神はこの世界をつくったか?「漂泊論B」68



日本人は、「やおよろずの神」などといいながら神という概念をもてあそんでいるだけで、神という概念を知っているわけではない。
古代人が天皇を神として祀り上げていたとしても、天皇がこの世界をつくったとは思っていなかった。
天皇はたんなる「神の形代(かたしろ)」であって、神そのものは誰も知らなかった。
弥生時代以前の日本列島に、神という概念はなかった。
神とは、規範である。神がこの世界をつくったという意識は、人類が規範=制度に対する意識に目覚めたところから発想されていった。
「この世界をつくる」とは、どういうことだろう。僕は日本人だから、そういう力のはたらきというのが、まったくわからない。
「つくる」とは、どういうことなのか。
もしもこの世界のしくみが全部わかったとしても、世界が何ものかによってつくられたなんて、とうてい信じられない。
遠い昔にビッグバンが発生して現在の宇宙がこのようなかたちになっていることが最初から決まっている必然的なことだったとしても、それがどうしたというのか。何ものかが決定していたとでもいうのか。
この先1000億年先まで宇宙がどうなってゆくか全部わかったとしても、そうなってゆくというだけのことで、誰かがそうしているわけでもあるまい。
神がこの世界をつくったなんて、制度意識なのだ。現代人はすでにそういう想像をしてしまうような意識になってしまっているが、それでも僕は、あえていう。そんなことはぜんぜんわからない、と。
そんな想像なんて僕にはとてもできない、と、あえていっておく。
「つくる」とはどういうことか。ぜんぜんわからない。
神がこの世界をつくった、なんて、ものすごく傲慢な発想だと思う。神が傲慢なのではなく、そう発想する人が傲慢なのだ。



古代の日本列島の住民はこの世界をつくった神を知らなかった。だから「神」という概念が大陸から入ってきたとき、神の「形代=身がわり」を立てるというかたちでそれを受け入れていった。
山とか森とか岩とか、まあイワシの頭にいたるまで「やおよろずの神」などといい、それらはすべて神の「形代=身がわり」としてイメージされていったが、神そのもののなんたるかは知らなかった。
「なりゆき」の文化を生きてきたものには、「この世界をつくった神」という思考は、すぐにはできなかった。
しかし、だからこそなんでも神の「形代=身がわり」にすることができた。
「形代=身がわり」の文化。神のことだけでなく、日本列島の住民はすべてにおいてこのような思考の仕方をする。
だからわれわれは、外国人から猿真似の文化だといわれなければならないのだが、「形代」は、ただの模倣(イミテーション)ではない。同じであって同じではないところに「形代」の妙=本質がある。
日本人は、外国から入ってきたものを、必ずデフォルメしてしまう。なんでもかんでも受け入れるが、そのままでは受け入れない。
ただのパクリとかイミテーションなら、韓国や中国の方がずっと上手で盛んである。
「形代」は、そういうことではない。
たとえば盆栽は、自然の模倣(イミテーション)ではなく、自然であって自然ではない「形代」である。ただの猿真似ではない。
日本的な「形代(かたしろ)」の思考とは、「類推・類比=アナロジー」のことであり、じつは人間の普遍的な思考のかたちのひとつなのだ。
思考の飛躍とか展開によって「形代」がイメージされている。
鉢植えの盆栽を眺めながら深山幽谷大自然をイメージしてゆくなんて、まさに思考の飛躍であり展開ではないか。人間はそういう「類推・類比=アナロジー」の思考を持っており、それによって文化や文明が発達してきた。
まあ盆栽だって、日本列島においては神の「形代」である。



山であれ森であれ岩であれ、そこに「神が棲んでいる」のではない。日本列島の住民は、そんな「神」など知らない。山や森や岩それ自体が神であると同時に神ではないところの神の「形代」なのだ。
もともと「神」などというものを知らない民族が「神」という概念を受け入れるためにはそういう「アナロジー」の思考が必要だったし、アナロジーの思考を持っているからかんたんに受け入れてしまうことができた。
日本列島の住民が山や森や岩を神の「形代」にしているということは、もともと「神」という概念など持っていなかったことを意味する。持っていたら、そんな「形代」などイメージする必要がない。直接「神」をイメージすればいいだけである。
「神が棲んでいる」というイメージは、仏教に合わせて仏教風の世界観で思考していった結果にすぎない。
縄文人は、1万年のあいだ、山の中に棲んでいたのである。そこが、ふだんの暮らしの場だったのだ。それで、神が棲んでいるもくそもないではないか。縄文人縄文時代の記憶が残っている弥生人が、そんなことを思うはずがない。
古代にはまだたくさんの人が山の中に住んでいたのであり、奈良時代には山から下りてきた「ほかいびと」から山の暮らしの話を聞いて楽しむ習俗があった。
彼らは、ただもう直接的に山の自然に対する親密な感慨を持っていたのであり、その親密な感慨はわれわれ現代人の中にも残っている。



「神」を知らないから、山に対して親密になれる。「神」を知っていたら、「神」に対する思いの方が先に立つ。
「山には神が棲んでいる」というなら、それは「神」に対する思いであって、山に対する思いではない。
人間は、ヒマラヤとかアルプスのような人を近づけない急峻な岩山を眺めたときに、はじめてそこに「神が棲んでいる」とか「おそろしい魔物が棲んでいる」と思う。
日本列島の山々はそういう山ではない。人が棲める山である。せいぜい遠野物語のような山人との交流の話が生まれてくるだけである。
遠野物語の山は、けっして人を近づけない山ではない。村人はどんどん山に入ってゆく話である。ほんとうは、神が棲んでいるなどとは思っていない。
日本列島の住民はただ、山の眺めそのものを「神の形代」として愛でてきただけである。山に神が棲んでいると思っていたのではない。山そのものが神であって神ではないところの「神の形代」だった。神という存在がどういうものかよくわからないから、そのようにしか思いようがなかった。



人間の心は、異質な他者や異質な文化を受け入れることができる構造を持っている。まあこのことはいろいろ考えるべきことがあるのだが、とにかく、神がこの世界をつくったとは思わずすべては「なりゆき」で起きたことだと思えば、受け入れることができる。新しい文化も季節が春から夏に変わるようなことだと思えば受け入れることができる。
相手の文化は相手がつくり、自分たちの文化は自分たちがつくったと思えば、受け入れたくなくなる。「神がこの世界をつくった」と思っている人たちは、そういう発想をする。
しかし日本列島の住民は、自分たちの文化でさえ自分たちがつくったとは思わず、たんなる「なりゆき」で生まれてきたものだと思っている。自分たちの文化でさえ、自分たちのものだとは思っていない。
人間の他者との出会いのときめきは、「神が世界をつくった」などとは思っていない心の位相で起きているのだ。これが、異文化を受け入れる、という作法である。
日本人であれ西洋人であれ、人が異文化にときめいて受け入れているときは、神のことなど忘れている。



「神が世界をつくった」という思考なんか、ただの所有意識なのだ。
しかし古代の日本列島の住民だって所有意識が芽生えて規範=制度を持った共同体をいとなむようになってくれば、神という概念がどれほどありがたく便利なものかということもわかってくる。そうして、「神の形代」としてそれを受け入れていった。
やがて大和朝廷の発生とともに「神がこの世界をつくった」と信じるようになっていった。それはもう、歴史の必然だともいえる。人類の観念と遺伝子は、早晩世界中に伝播して混じり合ってしまう。
しかしそれでも人は、世界をつくった神のことなど知らない「なりゆき」の心で世界や他者にときめきつつ、この生のカタルシスを体験している。そういうもうひとつの心を誰もが持っているのだ。
日本列島の住民は、そういう神を知らないもうひとつの心で神という概念を受け入れていった。それが、山や森を「神の形代」として認識してゆく作法だった。
日本列島の住民は、どうしても神を知らない心を手放せない。
そして、西洋人だって、神を知らない原初的根源的な心をすっかり失ったわけではない。失っていないから、芸術や学問すなわち美意識が存在する。
しかし西洋は、美意識(芸術や学問)の上に神が存在するという規範の意識を置いている。
それに対して日本列島では、美意識で、大陸から入ってきた神が存在するという規範の意識を受け入れていった。
大陸では、神が存在するという規範の意識を自分たちでつくっていった。そういう意識が生まれてくるような状況が早くからあった。
だが日本列島では、神を知らない美意識が洗練されてひとり歩きしていったあとから、借り物として神が存在するという規範の意識を受け入れていった。
この二つの心の関係というか兼ね合いは、ちょいとややこしい。
いずれにせよ、人間は、どこかしらに神を知らない心の動きを抱えている。
西洋人のすべてがまるごと神の存在を信じているというわけでもあるまい。ただ彼らは神が存在するという前提の社会の中に置かれているというだけのことであり、この国はいまだにそういう前提の社会をつくることができていない。それは、縄文時代から弥生時代へと、神を知らないもうひとつの心で社会をいとなむ歴史を長く続けてきてしまったからだ。



美意識は、世界が新しく鮮やかに立ち現れてくる体験の上に成り立っている。それは、西洋人であれ日本人であれ、世界をつくった神の存在を知らないもうひとつの心のもとで起きている。つまり、この世界が何ものによってもつくられないたんなる「なりゆき」の現象であるという思い(認識)の上に起きている。
たんなる「なりゆき」だと思うからこそときめくのだ。ときめくから、人と人は連携してゆくのだ。弥生時代奈良盆地は、そういう連携のダイナミズムで大きくなっていった集団であって、規範=制度によって束ねられた共同体(国家)という集団ではなかった。
まあ世界中どこでも、共同体(国家)が生まれてくる前にはそういう段階があったのだ。
日本列島は、そういう前段階を長く続けて共同体(国家)の発生がとても遅れたところに、幸運も不運もある。
だから日本列島では、共同体(国家)のかたちも神という概念の認識の仕方も、世界的にはやや変則的になってしまっている。
阪神淡路大震災東日本大震災のときに、日本列島の住民がたいした混乱も起こさずに粛々と連携していったことには、世界中が驚いていたらしい。
それは、神を知らない民族の連携だった。そのとき、「略奪してはならない」とか「連携しなければならない」というような「規範」がはたらいていたのではない。ただもう、人間の自然として止みがたく人々がときめき合っていっただけである。
キリスト教ユダヤ教は、「略奪してはならない」という規範=戒律によってその行為を防ごうとしている。
それに対しして規範=戒律が希薄な日本列島では、ただ「ときめき合う」というそのことによってその行為が回避され、ダイナミックな連携が起きる。
それは、神を知らない民族の集団性なのだ。そういう集団性で弥生時代奈良盆地の集団がいとなまれていた。
あの震災でわれわれ日本列島の住民は、縄文・弥生時代に先祖がえりしたのだ。
われわれは、神を知らない民族なのだ。このことは、何度でもいいたい。
少なくともこの島国の伝統においては、「神がこの世界をつくった」などというものいいは、とても下品で卑しいことなのだ。
「神がこの世界をつくった」ということが真実か嘘かということなど僕は知らない。ただこの国の美意識の伝統においては、そんな立場に立ってものをいうことはとても下品で卑しいことであり、そんなことを心底信じることができる基盤をわれわれは持っていない、ということだ。
ひとまず観念的表層的に「神がこの世界をつくった」と信じるのはかんたんなことだが、この国の伝統としてわれわれの胸の底に疼いている美意識や生命観や世界観や無意識的な行動原理は、そこにはない。
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