祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」37

先日、鯛の漁場であり瀬戸内の景勝地としても有名な鞆の浦という入り江の一部を埋め立てる工事認可差し止めの判決が下りたらしい。
この地の景観を愛する宮崎駿氏は「いい判決だ」と評価した。
地元は、工事推進派と反対派が二分されていたらしい。
推進派のものたちはこういう。
「反対派のみんなも今回の判決も、<景観>のことをいっているだけで、この工事でどれだけ生活の<利便性>が得られるかということを少しも理解していない」と。
その埋立地に広い道路をつくったり観光施設や公共施設を建てたりというような生活の利便性のためには、景観や自然を破壊をしてもいいのか。
いいのか悪いのか、僕にはよくわからない。
それはもう、時代が決めることだ、と思っている。
いいか悪いかを判断できる人間がえらいとも思わない。人間のすることにいいも悪いもないだろう、とも思っている。
まあ、そういう判断をしたがる人たちがしてください、というだけだが、地元の人たちは、判断せざるを得ない。僕だってそのときは、どちらかにつくしかない。
そうやって、時代が動いてゆく。
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弥生時代奈良盆地は、そのころの日本列島でもっとも人口密度の高い場所だった。あるときから列島中から人が集まってきて、爆発的に人口が増えた。
そのとき人々がなぜその地を選んで住み着いていったかといえば、食い物がたくさんあるとか気候がよくて住みよいとか、そんな「生活の利便性」のためではなかった。そんな条件など、何もなかった。
そこは一面の湿地帯で、わずかに干上がった浮島のようなところに集落をつくり、身を寄せ合って生きていただけである。
耕作地は、その湿地帯を干拓して確保してゆくしかなかった。
それでも人々はそこに住み着いてゆくことに、ある「ときめき」を抱いていた。
それは、四方をたおやかな姿をした山なみに囲まれている、というどこにもない絶好の「景観」があったからだ。
イタリアには「ナポリを見て死ね」ということわざがあるそうだが、奈良盆地に集まってきた人々もまた、その景観を前にして「もうここで死んでもかまない」という深いエクスタシーを体験していった。
そのカタルシスこそ、彼らがそこに住み着いていった理由だった。
つまり彼らは、その山々に神がやどっていることを信じ、われわれは神に抱かれて暮らしている、というカタルシスとともに暮らしていた。
そのカタルシスがあればこそ、「生活の利便性」に恵まれていないことなどなんでもなかったし、恵まれていなかったからこそ、人々が力を合わせて湿地帯を干拓してゆくなどのダイナミズムが生まれてきた。
弥生時代奈良盆地がほかのどの土地よりも進んでいたのは、土木技術だった。それは、三輪山のふもとの「纏向遺跡」が証明しており、そこから大和朝廷という大きな共同体が生まれてきたのは、そのようにして土木技術が発達し人々が連携してゆくダイナミズムがもっとも豊かに起きている土地だったからだ。
権力者が大和朝廷をつくったのではない。大和朝廷ができたことによって権力者が現れてきただけのこと。
大和朝廷を生み出したのは、あくまで民衆の連携してゆくダイナミズムだったのだ。
彼らは、その技術によって湿地帯を干拓して耕作地を確保していった。そしてそこが稲作農耕がもっとも発達している土地だったのは湿地帯だったから水田に変えるしか方法がなかったからであり、「米は神の食べ物である」という信仰が縄文時代以来の伝統として日本列島に根付いていたからだ。
米なんか、とても非効率的な作物である。その作柄は天候に大きく左右され、秋になって収穫できるか否かは、古代人にとってはもう、いわばギャンブルのようなものだった。
いや、現代の稲作農家の人たちにだっていくぶんかはそういう思いで田植えをはじめるに違いなく、だから、稲の実りに対する祭礼がさまざまに発展してきたのだ。
それでも日本列島の住民が米をつくり続けてきたのは、心の底に「米は神の食べ物である」という思いが息づいているからだろう。
弥生時代奈良盆地の民衆を生かしていたものは、神や景観に対する「ときめき」であった。
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何はともあれ人は、「ときめき」によって生きている。「ときめき」こそ、「生きられる意識」なのだ。弥生時代奈良盆地の民衆が、そういうことをわれわれに教えてくれている。
そうして「鞆の浦」にしろ「八ツ場ダム」にしろ、「やつらは景観のことだけしかいっていない」と工事推進派が叫んでも、たったそれだけのことで日本列島の歴史が動いてきたともいえるのであり、たったそれだけのことで人間は生きているともいえるのである。
「景観が大事だ」といって何が悪いものか。それは、日本列島二千年以上の歴史の上に成り立っている主張なのである。
その裁判における工事推進派は、日本列島の歴史に負けたのだ。