「這う」というかたちの文化

閑話休題、の挿入です。
言われてみれば、僕にとって「這いつくばる」という言葉は、「野垂れ死に」の次に好きな言葉でした。
まあ僕なんか、這いつくばって生きてきたようなものです。
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4万年前のアフリカのサバンナで暮らしていたホモ・サピエンスは、家族的小集団で移動生活をしていた。
移動生活をしていたから、移動しようとする意欲も旺盛で、だから彼らは世界中に拡散していった、と研究者は言う。
しかし、そうやって移動生活をしていれば、移動しようとする衝動がそのつど解消(消化)されているということです。彼らは、つねに移動し続けていたからこそ、その移動エリアの外にはけっして出ようとしなかった。
だから、地続きの目と鼻の先で、ニグロ族とコイサン(ホッテントット)族という、同じホモ・サピエンスでありながらまったく違う形質の種族に分かれてしまうボトルネック現象を起こしてしまった。
また現在のアフリカでは、ほとんど言葉が通じないような数百の部族がひとつの国家を形成している、という情況もある。
それほどにアフリカのホモ・サピエンスは、拡散しない種族だったのです。
彼らは、定住することの鬱陶しさを知らない定住者だった。
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定住することの鬱陶しさは、つまるところ、二本の足で立っていることの居心地のわるさです。
じっと立っていること、それは、胸・腹・性器などの急所を晒してしまうことであり、しかもとても倒れやすい不安定な姿勢です。だから、小学校の朝礼で校長先生の話が長すぎると、子供たちがばたばた倒れてゆく。
しかし二本の足で歩き出せば、そういう居心地のわるさがたちまち消えてしまう。それは、ほんのすこし体重を前にを傾ければ、自然に足が前に出てゆく。二本の足で立つことはとても不安定であるからこそ、その姿勢で歩くことがとてもスムーズになるのです。
歩き出せば、体のことなんか忘れてしまう。体が勝手に歩いていってくれる。移り変わってゆく景色眺めること、それじたいが歩くことをうながしているのであって、歩けと足に命令しているのではない。
ボケ老人が「徘徊」してしまうのは、彼らは、体に命令するばかりで、景色なんか眺めていないからでしょう。
逆に、哲学者が、散歩をしたり部屋の中をうろつきまわって思索するのは、歩くという行為によって、身体にたいする意識(居心地の悪さ)から解放されて、自由に思索の世界に入りこんでゆけるからでしょう。
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で、移動生活をしていたホモ・サピエンスは、いつも歩いていたから、その生活感情において、じっと立っていることの鬱陶しさから免れていた。
それにたいして、まわりが海に囲まれた日本列島に閉じ込められていた日本人は、定住し、じっと立っていることの鬱陶しさをいやというほど知っていた。
その居心地の悪さと和解することが、すなわち日本列島に定住するということだった。
「立つ」ことの栄光と悲惨。栄光は、立って歩きはじめることであり、だから「発(た)つ」という。そしてこの狭い島国で出発することは、そのまま消えてしまうことであるから「絶(た)つ」とか「断(た)つ」とか「截(た)つ」などともいう。
また、「立って歩いている=時間が過ぎてゆく」状態のことを、「経(た)つ」という。歩いてゆくことは、歩けと体に命令している(意識によって体を動かしている)ことではなく、時間の経過や風景の移り変わりを感じることなのです。
日本人ほど歩くということの本質を知り、しみじみ愛し憧れた民族もない。東海道五十三次なんて、まさにそんな文化であり、だから、馬を交通手段にする文化があまり発達しなかった。
そして、歩くことを愛し憧れたということは、それだけじっと立っていることの鬱陶しさが骨身にしみている、ということを意味します。
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日本列島は、四方海で山ばかりの土地柄だから、じっと立っていることの鬱陶しさを歩き出して解消してゆくという行為が阻まれていた。あるいは、すくなくとも大陸に比べれば、きわめて限定されていた。
日本には、大平原というものがない。古代の平原なんて、ほとんどが湿地帯であったし、山が多いから川も多く、平地であればそうした流れにさえぎられて、平地であるほうがよけいに移動範囲が限定されていた。古代の「駅」は、ほとんど山間地にあった。東海道を移動するのに、いったいいくつの橋を渡らねばならないか。古代には、そういうものがいっさいなかったのです。
この狭い島国には、歩くことによって立ってあることのの鬱陶しさを解消するという、日常的な機会がなかった。
日本列島で暮らすということは、じっと立っていることの鬱陶しさが骨身にしみる、ということです。
そうしてその条件を補う行為として、心的にも身体的にも「這う」というかたちが引き寄せられていった。
「這う」ことによって、じっと立っていることの鬱陶しさを解消してゆく文化。
時代劇の木戸の入り口なんか、みんな屈んで入るサイズになっている。もちろん茶室のかたちもそうだし、そんなふうに「入る」ことは、「這う」ことだった。
立ってあることの栄光と悲惨をいったん洗い流して体を清め、それから入る、ということでしょうか。
立っていることは、体が汚れることだという意識は、日本人はことにつよい。宗教的な礼拝などはどこでも「這う」というかたちがとられるが、立ってあることを「体が汚れる」と自覚しているのは日本人くらいのものかもしれない。
「土下座する」というのは、体を清める行為なのかもしれない。日本人は、「私」という観念なんか信じていないから、体を清めてさえくれれば、それで赦す。
畳に上がるために汚れを落とさなければならないのは、足の裏だけではなく、体そのものだと、われわれの無意識は自覚しているのかもしれない。障子や襖を開け閉めするのは、座ってやるのが礼儀になっている。
日本人は、けっして立って入ることも出ることもしない。畳文化とは、そういう日本人の「這う」という行為にたいする感受性によって定着していった文化なのではないでしょうか。
外国では、這うことは神を拝むときだけだが、日本人は、人と人の関係そのものが、這うという行為の上に成り立っている。
「拝借する」とか「拝眉する」とかというとき、日本人の気持としては「這う」というニュアンスがこめられているのかもしれない。
外来語を、少々たどたどしい和製英語にしてしまうのも、もともと立っている言葉を「這う」というかたちに整えるあんばいであるのでしょうか。
「拝」という中国語は、「パイ」と読むのでしょう。それを「はい」にしてしまうのは、「言葉の響きを這わせる」というあんばいのような気がします。「メァクドゥナードゥ」を、「まくどなるど」というかたちに、這わせる。
「やまとことば」とは、「這う」言葉であるのか。
いや、このことの奥は深い。