まれびと論・15 「あんがまあ」という村芝居

沖縄には、「あんがまあ」という来訪神の祭りがあります。
村の若い衆がこの神に扮装するのだが、これがまたとんでもなくわがままな神様なのです。住民をからかったり、えらそうな教訓をたれたり、ご馳走を催促したりで、人びとはひたすらご機嫌を取り結んで海の向こうの常世(とこよ)の国に帰ってくれるのを待つ、という行事です。
本土の「わがまま」という言葉は、ここからきたのか。
たぶんそうじゃない。「わがまま」という言葉は、それじたい「わがまま」という概念を持っている。「われが思いのままに振舞う心や態度」という感じでしょう。したがって、沖縄から伝わってきた言葉ではないはずです。
とはいえ、それにしてもこのふたつの言葉は、語感も意味もとてもよく似ている。
折口信夫は、「あんがまあ」は「あもがも(親しい母、という意味)」が語源で、「母なる国」といったりするように「親しい国」を意味している、と言っています。しかしこの説明は、無理があります。こじつけもいいとこです。「あんがまあ」は、あくまで神様の名前であって、神様の住む国の名前ではない。「あんがまあ」がやって来る、と言っても、「あんがまあの国」からやって来るとは言わない。「親しい母」とはまったく別の存在でしょう。
どこからやって来るかということにしても、けっして「常世の国」とは言っていない。ある地方では「大やまと」からやって来る、という。つまり「本土」です。
もしかしたらそれは、本土から伝わってきた「わがまま」という言葉が語源になっているのではないか。
沖縄は、歴史的に長く薩摩の支配下に置かれていたところです。もうやりたい放題に蹂躙されつづけた。だから、本土復帰のときも鹿児島県の一部になることは、頑として拒んだ。彼らの「薩摩」にたいする恨みの根は深い。
「あんがまあ」とは、薩摩から支配しにくるわがままな人間を揶揄してつけられた名前だったのではないか。「あんがまあ」は、やっかいでうるさくてろくでもない神です。「あんがまあ」は、薩摩の人間という招かざる神のことだ。その「わがまま」を、沖縄風に「あんがまあ」と言い換えてカモフラージュしたのではないのだろうか。
たぶん、沖縄の人びとが遠い島から神がやって来るとイメージし始めたのは、鎌倉時代以降、本土の人間が支配しにやって来るようになってからのことでしょう。彼らが今でもそんな祭りをしているということは、おそらくそれがそう古くない時代から始まったということと、今でも薩摩に対する恨みが消えていないことを意味する。
沖縄の人びとの来訪神のイメージは、ほとんどが凶悪で野蛮です。ある神は蛇であったり猫であったり巨人であったり、またそのはるか遠い神の国にしても、けっして理想境としてではなく、むしろ恐ろしいところだとイメージされていることの方が濃い。折口氏はこれを、それだけ原始的な信仰の形が残っているからだというが、そうでしょうか。
悪い風が吹けば、神の国に帰って行ってくれと祈る。「にいるすく」は怖い巨人の住む国で、「にらいかない」は常世の国の理想郷なのだとか。しかし、この世で罪を犯したものは死んだら「にらいかない」に行く、という言い伝えもある。だから折口氏も「琉球神道の上の<にらいかない>は光明的な浄土である。にもかかわらず多少の暗影を伴うているのはなぜであろう」といわねばならなくなる。
「にいる」と「にらい」は同じ言葉でしょう。「にいるすく」とは、「恐ろしい城」とか「奈落の底」だとかいう意味なのだといわれている。たぶん「にらいかない」の「にらい」も同じでしょう。すなわち「にいる=にらい」とは、本土から伝わってきた「奈落(ならく)」というやまとことばなのだ。折口氏はそうではないと言い張るが、ぼくは、そうだと思う。
かつての沖縄の人々にとっての「本土人(やまとんちゅう)」という「神」は、新しい文明をもたらしてくれる存在であると同時に、わがままで暴力的な「鬼」でもあったのだ。折口氏が分析するような、そこに古代の本土における信仰の痕跡が残っているとか、そんなことではまったくないのだと僕は思う。お気楽に、「にらいかない」は「光明的な浄土である」などといってもらっては困るのだ。
沖縄における海の向こうからやってくる神に対する信仰は、いかにして薩摩人の傍若無人な振る舞いと和解してゆくかという祈りとしてはぐくまれてきたのだ。沖縄の人に聞いてみればいい。