2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧

祝福論(やまとことばの起源)・「神話の起源」52

(承前) 安土桃山時代の茶室文化は、当時の武士たちによる戦国時代に命のやり取りをしていた高揚感や緊張感の余韻と、その機会に対する喪失感から生まれてきたひとつの代償行為である、と僕は思っている。 彼らは、茶室に入って、かつてのそうした高揚感や…

祝福論(やまとことばの起源)・閑話休題

戦国時代が終わって安土桃山時代に入ると、茶の湯が流行してきた。 それは、戦国時代の「死と背中合わせ」の生きざまを芸術として昇華してゆくムーブメントだったのだろうか。戦争がなくなって、そのとき武士たちの心に、かつてのそういう切羽詰った高揚感の…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源(オモロ)」51

沖縄には、「オモロ」という古い歌謡の文献が残されている。 沖縄の万葉集だ、ともいわれている。 たぶん、大和の人間が入り込んでくる中世よりずっと前の石器時代のような暮らしをしていたころから歌い継がれてきたものであり、それを16世紀ころに生まれ…

祝福論(やまとことばの語源)「神話の起源」50

六本木の東京国際映画祭で、ブルガリアの映画を見てきました。 「イースタン・プレイ(東方の祈り)」というタイトルで、人間や時代についてのいろんなことを考えさせてくれる映画でした。 そういう普遍的な問題を扱いながら、若い感性でとても誠実につくら…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」49

人間が二本の足で立って歩くということは、「無力」な存在になることである。 それが、直立二足歩行の起源である。 それは、攻撃することが困難な不安定な姿勢であると同時に、胸・腹・性器等の急所をさらして、防御においてもきわめて不利な姿勢である。 猿…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」48

人間の直立二足歩行の起源は、「立ったままでいる姿勢」を獲得したことにある。 「ものを手に持つため」とか「長い距離を歩くため」とか、そんなことはこの「姿勢」を獲得したことの「結果」であって、この「姿勢」を獲得したことの「契機=原因」ではない。…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」47

太宰治原作の「ヴィヨンの妻」という映画が話題になっているらしい。 どうしようもないだめ男の亭主を当たり前のように受け入れて明るく生きている女の話。 どうしようもなくだめだけどどこかに人間的な魅力があるとか、そんなことではない。人間とはどうし…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源(カムイ)」46

やまとことばの「熊(くま)」ということばは、「怖い」という感慨の表出が語源であろう。 アイヌ語では、「カムイ」という。 「カムイ」とは、その出現における圧倒的な存在感に対する畏怖を表出していることばである。 したがって、やまとことばの「くま」…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」45

このブログのコンセプトは、そのへんのバカギャルと同じレベルのことばと同じレベルの思考で、高級な学術用語をひけらかして何かがわかったつもりになっているインテリ連中に対して、おまえらの考えることはそのていどか、われわれのほうがずっと遠くまで考…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」44

人間と猿の思考は、どこで分かたれるのか。 猿は目の前にあるものを認識しているだけだが、人間はその向こうの見えないものを類推してゆくことができる。 まあ、大雑把にいえばそういうことになるのだそうな。 つまりそれが、「神話的思考」あるいは「呪術的…

祝福論「やまとことばの語源」・「神話の起源(ときめき)」43

起源としての神話は、共同体においても個人においても、「自己(アイデンティティ)」を確認し確立するための装置として生まれてきたのではない。 現代人は、そうした自己確認の装置として「神話」をイメージし、商品や芸術を生み出しているが、「起源として…

祝福論「やまとことばの語源」・「神話の起源」42

われわれの無意識(あるいは前意識)は、この世界をひとつの「混沌」としてとらえている。それを、上部意識における「意味作用」によって、われわれがふだん見ているような整合性を持ったかたちが与えられてゆく。「四角い」とか「丸い」とか「赤い」とか「…

祝福論「やまとことばの語源」・「神話の起源」41

道で、誰かと出会う。 「私」はときめく。 このとき、「私」が見ている他者の画像は、「私」の感性による解釈に染められていない。 このとき「私」は、その根源的な視覚がとらえた画像を、みずからの感性によって処理してゆくということをしていない。 根源…

閑話休題

深く嘆くものは、そう多くのことにときめかない。少ない対象に深くときめく。 好きな相手と一緒に暮らせるならあまり多くを望まない、という人は今の時代でもたくさんいるに違いない。 深く嘆くものは、深くときめいている。 深くときめくものは、深く嘆いて…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」40

現代では、「科学的な思考」というと、なんだかほめ言葉で、いっぽう「非科学的だ」とか「疑似科学だ」というときは、おおむねけなしている。 人類の歴史は「巨大な脳」を持ったことによって「自己意識」を肥大化させ、ことばを話すようになった……ひとまずこ…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」39

小林秀雄は、「古事記の研究をはじめた本居宣長が最初に直面した問題は、あの荒唐無稽で不合理極まりない話にどういう態度で臨むのか、ということだった」というようなことをいっている。 宣長はそこで、全部まるごと信じて受け止めることにした。そしてその…

祝福論(やまとことばの語源)「神話の起源」38

「認識の裂け目」というものがある。何がなんだかわからなくなる。心はそういう事態に陥って、驚いたりときめいたりおそれたりしている。 それを「超越性」という。 いったい、この世界とは、なんなのだ。「自分」とは、なんなのか。「自分」は存在するのか…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」37

先日、鯛の漁場であり瀬戸内の景勝地としても有名な鞆の浦という入り江の一部を埋め立てる工事認可差し止めの判決が下りたらしい。 この地の景観を愛する宮崎駿氏は「いい判決だ」と評価した。 地元は、工事推進派と反対派が二分されていたらしい。 推進派の…