「憂き世」の伝統・「漂泊論B」69



日本列島においては、この世界をつくった神という概念などなく、神すらも世界の「なりゆき」で「現れ出る」ものだった。
少なくとも弥生時代以前に、神という概念はなかった。
大和朝廷成立以後に大陸から神という概念が入ってきて、「尊くありがたい」という感慨が起きる対象を「神」というようになっていった。神は知らなかったが、そういう感慨なら彼らにもあった。
彼らにとって奈良盆地の山々も天皇も、まさにそうした対象だった。
弥生時代の初期に奈良盆地にやってきた人々は、そのたおやかな姿をした山なみに囲まれた「尊くありがたい」景観に魅せられて住み着いていった。
集団に対する愛着で住み着いていったのではない。その景観や人との出会いのときめきによって住み着いていった。
最初から大きな集団があったのではない。まわりの地域から人々が集まってきた結果として、大きな集団になっていった。



集団の規範=制度は、集団が大きくなってからその混乱を収拾するかたちで生まれてくるのであって、大きくなってゆく過程では機能していない。機能していないから大きくなってゆくことができる。
規範=制度は集団が統合完結するためのものだから、それが機能してしまえば、もう大きくならない。それでも大きくなろうとして、まわりの地域を侵略して統合してゆく。そのようにして人類は、戦争を覚えていった。したがってそれは、人間の本性だとはいえない。規範=制度が機能して戦争を引き起こす。規範=制度は大きな集団を統合完結するためのもので、その機能を拡大しようとして戦争になる。閉じるために大きくなろうとする。大きくなって閉じようとする。
あるいは、集団の統合完結を脅かされそうな不安を覚えて侵略してゆく。統合完結しようとするから不安を覚える。
この社会の規範=制度が戦争を引き起こしているのであって、人間の本性によってではない。
人間の本性は、たがいに完結できない場に立って連携してゆくことにある。ときめいてゆくことにある。そのようにして人類の集団は大きくなってきた。
大きくなってから規範=制度が生まれてきた。つまりそういう歴史は、日本列島においては大和朝廷の成立以降のことであって、弥生時代奈良盆地においてはまだそういう規範=制度は機能していなかった。機能していたら、まわりの地域から人が集まってきて大きくなってゆくという動きは起きない。
人類の集団は、規範=制度によって大きくなってきたのではない。規範=制度を身につけながらだんだん大きくなってきたのではない。大きくなってから収拾がつかなくなり、規範=制度が生まれてきた。
言い換えれば、収拾をつけようとはしなかったから、大きくなってきたのだ。
弥生時代奈良盆地の都市集落は、規範=制度などない場の「なりゆき」で、ときめき合い連携しながら大きくなってきた。



弥生時代初期の奈良盆地は一面の湿地帯で、ところどころに浮島のような小高い台地があり、そこに小集落をつくってめいめいが住み着いていった。
小集落の単位で住み着いてゆくのが、この国の縄文時代以来の伝統だった。
彼らは大きな集団をつくろうとする意識などなかったが、小集落だけでは暮らしを完結させることができないために、自然にまわりの集落との連携がうまれてきた。
日本列島の住民は、完結した大きな集団の中で自足して暮らしてゆこうとする意識が希薄で、完結できない小集団どうしが連携してゆくという流儀で歴史を歩んできた。
完結した大きな集団は、規範=制度によって運営されてゆく。
それに対して完結できない小集団は、規範=制度を持たないまま「なりゆき」で運営しつつ、他の集団と連携してゆく。
集団として完結しようとするメンタリティが希薄なのが日本列島の伝統である。だからわれわれは西洋人のような公共心がないし、自分たちの国に対するアイデンティティの意識が薄く、外国人による日本批判を「ああそうか」とかんたんに受け入れたりする。
日本列島の住民は、自分が属する集団に対する意識を、完結した国家のレベルではなく、完結できない「村」という小集団のレベルに置いている。
会社だって、まあ一つの「村」にちがいない。
完結できないで「なりゆき」にまかせてゆくのが、日本列島の伝統的な作法である。
基本的に縄文・弥生時代は、「くに」として完結してゆくための規範=制度のない社会だった。
日本列島の住民は、個人においても集団においても、完結しないで「なりゆき」まかせであろうとする。完結しないところで、日本的な連携が生まれてくる。



弥生時代のはじめの奈良盆地はほとんどが湿地帯で、ところどころに浮島のような干上がった台地があるだけだった。
とうぜん、農業ができるような場所でもなかった。それでも周辺からたくさんの人がやって来てそこに住み着いていったのはもう、山の景観に魅せられたからだということ以外に考えられない。
そうして、けんめいに干拓しながら農地を切り拓いていった。また、そのころの乾燥寒冷化してゆく気候によって自然に干上がってゆく場所もあった。
弥生時代奈良盆地の人々と山との関係は深い。
ほかにも、天香久山をはじめとする大和三山という親しみ深い姿をした山もある。
彼らは、奈良盆地の山の景観を眺めながら、「もうここで死んでもいい」という感慨に浸っていった。彼らは、誰もが旅人だった。その旅人が住み着いてゆこうとするからには、そういう感慨があったはずである。
そのころの人々にとって山は、この生の「形代」だった。そういう山に対する切実な思いは、現代人にはわからない。人の心は、われわれが考えるよりもずっと自然環境に左右されている。



縄文時代に、人が住める平原はなかった。平原はすべて湿地帯だった。
弥生時代になって盆地の平原が干上がってきたことによって、人々は山を下りてきた。
日本列島の住民は、弥生時代になって、はじめて平原に住みはじめた。平原に住みはじめたから、大きな都市集落があちこちに生まれてきた。
「大和は国のまほろば」というときの「まほろば」とは、「平原」という意味である。
そのころ、奈良盆地ほど美しい景観を持って奈良盆地ほど広い「まほろば」は、ほかになかったらしい。
その広い平原に馴染んでゆくことができたのも、美しい山の景観があったからだ。
奈良盆地にはひとびとがみずからの生を託すことができるほどの景観があったし、共同体として閉じてゆこうとするような政治支配もなかったから、野放図にふくらんでゆくことができた。
奈良盆地ほど人が集まってくる場所もなかった。



現代人が国家として完結することや社会として成熟することを目指しているとすれば、弥生時代奈良盆地の人々は完結しない小集落どうしの連携を生きていただけで、「くに=世間」はうとましいものだという感慨があった。
この国には「憂き世」という感慨の伝統がある。
弥生時代奈良盆地には、「くに」として完結してゆくための規範=制度も階級も存在しなかった。
歴史家はかんたんに弥生時代には階級が生まれてきていた、というが、そんな社会を人々が望むだろうか。階級のない縄文時代の1万年を生きてきた人々が、そうかんたんにそんな社会をつくってしまうだろうか。
おそらく人類が原始的な共産社会から階級社会に移行してゆくためには、それなりの道のりはあったはずである。
弥生時代になって農業をはじめたらすぐ持つものと持たざるものの階級が生まれてきたと歴史家はいうが、そんな簡単なものではないだろう。そんな社会など、ほとんどの人々が望んでいなかったはずである。
この国の農村では、現在でも、誰かがひとり勝ちするのを止めようとして足の引っ張り合いをする傾向がある。それは、非階級社会の伝統なのだ。彼らは、みんなで貧乏しよう、という意識で歴史を歩んできた。
まあ世界的な歴史の流れとして、やむなく身分制度ができていったとしても、それなりに時間はかかったにちがいない。大陸であれ日本列島であれ、100年か200年ですぐ階級社会になるはずがない。
しかも奈良盆地の場合は、まわりの集落との緊張関係があったわけでもなく、支配者があらわれて共同体として閉じてゆくべき契機はなかった。
誰が好きこのんで階級社会になんかなるものか。そして日本列島の住民は、世界でいちばん長く階級のない社会の歴史を生きた民族であり、そうかんたんには階級が生まれてこないところこそ日本的なのだ。
土地の私有などなく、みんなで働いて収穫している社会で、いったい誰がどのようにして独り占めできるというのか。
みんなで「なりゆき」のままにやっていただけである。
だからこそ「くに」は鬱陶しいものだ(=憂き世)という感慨になる。
日本列島の住民は、支配者を恨んだり階級が上位のものを妬んで「憂き世」といっているのではない。もともと支配者も階級も存在しない歴史を1万年以上続けてきた民族なのだ。われわれが「憂き世」という感慨を抱くのは、この国の社会の構造として、「なりゆきまかせ」の安定・完結しない性格を持っているからだ。しかしだからこそ、人と人がときめき合い連携してゆく社会にもなっている。
大陸の階級社会の住民の方がずっと国家に対する愛着や公共心を持っているし、ひとりひとりが強い自我を持っている。しかし彼らは、その強い自我のせいで日本列島ほど巧みな連携プレーができないし、日本列島のように何もかもかんたんに受け入れてしまうということもしない。
まあいまどきは日本列島も大陸のようなそういう国になろうとしているが、そうかんたんにはおそらくなれない。
われわれはいま、大陸的な強い自我を持と問うとする心と、日本的なあいまいな自我による「嘆き」との二つの心の動きに引き裂かれている。
とはいえ「嘆き」は、人類の普遍的な属性であろうと思える。
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