内田樹という迷惑・「かみ」と「ことだま」

原始時代の男女は犬や猿みたいにくっ付きあっていただけで、現代人のような恋愛感情はほとんどなかった、と考えている人は多い。人類学者でさえ、たいていそう思っている。
それはたぶん、間違っている。
現代ほど、恋愛の成立しにくい時代もない。
相手の稼ぎや身分や姿かたちの美しさなど、そういう損得勘定でくっ付いて、それが果たして恋愛といえるのか。当人たちがしたつもりでいるだけのことだろう。恋愛にそんな損得勘定が紛れ込んできている現代こそ、史上もっとも恋愛の成立しにくい時代であるともいえる。
恋愛とは、胸がときめくことだ。だったら、よけいな損得勘定のない原始人のほうが、ずっとおおらかにダイナミックに胸をときめかせていたのかもしれない。
恋愛は、損得勘定や知能指数でするものじゃない。相手がいい女(男)かどうかと吟味することでもない。
つまり、正しく認識することではなく、認識が飛躍してしまうことだ。
相手の存在そのものの気配に驚きときめくこと、それは、正しく認識することのできる知性によるのではなく、認識が飛躍してしまうような生きてあることのいたたまれなさを胸に抱えているかどうかの問題だ。そういう「なげき」の問題だ。
胸の奥の「なげき」が、恋愛を体験させる。思春期になると、そういう「なげき」がめばえてくる。そしてそれは、人間が直立二足歩行をはじめたときから付き合ってきた感情であり、現代ほど便利な文明を持たなかった原始人の「なげき」のほうがずっと深かったはずである。
よく中学生の初恋を、大人たちは「ままごとみたいな」という言い方をする。冗談じゃない。あなたたちの誰が、彼らのように、せつなく胸がきゅうんとときめくという体験ができるというのか。
大人たちのしていることのほうが、擬似的な恋愛にすぎない。
「彼女を幸せにします」だってさ。そんなものは恋愛感情でもなんでもなく、人生の価値とやらを生産しようとする、ただの労働意欲にすぎない。
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「あなた」の本質は、「あなた」の美しさや立派さにあるのではない。「あなた」がこの世に存在しているという「事実」の中にある。われわれは、その事実に向かって驚きときめくことができるか。そういうときめきを、恋愛感情という。
同様に、古代人の神に対する敬虔な感情は、神の尊さや清らかさを認識することにあるのではなく、神(の気配)が存在するという「事実」に対する信憑の問題にほかならない。
本居宣長の「古事記伝」は、神の名に対する詳しい注釈からはじまっている。彼はそこに、古代人の「神」や「言葉」に対する意識が凝縮してあらわれている、と判断したからだ。
オモダルアヤカシコネの神は、日本列島をつくる準備の最後の仕上げをした男女の天の神である。そうしてイザナギイザナミの神を産み、この二柱のまぐあいによって日本列島の「国産み」が実現した。
そこで、「本居宣長」を書いた小林秀雄は、こう語っている。
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要するに、オモダルアヤカシコネの神の出現という出来事に、古代人の神の経験の性質が、いちばんわかり易く語れていると宣長は考えた、と見てよいのだが、その神名の解によれば、この経験の確信をなすものは、―「その可畏(かしこ)きに触れて直ちに嘆く言(げん)」にあったとするのだ。これは、あきらかに「古(いにしえ)の道」と「雅(みやび)の趣」とは重なり合う、或は、「自然ノ神道」は「「自然ノ歌詠」に直結しているという、言いざまであろう。彼は、「物のあはれを知る心」は、「物のかしこきを知る心」を離れる事が出来ない、と言っているのである。我邦の歴史は、物のかしこきに触れて、直ちになげく、その人々の嘆きに始った、と古伝の言うところを、宣長は、そのままそっくり信じた。疑う理由など、何処にも見当たらなかったのも、彼がその歌学で見極めた、「すべての人の情(こころ)の自然のまことの有りのままなる所」が、これを保証していると考えていたからだ。
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宣長は、「アヤカシコネ」の意味を「その可畏(かしこ)きに触れて直ちに嘆く言(げん)」と注釈した。つまり、「オモダル」という絶世のいい男と出会ってすっかりいかれてしまった、と。この場合の「嘆く」とは、そういう恋愛感情のことらしい。
この、オモダルアヤカシコネという神の名に対する宣長の解釈は、かなり粗雑である。
オモダルの「オモ」は「面(おも)=顔」であるという。
「おも」の語源、すなわち「おも」という音韻にこめられた古代人感慨、あるいは「おも」という言葉が表現している本質は、「準備をする」ということにある、とは以前にすでに書いたところである。「面(おも)」はたしかに顔のことだが、顔は喜怒哀楽の表出を準備しているところ、という意味で「おも」というのだ。だから、言葉を準備するという意味で「思(おも)う」ともいうし、腹に力をいれて準備しないと持てないという意味で「重(おも)い」ともいう。
やまとことばは、単純に表面的な意味を説明しているだけの言葉ではない。その音韻が持つ感慨とともに、その表面化された意味の奥にそのことの本質を宿している。それを、「言霊(ことだま)」という。
「おも」という言葉に宿っている「ことだま」は、「準備する」ということだ。準備をしているときの落ち着かなさや探索する気持をあらわしている。
「たる」は「足る」、「完了」の語意。
オモダル」とは、準備を完了する、という意味。
べつに、「可畏(かしこ)さ」に溢れた絶世のいい男、という意味なんかじゃなかろう。そんな表面的な解釈は、英語のような「伝達」の機能を本領とする言葉の上でしか成り立たない。
宣長は、「オモダル」という言葉が宿している「ことだま」を取り出すことができなかったのだ。
そうして、準備が整えば、それでもういいかといえば、そうはいかない。準備が整ったということを祝福する必要がある。それで、すべての準備が終る。このへんが、古代人の心の動きの綾(あや)であろう。
田植えの準備が整えば「田植え祭り」をし、それから田植えをはじめる、それが日本列島の暮らしの流儀なのだ。
アヤカシコネ」とは、準備が整ったことのめでたさ、という意味。
「その可畏(かしこ)きに触れて直ちに嘆く言(げん)」だなんて、宣長は、オモダルのかしこさに触れて感嘆した神、というような注釈をしているのだが、これだって、「ことだま」に触れることができていない。感嘆するから「ことだま」だというのでは、あまりに短絡的過ぎる。
「あや」は「綾錦(あやにしき)」の「あや」。「変化」「多彩」の語意。すなわち「めでたさ」。
「ね」は「根(ね)=土」、すなわち「締めくくり」。
では「かしこき」とはどういう意味かといえば、尊いとかえらいというような解釈では、「ことだま」に届いていない。それでは、伝達の機能をなぞるだけのただの英語的解釈だ。
古代人は、嘆きを表現したのではない。嘆きは、「ことだま」として、言葉の背後に隠れている。
日本列島の住民が終ったことのめでたさを祝おうとするのは、命のはかなさを嘆く心の動きを胸の奥に宿しているからだ。はかない命であるのなら、ただのんべんだらりと生きるのではなく、せめてそのときそのときに点を打って生きてゆこうと思うからだ。
点、すなわちそのつど「結び目」を確かめてゆこうとするのが、日本列島の生きる流儀なのだ。
「かしこ」とは、終った、という感慨。「嘆き」は、その背後に潜んでいる。
「か」は、「かれ」「かなた」「かそけき」の「か」。遠いもの、かすかな気配を確かなもとして実感してゆく感慨の音韻。
「し」は、「静(しず)か」「締(し)め」「閉(し)め」の「し」。「静寂」「孤独」「終結」の語意。
「こ」は、「ここ」「どこ」の「こ」。場所を表す。
「かしこ」とは、たどり着いた遠くの場所のこと。
だから、手紙の最後に「かしこ」と書く。「たどり着いた」という感慨と「これで消えます」というメッセージがこめられている。そこに、日本的な風雅というか、「物のあはれを知る心」の趣がある。
「かしこき」は、終結の感慨。語源的には、「えらい」とか「尊い」というような意味ではない。「かしこい人」とは、「最後に勝つ人」という意味だ。現在でも「けっきょくそれが一番かしこいやり方だった」というような言い方をするではないか。
「かしこき」は、神の徳をあらわす言葉ではない。「かしこみたてまつる」というように、あくまで人間のがわの神に対する最終的な感慨や態度をあらわす言葉だったのだ。それを、いつの間にか「えらい」とか「尊い」という意味にまで広げて使うようになった。
宣長だって、この言葉につまずいている。どうやら江戸時代にも、すでに「かしこき」という意味の濫用は始っていたらしい。
宣長のこの解釈を受けて、現代のある歴史学者は、「オモダルが<うるわしき女よ>といい、アヤカシコネが<畏れ多いことを>と答えたことから、これらの神の名が生まれた」などと言っている。まったく、何を漫画みたいなことをほざいていやがる。大学教授なんて、ほとんどがこのていどのしろものなのだ。
「女は、最後に男の射精を受けながらオルガスムスに堕(お)ちてゆく」という意味で「アヤカシコネ」というのなら、なんとなくわからなくもない。射精することは、女が妊娠する準備を整えることで、女はそれを祝福しながら、最後の決意を固める。神々の準備の最後に、そういう人間くさいいとなみの用意をしたのが、オモダルアヤカシコネの神だった、というのなら話はわかる。
アヤカシコネ」という言葉にこめられた嘆き(=ことだま)は、その「終わりのめでたさ」という意味の背後に潜んでいる。べつに、あからさまに嘆いているのではない。嘆いてなんかいない。むしろほっとしてそのことを祝福している言葉なのだ。しかしその背後に、祝福せずにいられない嘆き(=ことだま)が潜んでいる。
嘆くことが、心の動きの本質なのではない。その基礎において「嘆き」を持っているのが心の動きなのだ。神の徳に触れて嘆くのではない。その基礎にある「嘆き」が、神の徳に気づき、驚きときめき、かしこみたてまつるのだ。
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「山」という文字は、象形文字である。われわれはその文字を見て、空に向かって土地が高く盛り上がっている場所のことを連想する。
しかしやまとことばの「やま」は、遠くのこの世とあの世の「間(ま)=境界=果て」という感慨をあらわしている。ここが世界のすべてであるという感慨、それが「やま」という言葉に潜んでいる「ことだま」である。山のかたちの説明なんか、なんにもしていない。
「かみ」という言葉は、文字のない時代に生まれた。人々は、言葉の意味を伝え合ったのではない。言葉にこめられた「ことだま」を響かせあうようにして語り合っていたのだ。
オモダル」「アヤカシコネ」という言葉の背後の「ことだま」は、宣長の言うようなことではないはずだ。
山がどんなものであるかということなど、誰でも知っている。いまさらそんなことを伝え合う必要など何もない。語り合うことと伝えることは、また別の性格の行為である。語り合うことは、言葉の意味を共有することではない。言葉にこめられた感慨(=ことだま)を共有してゆく行為なのだ。
そのようにして語り合いながら、神の名が生まれてきたのである。
「いい天気だなあ」という。
その言葉が「あなた」を思うせつない思いで胸がはちきれそうになっているところからこぼれ出たとしたら、相手も同じ感慨をこめて、「ほんと、いいお天気」という言葉を投げ返す。このときの「天気」という言葉には「ことだま」が宿っている。意味なんかどうでもいい。最初からわかっている。しかし、そのときまぎれもなく、この「天気」という言葉で二人の心が響きあったのだ。
古代人が、言葉に直接的な意味を与えず、その意味の背後に潜む感慨をこめていったということは、彼らが、そういう体験をしていたことを意味する。
古代人のほうが、文字とともに言葉を伝達のための道具にしてしまったわれわれ現代人より、ずっとせつない恋愛をしていたのだ。
文字を知らない古代人のほうが、言葉の扱い方がずっとおしゃれで奥深かったのである。
つまり、「遊び心」を持っていた、ということだ。
われわれ現代人は、恋愛すらも「労働」にしてしまっている。