不愉快な話題

まったく、つまらないことを書いてしまったために、そのつまらないことに立ち止まってしまう羽目になりました。女性にとってはじつに不愉快な話であろうと思うのですが、縄文人の女は堕胎をしていたか、という問題です。
書いてみたら二、三回分くらいの長さになってしまったのだけれど、不愉快な話だから、一気に発信してしまいます。
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まず、縄文人の生活環境は、食料資源であれ気候条件であれ、世界的にみてもかなり恵まれていたはずです。誰も餓え死にしなかったし、気候も温暖だった。
人口増加にはおあつらえむきの条件がそろっていたにもかかわらず、増加しなかった。
縄文時代は、地球の氷河期が明けた直後で、おおよそ世界中のどこでも人口増加の一途をたどった時代でした。とくに、縄文末期からはじまっている、ナイル、メソポタミア、インダス、黄河四大文明は、日本列島と同じような緯度に位置し、氷河期明けとともに急速に人口が増えていったことによって生まれてきた。南ヨーロッパだって、マケドニアギリシアの文明が登場してくる直前だった。
日本列島の縄文社会だけが、増えなかった。
少なくとも縄文初期の1万年前の時点では、それらの地域と比べても、文化レベルは決して劣っていなかった。石器の精巧さにおいては、アジアでもっとも進んでいた、という研究者もいる。
気候も食料も文化もととのっていたのに、それでも人口は増えなかった。
だったらもう、「社会の構造」がそういうふうになっていた、と考えるしかない。
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ようするに、縄文の女は、それらの地域の女たちより、生涯に産む子供の数が少なかったからでしょう。
ほかの地域より子供が多く死んでいった、ということはありえない。氷河期のネアンデルタールのように、洞窟でまとめて面倒をみる、というような大雑把な育て方をしたのではない。ちゃんとあたたかい家があり、母親の手できめ細かく育てられていた。むしろ他の地域より、乳幼児の死亡率は低かったかもしれない。
ただ、他の地域よりは寿命が短かった、ということはある。同じくらいの寿命だったネアンデルタールの女は生涯に8人くらい子供を産んでいた、といわれている。それでも人口が増えなかったのは、極寒の環境下で、乳幼児の死亡率がきわめて高かったからだが、しかし単純計算すれば、親の数(父と母の二人)より多くの子供を産み育てれば、人口は増えてゆくはずです。ほかの地域は、そうやって人口を増やしていった。
人口が増えるか否かは、寿命の長さではなく、あくまで女が産む子供の数の問題であるはずです。
げんみつに計算すればどうなるのかはよくわからないが、とにかく、縄文の女が産む子供の数は、あまり多くなかったらしい。
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縄文人の集落は、女だけで維持されていた。したがって、食料調達の能力に限界があっただろうと考えられます。それほどたくさんの子供をまとめて育てられるわけじゃなかった。
食糧の問題だけではなく、多すぎると、管理しきれなくなって、集落の秩序が保てなくなる。
女たちは集落の周りに落とし穴を作ったりして共同で狩をし、共同で木の実や山菜を採集していた。また、多少の野菜栽培もしていたらしい。そういう共産制の暮らしにおいて、ひとりが無際限に子供をつくれば、その一家のために集落全体が餓えなければならなくなったりする。
また、子供どうしの関係においても、きょうだいの多い子達がなにかと幅を利かし、一人っ子は、小さくなっていなければならない。みんなでいたわりあうような関係が生まれにくく、それは、彼らが大人になったときの生き方にも影響してくる。大人になってもきょうだい同士の派閥をつくってかたまられたら、ほかのみんなが生きにくくなる。
彼らの集落は、5戸から10戸ていどの小さな集落だったから、ひとりのわがままが、すぐ全体に影響する。
むやみに子供をつくらないことは、集落に暮らす一人一人の、いわばたしなみだった。
一部の成功よりも、みんなで貧乏しよう・・・これは、日本の村落の伝統です。
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というわけで、おそらく、ひとりが何人以上の子を産んではいけないとか、何歳以上になったら子を産んではいけない、というような「禁制」があったはずです。
彼らの寿命が30数年だとすれば、三十代で産んだ子供はみな母親のいない子供になって、集落のお荷物になってしまう。たぶん、25歳までが、子供を生むことが許されるぎりぎりのとしだった。いや、二十歳まで、とされていてもおかしくない。
かといって、二十歳すぎたらもうセックスしちゃいけない、という決まりをつくるわけにもいかない。もしつくれば、二十歳以上の女はみんな逃げ出してしまう。
というか、この禁制は、基本的に、誰もが男たちの「ツマドイ」を受けられるようにするためのものだったはずです。ツマドイを受けなければ、子供をつくれなくて集落は消滅してしまうし、自分たちの生きる張り合いもない。また、男たちに手伝ってもらわねばならないこともいっぱいあったでしょう。それに、土産のいのししや熊の肉とか珍しい木の実とか、そういうことも含めて、集落の活性化のためにこそ、ツマドイを受けることがまず基本としてあったはずです。
集落それじたいが、ツマドイを受けるための機能として存在していた。
誰もがツマドイを受けられるためには、集落は大きくても小さくてもいけない。大きくなれば受けられない者が出てくるし、小さすぎれば、遠くでさすらう男たちに見つけてもらえない。
そういう微妙なバランスを維持するためには、子供をつくりすぎないための、それなりの工夫(禁制)は必要だったにちがいない。
子供が増えるということは、その子供たちが成長したときに新しい家をつくらねばならないということです。そうなれば、村の秩序や結束は、どんどん壊れてゆく。
たとえば、十五歳で子供を産んで、その子が十五歳になったとき、母親は三十歳になっている。三十歳ならまだまだ女盛りだろうが、もうその母親に出番はない。村に若い娘がたくさん出現すれば、年長の女たちは、どんどん置き去りにされてしまう。
まあ、ひとりの女の子とひとりの男の子をつくり、その子らが成人したときに自分が老いて死んでゆく、そういうサイクルが、新しい家をつくる必要もないし、村が大きくも小さくもならないちょうどよいかたちだったのではないでしょうか。
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レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」によれば、アマゾン奥地の未開のインディオであるナンビクワラ族は、1935年の時点で、まだ縄文時代とほとんど同じ文化レベルで暮らし、彼らの群れには、子供を産んだ女は3年間夫婦の交わりをしてはいけない、という禁制があったのだとか。
彼らは、雨季の半年間は農耕栽培をしながら定住し、乾季の半年は移動生活する、ということを繰り返して暮らしていたそうです。つまり、小さな子をふたりも抱えていると、この移動が困難になってしまうのですね。
彼らの移動は、男たちは槍だけを持って、敵や肉食獣の来襲にそなえながら歩き、女たちが大きな籠に詰めた重い家財道具を背負ってゆくのです。したがって、その上さらに子供ふたりを抱いてゆくということは不可能なのです。手にも、こまごまとしたものを持っていますからね。また、乾季のときは、ろくな食い物にもありつけない生活になるから、人口の増えすぎをつねに抑制しておく必要があった。
まあ、やむを得ないともいえる禁制なのだが、夫婦がくっつきあって寝ることを禁止しているわけではないから、守られるはずないですよね。
そこで、禁止期間中に女が妊娠してしまうことがよくあるわけで、そんななとき、川に行ってさっさと堕胎してしまうのだそうです。
彼らはとても子供をかわいがる部族で、その落差に、レヴィ=ストロースも一時はあ然としたらしい。
しかし、それを、ごくあたりまえの行為としてやってのけるその潔さというのは、僕はすごいと思います。
彼らが、知能の劣った原始人だからじゃない。彼らは、そんなみずからの生のいとなみを、きっちり「これがすべてだ」と了解しているからでしょう。あんな原始的で悲惨な生活をしいられていてもなお、それ以上の生をけっして望まない。すごいですよ。かわいいものはかわいい、運命は運命、として、まるごと受け入れる。
それこそ、粛々とやってのけるのだそうです。厳粛ですよ。
自分の生の中に、ちゃんと「果て」というのを持っているのですよね。「これが、この生(この世界)のすべてだ」と深く認識していなければ、できる行為ではない。
漂泊者とは、世界の果てにたどり着いたものであり、彼らは、見事に、この生(この世界)を漂泊している。
男たちだって、敵の来襲にそなえるのだといいながら女に重たい荷物をしょわせ、そのじつ面白い狩の獲物が見つからないかと目をきょろきょろさせながら歩いているだけなのです。敵の来襲なんて、めったにありゃしない。あったらすぐ荷物を放り出して戦えばいいだけです。そののうてんきさというか、わがままさこそ、縄文の男に通じる漂泊の心性でしょう。
また、彼らの首長は、レヴィ=ストロースの「首長のいちばんの権限は何か」という問いに対して、「戦いのときに先頭に立てることだ」と答えて質問者をいたく感激させたのだが、こんなもの、犠牲的精神でも責任感でもなんでもない、ただ、それがいちばん血沸き肉躍ることだからでしょう。ナンビクワラ族の男たちは、みんな先頭に立ちたいのです。だから「権限」として首長が独占しているのです。
女たちからしたら、たまったものではないですよね。しかし、彼らは、すでに「この生(この世界)の果て」に立っているのであり、どこで死のうと、「これがこの生(この世界)のすべてだ」と、当然のように納得することができる。
漂泊者とはそんなものなのだから、しょうがないのです。
そして、男なんてそんなものだからしょうがない、と納得してしまうナンビクワラの女たちだって、まさしく漂泊者そのものです。それが、彼女らの知っている「男のすべて」なのです。
彼らは、深く「これが、この生(この世界)のすべてだ」と認識している。
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妊娠して子供を産むことは、この生を拡大することだ。それにたいして堕胎することは、良くも悪くも、ここがこの生のすべてだ、と認識して立ち止まってしまうことだといえる。
子供を産むことが、あの山のむこうに行くことだとすれば、堕胎は、山を前にして、ここが行き止まり(世界の果て)だ、と納得して立ち止まってしまうことにほかならない。
日本列島は、山ばかりだから、かんたんに山の向こうに行ってしまえる体験と、どこに行っても山を前にして立ち止まってしまう体験の、両方を与えてくれる。この条件が、縄文の男をさまよわせ、縄文の女に、うずくまるような定住を強いることになった。
縄文の男だって、山を越えたら果てしなく広がる平原だったというのであれば、怖くなって逃げ帰るでしょう。同じように山が立ちはだかっていて、ああこれがすべてだ、ここが世界の果てだ、という感慨を与えてくれるからこそ、どこまでもさまよってゆける。
縄文の男と女は、まったく対照的な暮らしをしながら、じつは同じ感慨を抱いて生きていた。男たちは、つねに世界の果てにたどり着くということを繰り返し、女たちは、すでに世界の果てを見てしまっていた。
ナンビクワラ族の男と女の場合と同じです。さまよっていようと、じっとうずくまっていようと、誰もが「世界の果て」を見てしまっていた。
氷河期が明けて、日本列島は海に閉じ込められてしまった、ということ、これがすべてです。そのとき人々は、海を前にして、ここが世界の果てだ、という感慨を抱くほかなかった。そうして、山にさまよいこんでも、やっぱり山を前にして、ここが世界の果てだ、という感慨を抱いた。
日本列島は、構造的に、人々が「ああここが世界の果てだ」という感慨を抱くほかない場所だった。われわれ日本人は、そういう伝統を無意識として抱えているのであり、そして歴史上、縄文人こそもっとも深くそういう感慨を抱いて生きていたはずです。
すなわち、ナンビクワラ族であれ縄文人であれ、そういう感慨を深く抱いてしまえば、堕胎を受け入れる意識になってゆく、ということです。
現代の軽はずみなギャルだろうと縄文人だろうと、これがこの生のすべてだ、と認識して堕胎を受け入れる。ギャルだろうと縄文人だろうとナンビクワラ族だろうと、それを体内の「異物」だと認識して堕胎している。そしてそれは、正当なことです。今ここがこの生のすべてであるのなら、それは「異物」でしかないのです。それがこの世の人間のかたちをしたものになると、いったい誰が保証してくれるのか。「明日」が存在すると、いったい誰が保証してくれるのか。
おめえらは、神か。
僕は、世界中の人間にたいして、そういいたい。
このていどのレポートではまだまだ舌足らずであることは承知しています。そして、世界の歴史のことは、よく知りません。しかし、この日本列島の歴史は、江戸時代の「間引き」にせよ、構造的に堕胎を受け入れてしまう性格を持っていたのではないか、そう思えてなりません。
縄文時代以来ずっと、です。
これがこの世界(この生)のすべてだ、と深く認識するほかなかった縄文人は、同時に、堕胎を受け入れることのできる心性の持ち主でもあった。
みんなで貧乏しよう、というこの国の村落に根付いていった伝統意識、それは、縄文人の集落の、みんなたくさん子供を持たないようにしようという約束につながってゆくのかもしれない。
長くなりすぎたし、頭も疲れてきたので、ひとまずここまでにします。