山野をさすらうということ

原初の日本人(=縄文人)は、目の前に広がる海を眺めながら、自分たちの暮らしているところが大陸から切り離されてしまったことを悟り、絶望して、山に逃げ込んだ・・・といえば、なんだか見てきたような話の小説じみているが、あながち大げさともいえない。
じっさい、氷河期明けとともに海面が上昇し、海岸線は年々陸地を侵食していったし、また気温の上昇によって河川の水量は増し、平原はすべて湿地帯に変わってしまった。
もう、山に逃げ込むしかなかった。
縄文人のほとんどが、山の民だった。
縄文人は、海に対するトラウマがあった。
だから、神武東征のときに東北地方の熊襲が北海道に逃げていってアイヌになった、などという話は、おそらく嘘なのです。
海に対するトラウマのある縄文人は、けっして海に逃げるというようなことはしない。
もっと山奥に逃げ込んでいっただけでしょう。
そして、山歩きに関してなら、平坦な奈良盆地で暮らしていた大和朝廷の軍隊より、熊襲の方が、ずっと慣れていたはずです。だから、絶対つかまえることはできない。そんなところに入り込めば、むしろ、徹底したゲリラ戦法に遭って、朝廷の軍隊はどんどん衰弱していったことでしょう。
まあ、熊襲に戦う意欲があったらの話ですけどね。
山奥でじっとしていれば、そのうち相手は帰ってゆく。
神武東征なんて、ただの作り話だろうと思います。
山野をさすらっていた縄文人を滅ぼすことなんか、誰もできない。
むしろその山野をさすらう能力こそが、日本列島が統一国家になってゆくことを可能にしたのではないでしょうか。
たとえば、古代のギリシアでは、あんな狭い地域にいくつもの都市国家が分立していた。それにたいして、ともあれ日本列島は、ひとつの国家として始まり、そのかたちが現代まで変わらず続いている。古代の日本列島は山しか往来できるところがなかったが、それでも山を越えてさかんに人が行き来していたからでしょう。
そういう往来は、ギリシアにはなかった。だから、都市国家が分立していた。
マラトンの戦いで42・195キロを走りぬいた若者は伝説になったが、縄文人にとってそれくらいのことは、日常の暮らしのようなものだったのかもしれない。
山道しかないのに、たやすく人が奈良盆地に集まり、たやすく列島の隅々まで散ってゆくことができたのでしょう。
日本列島が統一国家になったことは、あたりまえのことではない。もっと狭い島であるイギリスでは、形はどうであれ、実質的にはいまだに三つの国家が分立している。それもこれも、彼らには、「山野をさすらう」という伝統がないからでしょう。