2009-03-01から1ヶ月間の記事一覧
「さくら」ということばは、「さく」+「ら」。「花が咲く」の「さく」と、「ら」。「ら」は、「我ら」「彼ら」の「ら」、集合の語義。すなわち、花がいっぱい咲いているから「さくら」という。それだけのことだがしかし、「さく」ということばがついている…
「よしっ!」といってガッツポーズをする。 「よし」は、げんみつには「よい」という意味ではない。何かが成し遂げられたこと、完了したことの安堵や達成感をあらわすことばです。 「あおによし」という「奈良」にかかるまくらことばの「よし」も、「よい」…
「育(はぐく)む」の語源は、「羽(は)くくむ」、鳥が羽の下に雛を包んで子育てをすることからきているのだとか。「くくむ」は、「包む」の古語。 万葉集に、 「旅人の宿りせむ野に霜降らば わが子羽ぐくめ 天(あま)の鶴群(たづむら)」 という表現があ…
NHKの爆笑問題の番組を見ていたら、あるイケメンの政治学者が、こういっていました。 「日本人は自立心が薄い。歴史的に日本が自立していたのは、満州事変から敗戦の年までのころだけである」と。 自立することがどういうことかよくわからないが、こうい…
「柿の実がなる」、というときの「なる」に、あなたはどういう語感を抱きますか。 「やまとことばの人類学」を書いた荒木博之氏は、この「なる」は「無から有が生じる」ことをあらわしている、と説明してくれています。 そうだろうか。 僕は、このときの「な…
書きたいことがいっぱいあって、ちっともまとまりがつかない。 ようするに「祝福論」を書きたいのだが、人の悪口ばかりいっている。 中西進先生の語源論も、荒木博之先生のそれも、ぜんぜんくだらない。 彼らのように、人間はすばらしい、などといいたいので…
ことばの起源において、「意味」などなかった。 「意味」は、ことばが発せられたあとに生まれてきた。 原初の人類は、「意味」に気づいてことばを発したのではない。「意味」は、ことばが生まれたことの「結果」にすぎない。 ことばが発せられることは、たが…
「もの」ということばは「源氏物語」に多く出てくるらしく、「やまとことばの人類学」の荒木博之氏がそこからの引用で「もの」について語っておられます。 平安時代は、とても「もの」にこだわった時代だった。 いちばんの「もの」は、重苦しくまとわりつく…
「やまとことばの人類学」を書いた荒木博之氏は、「もの」とは「恒常不変の原理」をあらわすことばである、という。であれば「もののあはれ」とは、「人間存在を貫いてある恒常不変の原理、さだめにふれて起こる情感、と規定できる」のだそうです。 どうして…
やまとことばの「もの」と「こと」の対比を問いつめることは、大問題であるらしい。 多くの研究者が次々に自説を提出している。 中西進氏は、「もの」とは「自然の森羅万象の本質」といっているが、まあこのあたりが、ほとんどの説の最大公約数的な解釈だろ…
原稿用紙に書いた字を、マジックの太い線で全部消してしまう。 すると、そこにことばが隠れていることを、あらためて強く意識するようになる。 そしてそれは、その外には何もない、と意識することでもある。 隠れているものばかり気になってしまう。 たとえ…
現代の万葉学の権威であるらしい中西進氏は、古代において「さく=咲く」とは「幸せ」という意味であった、といっておられます。 「咲きはふ」=「さいわい」=「しあわせ」、古代人はそういう心の動きをもっていたのだとか。 何いってるんだか。 それは、こ…
杉山巡さん、拙文を引用していただき、ほんとにありがとうございました。「すきま」の語義が、そこまで拡張して考えることができるとは気づきませんでした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「そまつ」の語源は「そま(=すきま)」。 日本列…
万葉学の権威である中西進氏によれば、「(花が)咲く」ということばの語源は「さかり」ということばからきているのだそうです。 花が「さく」ことは「さかり」が現出することである、と。 そんなことあるものか。 はじめに「さかり」という概念的なことばが…
承前。 「すきま」の語源は、「そま」。 山の中の「そま道」の「そま」、木と木の間の「すきま」がゆったりしているところに「道」ができてゆく。そこを吹き抜けてゆく風に導かれるようにして「道」ができてゆく。それを「そま道」という。 「そま」とは、「すきま…
サッカーの話をします。 パスがうまい選手の専売特許のように言われている「スルーパス」というプレーがあります。 何人もの相手選手のあいだを縫うように通り抜けて味方に渡すパスのことです。 誰もそんなところにパスコースがあると気づかなかったし、そんな…
深呼吸は宇宙を食らうことなりと つぶやく人の背に真昼の月 深呼吸十回の果てに昼が過ぎ 子を連れた女の脛の白さ ペットボトルにきみの笑顔がよみがえる 帰り支度の月は傾き
山姥さんのブログが終わってしまったらしい。 一年以上かけてやっと見つけたというのに。 もしかしたらタイトルを変えてどこかで復活するのかもしれないが、僕のパソコンの技術では、たぶん二度と見つけられないでしょう。 今回だって、ほんとに奇跡的な偶然…
村上春樹氏が、例のイスラエルでのスピーチで、「戦争帰りの父は、戦争で死んでいった人びとに毎朝手を合わせていた」というようなことを語っておられました。で、そこから「命の尊厳」とか「個人の精神の尊厳」というような話になってゆくのだけれど、何をセンチ…
しっくり来るならやっぱり「うつそみ」より「うつしみ」だな、といってくれた人がいて、うれしくなってしまいます。 「うつしみ」「うつそみ」「うつせみ」、どれがいちばん最初にあったのかは、意味作用よりも、はかなさを表現する語感としていちばん自然なひびきを持…
僕は、ついこのあいだまで仏教のことにこだわっていて、とくに気になったのは「空(くう)」という問題だったのだけれど、そのことで仏教に造詣の深い人からいくつかの意見もいただきました。 しかしじつをいうと、「そうかなあ」という気持ちにしかなれなかった。…
いまどきの若者は、「とても」という感嘆を、「めっちゃ」という言葉であらわす。 そして「めっちゃすごい」とは「ものすごい」のことだから、「めっちゃ」とは「もの」のことである、ともいえる。 「すごい」ことに気持ちがとらわれることを、「ものすごい」という。 「も…
去年公開された黒沢清監督の「東京ソナタ」は、かなりの評判になった映画です。 黒沢清監督といえば、いまやもう日本映画界の巨匠のひとりであるらしい。 画面の見せ方は、さすがと思わせるものを持っておられる。才能ある映画作りのプロなのでしょう。 しか…
僕の母親は、「底辺(ていへん)」のことを、「そこべ」といっていました。これは、やまとことばでしょうか。 たとえば、「(茶碗の)そこべのご飯粒もちゃんと食べなさい」とか。 また、あの人は「底辺(そこべ)」の人に好かれるとか、嫌われる人だとか、そういう言い…