2007-03-01から1ヶ月間の記事一覧

古代の権力

大和朝廷をつくったのは、ずっとむかしから奈良盆地で暮らしてきた人々であって、よそからやってきた権力者ではないはずです。奈良盆地に人が集まってきて共同体が生まれ、そこから権力者が生まれていったのでしょう。 どこかから権力者がやってきて大和朝廷…

古代の戦争

中世の合戦では、一対一で「やあやあ我こそは・・・」と名乗りあってから戦っていたのだとか。どこまで本当かよく知りませんが、日本列島的な気質として、ありうることだと思えます。 彼らが戦いにのぞむにさいして、第一義的な問題は、いかにして相手をやっつ…

弥生時代における奈良盆地の稲作

奈良盆地で最初の政権国家が生まれたのは、そこにたくさん人が集まってきたからであり、大陸人が漂着してくる北陸地方にも近かった、ということもあったかもしれない。そしてそこでは、すでに平地で暮らすということが試されていたから、稲作にもスムーズに…

現代人の漂泊

懺悔して、出直しです。 僕は、この「漂泊論」を、自分の現在の問題として考えています。縄文人のさすらう心性が、自分とは異質なものとは、まったく思わない。そしてそれは、現在の日本人の行動原理でもあるはずです。 今日はそのへんのところをちょいとつ…

誰か・・・

自己嫌悪です。「漂泊論」を続けるモチベーションがしぼんでしまいました。 まだ半分しか来ていないというのに。 家族でも親戚でも友人でもいい、誰か、ひとことコメントしてくれませんか。都市に棲む山姥さん、あとすこし、やまとことばのことを教えていた…

弥生時代の幕開け

縄文時代初期の人口比は、9割が東北地方で暮らしていた、といわれています。 その人たちが、山野をさすらいながら、すこしずつ南下していった。 しかし、さすらい人の習性として、日が上る東に向かうことは多くても、日が沈む西の向こうは夜であり黄泉の国…

奈良盆地と大和朝廷の成立

万葉集を読めば、古代人がいかに奈良盆地の景観を愛していたかがよくわかる。その感慨は、おそらく昨日今日そこに住み着いた人たちのものではないでしょう。かれらは、この世に奈良盆地以上の場所なんかどこにもないのだという愛着を、ストレートに表現して…

大和は国のまほろば

大和は国のまほろば・・・この言葉に、古代人の奈良盆地に対する愛着が、もっとも端的にあらわれていると思えます。 まほろばとは、見晴るかす(=まほろ)土地(=ば)、というような意味らしい。 ここでの「ば」は、「場所」という空間のことではないと思えま…

やまとことばの語感についての質問

今回はちょいと横にそれて、この本文じたいを、都市に棲む山姥さんへの「やまとことば」についての質問とします。 ・・・・・・・・・・・ 志賀島の金印のことを思い出したら、なんだか腹が立ってきました。 そこに刻まれた「漢の倭の奴(な)の国王」・・・と…

奈良盆地、あるいは大和盆地

縄文人は山の民だったのであり、大和朝廷を築いた人たちもまた、海なんか恋しがらなかった。したがって、弥生人が大陸から海を渡ってきたということも、海辺に住んでいた人たちが奈良盆地に住み着いて大和朝廷をつくったということも、ありえない話であろう…

山野をさすらうということ

原初の日本人(=縄文人)は、目の前に広がる海を眺めながら、自分たちの暮らしているところが大陸から切り離されてしまったことを悟り、絶望して、山に逃げ込んだ・・・といえば、なんだか見てきたような話の小説じみているが、あながち大げさともいえない。 …

不愉快な話題

まったく、つまらないことを書いてしまったために、そのつまらないことに立ち止まってしまう羽目になりました。女性にとってはじつに不愉快な話であろうと思うのですが、縄文人の女は堕胎をしていたか、という問題です。 書いてみたら二、三回分くらいの長さ…

日本人の源流

ここでもう一度、日本人の源流についておさらいをしておきます。 7万年前から1万3千年前までの氷河期において、日本列島は、北海道と樺太・シベリア大陸、北九州と朝鮮半島、沖縄と中国大陸、この三箇所でおおよそ大陸とつながっていたらしい。 しかし最初…

いざなう性といざなわれる性

縄文時代は、それほど安定した食糧生産をしているのに、ほとんど人口が増えなかったらしい。それは、彼らの寿命が平均30数年ときわめて短かったことに加え、女が一生のあいだに産む子供の数が比較的少なかったからでしょう。 つまり男たちは、子供のいるや…

縄文社会の誕生

縄文社会は、いつから、なぜそういう構造になっていったのか、ということについて考えてみます。こういう問題を、想像力だけで「追体験」してゆこうとすることが、いかにしんどく、いかに得られるものが少ないかを思い知らされるばかりですが、かといって歴…

縄文社会の構造Ⅱ

縄文人の社会の構造は、この生の身体生理的なかたちをそのまま外化している。 山野をさすらう男たちが、家でじっと待つ女をたずねてゆくという構図は、男と女の身体性およびセックスの関係性そのものだった。 縄文人は、この生の根源をそのまま社会の構造と…

縄文時代の男と女の関係

1・・・・・・・・・・・・・・ 歴史は、人間がつくたのではない。人間の顔をした人間の運命です。 縄文人の知能はこんなものだから、こんな社会をつくっただろうというような理屈では答えになっていないのです。 それは、縄文人の「運命」だったのです。縄…

縄文社会の構造

縄文人がどんな暮らしをしていたかの説明が、いいかげんでした。 あらためて確認しておきます。 まず、彼らの集落の多くは、山間地の丘陵地帯にあり、10戸前後のきわめて小規模なものだった。5戸、という例もある。入り口が竪穴式の円形のかやぶき住居で…

禊ぎの文化

縄文時代は、まだ稲作農耕ははじまっていなかった。狩猟採集の社会では、群れのテリトリーを広く持たなければやってゆけない。したがって、縄文時代の集落間の距離は、ひとやま、あるいは峠をひとつ越えるくらい離れていたはずです。だから、ふだんから顔見…

縄文人の歌垣

旅人を「まれびと」としてもてなす日本的な心性は、縄文時代のツマドイ婚からすでにはじまっている。 日本人は、旅をする民族なのではない。旅人をあつくもてなす民族なのだ。 旅人をあつくもてなす民族だから、人は、旅人になる。 旅をすることは、村に入っ…

縄文時代の女たち

縄文時代の男たちは、狩のために、つねに山野をさすらっていた。そういう行動性から、「つまどい婚」の風習が生まれてきた。 男たちがなぜ、糸の切れた凧のようにさすらい続けることができたかといえば、まわりの山の眺めを「これが世界のすべてだ」と認識し…

縄文人の心Ⅱ

縄文人の「つま問い婚」について語るとき、よく「集落の結束を固めるためのインセスト・タブーである」などという言い方がなされます。小さな集落内でむやみにセックスしていると人間関係が壊れるし、近親相姦の弊害も生まれてくる、というわけです。 しかし…