2008-07-01から1ヶ月間の記事一覧

内田樹という迷惑・言葉の規則

ウィトゲンシュタインは、「言葉の<規則>が先にあって、言葉が生まれてきたのではない。言葉を話す体験(実践)の中から言葉の<規則>が生まれてきたのだ」といった。これを「言語ゲーム」というのだそうです。 確かにそうでしょう。 サッカーというゲー…

内田樹という迷惑・こんな日本で・・・・・・?

落語人気が衰退したのではない、落語が衰退したのだ、落語家の顔がみな下品になってしまった。 桂三枝は、ブ男ではない。若いころ、けっこうハンサムだった。ところが、年を取るほどに下品になっていった。 それに比べて、むかしの落語家は、年を取れば取る…

内田樹という迷惑・白熊に未来はあるか

地球温暖化のせいで北極の氷が薄くなり、白熊の生息域が脅かされている、という。 そうか、白熊も大変だなあ、と思う。 しかし、だからといって、白熊の保護がどうとかこうとかという問題を叫ばれても、いまいちぴんとこない。 誰だって、生きてゆくのは大変…

内田樹という迷惑・人生という主題

ともあれ誰もが、「人生」という主題を抱えて生きている。 秋葉原事件の若者だって、みずから人生になんらかの決着をつけようとしてあのような行為に走ったのでしょう。 内田氏は、人生とは「(すてきな)未来を妄想する」ことにある、という。 たとえば、す…

内田樹という迷惑・秋葉原と八王子

内田氏がまたおかしなことを言い出して、僕はめちゃくめちゃむかつき落ち込んでいる。 先日八王子で起きた無差別殺人事件も、「コピーキャット」による模倣の衝動に過ぎないのだから、騒がないで無視するのがいちばん、無視すれば類似の事件が起きてくるとい…

内田樹という迷惑・足利義満の美意識

足利幕府の義政と義満。かたや高度な美意識をそなえた教養人として銀閣寺をつくって「わび」「さび」の極致を表現し、一方は、無教養丸出しにただ俗悪なだけの金閣を建てて喜んでいた・・・・・・一般的な歴史認識においては、ひとまずそういう図式で語られている…

内田樹という迷惑・パズルゲームの制度性

「近傍と確からしさ」さんは、「フレーム」といった。 思考の「フレーム(枠組み)」という意味です。 自分なりのそういう「フレーム」を大切にするか、それともそんなものを持たない自由で無原則的な思考を発揮してつぎつぎにパズルを解いてゆくか。 思い出…

内田樹という迷惑・「ほめる」ことと「けなす」こと

相手の美質を探し出して「ほめる」ことこそ批評の能力であり本質である、と内田氏は言っている。 何言ってるんだか。 あんたの言うことは、ていどが低いんだよ。幼稚なんだよ。 誰だって、ほめもすればけなしもする。内田さん、あなただって例外ではないでし…

内田樹という迷惑・あれから何日たったやら

内田氏が、みずからのブログのコメント欄をいきなり閉鎖してもうずいぶんたつが、いまだにひとことの説明もしていない。 過去のコメントも、ぜんぶ消してしまったのです。 で、その日からもう何もなかったような顔をして、ふだんどおりのブログを書きつづけ…

内田樹という迷惑・江戸の日かげ道

「江戸ブーム」といわれ始めたのは、70年代の終わりころから80年代にかけてのころでしょうか。哲学や経済学から漫画にいたるまで、いろんなカルチャーシーンで取り上げられ、今や日光江戸村をはじめとして、すっかり庶民の中にも江戸時代に対するノスタルジ…

内田樹という迷惑・「語り合う」ということ

ファミレスなどで、まわりの若者たちのグループが語り合うのを聞いていると、男と女の資質の違いがよくわかる。 女子高生などの若い娘のほうが、ずっと言葉に敏感だ。 彼女らは、「チョー受ける」とか「なによウゼー」などと合いの手を入れながら、どんどん…

内田樹という迷惑・あきはばら14

日本人は、幼児化白痴化している・・・・・・そういうことはかなり前からよく言われるようになってきている。 それは、内田氏のように「自分だけは違う」「自分は知的な人間である」と思っている人がたくさんいるということを意味する。そういう人たちから見れば、…

内田樹という迷惑・現代人の知性

内田氏によれば、「現代の日本人は、知的であることを否定し、罪悪であるかのようにみなしている」のだそうです。だから、内田氏のような教育者のつとめは、「知的であることは悪いことじゃないんだよ」と教えてあげることにあるという。 何様のつもりでいや…

内田樹という迷惑・派遣社員の恋

「派遣社員」は虐げられている、なんて恨みがましいことを言ってもしょうがない。そんな制度の上にあぐらをかいている経営者を責めてみたって、せんないことだ。やつらが悪人かどうかなんて、よくわからないことだ。われわれは、そういう歴史段階を生きてい…

内田樹という迷惑・あきはばら13

派遣社員の制度をはじめとする社会の構造が改善されれば、秋葉原事件の再発はなくなるか。 人びとがいい暮らしができるようになれば、そんな事件はもう起きないか。 いい暮らしができるようになれば何もかも解決するなんて、僕は、ぜんぜん思わない。 いまや…

内田樹という迷惑・あきはばら12

内田氏の「秋葉原事件は<コピー・キャット>現象である」という発言と出会って、僕はもうめちゃめちゃむかついている。 胸がどきどきして夜も眠れないくらいむかついている。泣きたいくらい悲しい。 平然と他人を見くびったもの言いをするこのふてぶてしさ…

内田樹という迷惑・あきはばら11

まったく、むかつく。殺意すらおぼる。 このふてぶてしさは、いったいなんなのだ。 内田氏によれば、秋葉原事件の若者は、そういうことをすればワイドショーを占拠できるという目的があっただけなのだそうです。世間にそういう行為の「意味」を見せびらかす…

内田樹という迷惑・他者は「私」を「承認」しない

「私のアイデンティティは、他者の<承認>によって得られる」と内田氏は言う。 しかし他者の「異質性」を根源的に問うなら、他者は「私」を「承認」しないほどに異質な存在である、ということになる。「承認」しないことが、他者の「他者性」なのだ。 われ…

内田樹という迷惑・品性の問題

小津安二郎の「小早川家の秋」という映画で、ある女優が「<品行>というのはあとからなんとでもなるが、その人の<品性>というのはもうどうすることもできない」というようなことを言っていました。 だから、結婚相手は「品行」がいいかわるいかではなく、…

内田樹という迷惑・女の中の拒絶反応

人は、みずからの生を拒絶している。 この生に幻滅している。 この生を拒絶して、自己処罰する。そこから「快楽」が生まれる。 セックスのときに女が汲み上げる快楽の深さは、自己処罰の衝動によってもたらされる。 快楽のない生は、貧しい。自己処罰のない…

閑話休題・ミニスカート考

ミニスカートはなぜ流行るのか。 最初の流行は、1960年代の後半でした。 戦後日本の50年代までは国づくり町づくりに邁進していった時代だった。だから、映画や流行歌も、その象徴としての「東京」という名のつくタイトルが多かった。 60年代に入ると…

内田樹という迷惑・全共闘世代の青春

「若者」とはどんな人種か、「青春」とはどんな季節か・・・・・・現代人は、これらのことに、ことのほかこだわっている。 「ちょいわるオヤジ」とは、青春を取り戻そうとしている、あるいは今なお若者の気分で生きているつもりの中高年のことだ。 「生涯学習」な…

内田樹という迷惑・未来の自分

内田教授は、20歳の教え子たちに、5年後の自分と75歳になったときの自分を想像する、というお題のレポート作成を課したのだそうです。 そういう想像をすることがその人の人生を豊かにする、というのが日ごろからの彼の持論です。 この人は、どうしてこんな卑…

内田樹という迷惑・日本人の駄洒落好き

「駄洒落はレジャーだ」、だってさ。 内田氏によれば、駄洒落はちょいとした気分転換なのだそうです。自分のように言葉を深く専門的に分析している者とっては、そうやってばかなことを言ってみるのが頭の掃除というか、気晴らしになる・・・・・・のだとか。 けっ…

内田樹という迷惑・愛の思想家だってさ

この人は、自分がいかに「愛」に溢れた清らかな人間であるかと自慢ばかりしている。そんなことを平気で自慢できるなんて、人間として幼稚だし、愚劣だと思う。 それに、思想家としてのセンスの問題でもある。 われわれからすれば、「愛」なんてよくわからな…

内田樹という迷惑・単独者

「達人」とは、いわば「単独者」のことです。 「型」から逸脱して「解答」のない前人未到の地を行く者。前人未到の境地を「型」として持っている者。 内田氏は、こう言っています。「単独者とは、いつかは故郷に戻ってくる<巡歴者>ではなく、故郷を捨てた…

内田樹という迷惑・規範のしがみついた物言い

内田氏なんて、しょせんは規範のしがみついた薄汚いアジテーターに過ぎない。 彼は、「武道の型」などということをよく言う。鈍くさい運動オンチは「型(基本)」を修めるのに汲々としているから、それが至芸であるかのように思いたがる。そういうことにして…

内田樹という迷惑・国家とは幻想であるのか

国家とは幻想である、と言った人がいるが、「日本人」という名称なんてただの記号みたいなものだと僕は思っている。 「日本」という国の名が生まれたのは大化の改新のころ以後のことらしいが、僕としては「縄文時代の日本人」といったってべつだん違和感はな…

内田樹という迷惑・ノラ犬の思想

「近傍と確からしさ」さんが、このブログのことを「雪かき仕事」だと言ってくれました。自分ではそんなこと一度も思ったことはないが、言われればすごくうれしいです。 内田氏は、「私は思想のセントバーナード犬(救助犬)である」とか「私は人類の歩哨(セ…