2008-10-01から1ヶ月間の記事一覧

内田樹という迷惑・仏教

最近見つけた「M」氏と「H」氏のブログが、気になっています。 彼らは、仏教の原典と格闘し、「現在」という歴史と格闘している。 彼らは、「ああ、人間とはこんな生き物だったのか」と気づく体験として、仏教の原典や「現在」と格闘している。 学問とは、ほ…

内田樹という迷惑・戦後の風景

ほっとけばいいだけなのに、どうしてそんな風にくそまじめに反応してしまうのか、相手の思うつぼじゃないか、と人から言われました。 昨日寄せられた迷惑なコメントのことです。 まったく言われるとおりで、われながらいやになります。せっかく「神」と「遊…

内田樹という迷惑・「かみ」と「ことだま」

原始時代の男女は犬や猿みたいにくっ付きあっていただけで、現代人のような恋愛感情はほとんどなかった、と考えている人は多い。人類学者でさえ、たいていそう思っている。 それはたぶん、間違っている。 現代ほど、恋愛の成立しにくい時代もない。 相手の稼…

内田樹という迷惑・「自尊感情」について2

団塊世代をはじめとする戦後世代は、大人たちに甘やかされちやほやされて育った世代です。それは、敗戦の記憶や反省を引きずった大人たちに、自信がなかったからでしょう。彼らは、子供たちに対して、戦後の廃墟から子育てを始めることに、少なからず後ろめ…

内田樹という迷惑・自己意識と自他意識

「人間とは自己意識である」と内田氏はいう。 つまり、自分とは何かということをああだこうだとまさぐるのが人間の本性である、そうやってわれわれは自分にこだわりながら生きている、と言いたいらしい。 こんなもの、たんなる内田氏個人の観念的な傾向であ…

内田樹という迷惑・「自尊感情」について

内田さん、あなたはつねづねこう語っておられます。 「現代社会の喫繋の課題は、家族の絆を打ち固めることにある」、と。 社会をよくしたいのですね。けっこうなお志だこと。 しかし僕にとっては「どうすればよいのか」という問題はありません。人々はどうし…

内田樹という迷惑・ハードボイルド

村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」という小説は、ほんとにおもしろかった。僕も人並みに、ぐんぐん引き込まれて、一気に読んでしまった。 そこで思うのだけれど、この小説のタイトルに、村上春樹が「ハードボイルド」という言葉を使…

内田樹という迷惑・労働という概念の発生2

およそ50万年前の氷河期、原初の人類は、陸続きになったドーバー海峡を渡ってイングランド島という極北の地にたどり着いた。ここから先はもう、人間が住めない氷の世界だった。 50万年前から2万年前までのヨーロッパに生息していたというネアンデルタールの…

内田樹という迷惑・労働という概念の発生

700万年前に直立二足歩行をはじめた人類にとって、生きることはただの「遊び」だった。 生きるといういとなみをただの「遊び」に変えてしまったのが、直立二足歩行だった。どんなにつらくても、それは、ただの「遊び」だった。生きるいとなみとしての食うこ…

内田樹という迷惑・若衆宿の伝統

「あそぶ」とは解き放たれることであり、「労働」は閉じ込められることである、という言い方もできるかもしれない。 閉じ込められるから苦痛だとはかぎらない。 母親の胎内にあることのまどろみ。 お母さんに抱かれておっぱいを吸っていることの充実。 家の…

内田樹という迷惑・ルサンチマン

階層化社会は、「対立」から生まれてくる。 上の階層が下の階層を圧迫するからではない。下が上を突き放すのだ。 階層化社会は、下からつくられてゆく。 現在のこの国では、勉強のできないものが、勉強を拒否する。そんなことは、できるやつが勝手にやってく…

内田樹という迷惑・イギリスの高慢と偏見2

50万年前の氷河期、最初にイングランド島に住み着いていった人々は、誰もが群れからはじき出された「あぶれもの」だった。 しかし極寒の地では、群れをつくらないと生き延びることはできない。 「あぶれもの」どうしが、たぶんそのころでは人類でもっとも…

内田樹という迷惑・イギリスの高慢と偏見

人類が最初にイングランド島にやってきたのは、約50万年前の氷河期である。海面が低下して陸続きになったドーバー海峡を渡ってきたらしい。 氷河期になると、気温が低くなって雲がわいてこないから雨が降らなくなり、そのために気候が乾燥化して、海面が200…

内田樹という迷惑・五人に一人

内田氏はこういう。もしもロックスターやセレブな人種になりたければ、そうなったときのことを微に入り細に入り徹底的に妄想しつづけることだ。そうしたら、夢はかならずかなう、と。 現代を代表する思想家が、こんな低俗なことを本気で信じているのですから…

内田樹という迷惑・泣き女

葬式のときの「泣き女」をばかにしちゃあいけない。 人類の葬送儀礼は、たぶん、女が泣きわめくところからはじまっている。女が泣きわめいたから、「埋葬」するということをおぼえたのだ。 「死者の霊」という概念を持ったからとか、そういうことじゃない。 …

内田樹という迷惑・村上春樹とノーベル賞

内田氏が、「村上春樹は世界的に人気があるからえらい」とおっしゃっておられる。だから、村上春樹の文学は「普遍的」で、とうぜんノーベル賞をもらうべきだ、と。 村上春樹をどう評価するべきかは文学通でもない僕にはよくわかりません。しかしねえ、世界的…

内田樹という迷惑・階層社会

人間社会の「階層」というのは、どのようにして生まれてきたのだろうか。 最近この国でも「階層化社会」などということがさかんに言われてきているらしく、ひとまずこのことを考えてみます。 人間が共同体をつくって生きてゆくとき、階層間の緊張は、生きて…

内田樹という迷惑・あそびとなげき

「あそぶ」とは解き放たれることであり、「労働」は閉じ込められることである、という言い方もできるかもしれない。 閉じ込められるから苦痛だとはかぎらない。 母親の胎内にあることのまどろみ。 お母さんに抱かれておっっぱいを吸っていることの充実。 家…

内田樹という迷惑・女にとって出産は労働であるのか

現在のこのブログにおける内田批判の肝は、内田氏のいう、 「人間の本性は<労働=献身>することにある」とか、 「<成熟>することが<人間になる>ということである」 などという主張をしっかりと突き崩すことにあります。 それができなければ、ここまで…

内田樹という迷惑・むすぶ

古事記によれば、この世界のはじまりは、天に「むすびのかみ」が現れたことにあるのだとか。 「むすび」だなんて、変な言葉づかいです。 相撲の最後の取り組みのことを「むすびの一番」という。式の最後は「むすびの言葉」で締めくくられる。 「むすび」とは…

内田樹という迷惑・「なげき」についての雑感

「嘆き」は、手離さないほうがいいと思う。 「嘆き」を携えているから、世界は輝いて見えるのであり、心がときめくのだ。 それじたいとして輝いている世界などない。 山は動かない。しかし、山が動いて見えることはある。そのとき、「あ、あの山は神だ」と古…

内田樹という迷惑・「かみ」の名について

やまとことばは、まぎらわしい。 「端(はし)」と「橋(はし)」と「箸(はし)」・・・・・・言葉が伝えるための道具であるなら、こんなまぎらわしいことはあってはならない。だがこの三つの言葉の音韻は、いずれも「二つのものがつながってゆく契機としての危う…

内田樹という迷惑・文学の起源

中沢新一氏は、日本列島の文学の起源は、旅芸人の語る「なぞなぞ」の話にある、というようなことを言っています。 くだらないと思う。学者という人種は、どうしてこんなのうてんきでていどの低い発想しかできないのだろう。 ギリシア悲劇に、スフィンクスの…

内田樹という迷惑・わかれうた

ネアンデルタールは、どうやら「たれ目」だったらしい。 発掘された彼らの頭蓋骨の写真を見ていると、どうしてもそう思えてくる。 目の部分の空洞が、まさしくそんなかたちになっている。 そりゃあそうだろう。極寒の地で50万年も泣き暮らして生きてくれば、…

内田樹という迷惑・迷信

古代人が「かみ」という言葉を生み出した体験は、宗教体験ではない。宗教が生まれてくる「契機」となる体験だったのだ。 「輪廻転生」がどうだとか「生まれ変わり」がどうだとか、そんな現代人のごときまがまがしい宗教体験とは違う。 それは、「かみ」とい…

内田樹という迷惑・かみ

「神(かみ)」という言葉の語源について考えてみます。 日本で最初に「かみ」と表記した「古事記」の編者太安万侶は、中国大陸の「神」という文字をそのまま使うことを避けて、「迦微(かみ)」と書いた。 中国の「神」という言葉は絶対的な尊厳や力の意味…

内田樹という迷惑・命のはたらきと遊び心

命のはたらきとは「一生懸命」のことである、と誰かが言っていた。あほらしい、われわれはもう、そんな低俗で制度的な物語にはだまされない。 命のはたらきは、「労働」ではないのだ。 命のはたらきのことを、「ホメオスタシス」というらしい。 体の中に異物…