巡礼にご報謝・神道と天皇(59)

生きてあることのかなしみを知っているものこそ、より深く豊かにときめいてゆくことができる。したがって、そういう真に人間的な知性や感性としての心の動きは、訳知り顔の凡庸で通俗的な大人なんかよりも女子供のほうがずっと深く豊かにそなえている。
これはもう、世の東西変わらずそうなのだ。
西洋人の「ハグ」という抱きしめ合う習俗だって、おそらく女にリードされながら生まれ育ってきたのだろう。生きてあることのかなしみが切実な女は、男よりもハグすることのよろこびを深く知っている。
とにかく、人の知性や感性は、生き延びるための知恵や知識として生成しているのではない。そういう知恵や知識を自慢したがるものほど、じつは知性や感性において貧困なのだ。
人の知性や感性は、「生きられなさを生きる」ところにこそ宿っている。
本格的な知性や感性は、知識や知恵を得るために機能しているのではなく、「気づく」というはたらきをもたらすことにある。その「ときめき」こそがこの生の醍醐味であり、その「ときめき」とともに知性や感性が育ってゆく。
そして知性や感性が鈍磨した多くの文明人は、知識を収集することの満足によって、「ときめき」を失っていることの穴埋めとしている。情報化社会などというが、その勢いはときめきを失った現代人の強迫観念によって推進されているともいえる。
どれほど「俺は何でも知っているんだ」と威張っても、「気づく=ときめく」という体験ができないのなら、その知性や感性はたかが知れている。
より本格的な知性や感性は、「知っているもの」のもとにあるのではなく、「ときめいているもの」のもとにある。
仏教に対するカウンターカルチャーとして神道が生まれてきたことだって、そういう問題でもあるのだ。

宗教を信じることは生き延びるためのひとつの「労働」であり、神道はそんなことを忘れた「遊び」として生まれてきたともいえる。
人は持って生まれた「気づく=ときめく」という知性や感性をなし崩しにしながら生き延びるための知恵や知識を蓄えてゆきもするが、その知性や感性を生きようとして他愛なくときめいてゆく「遊び」という行為にふけったりもする。
拒否反応とともに仏教を受け入れていった結果として神道が生まれてきた。拒否反応がなければ何も受け入れられない。つまり「差異」として受け入れてゆくのであり、近親憎悪という言葉もあるくらいで「同質」であったら受け入れる必要なんかないではないか。家族の外に出て恋をするとか、まあ異性とか見ず知らずの相手とか、人は「差異」に対してときめき受け入れてゆく。
日本列島の住民は、他愛なくときめいてゆくと同時に、なれなれしくべたべたした関係を嫌いもする。拒否反応があるから他愛なくときめいてゆくことができるし、拒否反応があるからべたべたした関係を嫌う。
人は、存在そのものにおいて拒否反応を抱いている。生きてあることの嘆き(かなしみ)はそこから生まれてくる。その嘆き(かなしみ)から他愛なく深く豊かにときめいてゆくことができる。そのようにしてこの世界に深く豊かに気づき反応してゆくことができる知性や感性は、女子供のもとにこそより確かに宿っている。
知識を収集することを知性というのではない。それは気づき反応しときめいてゆくこと。まあ、それができる知性を欠いているから、怒り出したり憎しみを募らせたりすることも多い。そういう知性を欠いたインテリだってたくさんいる。彼らは「気づく」ことができないから、たくさん知識を集めないといけない。知性を欠いているからこそ、知識を収集することに熱心になる。そうやって東大に入る人もいるのだろうが、その先の「気づく」という知性をすでに鈍磨させてしまっている場合も多い。彼は、知識にたどり着くことはできても、知識をもとにして考えてゆくことの醍醐味を知らない。それで大学教授になれたとしても、彼の知性は女子供にも劣るのだ。
知性の輝きは、女子供の他愛ないときめきにこそ宿っている。三島由紀夫のわざとらしい豪傑笑いや、折口信夫のヌメッとした無表情のもとに隠されているのではない。
ほんものの知性は、「解答」にたどり着くのではなく、解答のない荒野に分け入ってゆく。
だから神道では、「かみは見えない」と認識しているのだ。
「解答=救済」が欲しいのなら、仏教でこと足りる。しかしそのとき民衆は、それだけではすまなくて、そこから「知の荒野」に分け入ったのだ。

たとえば四国八十八カ所の巡礼の習俗は、たんなる仏教信仰というだけはすまない、いかにも日本的な性格を持っている。
もっとも有効な「解答(=加持祈祷のご利益)」が欲しいだけならそれにふさわしい寺をひとつ選べばよいだけだろう。それをしないで八十八カ所を廻るということは、それを得ることを放棄しているのと同じなのだ。放棄しなければ、廻れない。放棄して巡礼することは「知の荒野」に分け入ってゆくことであり、そこにこそ「功徳」というカタルシスがある、と民衆は考えた。
空海は多くの寺を加持祈祷して廻り、それぞれの寺にそれなりのお墨付きを与えていったのだろうが、八十八カ所すべてが真言宗の寺というわけではなく、別の宗派の寺や神仏習合の神社もあった。八十八カ所の巡礼の習俗を生み出したのはあくまで民衆であり、それは、加持祈祷のご利益以上に、「巡礼」することそれ自体の「功徳」に思いを寄せていった結果にほかならない。つまり、たてまえがなんであれ、心の底では加持祈祷のご利益なんか信じていないのだ。
加持祈祷をして回った空海よりも、巡礼をはじめた民衆のほうがずっと知的なのだ。空海は本気で加持祈祷の効果を信じていたが、民衆の無意識はそんなのものを信じていなかった。もう、巡礼することそれ自体のカタルシスに身をまかせていった。彼らは空海の行跡をありがたがりながらも、その加持祈祷という宗教的停滞を超えていった。
世界にはメッカ巡礼などのひたすら一か所の聖地を目指して旅をする習俗はたくさんあるが、四国巡礼は、ご利益よりも巡礼することそれ自体が目的になっている。というか、目的がない旅なのだ。八十八カ所のすべてが聖地であると同時に、どこも聖地ではない。
寺と寺のあいだの道中には地元住民による「お接待(ご報謝)」というもてなし(喜捨)の習俗があり、宗教以前の人と人の出会いのときめきを称揚してゆく習俗でもあった。
日本人にとっての「功徳を積む」ということは、宗教というだけではすまない側面がある。ただ単純に、見ず知らずのものどうしが出会ってときめき合う体験がしたいだけなのだ。無心無欲というか、遊び心というか、日常の中に非日常の世界への超出してゆく心的体験を盛り込んでゆくというか。
遊び心で生きて遊び心で死んでゆければ、それがいちばんいい。
というわけで昔は途中で野垂れ死にすることもあったわけだが、そういうかたちで死んでゆけるのならそれもまた本望だったのであり、その死体は地元住民が道端に埋めてやる習慣になっていた。そこは、たとえばらい患者とか身体障害者等の、生きることができなくなった下層の民衆が選んだ最後の死に場所でもあった。だから、白装束で旅に出る。
それは、生きられないものを生かしてやる習俗であると同時に、死なせてやる習俗でもあった。それ以上でも以下でもないのであり、根本的には宗教なんかどうでもいいのだ。
もちろん現在の四国巡礼おいてはいろいろ人情的風俗的に様変わりしていたりもするのだろうが、むやみに宗教と結びつけて考える必要はない。つまり、お寺とか真言宗というようなことは信用しないほうがいい。ただもう四国にはそういう「習俗」があるということ、それだけでいいのではないかと思える。
おそらく今でも、無心に日々の「お接待」を楽しんでいる民衆はたとえ少数でもいるはずだし、旅に出たいという人の心が消えてなくなることもない。日本人なのだもの、というか人間なのだもの。
「御利益」なんかどうでもいいし、「ない」というべきかもしれない。しかし旅をするものもお接待をするものも、それなりの「功徳」のカタルシスは積んでいる。
四国巡礼には、人が旅をすることのカタルシスに対する、純粋で知的な探求がある。

人は、生き延びることだけを求めて生きているのではない。
だから本格的な知性は、解答のない「知の荒野」に分け入ってゆく。名もない民衆の本格的な知性が四国巡礼の習俗を生み出したのであり、彼らは三島由紀夫折口信夫よりもじつはずっと知的な存在なのだ。
かんたんに「衆愚」などといってもらっては困る。インテリを気取った彼らの知性のなんと薄っぺらなことか。
名もない民衆の習俗は、いつか必ず聖人や偉人や英雄の意図を超えていってしまう。
神がかり的に、などというが、聖人や偉人や英雄は、神を意識していようがいまいが、三島や折口のその自意識の強さはまさに「神と一体化してゆく」というかたちをとっている。空海だってもちろん本気で加持祈祷の効果を信じていた。それに対して民衆は、神や仏をありがたく受け入れつつ、じつは神や仏を信じていない。彼らの無意識は、いつの間にか神や仏を批判的に乗り超えてゆく。
とにかく仏のご利益を信じていたら、四国遍路なんかできないのだ。本気で信じられるのなら一か所でいいのだし、信じないで遍路することそれ自体に身も心もあずけてゆくからできるのだ。そうやって民衆は空海にすがって経巡りつつ、空海を超えてゆく。
神道だって、仏教の世界観や生命観を超えていったところから生まれてきたのだ。仏教は、この世界やこの生の仕組みはこれで決まりだというところを差し出したわけだが、それに対して神道を生み出した民衆は、そんなことは「わからない」、神は「見えない」という地平に歩み出した。
神道偶像崇拝をしないといっても、森羅万象それ自体を偶像として崇拝している。森が森であることのめでたさありがたさを本気で思えば、すでに神のことは忘れている。そのようにして「神は隠れている」という。それは、神を思わないことが神を思うことだ、という信仰だった。それが、どれほど高度で知的な認識であることか。民衆は、無意識のうちにそういう思考をやってのけるのだ。民衆における歴史の無意識、集団の無意識、多くの歴史家は、みずからの知識や文献に惑わされて、そこに推参することができていない。
古代史においては、文献もまた知識人の思考の限界を避けがたくまとってしまっている。
仏教伝来は仏教が呪術として有効だったからだと文献に記されてあったとしても、民衆がそれを受け入れたのはただ物珍しかったからだけかもしれない。そのとき呪術に熱中していったのは支配階級のものたちだけだったのであり、日本列島の民衆の伝統的な思考というか歴史の無意識というか集団の無意識は、呪術を受け入れつつも、つねに呪術を超えてゆく。それが四国巡礼によくあらわれているし、それもこれももともと呪術など存在しない風土だったからだ。