2010-10-01から1ヶ月間の記事一覧

新聞・雑誌であれ、テレビ・ラジオであれ、現在のこの国におけるマスメディアの退廃は目を覆うばかりだ、と嘆いている人がたくさんいる。とくにこのネット社会は、ひとまずマスメディアと対抗する勢力になりつつあるから、そういうことをいう人がたくさんい…

ともあれことばは、人間的な連携の機能として生まれてきた。 しかし人間的な連携とは、「伝達」することではなく、「共有」してゆくことなのだ。 伝達することによって共有してゆくのではない。ことばによって「共有する」という基礎がつくられたことによっ…

1 「共存共貧」とは、生態学や生物学の用語らしい。 「生物多様性」という環境は、そこに生息するすべての生物が環境に対する十全な適合をもてないまま、おたがいやっとこさ生きているという状態のうえに実現されている。それを「共存共貧」という。「共存…

ことばは、ひとまず人間的な連携の道具であるといえるのかもしれない。 では、人間的な連携とは、意味を「伝達」し合うことか。 そうとはいえない。 愛し合う男女に、意味を伝達するためのことばなど不要だろう。 連携できないものどうしが連携してゆくため…

故障中

何か、パソコンが壊れてしまったみたいです。 コメントの受信も返信もアップできなくなっています。 ・・・・・・・・・ いや、なおったかもしれない。 ・・・・・・・・・・・・・ いやいや、やっぱりおかしい

やまとことばと原始言語 5・教育とは人間の連携をつくる場である

直立二足歩行の起源がみんないっせいに立ち上がったことにあるように、歴史は天才によってつくられてきたのではなく、みんなでつくってきたのだ。というか、人がつくったのではなく、時代=環境によってつくられてきただけなのだ。 「人間にはロールモデル(…

ずいぶん横道に逸れてしまったが、僕は、人類史における言語の発生からやまとことばの誕生までの過程を考えようとしていたのだった。 進化論について考えるときの僕の原則はこうだ。生き物は、環境に適合しようとしているのではなく、環境に対する不適合を生…

進化論について考えたこと 3

キリンの首は、なぜ長くなったのか。 長くなろうとしたのではない。長くはない「嘆き」を生きたからであり、長くなったのは、たんなる「結果」にすぎない。 遠くを見ようとして背伸びをする。背伸びをさせたのは、背が高くないことの嘆きであり、そのとき体…

進化論について考えたこと 2

誰もが、幸せになりたいとか、強くなりたいとか、賢くなりたいとか、まあそんなような欲望を持っているのだとか。この生は、欲望の実現として成り立っているのか。生きることは、生きようとする欲望の上に実現されているのか。 まあ、おおかたの進化論は、そ…

進化論について考えたこと

「恐竜はなぜ滅びたのか」という問題は、多くのひとが気になるところらしい。 隕石が地球に衝突して環境がおかしくなってしまったからだ、という説が、今のところいちばんよく知られている。 僕は、この説に、何かすごくうさんくさいものを感じる。 この説は…

閑話休題・生物多様性

別にとくべつ関心があることでもないのだけれど、「生物多様性」という言葉を耳に挟み、ちょっとこのことについて書いてみようと思った。 このことばは、どちらかというと、あまり好きではない。最近のエコロジーブームとともに、「生物の多様性を守る」とい…

やまとことばと原始言語 4・家族を守るために、だってさ

高橋源一郎という人は、ある酒場で、「おまえには国のために戦う気概がない」とからんできた見知らぬ酔っ払い客に対して「僕は家族を守るために命を投げ出す用意はあるが、国のために戦う趣味はない。そんな個人的な趣味をこっちに押し付けてくるな」と大見…

閑話休題・返信

「腐女子48」さんから、次のようなコメントをいただきました。 返信を書いていたら長くなりすぎてコメント欄に入りきらなくなったので、ここに載せることにさせていただきます。 _______________________________ 腐女子48…

やまとことばと原始言語 3・身体の輪郭

がんばって若作りをしていても、後姿を見ただけでその人の年齢がわかってしまう、ということがある。それは、顔や体型やファッションだけのことではない。なんとなくの気配というのがある。 不思議にわかってしまう。 では、若者の姿かたちと大人のそれとの…

やまとことばと原始言語 2 「いたたまれない」

ニートや引きこもりにしろ、鬱病にしろ統合失調症とやらにしろ、つまるところ「環境」の病なのだから、育てた親や社会にまったく責任がないとはいえない。 それらのことをすべて脳の疾患ということにして、親も含めて社会全体が自分たちの「教育」の責任を隠…

やまとことばと原始言語 1

「生き延びる」という言葉は嫌いだ。 われわれは生き延びるために生きているのか。明日も生きてあることのために「今ここ」を生きてあるのか。大切なのは明日も生きてあることであって、「今ここ」はそのための道具というか踏み台にすぎない、というわけです…