内田樹という迷惑・「自尊感情」について2

団塊世代をはじめとする戦後世代は、大人たちに甘やかされちやほやされて育った世代です。それは、敗戦の記憶や反省を引きずった大人たちに、自信がなかったからでしょう。彼らは、子供たちに対して、戦後の廃墟から子育てを始めることに、少なからず後ろめたさや申し訳なさを抱いていた。
だから子供たちは、つねに社会からちやほやされて育っていった。
全共闘運動が盛り上がる前夜の60年代前半は、社会をあげて若者や青春を持ち上げ続けていた。「高校三年生」とか「美しい十代」とか、のどかな青春賛歌の歌謡曲が大いにもてはやされ、「平凡パンチ」の創刊をはじめ、若者に娯楽を提供することこそ社会の最優先の役割のような感があった。
だから、団塊世代以降の戦後世代は、自尊感情まる出しで、いい気になって付け上がっていたのです。
そういう勢いのノリで、全共闘運動に突入していった。
彼らは、大人たちをばかにしていた。本気でばかにしていた。そういう世代なのです。腰抜けの大人たちに取って代わろうとしていった。本気で、取って代われると思っていた。
その社会現象は、敗戦の傷で自尊感情を喪失(あるいは放棄)して営々と子供を育ててきた大人たちと、自尊感情の塊になってしまったような子供たちとの家族的対立だったのだ、と僕は思っている。
はたで見ていて、そういう印象しかない。
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で、70年代に入ってひとまずその騒ぎも終息し、高度経済成長が軌道に乗ってくると、大人たちはようやく自信を持ち始め、弱かった以前のころの反動によってか、子供を監視し管理するような風潮になってきた。
1970年は、そういう時代の転換の分水嶺(メルクマール)だったのかもしれない。
70年以前に生まれた世代と以後の世代とでは、社会や人間関係に対する意識がずいぶん違う。
70年以前の戦後世代は、自己意識(自尊感情)がずいぶん強い。彼らは、社会も家族も自分たちのもののような気分で育ってきた。そういう気分で、ニューファミリーブームをつくっていった。
彼らは、人と人の密着した関係にうっとうしさなどない。つまり、大人から監視され管理されることのうっとうしさを味わうことなく育ってきた世代なのですね。だから、友達同士でも群れるし、大人(上司)の尻にくっついて飲み歩くこともいとわなかった。
一方、70年以降の世代は、自己意識(自尊感情)が薄く、大人になつくということもあまりしない。人と人の密着した関係を嫌う傾向がある。それはおそらく、社会からも家族からもきつく監視され管理されて育ってきたからだろう。彼らは、核家族化し少子化した家族のタイトな関係の息苦しさを、トラウマとして持っている。
彼らがなぜ結婚したがらないかといえば、そんなわけで、人と人の密着した関係に耐えられないからだ。
彼らには「自尊感情」という盾がないから、密着するとすぐ心が壊れてしまう。
内田さん、そんな彼らに向かって「家族の絆を打ち固めよ」といったって、おそらく無理な話なのだ。
すでに家族の絆は、打ち固められてしまっている。彼らは、やっとの思いでそこから逃げ出してきたものたちなのだ。
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70年以降は、打って変わって大人たちがのさばりかえる時代になっていった。
その先頭を切ったのが、昭和一ケタ世代です。
吉本隆明五木寛之青島幸男永六輔黒柳徹子等々。
彼らは、若者をたらしこむことに自信があったし、団塊世代以降の戦後世代も競ってそのあとを追いかけていった。そういう流れで、大人たちがどんどんのさばっていった。
大人たちがのさばって子供を監視するようになった結果、家族の絆が打ち固められて息苦しいものになってゆき、さまざまな問題が起きてきた。
70年以前の親たちは、こわごわ子供を育てていった結果、子供たちにばかにされた。
その子供たちが大人になっていった70年以降の親たちは、家族の絆を打ち固めようと子供を必要以上にかまっていった。つまり、監視し管理していった。
その結果、子供たちの心は親たちから離れてゆき結婚しない若者が増えていった。
今の子供たちは、親をばかになんかしていない。ひとまず豊かな暮らしをさせてもらったし、親以上に豊かになれる自信もない。
しかし、家族の密着した関係の息苦しさというトラウマは、多くのものが抱えている。
「家族の絆を打ち固めよ」なんていっていたら、女房の心も子供の心も離れてゆく。そういうことを、身にしみて体験した世代なのに、それでもまだ、そんなコンセプトにしがみついている。
まったく、反省というものがない世代なのだ。
反省という体験をしないで自尊感情にしがみついたまま大人になっていったのが、戦後世代なのだ。彼らはいつも、社会の中でのさばりかえって生きてきた。子供として家の中でのさばり、大人になれば、社会でも家でものさばりかえって生きてきた。
戦後世代は、反省しない。
いろいろ苦労をした人も謙虚な人もいるだろうが、「反省する」という思考は、そういう問題じゃない。自尊感情とちゃんと切れたところでしか、そのような思考は生まれてこない。苦労しようと謙虚であろうと自尊感情を手放さない人間は、反省しない。
戦後世代は、自尊感情と縁を切ることができるような社会環境や家族環境の中で生きてこなかった。社会的に強い人であろうと弱い人であろうと、謙虚であろうとあるまいと、男であろうと女であろうと、彼らがどんなに反省しない人たちであるかということを、あなたたちは知るまい。
いや、もちろん僕じしんも含めてのことなのだけれど。