ネアンデルタールと縄文人の言葉

1・・・・・・・・・・・・・
一般的には、現代の日本人のルーツは、3千年前の弥生人にある、といわれています。弥生人朝鮮半島や中国から渡ってきた人たちで、その人たちが縄文人と入れ替わったのだとか。
そのころ縄文人は、日本列島に30万人くらいいたらしい。弥生人は、縄文人と多少の混血はあったにせよ、もっと大勢で乗り込んできてそっくり入れ替わってしまったのだそうです。遺伝子とか日本人の形質から類推すれば、そういうことになる・・・とまあ研究者は説明してくれるわけです。
しかしですよ、遣唐使や遣隋使の船がしょっちゅう難破していた時代よりも、もっと何千年もむかしに、そんな大勢が一挙に押し寄せてくるということがあるでしょうか。
遣唐使や遣隋使は、その果てしなく広がる海の向こうに人が住む陸地があるということを知っていた。しかし弥生人は、誰も知らなかった。海のむこうがあるなんて、誰も思っていなかったのですよ。水平線の向こうは何もない、と思っていた。
つまり、知らない海の向こうに行こうと思う人間なんて、ひとりもいなかった、ということです。コロンブスが現れたのは、それから何千年もあとのことですよ。
丸木舟に毛の生えたような船で、いったいどれほどの数の人間がこの日本列島にやってこられるというのですか。
日本列島がそんなにかんたんにやってくることができるところなら、とっくに中国に滅ぼされて、いまごろ中国の一部になっていますよ。
飛鳥時代天平時代でさえ帰化人なんてほんのひとにぎりだったのに、ただの原始時代にどうして三十万人以上も移動してこられるのですか。かんたんにやってくることができるのなら、たぶん飛鳥・天平の時代にはもう、帰化人に乗っ取られていたはずです。
あのころ、どこの馬の骨かわからない帰化人の蘇我氏が、この国の中心で、たちまち絶大な権力を握ってしまった。つまり日本人というのは、それほど異人種に他愛なくしてやられてしまう民族だ、ということです。つねに異人種との出会いを体験している大陸人の末裔なら、そんな、やわであるはずがない。そのときこの日本列島が、異人種に乗っ取られるという歴史を持っていない民族の地だったからこそ、かんたんに帰化人にのさばらせてしまったのでしょう。少なくとも権力闘争において、大陸人からすれば、日本人なんてまったく他愛がなかった。
証拠があるから、なんて、どうしてそんな安っぽいことを言ってすませられるのか。
きっと、証拠の意味が違うのです。それだけのことでしょう。
おそらく、ほんの少しの弥生人が漂着してきただけでしょう。
そしてそれでもその遺伝子と文化が日本列島を覆っていったいきさつくらい、なんとでも考えられるでしょう。とにかく千年2千年の時間があるのだから。
どうして、そんな安手の劇画みたいな筋書きにしてしまわないといけないのか。
2・・・・・・・・・・・・・・
もし弥生人のほとんどすべてが大陸から渡来したのなら、そのときの言葉も、大陸の言葉になっていたはずです。
日本人が漢字を使っているからといっても、言葉の構造そのものはまったく異質だったのであり、だからその矛盾を克服しようとしてかな文字が生まれてきた。
もしも最初に入ってきた文字がアルファベットなら、「古事記」を編纂することだって、たいした苦労もなかったでしょう。
異質すぎたからかな文字が生まれてきたのです。
中国語の基本的な構造が5千年のあいだにそう変わっていないのなら、日本語だって基本的な構造は同じのはずですよ。
でも、弥生時代がはじまって千年後の2千年前の時点で、まったく異質だったのです。たった千年で、まったく別の構造の言葉になってしまうなんて、ありえないでしょう。
そのとき「やまとことば」は、大陸とは異質のルーツを持った言葉だった。おそらく、縄文時代以来ずっと引き継がれてきた言葉だったのでしょう。
征服者が、自分の言葉を捨てて土着の言葉を真似してゆくなんてことは、ありえないですよ。
征服者なんて、いなかった。わずかの漂着民が、縄文人に吸収されただけでしょう。
漂着する、というかたちでしか、日本列島にくるすべはなかった。たぶん、漂着できるレベルの船が大陸で作られるようになったころから、縄文人は、ずっと漂着民を吸収し続けていたのです。そうして少しずつ形質が変わってゆき、あるとき新しい土器文化などが持ち込まれ、そこから弥生時代と呼ばれる段階に入っていった。日本列島は、列島中を席巻するような文化が入ってくることがしばしばあったとしても、人は、いつだってほんの少ししか入ってきてないのです。
鹿鳴館時代の「脱亜入欧」のブームにしろ、日本人は、異人種にすれていないから、ああも他愛なく欧米にすり寄っていったのでしょう。すれていないから、異文化があっという間に列島中を覆ってしまうのであり、そういうかわいげのあるところがあったから、中国のように阿片戦争を仕掛けられないですんだのかもしれない。中国や朝鮮がうまく近代に入ってゆけなかったのは、なまじ異人種との関係のしかたを知っているばかりに、ヨーロッパ人にたいして、少々かわいげのない態度をとってしまった、ということもあるのかもしれない。
とにかく、それほどに日本列島は、閉じ込められた歴史を歩んできた。
すくなくとも遣隋使が始まるころまでの日本人は、まったく外に出てゆこうとしなかった。なぜなら、大陸よりももっと「水平線の向こうには何もない」と信じきっていたからです。そしてそういうメンタリティが、やまとことばの原型をつくっていった。
大陸から大勢人が押し寄せたり、日本人に水平線の向こうにいってみようとするメンタリティがあったら、神道もやまとことばもとっくに滅んでいた。というか、神道もやまとことばも生まれてくるはずがない。
神道だって、大陸の世界観とは、まったく異質です。死んだらいい人も悪い人もわけのわからない黄泉の国をさまようだけだ、というような世界観は日本にしかないのであり、大陸とルーツを同じにしている痕跡などないはずです。
この「わからない」ということと向き合う感受性。そんな伝統は、大陸にはない。なぜなら大陸では、つねに異人種から答えが運ばれてくるからです。異人種は、あの山のむこうにも人がいること、世界があることを教えてくれる。
しかし島国に閉じ込められた人間には、誰も答えを運んできてくれない。ひたすら「わからない」ことと向き合い、それと和解してゆくしかない。
日本列島の人間は、明日のことを勘定に入れないで生きている。それにたいして大陸人は、明日のことを先取りしてゆくメンタリティも、人の腹のうちを探る芸も、ちゃんとそなえている。彼らは、明日のことも人の気持ちも「わかる」という前提を持っている。だから、帰化人の蘇我氏に、かんたんにしてやられたのでしょう。
明日のことも人の気持ちもわからないという世界観は、閉じ込められた地域で、しかも人の死が日常のように起きている群れで生まれる。したがってこれは、中国や朝鮮よりも、氷河期の北ヨーロッパに閉じ込められていたネアンデルタール近いといえます。縄文人もまた、ネアンデルタールと同じように、30数年しか生きられなかった。だから、ひたすら「現在」に立ち止まって生きようとした。つまり、長く生きられない身であれば、自然に、時間がゆっくり流れるような観念がつくられてゆく。そしてそれこそが、やまとことばの本質的な構造でもあった。
神道ややまとことばの源流は、大陸ではなく、縄文人にあるはずです。
僕はべつに国粋主義者でもなんでもなく、むしろそんな偏狂な「主義」などというものを嫌うタイプの人間のつもりでいるが、それでも、もとは同じ大陸人だったのだ、というような単純なくくりかたではすませられないような気がする。