閑話休題・生きていてはいけない

   1・「オルタナティブ(代替案)」だってさ
もうすぐ3月11日がやってくる。
あの大震災の日を回顧して内田先生が、こんなことをいっておられる。
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3月11日の震災と原発事故がわが国のシステムの本質的な脆弱性を露わにし、それについて批判的検証を加え、オルタナティブを提示するという緊急な責務が言論にかかわるすべての人間に課せられたのである。
私も禿筆を以って口を糊している以上、この責務から逃れることは許されない。
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よくもまあ、こんな空々しいことがいえるものだ。
すました顔で「オルタナティブ(代替案)を提示するという責務を課せられた」と言ってのける、この偽善と欺瞞と厚顔無恥
そんな責務はおまえが勝手にでっち上げただけじゃないか。そうやって社会をいじくりまわしたいという自分の勝手な欲望をまさぐっているだけのこと。誰も、そんなことをおまえにたのんでいない。そんなことを提示しなかったからといって、誰も責めない。
いかにも「新しい社会制度(システム)は俺が決めてやる」と言わんばかりのそのナルシズムと厚かましさはなんなのだ。
あの大震災に対する反応としては、そんなことをいい気になってほざいているスケベったらしいポーズより、「われわれはこれからどうすればいいのだろう」と途方に暮れている方がずっと誠実で、こちらの胸に響いてくる。
そのとき日本中の誰もが大きな災厄に見舞われた人々の嘆きに思いを馳せたのであり、その共感から新しい結束のかたちが生まれてくることを祈っていたのだ。
そんなときに内田先生一人、何の共感も祈りも持てないまましらっとして、この社会を批判していじくりまわすチャンスだとはしゃぎまくっていたのだった。
「我が国のシステムの本質的な脆弱性」なんか、ずっと前からいわれてきたことで、そのことをあらためてつつくチャンスが到来した、とこの先生は小躍りしたのだ。被害者の気持ちなど知ったこっちゃない、自分が目立ちたかっただけのこと。
その大災害に遭遇した人たちの絶望や恐怖や嘆きに寄り添う感受性も想像力もないやつがが、そんなポーズをとってその鈍感なニヒリズムを糊塗していただけのこと。
震災直後の内田先生は、やたらハイテンションになって、神のたたりだとか何とかわめき散らし、はしゃぎまくっていただけである。つまりその事態に全身で反応することができない自分を、ハイテンションになってけんめいにごまかしていただけなのだ。
日本中のたくさんの人が驚き悲嘆に暮れていたのであれば、人格者を自認する内田先生もそれなりの反応と共感の態度を示さねばと思ったのだろうが、どんな感慨もわいてこないまま、もうハイテンションになってその疾しさをごまかすしかなかったのだろう。
たぶん、いまにはじまったことじゃない。これが、この人が子供のころから培ってきた処世術なのだ。自分を見せびらかして相手を自分のペースに引きずり込む。これが、共感の能力を持たない人間の処世術だ。
なんにも感じることができない自分にうろたえていただけなのだ。ふだんはかっこつけて清らかぶっていっても、いかに共感の能力がないかという本性が、こういうときにあらわれる。
その鈍感さと厚かましさで「オルタナティブ(代替案)を提示するという責務を課せられた」とかっこつけていただけである。
震災直後の内田先生のはしゃぎぶりは、ほんとにグロテスクだった。みんなと一緒になって嘆き悲しみうろたえればいいだけなのに、得々として口から出まかせの分析をわめき散らしていた。普通の人は共感するところから思考をはじめるのに、この人は、その共感という手続きを持てないから、いきなり口から出まかせの安直なご託宣をたれて人を煙に巻こうとする。
共感する能力がないから、ちやほやされることばかり画策している。共感の能力を持っている人は、むやみにちやほやされたがることはしないし、ちやほやされたら戸惑いうろたえてしまう。
ちやほやされていい気になれるということ自体が、人間としてグロテスクだ。
また、最近の武田鉄矢との対談では、震災後のもっとも心に響いた発言は天皇の言葉だった、と言っている。
どんないい言葉だろうと、天皇は被害の当事者ではないのである。普通の人間なら、まず当事者の言葉に胸を打たれるだろう。彼らの、たとえば「ああ、どうしよう」という嘆き以上に胸を打つ言葉などあるものか。何はともあれ、その声に反応してゆくのが人情というものだろう。そしてその声を聞いて多くの人がボランティアに参加していったのだ。
内田先生はただ、みずからの、被害者の悲痛な肉声に反応する感受性がないことを、天皇を借りて隠蔽しているだけのこと。まったく、よく言うよ。
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   2・「生き延びる」だってさ
きれいさっぱりと何もかもなくなれば、そこから新しい何かがはじまりそうな予感が生まれる。絶望と希望はいつも背中合わせだ。そのとき救援活動に駆けつけた自衛隊員やボランティアに参加していった人々は、自分の心が他者の嘆きに反応していることに気付いて震えていた。
たしかに天皇の態度は立派だったが、それ以前にまず、誰もが被災者の嘆きに共感して心を震わせていたのであり、絶望と希望の狭間に立たされていたのだ。その体験を、どうしてこの先生はみんなと共有できなかったのか。「生き延びる」という文句を口癖にしているこんな鈍感なニヒリストが、どうしてわれわれのお手本になることができるというのか。
ほんとに内田樹なんてろくでもないやつだなあ、と僕は思う。
三陸海岸や福島の原発近くの人々があんなにも悲惨で決定的な体験をして、そのことに思いを馳せることよりも、この機会を利用して自分の宣伝をすることばかり考えているなんて、人間としてこの人は何かグロテスクだよ。
政治家でもなんでもないただの売文業者の自己宣伝のための「オルタナティブ(代替案)」とやらが、いったいどれほどの役に立つというのか。その案が素晴らしいかどうかというこということなどどうでもよい。歴史は「こうあるべきだ」という方向に動いてゆくのではない。人々の結束を動力にして、なるようになってゆくだけだ。そんなことはおまえが決めることじゃなく、人々の結束が決めることなんだよ。
つまり、そのとき人々(=時代)がどこに行こうとしているのかということに目を凝らし耳を澄ますことこそおまえら知識人の「責務」であって、おまえのしゃらくさい「オルタナティブ(代替案)」なんかどうでもいいんだよ。
この人のいうことは、ほんとにどうしようもなく愚劣だと思う。自分を宣伝しようとするスケベ根性だけで、人間に対する感動というものがなさすぎるのだ。
そのときわれわれは、心を揺り動かされている自分に気づき、人と人は結束できるのだなあという感慨に浸された。人と人は絶望(嘆き)を共有しながら結束してゆくのだなあ、ということを気づかされた。そのとき多くの人々がボランティアに駆けつけたというのは、そういうことなのだ。
絵に描いた餅のオルタナティブを差し出していい気になっているなんて、ほんとに愚劣だ。そんな態度のどこに人間の真情があるというのか。まあそれが、鈍感なブ男の生き延びる道だったのかもしれないが。
そして「生き延びる」という言葉を口癖にしてそれが価値であると信じていること自体が、人と共感し合う体験を持てないで生きてきた証拠だ。豊かに共感し合って生きている人間は、「いまここ」の生きてあるという感慨が充実しているから、「生き延びる」という発想をしない。「生き延びる」ということなど勘定に入れないで、「いまここ」だけを味わいつくしている。
「いまここ」に対する感慨が希薄だから、「生き延びる」ことによってそれの埋め合わせをしようとするのだ。
内田先生は、震災で生き延びた人の手柄ばかり語って、死んでいった人の無念やかなしみに対する感慨など何もないらしい。しかし、あのとき誰もが共感し合ったのは、死んでいった人に対する感慨だったはずである。
死者を弔う、という態度がまるでなかったのだ。そりゃあそうだろう、「生き延びる」ことの価値にしがみついていきている人間に、そんな感慨がもてるはずないじゃないか。先生にとっては、死んでいった人間より生き延びた人間の方がえらいのだもの。
しかし、一家の大黒柱である息子や孫を失ったおばあさんは「私のようなものが生き残って申し訳ない、息子や孫と代われるものなら代わりたい」といって泣いたのである。
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   3・「いまここ」に立ちつくす
内田先生は、こんなことも言っている。
先生が現在の交友関係を大切にしているのは、将来の危機のときに助け合って生き延びるためなんだってさ。
しかし、共感の能力があって「いまここ」の出会いにときめいている人は、一期一会の気分で、明日のことなど勘定に入れていない。
それに対して内田先生にとっての友情とは、おたがいが生き延びるためにおたがいを利用し合うことらしい。目の前の他者に対するときめきが希薄な人間は、そのようにして人とつき合う。これじゃあ、ただのビジネス体験じゃないか。べつに美しくもなんともない。そんな付き合いなど、世間にごまんとある。昇進させてもらうためにせっせと上司に付け届けをしてゴマをすっているのと少しも違いはない。
あの大震災に遭遇した人たちも、内田先生と同じような教訓を得たのだろうか。
そうじゃないだろう。
人間はいつ死んでしまうのかわからないのだから、どんなときも「いまここ」を大切につき合っていこうと思ったにちがいない。
内田先生の理屈なら、死んでしまった人はへまだから死んでしまったのだということになる。しかし、多少なりとも死者を弔う心のあるものなら、誰もがいつ死んでしまうかわからない運命を背負って生きている存在なのだ、としか思いようがない。
そしておばあさんは、私なんかが生き残って申し訳ない、という。そういう嘆きは、内田先生にはきっとわからないだろう。
そのとき、生き残ったのも、死んでいったのも、それぞれが遭遇した運命だったのであって、賢明だったからでも愚かだったからでもない。
人間は、生き延びようとする存在でも死のうとする存在でもない。生まれてきたことなど何かのまちがいだが、それでも「いまここ」に立ちつくしてしまうのであり、「いまここ」にときめいてしまう存在なのだ。
みんなが「いまここ」に立ちつくしたんじゃないか。そうして「嘆き」を共有し、そこかから「結束」だの「絆」だのという人と人の関係を想い描いていたのだ。
そんな状況の中で、内田先生ひとりが「オルタナティブ」などという未来をいじくりまわしてはしゃぎまくっていた。この鈍感なブ男は、人と共感しながら「いまここ」に立つ、という資質が決定的に欠落している。欠落しているから、「生き延びる」などといって未来をまさぐることに執着する。
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   4・「絆」という言葉はあまり好きではないが
内田先生の「生き延びる」などという誘い文句に多くの人がのせられているということは、まあそういう時代なのだろう。
多くの老人が、介護を受けて生き延びたい世の中だ。
しかし、この人ほど生き延びたがっている人もそうはいないだろう。
生き延びようとする目的を共有してつるんでも、「いまここ」に対する切実さが希薄だから、それほど深くはときめき合っていない。まあ今どきのビジネスはこの流儀でみんなやっているのだが、プライベートの親密な関係はこれではすまないし、時代を動かすような根源的な人と人の結束は、そんなところで起きているのではない。
人は、誰もが心の底では生まれてきてしまったことに戸惑い途方にくれながら生きている。恋にしろ友情にしろ集団にしろ、その「嘆き」が響き合うところで、もっともダイナミックな人と人の結束が生まれてくる。恋にしろ友情にしろ集団にしろ、ダイナミックな人と人の結束が生まれているところでは、じつは心の底でその「嘆き」が響き合っている。
生まれてきてしまったことに対する戸惑いや途方に暮れる気持ちは、「いまここ」で体験される。「いまここ」に立つものは、不可避的にその気持ちに浸される。
だから人は、未来を捏造しながら「いまここ」のその「嘆き」を無化しようとする。そうして心と心の響き合いが薄れ、ビジネスライクな関係がつくられる。
内田先生は、「いまここ」に立つことを怖がっている。人は、他者とその「嘆き」を共有していなければ「いまここ」に立つことはできない。「嘆き」を共有する、すなわち「いまここ」でときめき合うという体験をしたことがないのだろう。
「いまここ」でときめき合っているとき、人は未来を勘定に入れることを忘れている。夜の公園でデートをしている恋人たちは、明日も会えるとわかっていても、いつまでも抱きしめ合って離れようとしない。
僕は「絆」という言葉はあまり好きではないが、ともあれそのとき人々は「絆」を渇望したのであって、未来の「オルタナティブ」などというものではない。
そのときわれわれは、人と人は結束するものだということに気づいた。そして、そこで時代が変わってゆく。
どんな時代の移り変わりであれ、人間社会であるかぎり、どこかしらで人々が結束している。その「どこかしら」を探り当てて見せるのが、社会学者とかオピニオンリーダーといわれている人たちの「責務」ではないのか。
とりあえず、人々の「絆」が時代を変える。問題は、その「絆」がどこで結ばれているかだ。
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   5・生きていてはいけない
われわれは、あの大震災で、「いまここ」の「嘆き」が人と人を結びつけていることに気づいた。
みんな死ぬのだ、ということに気づかされた。それは自明のことのはずだが、なんだかはじめて気づいたような心地がした。
2万人の人が一度に死んでいった。それを知ってわれわれは、おまえも死ぬべきだ、といわれているような心地がした。2万人の死ななくてもいい人が死んでいったのだ。だったらもう、この世に生きていてもいい人間がどこにいるというのか。
しかしそれでもわれわれは、生きることしか知らない。生きていてはいけない生を生きるしかない……まあ、僕のようなのうてんきな人間だって、一瞬そういう気分になった。
結婚を迷っていた男女が、結婚を決めた。
別れることを迷っていた夫婦が、別れることを決めた。
生きていてはいけない人間はもう、「いまここ」を生きるしかない。そのとき彼らは、未来に向かって生き延びようとすることを断念し、「いまここ」を生きようとしたのだ。
あの大震災は、人々に、生き延びようとすることを断念させた。生き残っていることの後ろめたさを誰もが感じたし、生き延びようとすることを断念することによって、死んでいった人々の魂を鎮めようとしていたのかもしれない。
そのときわれわれは、内田先生のように未来の「オルタナティブ」を構想し生き延びようとしたのではない。そんな厚かましいことは、誰も思わなかった。この人は、根本的に他者に対する反応というものがない。
そのとき、誰もが死者の魂を鎮めようとしていたのだ。自衛隊員の救出活動にしろ若者のボランティアにしろ、ようするにそういう行為だったのだ。
誰もが、生きてあることを嘆かずにいられなかった。それ以外に死者の魂を鎮めるすべはないように思えた。
何はともあれ、「嘆き」を共有しながら人と人が結束するということを体験した。
もしも誰の中にもいまだに震災の記憶が残っているとしたら、誰もが心の底のどこかしらに「この世に生きていてもいい人間なんかどこにもいない」という感慨を抱いている。そしてじつは、その感慨を共有しているところで人と人が結束し、時代が変わってゆくのだ。
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しばらくのあいだ、本の宣伝広告をさせていただきます。見苦しいかと思うけど、どうかご容赦を。
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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
よかったら。

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