内田樹という迷惑・江戸の日かげ道

「江戸ブーム」といわれ始めたのは、70年代の終わりころから80年代にかけてのころでしょうか。哲学や経済学から漫画にいたるまで、いろんなカルチャーシーンで取り上げられ、今や日光江戸村をはじめとして、すっかり庶民の中にも江戸時代に対するノスタルジーみたいなものが定着している。
現代と江戸時代すなわち近世は、多くの共通点や類似があるのだろうか。
たとえば、江戸時代は庶民の経済活動が本格化してきて、金が天下の世の中だった。元禄とバブル。また、江戸時代の人々はとても迷信深く、それは、現代のカルト宗教やスピリチュアルブームと通じるものがあるのだろうか。性風俗の産業がさかんであることだって、似ているといえば似ている。
そうして現代の人びとは、あの時代はよかった、あの時代ならもっとのどかに幸せに生きられただろうに、と懐かしんでいるらしい。
内田氏が腰巾着のようになってはべっている橋本治というおえらい小説家先生は、近世には健康なダイナミズムがあったといい、そこから現在=近代批判を展開しているそうです。
つまり、近世=江戸時代は人間の歴史のひとまず完成したかたちであり、こんなにも汚れて壊れてしまったわれわれの時代の原型がそこにあるのだとか。
なんとまあ、凡庸な近代批判であることか。
それくらいのことは、誰でも言っている。名もない庶民のおばさんだって、そう思って日光江戸村に出かけてゆくのだ。まあそれだけのことを、知的な衣装で何やらもったいつけて書いてみせれば受ける、というのがこの人たちの常套手段らしい。
内田氏による、秋葉原事件を起こした若者の動機は「コピー・キャット」の模倣衝動である、という分析も、視点そのものは凡庸な大衆のレベルとちっとも変わりはしない。それくらいのことは、誰でも考えている。ただ、口当たりのいいように言い回しをつくろっているだけじゃないか。あなただって、感性そのものにおいては凡庸なんだよ。
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もしも300年後の人びとが、われわれの時代のめざましい戦後の経済復興を知れば、やっぱり「健康なダイナミズムがあった」と評するかもしれない。
薄っぺらに表層だけしか見れない人は、きっとそう思う。
たとえば橋本氏は、近世の人々は「神」という概念に縛られず、自由に豊かに「神」をイメージしていた、と言います。
冗談じゃない、近世ほど「神」という「規範」にしばられていた時代もないのだ。
浮世絵のあのばかでかいペニスの描写は、彼らの男根信仰であると同時に、その男根という「神」から強迫されている意識の現われでもある。
また、江戸時代は稲荷信仰が盛んで、たくさんの「稲荷神社」がつくられたのだが、それは、「狐つき」という言葉に代表されるような精神の病に陥る人がたくさんいた、ということを意味する。
誰もが落語の熊さん八つあんのようなのんきな稲荷参りをやっていたわけではないはずですよ。身内に精神を病んだ人がいたりして、切羽詰ってお稲荷さんにすがっている信者がたくさんいたからこそ、あれほど盛んになったのでしょう。いや、誰もがそういう「悪霊」に対する強迫観念をどこかしらに抱えて暮らしていた、ということです。
かさおばけとか提灯おばけとか、日常の生活用具までおばけにしてしまったのは江戸時代の人びとだが、彼らは、そんなものにまで「霊魂」を感じてしまうくらい強迫観念が強かった。
彼らが火の用心や弘法大師の札などを家のあちこちに張りまくっていたのは、ただの趣味やお遊びではなかったんだぜ、橋本さん。
おそらくそれは、貨幣経済が急速に充実してきて、人々の意識がすっかり貨幣という「規範=神」にしばられ、身動き取れなくなってしまっていたからでしょう。金でなんでも買えるということは、もう金から逃れられないということでもある。社会全体が、そういう強迫神経症に陥っていたのが、江戸の町だったのだ。
ただ、みんなが強迫神経症であれば、それがあたりまえになって病理的な混乱をきたさない、というだけのことです。
近松の心中物語にしても、当時の人びとがいかに「規範という神」にしばられていたかを示している。心中しなきゃいけないくらい、しばられていたのですよ。どこが「自由」なんだよ。
近松の筆の冴えは、そういう「規範=神」をみごとに対象化して「自由」であるが、心中する当人たちはもう、悲惨なほどにがんじがらめにしばられていたのです。
社会が貨幣という規範の呪縛を受け、人びとが強迫神経症に陥った時代、それが江戸の近世だった。
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近松西鶴歌麿葛飾北斎松尾芭蕉本居宣長賀茂真淵荻生徂徠、あのころ登場してきて後世まで名前が残っている芸術家や学者たちはみな、時代に抵抗したり時代を告発したりして、時代に組みしなかった人たちばかりです。彼らは、時代=歴史を押し戻そうとした人たちだった。強迫神経症に陥ったこの時代を、このまま行かせてなるものか、と言うかのように抵抗して見せたのだ。
いつの時代においても、芸術や学問は、時代に対する違和感から生まれてくる。それが法則でしょう。
彼らは、時代の繁栄を賛美したのではない。彼らは、時代の流れに乗ったのではなく、時代から傷を負った人たちなのだ。
芭蕉は、華美に流れる時代の趣味に背を向けて旅をしながら「すさび」の世界に入っていったし、西鶴の晩年の傑作といわれている「置土産」は、落ちぶれ果てたかつての遊び人が最後に見せた純潔を描いたものです。そして本居宣長賀茂真淵古事記や万葉の古典に帰ってゆき、宣長に大きな影響を与えた荻生徂徠は、たった一人で時代の学問常識(アプリオリ)の前に立ちはだかった人だった。
近世は、病んでいたからこそ、そのような傑出した芸術家や学者を生み出したのだ。いい時代だったからではない。というか、いい時代であることそれじたいが病んでいることの証しかもしれない。そういう意味で、今だって「いい時代」なのだ。傑出した芸術家や学者がいるのかどうかは知らないが、社会全体が強迫神経症に陥っているという状況はある。
内田氏の自慢たらたらな態度に節度がないのも、社会の「規範」のレベルでしか人間性の基礎が考えられないのも、それはもう立派に強迫神経症の兆候です。
内田氏の言説は、近代合理主義の病理に骨の隋まで侵されている。そして本人がそれに気づかず常識人づらしていられるのは、社会全体が同じ病理を負っているからでしょう。
たぶん内田氏と同じように病的な知識人がたくさんいるのでしょう。
江戸時代にだって、きっとたくさんいた。たくさんいるようなひどい状況だったから、その反動として宣長や徂徠のような傑出した知識人も現れてきた。
彼らは、けっして「裏街道」を歩いたのではない。表通りを歩いていた人たちだったが、つねに日影のがわに立っていた。そうして、日の差すところに立ってはしゃいだりえらそうにしている者たちを侮蔑していた。たとえば内田さん、あなたのような・・・・・・。
侮蔑することが、彼らを傑出した知識人にした。そういう契機がなければ、傑出した知識人は生まれてこない。いい社会(時代)だからいい知識人が生まれてくるとか、橋本さん、そんな単純なものじゃないのですよ。
近世は、傑出した芸術家や知識人が生まれてくるくらい、ひどい時代だったのだ。
内田氏が村上龍氏や橋本治氏を真似て大衆侮蔑路線の戦略を取ったことは、正解だった。大衆を侮蔑する者は、大衆から愛される。なぜなら、大衆じしんが大衆を侮蔑しているからだ。
つまり、内田氏の思考がすでに大衆と同じレベルだということです。
内田氏のやっていることは、お大尽のそばを歩きながら近づいてくる乞食を追い払っている太鼓もちみたいなのものです。僕にはそのようにしか見えないし、たぶん江戸時代にも、そういう習俗は庶民の暮らしから学問社会まであまねく広がっていたことでしょう。
そしてそういう光景を、軒下の日影からうんざりした顔で眺めている者も、きっといたにちがいない。