女の時代・神道と天皇(60)

縄文時代は、女がリードする社会であり文化だった。
また、広い平地のほとんどは湿原であったために、山の文化でもあった。
山間地には多くの女子供だけの小集落が点在し、男たちは小集団で山道を歩きながらその集落を訪ね廻る旅をしていた。
四国巡礼のお接待の文化はすでに縄文時代からはじまっていた、ともいえる。
男たちは、山道の旅で疲れ果てている。原始的な山道の旅がどんなに苛酷なものであるかは、たとえば四国のお遍路道熊野古道を歩いたことのある人ならよくわかるだろう。縄文時代の山道を旅する男たちだって、女子供の集落の「お接待」がどれほどありがたいものであるかは、骨身にしみて知っていたことだろう。
そのようにして、女がリードする文化が形成されていった。
縄文土器はすべて女の夜なべ仕事によってつくられていたし、祭りの形式だって、小集落なのだからとうぜん共同体の制度性を称揚するようなかたちではなく、あくまで男女の出会いのときめきを盛り上げるようなかたちでなされていたのであり、その伝統は万葉集古事記の時代まで引き継がれていた。まあ古代の「ツマドイ婚」はその名残なのだ。
男が必死に女を追いかける文化だったのだ。
女が、縄文社会の世界観や生命観をリードしていた。
その山間の縄文小集落に思春期を迎えた少年がいるとする。彼は、みずからの家族的小集落以外の女を知らない。それは、まだ恋やセックスに目覚めていないということで、旅する男たちの集団に参加して外の世界の女と出会ってはじめて目覚めてくる。外の世界では同年代の少女だってすでにセックスの体験をしているわけで、とにかく彼は女にリードされてセックスを知る。女の子はもう、子供のときから母親をはじめとするまわりの大人の女からみずからが女であることのさまざまなことを学習してゆくが、男の子にはその機会がほとんどなかった。
基本的に家族の外の世界に対する関心が芽生えてこないことに、セックスに目覚めることもない。たとえマスターベーションを覚えていても、関係性の行為としてのセックスに目覚めることとはまたべつなのだ。
また、女ばかりの家族で育ってゲイになったという話はよく聞くが、それで早く性に目覚めたということはあまりない。まあ縄文集落の場合は、男の子供はほかにもちゃんといるのだから、関心が片寄るということはない。男の子どうしの遊びだってちゃんと育つし、それがなければ将来の大人たちの旅集団に参加してゆけない。
ともあれ縄文社会の少年は、成人してはじめて家族の外の女と出会い、女に教えられながら性に目覚めてゆく。
まあ普遍的に、少年より少女のほうが性的な成熟は早い。文明以前の人間社会の歴史は女にリードにされて推移してきたし、日本列島にはそうした原始性がいまだに色濃く残っている。
変に知恵や知識を振りかざしてばかりいる大人の男たちよりも、じつは女子供のほうがずっと深く豊かな知性をそなえている……これはもう人間性の普遍的な事実であり、この国の歴史は、そういうことがいえる流れになっている。

女の性器は子供が生まれ出てくる場所だからというわけでもないだろうが、女は生まれながらにしてセックスのプロフェッショナルだ。そういうことを日本列島の男たちは縄文以来の歴史の無意識として、深く身にしみて知っている。
べつに日本列島だけの習俗でもないだろうが、古代の「ツマドイ婚」なんて、男が女にひざまずいてゆく習俗だともいえる。
現在の日本列島は誰もがこの世に生まれ出てきたことの幸せを謳歌しているのかもしれないが、満足に生きることがままならない環境に置かれていた古代以前の民衆は、この世に生まれ出てきてしまったことに恐れおののいている人も少なくはなかった。まあそれは、人類普遍の心の底に宿っている無意識であるのかもしれない。現代だって、この世に生まれ出てきてしまったことに恐れおののいている人はいくらでもいる。それでも女は、男よりもその運命をそのまま受け入れる能力を豊かにそなえている。女に比べたら男なんか、恨みがましい不平不満や泣き言をすぐ募らせてしまう生きものだ。この世に女というお手本がいるから、人類は生まれてきてしまったことの取り返しのつかない不幸を受け入れて生きてあることができる。
「運命を受け入れる」ということなしに生きてあることができる人間なんかひとりもいない。不満をいったらきりがない。もっと賢く美人で生まれてきたかったとかというようなことはもとより、誰だって歳を取って死んでゆくという「運命=事実」は受け入れるしかない。日本列島の男たちは、そういう「覚悟」を女から学びながら歴史を歩んできた。大和魂だの神風特攻隊だのといっても、それは、歴史的に女の「覚悟」の深さから学んできたことなのだ。
女とセックスをすれば、女の「覚悟」の深さを学ぶことができる。
まあ生きものメスは、性欲なんかなくてもオスにセックスを「やらせてあげる」ことができるのだ。
人間の女がいくらセックスをしたがっても、それは、やらせてあげたがっているだけなのだ。まあ女として認められたいということもあるのだろうが、それ以上に男にやらせてあげることの深いカタルシスがあるのだろう。
だから日本列島の男は「女にやらせてもらっている」という気分を歴史の無意識として持っており、だから西アジアやインドをはじめとする大陸諸国よりはレイプが少ない。
日本列島には女から何ごとかを学ぶという精神風土があるし、女から何も学んでいない男の知性や感性なんかたかが知れている。
女を教育することなんかできないし、女から学ぶことはたくさんある。
この世界の森羅万象に気づきときめいてゆく女の知性や感性にはかなわない。「女=おみな」というやまとことばには、そういう知性や感性がいっぱい詰まっている存在、という意味というかニュアンスがこめられているのだ。
「な」というやまとことばは、この世界の森羅万象の輝きにときめいてゆくことをあらわしている。

アマテラスはひとまず女の神ということになっているし、神道だって女の知性や感性にリードされて生まれてきたわけで、女の知性や感性はすでに仏教を超えていたのだ。
仏教が呪術をはじめとして「運命を切り開く」ためのものだったとすれば、神道は「運命を受け入れる」というコンセプトの上に成り立っていた。
日本列島の民衆は仏教の加持祈祷をそれなりにありがたがりつつも、それを超えて「運命を受け入れる」という習俗も守り育ててきた。
坊主のお経=加持祈祷がありがたいといっても、「運命を受け入れる」という、女がリードする日本列島の民衆の「精神風土=習俗」はすでにそこを超えて生成してきた。
四国巡礼の習俗は空海がつくったのではない、空海を想う女子供たちがつくったのであり、空海よりも「女子供=民衆」の知性や感性のほうが深く豊かなのだ。
余談だが、巡礼の証しとして持参の納経帳にそれぞれの寺で墨書してもらう習慣があり、それはそれでみごとなものなのだが、じつはこれには300円徴収される仕組みになっているらしい。しかし、だったらそれは無償の行為であることが原則の「お接待」の文化に反する精神ではないのか。寺のほうが「ご苦労様」というねぎらいの言葉とともに進んで書いて差し上げたいという態度になるべきだろう。
寺や真言宗をありがたがる民衆の心に付け込むというのは、それなりに正当な資本主義の運動ではあるが、少しはたしなみというものがあってもいいに違いない。
まあ、寺や坊主なんてもともとそのていどのもので、民衆がそれらをありがたがる気持ちを否定するつもりもないが、そんなものよりも、日々の暮らしの中ですれ違う巡礼に微笑みながらごく自然にねぎらいの言葉をかけたりしている民衆の知性や感性のほうがずっと純粋で高度なのだ。
日本列島の住民は仏教を大切にしてきたが、仏教をどんどん変質させてもきた。なんでも受け入れるが、なんでも変質させてしまう。それは拒否反応があるからだし、拒否反応があるから受け入れることができる。拒否反応があるから、それを超えてゆくことができる。
戦後の日本人はすっかりアメリカナイズしてしまった、という議論をよく聞くが、受け入れつつもそれを超えてゆく拒否反応だってはたらいているに違いない。一時は戦後左翼の知識人の言説がおおいに幅を利かせたが、それでもそれが民衆レベルの盛り上がりになって革命が起きるということにはならなかった。
アメリカの属国なってしまっているなどともよくいわれるが、それで天皇制が衰退したということもない。ちゃんと日本人は日本人の流儀で生きているではないか。
戦後は人情が薄くなったといっても、そんなことは大昔からずっといわれ続けてきていることだ。
進取の気性は日本列島の伝統であり、アメリカナイズされてしまうことが日本列島の伝統というかそれもまた避けがたい歴史の運命だともいえる。そして、どんなにアメリカナイズされても、やっぱり日本人は日本人なのだ。民衆の知性や感性は、いつか必ず知識人や権力者の扇動を超えてゆく。