「ケアの社会学」を読む・12・介護されない老後

   1・介護される未来
自分が年老いて動けなくなったときのために今から介護を受けることを考えておかなければならない、と上野千鶴子氏はいう。
まあ現代の老人予備軍の大人たちのほとんどがそう思っているのかもしれない。
しかし誰だって、死ぬまで自分の体は自分で動かせる状態でいたいだろう。
介護を受ける身分になりたい人間なんかいない。
そして実際に、介護とは無縁に、死ぬまで自分で自分の体を動かして生ききった人はいる。それは決して楽なことではないにちがいないが、ひとまず人間は生きにくさを生きようとする生き物なのだ。心がけしだいで、そういう生き方や死に方もできる。
生きにくさを生きることこそ人間の本性なのに、安楽に生きることの価値観で生きてきた現代人は、歳をとって体の不調を覚えると、たちまち介護を求めてしまう。何がなんでも安楽に行きたいから、すぐ介護を想い描いてしまうのだ。
介護の未来を勘定に入れない生き方をしたらいけないのか。
誰だって最後の最後はもう、介護を受けるしかないのかもしれない。しかしそのとき、介護の未来を勘定に入れない生き方をしてきた人ほどきれいにあきらめて介護人に自分をあずけてしまうことができるし、逆に、介護によってあくまで安楽に生きようとする人は、騒がしくあれこれ介護に対する不平不満をいい募ったりしなければならない。また、そういう人ほどますます早く体が動かなくなってゆく。
最低限の介護しか望まない人はそれだけ衰えの進行も緩やかだが、痒いところに手が届く介護を要求ばかりしていれば、たちまちすっかり自分で自分の体を動かす機能を失ってしまう。
なぜ最低限の介護しか望まないかといえば、生きにくさを生きるという作法が身についているからだ。
安楽に生きたいのなら、ちょっとでも体の不具合が起きたらもう、介護をたのむしかない。
安楽に生きたいとは、自分の体を支配して自分の思う通りに動かしたい、ということだ。
現代人は、介護の手を借りてまでなおも自分の体を支配し続ける。
安楽に生きたい人間は、自分の体の衰えに我慢がならない。
それに対して生きにくさを生きるタッチを持っている人は、自分の体の衰えを受け入れることができる。そうして、衰えたら衰えたなりの動きをつくってゆくことができる。その生きにくさを受け入れることができる。受け入れることができるのは、その生きにくさそれ自体から生きてあることのカタルシスを汲み上げてゆくことができるからだ。ただ辛抱強いとか、そういう問題ではない。
何はともあれ、人間としてのセンスというか、生き方のセンスというか、生活のセンスというか、まあそういう心がけの問題だ。
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   2・体が動くということ
「体が動く」とか「体を動かす」という問題を、もう一度検証し直してみる必要がある。
「体が動く」というときと「体を動かす」というときの違いを、僕はまだよくわかっていない。脳のはたらきや心の動きの問題として、この二つの言い回しを、うまく使い分けることができない。
目の前のコップを取ろうとするとき、「コップを取ろう」としているのであって、「手を動かそう」とする意識がはたらいているのではない。そのとき人は、コップに対する意識で手を動かしているのであって、手に対する意識によるのではない。
つまり、手(=体)を支配し動かそうとする意識をどんなにあふれさせても手(=体)をうまく動かせるようになるわけではない、ということだ。
同様に、体を支配して安楽に生きたいと思う人間はもともと体の動きが鈍くさいのであり、そういう人間が年老いてゆけば、その心がけのために体をうまく動かせる能力を人より早く喪失してゆかねばならない。
現代人は、誰もがこういう自意識過剰の傾向を色濃く持ってしまっている。
上野千鶴子氏がいうように、高齢社会になったから介護の需要が増大したとか、それだけの問題ではないのである。現代人は高齢になると体が動かなくなっていきやすい、という問題がある。
現在の50歳60歳は、ピンピンして、働くことも恋をすることもできる。むかしに比べて食い物がよくなったから、そうかんたんには体の細胞が衰えない。寿命が延びたといっても、むかしの人だって、50歳60歳になれば、いまの70歳80歳の老人のような体になってしまっていたのである。上野氏のように、人類は現代社会になってはじめて「老後」という問題に直面した、などといっていたら誤る。中世の社会にだって「老後」という問題があったのだ。そして彼らは、その問題をわれわれと同じかわれわれ以上に切実に考え、われわれとは違う対処の仕方をしていたのだ。
それが、「姥捨て」とか「隠遁」という習俗だった。そして能においては「翁=老人」が、大きなテーマのひとつになっていた。あの翁の面は、白髪と皺だらけで、今の80歳の老人の顔と同じではないか。
中世の人の寿命が50歳60歳だったからといって、「老後」という問題がなかったわけではない。そのようにして早くから老後を迎えるから、現代人よりももっとその問題に切実だったともいえる。だからわれわれがそこから学ぶことはきっとある。
僕は、上野千鶴子とかいうブスのインテリ女のいうことに賛同するつもりなんかさらさらない。上野氏に賛同する人がもしもこのブログを読まれたのなら、どうか反論してきていだきたい。こんな脳みその薄っぺらなブスの田舎っぺに現在の介護の思想が誘導されてゆくことに、僕は我慢がならないのだ。
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   3・体を動かそうとする自意識
中世の人々は、老人になっても体が動かなくなるということはあまりなかった。そしていざ体が動かなくなったら、介護を受けることなく「ひとり」で死んでゆく「覚悟=コミットメント」を持っていた。
人間の本性である「生きにくさを生きる」というタッチ(作法)を持っていない現代の老人は、自分の体を自分で動かす能力が衰えてゆきやすい。それは、高齢社会になったからというだけの問題ではない。
現代は、自分の体を支配しようとする自意識過剰の人間が多すぎる。だから、あっけなく要介護老人になってしまう。90歳になっても、動ける人は動ける。
目の前のコップを取るのに必要な意識は、「コップを取ろうとする」意識であって、「手を動かそうとする=身体を支配しようとする」自意識ではない。
つまり、自分の身体とコップとのあいだの「空間=距離」を正確に把握することによってその動きが成り立っているのであって、その「空間=距離」の把握がおぼつかないまま手を動かそうとしても、それはどうしても鈍くさい動きになってしまう。
動きが鈍くさいということは、空間の把握がなっていないということであって、身体に対する意識が足りないからではない。むしろ、身体を意識しすぎるから鈍くさくなってしまうのだ。身体を意識しすぎれば、とうぜん空間に対する意識は希薄になってしまう。
「身体=自分」に対する意識が強すぎれば、外界や他者に対する反応が鈍くなる。コップと自分の身体とのあいだの「空間=距離」を把握するとは、外界に「反応する」という意識である。
外界や他者に対する反応を豊かに持っている老人は、そうかんたんに体が動かなくなってしまうということがない。外界に対する反応が豊かな老人はみずからの身体を支配しようとする意識が希薄だから、身体の衰えも受け入れてゆくことができる。そうして衰えたなら衰えたなりの動きができる。そういう生きにくさを生きることができる。つまり、コップと空間に対する意識だけで、身体の動きは身体にまかせることができる。
老人の体が動かないことは、筋肉や骨の衰えだけを理由にすることはできない。ふだんの心がけの問題でもある。
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   4・歩くということ
歩くという行為は、体の重心を前に倒していけば自然に足が前に出るという仕組みの上に成り立っている。われわれは、足に動けと命令して歩いているのではない。自然に歩いてゆけるような身体の仕組みや習性をすでに持っている。二本の足で立つことは、じっと立っていることが困難な不安定な姿勢で、自然に歩いてしまうようにできている姿勢なのである。
「あそこまで歩こう」と思うことは、「あそこ」と「ここ(身体)」とのあいだの「空間」を把握する意識であり、そう思えば、歩くことは身体が勝手にやってくれる。
二本の足で立っている人類は、体の動きは体にまかせてしまう心の習性を本性=本能として持っている。
すなわち、体を支配しながら安楽に生きてゆこうとするのは現代人の観念性であって、人間の本性でもなんでもない。そういう観念性が強くなったから、歳をとると体が動かなくなってしまうのだ。
少なくとも歩くということは、二本の足で立つことができれば自然に歩けるようにできている。
認知症の徘徊老人が、散歩に出て自分がどこを歩いているのか分からなくなってしまうのは、意識が身体を動かすことばかりに向いて外界に対する反応を喪失しているからだ。意識のはたらきが希薄になっているからではない。意識が偏ってしまっているだけだ。認知症になると、その人の人間性=観念性がもろに出てしまう。彼は、外界に対する反応、すなわち空間意識を喪失してしまっている。そういうはたらきをする部分の脳細胞が死滅して、「自分=身体」に対する意識ばかり活発にはたらいている。
認知症は、意識がもうろうとなることではない。老衰して自然に意識がもうろうとなってゆく現象ではない。そういう自然な過程に失敗して、認知症になるのだ。意識がひどく不自然に偏ってしまっている場合が多い。彼らの意識は、外界の「空間」を認識することを必要とせず、「自分­=身体」に向かって特化してしまっている。
いや僕は、認知症のことはよく知らない。いいたいのはつまり、現代社会の老人の多くが介護を必要としていることは、ただみんなが長生きするようになったからというだけではすまない問題が潜んでいる、ということだ。
老人がうまく体を動かせないのは、身体意識ではなく、「空間意識」が希薄になってしまっているからだ。現代人の身体意識はむしろ、過剰になってしまっている。過剰になってしまっているからうまく動かせない。
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   5・体を動かせなくなってしまう
安楽に生きることが価値の世の中なら、身体意識は過剰になってしまう。その原因としては、意識が貨幣経済に浸食されているとか、欧米の近代合理主義の影響とか、戦後の民主主義信仰とか、まあいろいろ考えられるのだろうが、ようするに現代人はふだんの心がけが悪いから体が動かなくなってしまうのであり、そういう状況だから介護システムの充実を叫ばずにいられないのだろう。
高齢社会は理由にならない。理由にならないからこそ、希望はあるのだ。
誰だって、できることなら最後まで自分で体を動かして生ききりたいと願っている。なのに現代人は、やがて自分の体を動かせなくなるだろうという不安に強迫されている。自分の体を支配することばかりして生きているからだ。
そんな心配を今からしたってはじまらない。動かせなくなってから考えればよい。心配しているから動かせなくなってしまうのだ。
中世の人は、何も心配しなかった。なぜなら、動かせなくなったときは死ぬときだと覚悟していたからだ。彼らの意識に、介護される老後のイメージなどなかった。だから、老人になっても体を動かせた。西行芭蕉は、死ぬ直前まで体を動かして旅をしていた。
われわれは、体が動かなくなって介護されることばかり語るのではなく、西行芭蕉のように死ぬ直前まで自分で体を動かして生ききることも問うべきではないだろうか。
西行は、72歳まで生きた。50歳を過ぎればいつ死んでもおかしくない老人の体になってしまっていたそのころにしたら例外的に長寿で、現在に当てはめれば、90歳くらいまで生きて旅していたことになるのかもしれない。
人間の体は、基本的には生きてあるかぎり動かせるようにできているのではないだろうか。少なくとも、立てるのなら歩けるようにはできている、自意識が邪魔しないかぎり。
身体は、身体に対する意識をほどくようにして動いてゆく。
体を動かすことは、体そのものというより、意識というか脳のはたらきの問題なのだろうと思う。
体のことを忘れてしまうタッチは必要だ。体のことを忘れてしまうようにして、体が動いている。
安楽であるということは、体に対する意識として自覚される。
それに対して生きにくさを生きているものは、体のことを忘れてしまわなければ生きられない。そういうタッチを持たなければ、介護なしの老後は生きられない。介護なしの老後を生きている人は、そういうタッチを持っている。
介護なしの老後を生きることは、生きにくさを生きることである。そして、生きにくさを生きることが人間の本性であり、そこでこそ生きてあることのカタルシスが体験されている。
そりゃあ、現実問題として、最後の最後は介護を受けるしかないのだろう。しかし、最後の最後まで介護なしで生きられたらと誰もが思っているし、そのためには「介護を受けるときは死ぬときだ」という覚悟で可能な限り生きにくさを生きるしかない。
「介護をされる老後」という心の準備をしておく必要は何もない。そんな心がけだから、すぐ体が動かなくなってしまうのだ。
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   6・基本は、歩くこと
誰もが「介護をされる老後」など勘定に入れないで生きている世の中が悪いとはいえない。
単純に経済の問題としても、誰もが「介護をされる老後」を願って世の中にその需要があふれているかぎり、介護の費用が安くなることも介護の質が上がることもあり得ない。
できるだけ介護なしに生ききることが模索されはじめている時代なのだ。そのためのひとつとして、人の体はどのようにして動くのかという身体論もいくつか出てきている。
むかしの日本人によるほとんど手を振らないで歩く「なんば歩き」が一部で注目されているのも、そうした現代的な潮流の表れかもしれない。今のところそれは、バスケットなどのスポーツの現場で採用されることが多いが、歩けるかどうかというせっぱつまった問いに対するひとつの答えとして考えている人もいるにちがいない。
「なんば歩き」の「なんば」は、おそらく「難場」だろう。古代の日本列島の街道は、ほとんどが山道だった。海の近くの平地は湿地帯になってることが多かったし、広い川に橋をかける技術もまだなかった。日本列島は、たくさんの川が平地に流れ込んでいる地形であるため、平地の広い川に橋をかけて街道が整備されてきたのは、近世以後のことらしい。
古代の日本列島の住民にとっては、歩くことはそのまま山道を歩くことだった。そういうアップダウンが続いて岩石が転がっている山道のことを「なんば=難場」といったのだろう。
そこは、とても歩きにくいし、転んで崖下に転落すれば命もない。そういう「難場」を歩くためには、いたずらに手を振ってばかりいられない。バランスを取るために、手はつねにニュートラルの状態にしておく必要がある。このような状況から生まれ育ってきたのが「なんば歩き」らしい。能舞の歩き方も、まあ「なんば歩き」の一種だろう。
人間は、生きにくさを生きようとする生き物である。そこでさまざまな文化や文明を発見してきた。つまり、そこから生きてあることのカタルシスを汲み上げながら歴史を歩んできたのだ。
日本列島の古代人は、山道という「難場」を歩くこと自体にカタルシスを覚えながら、その歩き方を身体化していった。これは、小学生が一輪車に乗る練習を転んでも転んでも繰り返すのと同じだ。人間とは、そのようにして生きにくさを生きようとする生き物である。
ともあれ「なんば歩き」は、もともと、生きるか死ぬか、歩けるか否かの、せっぱつまった状況での歩き方なのだ。それは、意識を身体から引きはがし、足元やまわりの地形に意識を集中させてゆく歩き方である。そしてこれが、歩くことの意識の基本であり究極のかたちなのだ。
この歩き方が身についていたから、西行芭蕉は死ぬまで歩き続けることができたのだろう。
もしかしたら日本列島の住民には、死ぬまで歩き続けることのできる資質がそなわっているのかもしれない。
近ごろの中高年の山歩きのブームだって、死ぬまで歩き続けられる身でありたいという無意識の願いが共有されているのかもしれない。
山歩きこそ日本列島の住民にとっての歩くことの基本であり究極なのだ。そしてそれはすなわち、生きにくさを嘆きながら生きようとする「あはれ」や「はかなし」の世界観の伝統にほかならない。
日本列島の住民は、もともと「介護される老後」を勘定に入れないで生きようとする民族なのだ。
それはもう、上野氏のいうような「家父長制」とか「男尊女卑」の問題などではない。
安楽に生きる権利を女にもよこせ、てか。アホらしい。欲しけりゃくれてやればいいのだ。おまえらの、「介護される権利」をわめき散らしながら死んでゆく姿など、べつにうらやましくもなんともない。
われわれはもう、生きにくいこの生を、社会の隅でひとりつつましくしみじみと生ききって死んでゆければと願うばかりだ。
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