2012-07-01から1ヶ月間の記事一覧

「漂泊論」・51・ナルシズムの正体

1・じつは、誰も自分の姿を把握していない 承前 知性とは、この世界の裂け目に立つ心である。 日本列島の古代人や原始人は、思わず「あ」とか「わ」という音声がこぼれ出るこの世界の裂け目に「吾=私=自我」、すなわち「人間」を発見した。 現代人にこん…

「漂泊論」・50・旅に出るとは「消えてゆく」ということ

1・知的な人は、あんがい子供である 「気づく」という心の動きは、そこに「自我=自意識」がはたらいているから起きる。日本列島の古代人(あるいは原始人)は、そのことを知って「あ・わ」という音声を「私=吾」という意味の言葉にした。 もちろんそのと…

「漂泊論」・49・「私」という意識の起源

1・根源的な自我=自意識は、「けがれの自覚」として発生する 「私」という意識、すなわち自我=自意識。しかしそれと「自己愛」とはまた別のものだろう。 と思うのだが、世間ではあんがいこの境界はあいまいで、ただの自己愛でしかないものを人間性の基礎…

「漂泊論」・48・キャッチボールの恍惚

1・それは、コミュニケーションじゃない 多くの人は、キャッチボールの醍醐味の本質は、相手のことがわかり自分のことをわかってもらう「コミュニケーション」にある、と思っているらしい。 そうじゃないのだ。そんな関係は、たがいの自己愛や権力欲をまさ…

「漂泊論」・47・自己愛の行方

1・自己愛という制度性 いじめのことは気が重いから書きたくないのだが、内田樹先生が書いていて自分は書かないというのは、何か気がとがめる。そして、あんなふうにすっきりと解決策があるかのようにいって「ドヤ顔」をされると、むかむかする。 この国の…

「漂泊論」・46・別れの坂道

ちょっと閑話休題。 京都に、「蹴上(けあげ)」という地名がある。 東山の外れにあって、京都の内と外の境界のようなところである。ここの坂道を登って山科から琵琶湖方面に抜けてゆく。 ちなみに、やまとことばとしての「山科(やましな)」は、山の中の静…

「漂泊論」・45・進化の契機

1・世界に色がついていることの不幸もある 人間だって猿になるずっと以前の大昔は色盲で、この世界はモノクロームに見えていたのだろう。 では、どのようにして色彩の世界を手に入れたのか。 こういうことを考えるとき、凡庸な生物学者は決まって「モノクロ…

「漂泊論」・44・ミラーニューロン、だってさ

1・それによって関係性の本質が解き明かせるか? J・ラカンの「鏡像段階」という概念と、脳科学者が「ミラーニューロン」という言葉を使うのと、何か関係があるのだろうか、ないのだろうか。 ミラーニューロンとは、他者と「鏡像関係」になる神経細胞のこ…

「漂泊論」・43・やっぱり「鏡像段階」というのは嘘だと思う

1・「ある」と「ない」 人間がこの世に生まれおちて最初に意識するのは、みずからの身体の「物性=ある」ということかもしれない。体内ではそんなことは意識していなかった。意識がなかったのではない。そこは、「ある」も「ない」もない世界だった。そうい…

「漂泊論」・42・本能とは、消えようとする衝動のこと

1・「けがれ」の自覚とセックス ついでだから、セックスのことも書いておこうと思う。 セックスのときの女の快感の深さは男の何倍だとか何十倍だとかとよくいわれる。 それは、女の方がそれだけ身体の物性に対する鬱陶しさを男よりもずっと深く抱えているか…

「漂泊論」・41・「ものぐるい」という「けがれ」

1・女の中の混沌 さっき思いだしたのだが、日本語の「もの」という言葉の根源的なニュアンスをもっとも色濃く持っているサンプルとしては、「ものぐるい」という言葉を上げることができるのではないだろうか。 「もののあはれ」の「もの」は、おそらく「も…

「漂泊論」・40・「わからない」という場から生きはじめる

1・詐欺師の素質 青信号は進めで赤は止まれということならまだなんとかわかるが、あの人はいい人か悪い人かということなど、そうかんたんにはわからない。世の中にはそういうことをじつにかんたんに決めつけてしまう人もいるが、ほんとうは誰にもわからない…

「漂泊論」・39・「わからない」という荒野

知性とは、「わからない」という場から「わかる」という場にたどり着く運動であるのではない。「わかる」ということの「けがれ」を自覚して旅立ち、「わからない」という荒野にさまよい出る運動である。 だから、真に知的な言説は、「それはこうだよ」と結論…

「漂泊論」・38・制度性から旅立つということ

1・おまえらだけが無傷というわけにいかないし、おまえらのその頭の悪さはなんなのだ 僕が、内田樹先生とか上野千鶴子氏とか吉本隆明氏とかもろもろの人類学者とかの既成の研究者・知識人を「おまえらみんなアホだ」といって批判するとき、この世のいじめら…

「漂泊論」・37・幻滅を知らない世代

1・正義ぶって人格者ぶって、何をえらそうなことを 人をさげすんでいるのはいったいどっちだ。おまえらが清廉潔白だとでも思っているのか。 僕がなぜ「生きはじめる場」ということにこだわるかというと、自分がすでに生きて存在してしまっていることがなぜ…

「漂泊論」・36・旅立つこととたどり着くこと

1・生きはじめる場 現代社会は何かが変だ、と誰もが思っている。 社会的に成功して何不自由なく生きている人でも、何かしらこの社会の状況を嘆く発言をしている。 人間は、嘆く生き物だ。嘆くとこところから生きはじめる。 現在の状況を嘆いているからこそ…

「漂泊論」・35・おまえら大人はいい気なものだよ

1・人類の変種 漂泊とは、即興性のことだ。即興性でさまよう旅のことを、漂泊という。日本列島の伝統においては、生きてあることはひとつの漂泊の旅であった。 それに対して、欲しいものが手に入るということは予定調和の自己完結・自己確認の物語である。 …

「漂泊論」・34・ギャルファッションの世界性

1・非合理的な日本文化 「ジャパンクール」として世界に発信されているマンガやファッションの中でも、とりわけ日本的であるのは、どんな傾向の作品だろうか。僕はその辺の事情はまったく知らないのだが、以前のようなたんなる異国趣味として珍しがられてい…

「漂泊論」・33・進化という漂泊

1・人間は猫よりも自分のことを知らない 人間ほど自分を忘れて世界や他者に向けてときめいてしまう生き物もいない。 世間的には、「他の動物と違って人間だけが自分を知っている」という人間理解が通り相場なのだろうが、じつは、猿や猫の方がずっとよく自…

「漂泊論」・32・生きはじめる場

1・終戦直後の状況を語る常套句 「生きるための戦略」などという。 終戦直後の日本社会は貧しかったが生きるための戦略とエネルギーにあふれていて、それが奇跡的な戦後復興につながった……一般的には、そんな言い方がよくなされる。 「貪欲なまでの生への希…

「漂泊論」・31・生活主義と家族主義

1・他人の気持ちがわかるという病理 「けがれの自覚」は誰の中にもある。 「けがれ」という言葉はなんだかドメスティックだが、人間性としてのこのことにアメリカ人も中国人もドイツ人も変わりがないはずである。 ただ、人は、それを意識の底に封じ込めて、…

「漂泊論」・30・けがれの自覚

1・現代社会では、なぜ「けがれの自覚」が希薄なのか 本居宣長は「もののあはれ」を問題にしたのではなく「もののあはれを知る心」のことを問題にしたのだ、と小林秀雄はいっている。 「けがれ」のこともまた、日本列島では、「けがれ」そのものよりも「け…

「漂泊論」・29・けっきょく戦後社会の問題なのか

1・子供の心を囲い込もうとするな マインドコントロール、という。 精神を病むということは、何かにマインドコントロールされてしまっている、ということだろうか。そうやって親や社会に囲い込まれて子供の心が病んでゆくのだろう。 内田樹先生は、「大人に…