内田樹という迷惑・あれから何日たったやら

内田氏が、みずからのブログのコメント欄をいきなり閉鎖してもうずいぶんたつが、いまだにひとことの説明もしていない。
過去のコメントも、ぜんぶ消してしまったのです。
で、その日からもう何もなかったような顔をして、ふだんどおりのブログを書きつづけている。このふてぶてしさ・・・・・・。
せめてひとことあってしかるべきでしょう。まともな神経の人なら、閉鎖する前に断りを入れるでしょう。
俺のブログだから、俺がどうしようと勝手だ、ということでしょうか。
このへんが、組織に守られている教授先生と、筆一本で生活している人との違いです。
多くの読者から著作料を受け取っているということを重く受け止めるなら、それなりに人格をかけて対処すべきでしょう。
内田氏の中でどういう理屈が立てられているかということは、どうでもいいことです。読者がどう思うのか、ということに対する配慮はないのか、ということです。
ずいぶん粗雑でえげつないことをするもんだなあ、と思った読者は、けっして少なくないはずですよ。
あなたは、それを想像しなかったのか。あなたの頭の中で整合性がつけばそれでいいというものではないでしょう。他者を喪失したあなたのそういうふてぶてしさが、われわれをいらだたせる。
あなたにとって正しいかどうかということなど、どうでもいいのですよ。
「他者」に対する敬意の払い方の問題です。
あなたはかつて、みずからが批判するフェミニストに対して「おまえらは何かというとすぐ<他者性>という言葉を持ち出してくるが、おまえらにとっては俺こそが<他者>そのものだろう」と言ったが、そういう意味であなたが何を差し置いてもまず断りを入れるべき相手は、「イカフライ」氏という「他者」であったはずです。
あなたの頭の中でどういう整合性が立つかということなど、どうでもいいのですよ。
おまえはそれでいい、と言ってくれる「身内」よりもまず、不愉快な思いをしているであろう多くの「他者」に対してあなたはどういう態度をとるのか、と神に試されているのですよ。
つまり、あなたの中の「内なる他者」という神から試されているのだ。
レヴィナス先生に成り代わって、ひとまずそう言っておきます。