やまとことばと原始言語 1

「生き延びる」という言葉は嫌いだ。
われわれは生き延びるために生きているのか。明日も生きてあることのために「今ここ」を生きてあるのか。大切なのは明日も生きてあることであって、「今ここ」はそのための道具というか踏み台にすぎない、というわけですか。「今ここ」よりも明日のことのほうが大切なのですか。
くらげには「明日」という時間意識などないでしょう。彼らは、「今ここ」の瞬間瞬間を生きているだけだ。
「生き延びる」などといういじましい命題は「明日=未来」という時間意識を持った人間特有のものかもしれない。そういう時間意識を持っていなければ、生き延びようとする衝動も起きてくるはずがない。
生きものの意識の根源に、生き延びようとする「本能」などはたらいていない。
われわれ人間だって、明日のことなどどうでもいい、「今ここ」でこの人生に決着をつけてしまいたい、という思いで胸がいっぱいになる体験はあるでしょう。いったいどちらが根源的本能的な心の動きだといえるでしょうか。
若者や子供は、おおむねそんな気分で生きているのでしょう。
このおもちゃ買ってくれなきゃいやだ、とおもちゃ屋の床に座り込んで駄々をこねている子供は「今ここ」で人生に決着をつけてしまおうとしているはずだけど、それは、本能的ではなく、「生き延びる」という本能を喪失している状態ですか。
生き延びるためのスケジュールをあれこれノートに書き付けている大人の姿こそ、根源的本能的なのですか。
「朝(あした)に道を問わば夕べに死すとも可なり」ということばだってある。それは、人間の本性を冒涜する言葉なのですか。
若い恋人たちが深夜の公園で語り合ってぐずぐずと最終電車をやり過ごしてしまうとき、「今ここ」が自分の人生のすべてであるような気持ちになってしまっているのでしょう。好きな相手と一緒にいて楽しければ、誰だって別れたくなくなってしまうでしょう。そういう心の動きは、生き延びるという未来の時間を忘れてしまっている。ようするに生きものというのは、そういう「今ここ」に憑依した状態で生きているのではないのですか。
生き延びようとする大人のいじましい未来志向の時間意識が生きものの「本能」だなんて、僕は信じない。
人間以外の生きものは、生き延びようとなんか思っていない。人間だって、生き延びることなんかどうでもいいと思える体験から、生きてあることのカタルシスを汲み上げている。
あるヨーロッパのお姫様が「明日のことがわかっていたら、明日まで生きていてやるものですか」といったそうな。お姫様は、生き延びようとなんかしなくても生きてゆくことのできる環境で暮らしている。
一方、最下層の貧しいものたちは、明日まで生き延びられる保証が何もないから、明日なんか当てにせず、とりあえず「今ここ」を精一杯生きようとしている。こういうのを「その日暮らし」という。お姫様と一緒だ。
中間層の市民だけが、あくせく夢だのスケジュールだのを紡いで未来の時間に取りつき、「今ここ」を置き去りにしながら生きている。
生き延びようとする衝動は、けっして生きものの根源的な「本能」なんかではない。共同体の制度性から生まれてくるただの観念のはたらきにすぎない。
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「生き延びる」とは、あるかどうかわからない「未来」に思いをはせること、すなわち見えない地平線の向こうに対する意識。地平線の向こうには、言葉の違う異民族が住んでいる。大陸の歴史は、そういう異民族との関係としてはじまった。戦争をするにせよ交易をするにせよ、彼らは大いに異民族を意識した。おそらく、異民族との関係を持つための拠点として、共同体(国家)がつくられていったのだろう。そのとき、自分たちは異民族ではないと認識し、自分たちのアイデンティティを確認する場として、自分たちの共同体(国家)という意識が育っていったのだろう。
共同体の歴史は、人類が「二項対立」の意識に目覚めてゆくところからはじまった。彼らは、見えない地平線の向こうの異民族を意識するように、見えない「未来」という時間を「今ここ」の対立項として意識していった。
人類の歴史における異民族との関係は、おそらく共同体(国家)の発生と軌を一にしている。それは、氷河期が明けて以降のおよそ1万年前くらいのことで、数千人規模の都市国家といえばいえるような集落は、そのころからあったらしい。法という制度が整備されて本格的な国家がメソポタミア地方に生まれてきたのは、五,六千年まえくらいのこと。中国の共同体(国家)の歴史も、それほど差はない。
原始時代には、道などなかった。したがって、1万年前よりももっと昔の氷河期に人類が地平線の向こうまで旅をしていったということは、およそありえない。そういうことが本格化してきたのは、氷河期が明けて気候が温暖になった1万年前以降のことのはずである。それまでは、異民族との出会いはなかった。地平線の内側のいくつかの集落が、同じことばを使いながら交流していただけだろう。
しかし、それぞれの集落の位置によって地平線の円周の範囲は違うわけで、ことばの違う異民族の集落と接している集落もある。そういう相手を避けて、ことばを共有する集落どうしがかたまってゆき、都市国家のような大きな集落になっていったのかもしれない。
そうして大きな集落になれば、いろいろと決まりごとが生まれてくる。決まりごと(制度)が共有されてゆくためには、ことばは「伝達」の機能が大切になってくる。集落が大きくなって国家のかたちを持ってくるにつれ、ことばはさらに伝達の機能を特化させていった。
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伝達の機能を第一とすることばは、「二項対立」によって成り立っている。「これはこれ、あれではない」ということを伝え確認しあう道具になっていった。そしてその機能に念を押すように「文字」が生まれてきた。国家のレベルにまで共同体が拡大すれば、もう文字がないと成り立たなかった。
そのとき人類は、「二項対立」というパンドラの箱を開けてしまった。優越感とか劣等感とか差別意識とか支配欲とか所有の意識とか、そういう制度的な観念は、「二項対立」から生まれてくる。
それもまあわれわれ現代人が背負っている負荷であるのだから、そういう観念の良し悪しをあげつらってもはじまらない。しかし、「二項対立」としてことばが生まれてきたとか、そこにことばの本質がある、というような言語学者たちのお定まりの思考にうなずくわけにはゆかない。
ことばは、二項対立の伝達の機能として生まれてきたのではない。ことばにそんな性格が生まれてきたのは、共同体の発生以降のことだ。数万年前にはすでに文節を持った言語操作をしていたという説もあるし、ただ簡単な単語だけの原始言語なら二百万年前からはじまっていたともいわれている。
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異民族を知らない原始人に、二項対立の観念は希薄だ。
二項対立の観念からことばが生まれてきたのではない。ことばに二項対立の意味を付与し、その意味にそってつくり変えていったにすぎない。最初に発せられたことばに二項対立の意味などなかった。ただの「人間的な音声」だったのだ。
結論から先にいってしまえば、ひとつの集団内の親密性を生む機能として生まれてきたのであり、だから今でも地域や国によってことばが違うのだ。
ことばによる親密性は、どのように生まれてくるか。「伝達」の機能によってではない。
道で出会って「やあ」といい、相手も「やあ」と返してきて、たがいに微笑みあう。これが基本だ。同じことばを共有してゆくこと、そこから親密性が生まれてくる。
小津安二郎の映画の名せりふ。
「いい天気だなあ」
「ほんと、いいお天気」
という男女の会話は、まさにそのことを表している。
これが、ことばの起源なのだ。
原初の人類は、ことばを伝え合ったのではない、ことばを共有していったのだ。
ことばは、話す人に対する聞く人、という二項対立の関係の「伝達」の機能として生まれてきたのではなく、発せられたその音声をともに「聞く人」となって共有していったのだ。
これが、「やあ」といって「やあ」と答える関係である。
そしてそのとき、彼らの人生は「今ここ」において決着している。そういう感慨のカタルシスを体験する機能としてことばが生まれてきたのだ。
親密性の発生、すなわち「ときめき」とは、「今ここ」において人生が決着する体験のこと。そういう機能としてことばが生まれてきたのであり、「生き延びる」ための伝達の機能としてではないし、「これはこれ、あれではない」という二項対立の機能であったのでもさらにない。
他者とのあいだの親密性とともに、「今ここ」に時間が凝縮してゆくカタルシスの体験として生まれてきたのだ。
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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
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