2011-11-01から1ヶ月間の記事一覧

視覚や聴覚が空間意識をつくるのではない、先験的な空間意識が視覚や聴覚のはたらき方を規定しているのだ。そこのところの想像力のない人に何をいってもしょうがない。 人間の「空間」の感じ方は、ただ二次元的な距離や広さとか、三次元的な空気の広がりのこ…

われわれは、知らず知らずのうちに目や顔を動かしてまわりの景色を眺めている。これもまた身体運動であり、先験的に空間を認識しているように思いこんでいても、じつはそれ以前にそういう身体運動をしている……という反論もあるのかもしれない。 しかし僕が「…

この世に天国や極楽浄土や生まれ変わりの教えがあろうとも、われわれはひとまず、死ぬことはこの世界から意識も体も消えてしまうことである、と思っている。 誰もが漠然とそんなイメージを抱いて死を怖がってしまうからそういう死後の世界のイメージが紡ぎだ…

生き物であることの根源的な与件は「動く」ということにあるのかもしれないが、われわれは「身体を動かす」という「未来」を共有して存在しているのではないし、動くことによってこの世界の「空間」を認識しているのでもない。 生き物にとって動くことはたん…

人の空間意識を考えるなら、「歩く」ということは重要なテーマだ。 とはいえ、歩くことによって空間を認識するのではない。すでに空間を認識しているから歩くことをする。ここのところは大事だ。ここのところは譲れない。譲れば、僕が今まで考えてきたことは…

たぶんこのブログに書いてあることの多くは、世の中の常識を無視した思考の上に成り立っている。 「そんなことあるものか」と思うことがたくさんある。 というか僕には、世の中の常識というものが、よくわからないのです。 僕は現代のこの世界に生きている人…

僕は、この世界の空間を認識するのに身体など関係ない、と言っているのではない。 「身体運動」ではなく、「身体空間のパースペクティブ」を物差しにして、「広い」とか「狭い」とか「高い」とか「低い」とか「大きい」とか「小さい」とか「遠い」とか「近い…

承前 われわれはまず胎内空間で空間意識を持つ。 それは、どんな空間なのか。 みずからの身体と羊水との境界は自覚されているだろうか。 すでに生き物として生きはじめているのだから、それはきっとわかっているのだろう。 胎児は、すでにみずからの身体の輪…

またまた、横道にそれる。今度は、大いにそれる。差し当たってはネアンデルタール人のことと関係ないのだが、もしかしたらこの道でネアンデルタール人のところに戻ってくることができるのかもしれない、と思わないでもない。 「哲学はなぜ間違うのか」という…

「人間とは何か」という問いを、僕は直立二足歩行の起源やネアンデルタール人のところから考えはじめた。 しかしそれだけではまだだめで、科学者が宇宙の成り立ちについて考えているように、われわれもせめて、生き物の起源のところから考えはじめるべきであ…

なぜネアンデルタール人なのか。 僕はネアンデルタール人を、地球上から滅んでしまった人々としては考えていない。 純粋なアフリカ人以外の現代人の誰の中にもネアンデルタール人の血は流れている。これは、最近の遺伝子研究で明らかにされたことである。 現…

人との関係がうまくつくれないとかコミュニケーションが取れないことは、精神医学ではいちおう「病理」だということになっている。 しかし人間は、もともとコミュニケーションの成り立たない関係をつくろうとする習性を持っている。だから、その治療が困難に…

最近ドイツで、1万5千年前の石に描かれた抽象画が見つかった、と報じられている。 1万5千年前といえば、氷河期のクロマニヨンの時代である。 それは、点線だけが描かれてあるのだとか。 研究者たちはこれを、何か象徴的な意味があるのだろう、と騒いでい…

人と人の関係の基本は、「一緒にいることの充足」ではなく、「出会いのときめき」にある。 人間は、たとえ一緒にいても、そこから「出会いのときめき」を感じ合う関係の作法を持っているから、かくも大きく密集した集団でさえ受け入れることができる。 直立…

人類の歴史はまず、自分を忘れてひたすら他者の存在にときめいてゆくところから猿のレベルを超えて大きく密集した集団を生み出していった。それがネアンデルタール人の時代であり、ネアンデルタール人を問うことは、人間の集団性や人と人の関係の根源を問う…

内田樹先生は、ヘーゲルの言葉を引用しながら「人間とは自己意識であり、労働は自己を確認する行為である」といっておられる。 しかしねえ、いったい、どんな自己を確認するのか。 自分はこの社会の一員であるとか、自分は世のため人のために役立っている存…

この身体は神の入れ物である……氷河期の北ヨーロッパを生きたネアンデルタール人には、おそらくそのような意識があった。 彼らの世界に「神」という概念があったのかどうかはわからないが、極寒の空の下で凍えて震えているだけのみずからの身体の状態とひとま…

「私は人のために生きている。それが私の生きる励みになっている」……たとえば内田樹先生とか役所などに勤めている善意の人はよくこんなことを言うわけじゃないですか。それが人間のまっとうな生き方だ、と。 じゃあ、人に迷惑かけるばかりで勝手に生きている…

集団的置換説、3万年前にヨーロッパのネアンデルタール人は滅んで、アフリカからやってきたホモ・サピエンスが住み着いていった……つい2,3年前まで、日本では誰もがこんなことばかり言っていた。 だから、現在の本屋に出回っている日本人が書いた「ネアン…