閑話休題・「東京ソナタ」

去年公開された黒沢清監督の「東京ソナタ」は、かなりの評判になった映画です。
黒沢清監督といえば、いまやもう日本映画界の巨匠のひとりであるらしい。
画面の見せ方は、さすがと思わせるものを持っておられる。才能ある映画作りのプロなのでしょう。
しかしねえ、たとえば、物語のクライマックスで、美人女優が海辺にひれ伏して号泣するとか、もうそんなシーンはうんざりするくらい繰り返されてきた日本映画の安直な手法でしょう。
壊れてゆく家族、これがこの映画の主題です。
それはいい。しかし、彼らが最後に見出す「希望」とは何かというところで、人間存在に対する思想というかセンスがまるで薄っぺらなのですよね。
まだ見ていない人に悪いから、それが何かということはいわないけれど、若い観客たちから「そんなふうに見せられてもしらけてしまうんだよね」と反応されても仕方ないと思う。
家族一人ひとりの心の動きがまったくステレオタイプで、ろくに気のきいた会話というか「おや」と思わせられるような会話ももないし、終始作者の小ざかしい意図が透けて見えるような小事件が次々に積み重ねられてゆく、という展開。そんなもの、けっきょくは、ハリウッド映画が金にあかせて大事件を起こすのといっしょじゃないか。
何か事件が起きそうに見えて、何も起こらない……そういうしゃれた裏切りはなにもない。予想通りの小さな事件がつぎからつぎに起きてゆく。
ただの「映画オタク」がつくった映画じゃないか。現在の40代から50代にかけての大人たちの人間に対する思想やセンスがいかに薄っぺらかということがよくわかります。
このていどで「名作」だの「問題作」だのと、40代50代の大人たちが内輪で評価しあっている日本の映画界って、いったい何なのでしょう。
せっかくカンヌ映画祭に出品することができたというのに、賞の対象にはならなった。そりゃあ、ヨーロッパの映画通には、底の浅さは見透かされますよ。
「アラフォー」という。そこのところで、大きな世代の断絶があるのかもしれない。
大人たちの、人間に対する思想やセンスが薄っぺらすぎる。なんといっても彼らは、日本経済が全盛のころに青年期を通過してきた世代ですからね。彼らの人間観に陰影がないのは、しょうがないことかもしれない。かっこつけて「問題作」などと気張らずに、面白いホラー映画でもつくっているのがお似合いの世代なのかもしれない。そういう才能だけはある。