であるのかもしれない。 古代人は、死んだらわけのわか…

「まれびと」は、正義の使者か

ロックの歌詞(のようなもの)をつくってみました。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 我慢して働けってか? 大きなお世話だ。 毎日満員電車に揺られながら会社勤めして女房子供に給料持ってくることが正義なのか? そりゃあ大変だろうけど、そんなことでえら…

「まれびと」をもてなす文化

「まれびと」の文化は古代信仰(神話)から生まれてきた、と考えるべきではない。 それは「客」を迎え入れる文化です。 客を「まれびと」としてもてなす日本列島の文化はいったいいつから始まったのかと考えた場合、縄文時代までさかのぼることができる。た…

「まれびと」の文化の起源は、縄文時代にある

若者がセーター買うのを我慢できない欲望より、おじさんおばさんたちの「自分は正しく生きている」と思いたい欲望のほうが、はるかにえげつない害毒をこの社会にまきちらしているように思えます。 若者のビル・ゲイツになりたい望みよりも、ビル・ゲイツになれ…

閑話休題・「5万年前」

「5万年前」という本が出回っています。ゲノム研究のことは僕も気になっているから、この本を読んで感想を語りたいところですが、そうしたら「まれびと」どころではなくなってしまうから、今は読むのを我慢しています。 ところでこの本の新聞広告のキャッチ…

「まれびと」の文化は正しくないから根源的なのだ

朝鮮半島の歴史は、つねに近隣の大国から侵略されつづけてきた。彼らは、国民性として、「異人」に対する怖れと排除の衝動を持っている。だから彼らがいつまでも日本を許そうとしないのはしかたのないことだし、許せないことが彼らの不幸でもある。 彼らにと…

「まれびと」信仰の起源

僕が「まれびと」という言葉にこだわるからといって、われわれは古代に帰るべきだと主張したいわけではありません。 すでにわれわれの身振りや心の動きに「まれびと」信仰の痕跡は印されているはずであり、ことに現代の若者にそれを感じるからです。 また、…