祝福論(やまとことばの語源)・「かみ」の起源2

人間の「神」ということばは、「嘆き」からうまれてきた。
深い「嘆き」を持っているものでなければ、「神」に気づくという体験をすることもない。そのとき人類は、かつてないほど深い「嘆き」を抱いて生きていた。そんな状況から、「神」が見出されていったのだ。
人類最初の神は、おそらく、50万年前から1万年前までの数度の氷河期を生き抜いた「ネアンデルタール=クロマニヨン」によって見出されていった。
その長い歴史のどの時点で見出されていったのかはわからない。
ともあれ最終氷河期の2万年前、極寒の北ヨーロッパで暮らす人類の「嘆き」は、極限に達していた。
寒さに震える彼らの身体の苦痛(嘆き)は、尋常ではなかった。また、寒いから、乳幼児の多くが次々に死んでいった。しかし群れの存続のためには、その不幸を超えて女たちは産み続けていかなければならなかった。
女たちは、発狂寸前のヒステリーを抱えながら子供を産み続けていった。
そんな極限状況の中で、彼らは「神(ゴッド)」を見出していった。
それは最初、身体の「物性」から解放されるカタルシスからこぼれ出た「ことば」だった。
彼らは、心が強く動いたときに「オー、ゴッド」という。それは、直接的には「神という対象」を意味しているのではなく、心が強く動くことそれじたいの表現であるはずだ。そうやって「ゴッド」ということばが生まれてきた。
2万年前の北ヨーロッパで暮らす人類の感動体験の最たるものは、身体の物性から解放されることだった。その体験のことを「ゴッド」といったのだ。
脂の乗ったマンモスの肉をたらふく食うことも、焚き火を囲んでみんなと語り合うことも、抱きしめあってセックスすることも、つまりはこの世界の「物性」から解放されて、この世界の「空間の生成」に浸されてゆくことだった。そうやって寒さに震える身体の物性から解放された心地がするとき、思わず「ゴッド」ということばがこぼれ出た。
ともあれ何はさておいても抱きしめあえば、相手の身体ばかりを感じて、みずからの身体の「物性」から解放される。彼らは、抱きしめあう文化を育ててきた。抱きしめあえば、他者の身体がわたしの身体を解放してくれる。「他者」は「わたし」を解放する存在であり、「わたし」は「他者」を解放する存在である。そうやって彼らは、限度を超えて密集した自分たちの「群れ」を止揚していった。寒さに震える彼らは、そうしないと生き延びられなかった。そしてそういう人間関係から、「契約」の文化が生まれてきた。
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日本列島でも、氷河期にはおそらく似たような「神」の文化があったのだろう。
しかし氷河期が明けた日本列島では、状況が一変した。
大陸から切り離されて、四方を海に囲まれた島に閉じ込められてしまった。
氷が溶けて、広い平原はすべて人の住めない湿地帯になってしまったために、多くのものは山あいの狭い地域に逃げ込んだ。そこでは大きな規模の群れをつくることは不可能だった。
また、平原がなくなったから、大型草食獣が次々に滅んでゆき、そうなれば、大きなチームを組んで狩をするということも不可能になった。
氷河期が明けてヨーロッパや中近東ではさらに大きな群れがつくられていったのに対して、日本列島では、群れの規模を縮小解体してゆくしかなかった。また、気候が温暖になって、縮小解体しても生きてゆける環境になった。
男たちはそれでも狩猟にこだわって山野を駆け巡っていったのだろうが、女子供だけの群れでも、木の実や野草などの採集で生きてゆくことができた。
縄文人は、集落のまわりに落とし穴を掘って狩をしていた。そして、ネズミでも狸でも、何でも食った。彼らは、動物の肉に関しては、彼らは悪食だった。それは、その集落が女子供だけのものだったことを意味する。男がいれば、山に行って鹿や猪を捕まえてきてくれるから、悪食になる必要はなかったはずだ。またそうした狩をしていた男たちは、それらの肉を、脂の乗った晩秋の時期しか食べなかった。
あの三内丸山遺跡でも、猪や鹿の骨の出土が異常に少ない。それは、男たちがそこに定住していなかったことを意味する。
彼らは、男と女が一緒に暮らすという関係すらも解体していった。
男たちは、山野をさすらいながら、女たちの集落を訪ね歩くという暮らしをしていたわけで、そこから弥生時代以降の「ツマドイ婚」という風習になっていった。
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氷河期明けの日本列島では、群れが解体されていった。
彼らは、密集した群れで暮らすことの困難とうっとうしさを深く思い知った。
また、小規模の女子供だけの集落でも生きてゆける環境に恵まれた。
寒さに震える氷河期のクロマニヨンには、他者の身体を乞いもとめる飢餓感があった。それに対して山あいの狭い場所でひしめき合って暮らすというところから歴史を始めた縄文人は、すでに他者の身体の「物性」にまとわりつかれている、という息苦しさがあった。
縄文人にとって人と人の関係の醍醐味は、一緒に暮らすことではなく、「出会いのときめき」を体験することにあった。それほどに、ひしめき合って一緒に暮らすことのうっとうしさを思い知っていた。
彼らは、人と人の関係に、「空間=すきま」を求めた。
たとえば日本列島の住民は、電車の座席に並んで座るとき、誰もが隣の人の体とのあいだに、ほんの少しの「空間=すきま」をたがいにつくりあおうとする。
大陸の人々は、こんなデリケートなことはしない。座席がすいているときでも、わざわざすぐ隣に座ってきたりする。友達でも知り合いでもないというのに。
われわれは、そんなあつかましいというか暑苦しいことはようしない。
日本列島の住民は、つねに他者の身体とのあいだに「空間=すきま」をつくろうとする。
それは、氷河期が明けて寒さに震える身体の問題が解決されてから生まれてきた問題だった。
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人間としての根源的な「嘆き」は、「身体という物質」を抱えていることにある。
自分が「観念」だけの存在であるなら、死ぬことはないし、痛いとか寒いとかと感じることもないし、歳をとるということもない。
では観念だけの存在になればそれでいいかといえば、そうもいかない。それはもう、生きてあることの醍醐味を放棄するのと同じだ。
身体をともなわない快楽は、むなしい。というか、身体をともなってはじめて快楽になる。
とはいえ、身体が快楽(カタルシス)をもたらすのではない。それは、「身体の<物性>の解体」として、もたらされる。
身体が邪魔だから、身体が必要なのだ。
カタルシスは、身体を排除することではない。それは、身体を「空間の輪郭」として止揚してゆくことにある。
体を動かすことは、身体を「空間の輪郭」として扱うことだ。体を上手に動かすことは、そのように身体を扱うことだ。身体を「物質」として扱うことではない。
つまり、人類にとって二本の足で立ち上がって歩いてゆくことは、身体を「空間の輪郭」として扱うことであり、そこから人類の歴史がはじまっている。
われわれは、歩いているとき、身体(=足)のことを忘れている。そうして、歩きながら、景色を眺めたり考えごとをしたりしている。それは、身体の「物性」から解放されて、身体を「空間の輪郭」として扱っている状態である。
原初の人類が直立二足歩行をはじめた契機は、群れが密集しすぎて他者の身体やみずからの身体の「物性」を強く意識するようになったことにある。        
人間は、先験的に、他者の身体の「物性」にまとわりつかれており、それにともなってみずからの身体の「物性」もまた強く意識している。心がこの世界の「物性」にまとわりつかれていることの「嘆き」、人類の歴史はそこから始まっている。
つまり縄文時代は、原初のそうした状況を追体験していった時代だったのかもしれない。
氷河期の北ヨーロッパにおける「神」体験が「群れ」を大きくしてゆくものだったとすれば、縄文時代の「かみ」は、「群れ」を解体してゆく体験だった。
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このあたりのことは、考えることがいっぱいありそうに思えます。
たとえば、西洋人は「孤独」というものを知っていて、日本人は「もたれあっている」などとよくいわれるが、裏を返せば、西洋人はそれだけべたべたしてくっつきあいたがるということであり、日本人はもたれあいの中にもちゃんと「空間=すきま」をつくることを文化として持っている、ともいえる。だから、もたれあうことができる。
西洋には、孤独とくっつき合うことの両極端があって、その中間の、他者との関係に「空間=すきま」を見つけてゆくという文化がない。
他者=神との「契約」関係が起きる体験と、契約不能の「空間=すきま」に気づいてゆく体験との違い。つまり「教える=学ぶ」の関係の文化と、「教える」ことの不可能性を受け入れつつ「学ぶ=気づく」という心の動きだけを交感=交歓してゆく関係の文化。
それは、彼らが体験した「ゴッド」と、この国の古代の「かみ」体験との違いなのだろう。
そしてそれはまた、「パンドラの箱」を開けてしまった文化と、それを断念して人間の歴史の「原初」のかたちを追体験していった文化との違い、ともいえるのかもしれない。
「神」との契約を交わしてゆく文化と、「かみ」に気づいてゆく文化の違い。
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このあたりのところを、僕はまだうまく表現できない。
しかしたとえば、近頃のアメリカ人がなぜ「金融工学」などというマネーゲームに突っ走って世界的な大不況を引き起こさねばならなかったのか。彼らのその抑制の効かない「狂気」が何に由来するのかといえば、彼らの心が、つねに「神との契約」という信仰を後ろ盾として持っているからだろう。彼らはつねに、「神の後ろ盾」の上に立っている。だから、容赦しないし、抑制がないし、含羞がない。彼らはつねに「教える」という立場に立とうとする。彼らは、「神=他者に気づく」ということがない。彼らにとって「神=他者」は、つねに「すでに存在する」対象なのだ。
彼らは、「気づく」ということがない。
「気づく」ものは、「神の後ろ盾」を持たない。持たないから「気づく」のであり、気づいて「ときめく」のだ。
原初の人類の直立二足歩行は、「気づく」体験だった。これが、人間の心の動きの原型なのだ。「神の後ろ盾」を持ったものたちは、すでにそういう心の「原型」を喪失している。「神の後ろ盾」を持ったものたちは、「喪失している」という自覚がない。
現代人なら、誰だって多かれ少なかれそうした人間の心の動きの「原型」を喪失してしまっており、それはもう仕方のないことだともいえるのだが、問題は、その「自覚」のない人たちがいる、ということだ。
彼らには「反省」や「含羞」というものがない。「後悔」があるだけだ。「もっとうまくやればよかった」と「後悔」しているだけだろう。
それは、「倫理」とか「道徳」といった高度な観念のはたらきの問題ではない。単純にプリミティブな心の動きの問題なのだ。
人間として、原初の心の動きの「痕跡」を持っているかいないか、という問題であるのだろうと思える。