2007-02-01から1ヶ月間の記事一覧

縄文人の心

「縄文人の心」 人間に、旅(移動)をしようとする衝動などはない。しかし、それでも人間は旅をする。旅なんかしたくないから、旅をしてしまう。つらいのなんかいやだから、つらい土地に住み着いてしまう。生きること(命のはたらき)は、ひとつの逆説(=パ…

人は旅(移動)をしようとする生きものであるのか

ネアンデルタールのことに戻る前に、縄文時代をもうちょいとつついてみます。 ネアンデルタールとクロマニヨンの連続性と、縄文人と弥生人の連続性とのあいだには、共通する部分がたくさんあるように思えるからです。 また、クロマニヨンと縄文人とのあいだ…

漂泊の心性

僕の友人に、仕事がらみで、「日本人の漂泊の心性」に興味を持っている者がいます。 で、僕も、せっかくやまとことばのことを教えてもらったのだから、そのことと縄文人の生活を重ね合わせながら、まあ「日本的漂泊の起源」みたいなことをしばらく考えてみるこ…

団塊世代が犯したエラー

承前 まあ、僕が団塊世代批判をしつこく発信し続けるのは、個人的なまわりの反応にたいする意地のようなものもあります。孤立無援、です。 ふだん、「古人類学の研究者なんかあほだ」といったりしているものだから、なおさら風当たりが強い。 しかしそれは、…

団塊世代本からの感想Ⅲ

「団塊ひとりぼっち」の著者は、最後に次のような締めくくりになだれ込んでゆきます。 「・・・感傷が人の人生をどれほど心地よいものにしてくれるか・・・この感傷という名のユルくて甘くて生暖かいエモーション。これこそが、目下の団塊に最も必要な、心のセーフテ…

団塊世代本からの感想Ⅱ

「団塊ひとりぼっち」という本は、他の世代からの団塊世代に対する親しみをアジテートし、同世代の連帯感を再認識するために書かれたものらしい。 あのころは、そういう時代だった・・・ということが、鬱陶しくならないようにさりげなく、そしてけっこうきめ細か…

団塊世代本からの感想

僕は、舌ざわりのいいことなんか書くつもりはありませんよ。自分の人生なんて、現在も昔も、ろくでもないことだらけだし、そんな自分を偽って何かおしゃれなことを書いて人をたらしこもうとする趣味もない。 僕は、氷河期の北ヨーロッパを生きたネアンデルタ…

やまとことばと、縄文人の「神」という体験Ⅱ

現代人の「遺伝子」にたいする安直な信仰は、いささか度が過ぎているように思えます。 その社会の文化をつくるのは、遺伝子ではなく、その社会の「構造」でしょう。ネアンデルタールであろうとホモ・サピエンスであろうと、氷河期の北ヨーロッパに閉じ込めら…

やまとことばと縄文人の「神」という体験

2万年前のヨーロッパ・クロマニヨンは、頭がライオンで体は人間、という半人半獣の彫刻をつくっています。 原始人にとっての「神」とは、おおよそこんなものだったのだろうと思われます。ペガサスとかケンタウロスとか、ヨーロッパ神話の原型は、おそらくク…

やまとことばの源流Ⅱ

何か自分を励ますことを書かないと前に進めなくなってしまいました。 だから、ものすごく長い前置きを書いてしまうことになると思います。 僕がこのブログを始めたのは、ネアンデルタールは滅んでなんかいないと、もう体の底から直感したからです。 そしてそ…

やまとことばの源流

極端にいえば、文化だろうと遺伝子だろうと、ひとりでも伝えられる。 洗面器の水にかまぼこ板を浮かべているわけではないのだから、縄文時代の末期に玄界灘を超えてつぎつぎ人がやってきたなんて、僕は信じない。海というのは、たぶん学者先生が考えているよ…

ネアンデルタールと縄文人の言葉

1・・・・・・・・・・・・・ 一般的には、現代の日本人のルーツは、3千年前の弥生人にある、といわれています。弥生人は朝鮮半島や中国から渡ってきた人たちで、その人たちが縄文人と入れ替わったのだとか。 そのころ縄文人は、日本列島に30万人くらい…

「這う」というかたちの文化

閑話休題、の挿入です。 言われてみれば、僕にとって「這いつくばる」という言葉は、「野垂れ死に」の次に好きな言葉でした。 まあ僕なんか、這いつくばって生きてきたようなものです。 ・・・・・・・・・・ 4万年前のアフリカのサバンナで暮らしていたホ…

言葉と身体の関係Ⅱ・やまとことば

言葉は、身体の要請から生まれてくる。 原初の人類にとって、自己を表現することは、直立二足歩行という危うい姿勢とともにあるみずからの身体の輪郭を確保しようとすることであったはずです。 直立二足歩行は、倒れやすく、しかも胸、腹、性器などの急所を…

言葉と身体の関係

言葉の起源を、知能の問題ではなく、身体論として考えてみます。 直立二足歩行は、胸、腹、性器などの急所を晒してしまう姿勢です。つまり、つねにそういう不安とともにある姿勢だ、ということです。しかも、体をぶつけ合えば、かんたんに倒れてしまう。 も…

都市に棲む山姥さんから与えられたヒントについて考えたこと

いつの間にか、言葉の問題に戻っていました。 でも、ネアンデルタールからは、少しそれるかもしれません。 言葉の問題を、小林秀雄の「本居宣長」をテキストにして考えている人がいるということを知って、ちょっとした感動でした。 あの本に書かれていることを…

団塊女とやまとことばⅡ

書き出しは、「都市に棲む山姥」さんからの受け売りです。 現代のギャル言葉に、やまとことばの萌芽があるとすれば、団塊女よりいまどきのギャルのほうが人にたいする一瞬のためらいがある、ということでしょう。彼女たちは、団塊女がぼろぼろにしてしまった…

団塊女とやまとことば

僕じしんは、「やまとことば」の何たるかさえよくわかっていない人間ですが、「都市に棲む山姥」さんから、団塊世代以降にやまとことばが崩れてきた、と教えてもらったので、それについて考えてみることにしました。 結論から先に言ってしまえば、日本人にお…

団塊世代の女は、男を捨てる

しかし僕の団塊世代の女にたいする悪口も、いまいち具体性がなく、面白みも説得力もないですよね。 かといって、自分の知っている女のことを取り上げていってみても普遍性にはならないし、たくさん知っているわけでもない。というか、女のことはよくわからな…

団塊世代の結婚

僕は、団塊世代の男たちにたいして違和感というか疎外感のようなものを感じていたのですが、試しに女の悪口を書いてみたら、この問題はもっと奥が深いぞ、とあらためて思い知らされ、すこし驚いています。 で、もうちょいと続けてみます。 団塊世代の上の世…

団塊世代のたわごとⅡ

あの酒鬼薔薇事件を起こした少年のお母さんは、おおよそ団塊世代ですが、彼女の手記を読むと、子供にさびしい思いをさせたくなかったとか、けっこういいことが書いてある。 評論家もそこのところは評価し、ただ「社会的な意識の教育が足りなかった」というよ…

雑感・団塊世代のたわごと

言葉の問題をもう少し続けようと思っていたのですが、何だか空しくなってきました。 現在の古人類学界のように、喉の構造と象徴化の知能だけで考えることがあたりまえになってしまっていたら、僕の言うことなんか、誰もリアリティを持って受け止めてくれない…

ネアンデルタールと言葉

研究者は、そろいもそろって、言葉の起源と発達は「象徴化」の知能による、というが、人がはじめて言葉を発したとき、その「意味」を認識していたわけではないでしょう。 子供は、「おはよう」という言葉を、意味を理解しておぼえるのではない。 意味は、あとから…

閑話休題

先日渋谷で起きたバラバラ殺人事件の容疑者である妻は、もう離婚するだけでは(夫が許せないという)気持ちが治まりそうになかった、と告白しているのだとか。 このことに関して、「それほど執念深い女だったのだ」というような心理学的解釈だけで済ませるのは、…

言葉は、どこで発達してきたか

赤色オーカーの幾何学模様がどうとかこうとか、抽象化の思考がなんたらかんたら、そんなレベルで言葉の起源を語ろうとする研究者たちの短絡的な発想にはもう、うんざりさせられます。 言葉は、頭の中の知能とやらがひねくりだしたのでも、1対1の対話=コミュ…

真実はどこにあるのか

世の中がいいのか悪いのか、正しいのか間違っているのか、そんなことはよくわからない。 たぶん、世の中(共同体)であるというそのこと自体が、「正しい」ということの別名なのでしょう。 だから、僕のような世の中にうまくフィットできない人間は、間違った存…