2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧

「ケアの社会学」を読む・13・生きにくさを生きる

1・「民主主義の市民社会」の限界 上野千鶴子氏にとっての「新しい社会を構想する」ことは、「民主主義の市民社会」を構想することらしい。まあ、現在のこの国のほとんどの知識人がそんなスローガンで考えているのだろう。 僕は、「新しい社会を構想する」…

閑話休題・生きていてはいけない

1・「オルタナティブ(代替案)」だってさ もうすぐ3月11日がやってくる。 あの大震災の日を回顧して内田先生が、こんなことをいっておられる。 __________ 3月11日の震災と原発事故がわが国のシステムの本質的な脆弱性を露わにし、それについ…

「ケアの社会学」を読む・12・介護されない老後

1・介護される未来 自分が年老いて動けなくなったときのために今から介護を受けることを考えておかなければならない、と上野千鶴子氏はいう。 まあ現代の老人予備軍の大人たちのほとんどがそう思っているのかもしれない。 しかし誰だって、死ぬまで自分の体…

「ケアの社会学」(上野千鶴子・著)を読む・11・野垂れ死にの文化

1・それが「新しい時代を構想する」ことになるのか こんなくだらない本の感想をぐだぐだと書き続けることなんかいいかげんやめてしまった方がいいのかもしれないが、人が介護をするということには、「人間とは何か」ということのたくさんの問題が含まれてい…

「ケアの社会学」を読む・10・介護のかなしみ

1・介護をされる権利は存在するのか 相手が死にそうな老人であれ、身体障害者であれ、病人であれ、赤ん坊であれ、介護をすることがどんなにしんどいことかということくらい、上野千鶴子さん、あなたにだってわかるだろう。 われわれは、上野氏のように、そ…

「ケアの社会学」を読む・9・一緒に生きてきたということ

1・家族介護はなくなるか この本の著者である上野千鶴子氏は、「家族介護が自明でも自然でもなく、かつのぞましいわけでもない」といっておられる。 つまり、介護は家族でやるのが当然だというこの社会の制度的な合意があるために義務としてやらされている…

「ケアの社会学」を読む・8・鉄輪(かなわ)

1・人間存在の無力性 介護される老人は、みずからの「無力性」をかみしめて生きている。それはもう、きっとそうだろう。 そこから介護者に対する甘えやわがままや怒りが生まれてくる契機はいろんなことが考えられるが、その人の人生や人格によってさまざま…

「ケアの社会学」を読む・7・介護の想像力

1・ポックリ寺 奈良県斑鳩の吉田寺は、「ポックリ寺」として、多くの老人の参詣者を集めている。 この寺に参れば「寝たきり」にならずに「ポックリ」死んでゆける、という信仰がある。 で、この寺にくる老人の声の聞き取り調査なども発表されていて、それに…

「ケアの社会学」を読む・6・なぜ挫折するか

1・できる人が引き受ける 現在のこの国における介護状況の進捗を阻んでいるものは何か。 何はともあれまずはじめに行政の怠慢があるのだろうが、上野氏は、そのことも含めて男社会の「家父長制」という習俗が人々の意識をむしばんでいることが大きな障害に…

「ケアの社会学」を読む・5・女は世界の奴隷か?

1・制度的な視線 悪いけど、自己顕示欲の強いインテリ女がくだらないことをわめいてやがる、という印象がどんどん膨らんでくる。 そりゃあ、僕なんかと違ってこの人は、「世のため人のため」という使命感を背負って書いたのだろう。しかしだからこそ、世の…

「ケアの社会学」を読む・4・介護ができる人とできない人

1・介護とは、生命を再生産する仕事か 上野千鶴子氏が、フィールドワークとして、老人介護の現場で働いている人たちの話を聞く。「そうか、そうか」とうなずく。そして、そのあとの上野氏のアドバイスを聞いた現場の人たちも「なるほど」と納得し、ともに話…

「ケアの社会学」を読む・3・われわれに介護を受ける権利はあるのか

1・それでも人間は、介護という行為をする 介護とは何かと問うことは、この世の弱いものとは何か、と問うことでもある。 人間は、存在そのものにおいてすでに弱いものである。人間存在は、無意識の底の「もう生きられない」という嘆きの上に成り立っている…