2009-07-01から1ヶ月間の記事一覧

祝福論(やまとことばの語源)・「旅(たび)」

この世の中には、どうしようもなく気味の悪い人間がいる。 いや、客観的には人間なんてみな同じ存在だが、こちらが、どうしようもなくそう思ってしまう。 人にまとわりつかれるのはうっとうしいことだが、まとわりついてもいいと思ってまとわりついてくる人…

祝福論(やまとことばの語源)・「別れ」

僕がこのブログを書き続けるわけは、自分はこんな生き方をしているとか、こんな人間だとか、そんなことを表現したいからではない。 生きているのはしんどいことだし、しんどい思いをして生きている人に、何かメッセージを送りたいのだ、たぶん。 楽しく生き…

祝福論(やまとことばの語源)・「もの」と「こと」

日本列島の住民は、まとわりつかれることに耐えられない感性を持っている。 心にまとわりついてくる物性を解体して「空間の生成」に身を浸してゆくのが、日本列島の文化の基礎になっている。つまり、他者とのあいだに「空間=すきま」を保って付き合おうとす…

祝福論(やまとことばの語源)・「あづま」

やまとことばの「身(み)」には、「内面(心)」という意味が含まれている。 それは、身体は「内面(心)の輪郭」である、という感慨をあらわしている。 日本列島の住民は、歴史のはじめから「内面(心)の表現」というテーマを持っていた。 やまとことばは…

祝福論(やまとことばの語源)・「やさし」2

「やさし」ということばを生み出した古代人は、やさしかったのではない。それは、彼らの「嘆き」を表現することばだった。 したがって「本当のやさしさ」を問うことなどナンセンスなのだ。「本当のやさしさ」とは、現代的制度的な観念のはたらきにすぎないの…

祝福論(やまとことばの語源)・「やさし」

自分なんか生きていてもしょうがないんじゃないかとか、生きていてはいけないんじゃないかと思うことはないですか。 人から叱られたりののしられたりすると、そういう気持ちがいっそう増幅されてしまう。 そこで、そういうことに負けないように、生きること…

祝福論(やまとことばの語源)・「辻が花」17

人類がはじめて本格的に絵を描くということを覚えたのは、二万年前のアルタミラの洞窟壁画などの遺跡に見ることができるのかもしれない。それは、この世界の「物性」を解体して二次元の平面に置き換える視線を獲得した、ということだ。西洋人は、人類ではじ…

祝福論(やまとことばの語源)・「かみ」の起源2

人間の「神」ということばは、「嘆き」からうまれてきた。 深い「嘆き」を持っているものでなければ、「神」に気づくという体験をすることもない。そのとき人類は、かつてないほど深い「嘆き」を抱いて生きていた。そんな状況から、「神」が見出されていった…

祝福論(やまとことばの語源)・「かみ」の起源

コメント欄を閉鎖してみたのだけれど、どうも落ち着きません。 なんだかモノローグを書いているようで、「発信している」という緊張感が薄れてしまう。 これはちょっと違うんじゃないか、という気がしてきました。 嫌がらせのコメントはほんとにうんざりなの…

祝福論(やまとことばの語源)・語源としての「かみ」

「かみ」ということばは、いつごろどのようにして生まれてきたか。 はじめに「かみ」のイメージがあって、それに名をつけた、というのではおそらくない。 ことばは、そんなふうに生まれてくるのではない。 「かみ」ということばが生まれたあとに、「かみ」の…

祝福論(やまとことばの語源)・閑話休題

この一年、いつ果てるとも知れない嫌がらせコメントがつづき、それをいちいち消しているのが面倒になってきて、こうなったらもうコメント欄を閉鎖するしかないのかな、と思っています。 お願いだからこれ以上僕をいじめるのはやめていただきたい、といいたい…

祝福論(やまとことばの語源)・人間の原像2

「人間とは自己意識である」……と西洋の偉い哲学者にいわれても、ぴんとこない。 西洋人にとっては、これはもうほとんど人間であることの真理であるらしいのだが、何いってるんだか、という感慨しかない。 「自己意識」の強い人間は、群れが自分にとって心地…

祝福論(やまとことばの語源)・人間の原像

人間であることの原体験とは何か、という問題を考えたいわけです。 何を語っても、けっきょくこのことに尽きるのかもしれない。 ヘーゲルや内田樹先生のように、「人間とは自己意識である」というようなことをいってちゃだめなんだと思う。 「自己意識」くら…

祝福論(やまとことばの語源)・「辻が花」16

古代人は、花が咲くことを、つぼみが裂けて新しい空間が出現することだと思っていた。そういう感慨とともに「咲く」といい「花」といった。 この世界が「空間の生成」であると気づいたとき、「神」を発見した。 われわれ現代人は、神とは人間を幸せにしてく…

祝福論(やまとことばの起源)・「辻が花」15

なんか同じことばかり書いている……それはわかっているのだけれど、誰にも伝えることができていないようなというか、うまく表現しきれていないというもどかしさがあって、また同じことを書きます。 何度も書いていれば、少しはうまい表現が見つかるかもしれな…

祝福論(やまとことばの起源)・「辻が花」14

「伊勢神宮の杜(もり)は荘厳である」というとき、いったい何が「荘厳」であるのか。 そのとき人は、高い杉の木の「重量感=物性」に、「荘厳=かみ」を感じているのか。 それとも、高い杉の木に囲まれた空間の「気配」が「荘厳=かみ」として迫ってきてい…

祝福論(やまとことばの起源)・「辻が花」13

ウィトゲンシュタインは、「この世界が存在することそれ自体が不思議であり驚くべきことなのである」といった。 世界が存在することを、そうかんたんに決め付けてしまっていいのだろうか。 世界が存在することは、われわれの心の動きの前提になっているが、…

祝福論(やまとことばの起源)・「すてき」

考えることが、かなりややこしいところに迷い込んでしまっているみたいです。「神の起源」にこだわるからいけないのでしょう。でも、日本列島の住民の世界観とか、美意識とか、生命観とか、そんなものを考えようとすると、けっきょくこの問題に突き当たって…

祝福論(やまとことばの起源)・「辻が花」12

この世界の「空間」は「生成」している。 原初の人類はそれを、昼間と夜の交代・反復の中から気づいていった。 この世界は、はじめに「昼と夜の交代・反復」としてあった。 「原初、世界は<混沌>としてあった」……古事記にそう書いてあったからといって、古…