なんだか嘘っぽい・神道と天皇(58)

神道の本質や日本列島の伝統的な精神風土を語るのに三島由紀夫折口信夫のいうことを引き合いに出されても困る。彼らは一種の天才かもしれないが、ほとんど信用できない。
この二人には、知識に対するものすごい収集癖があった。彼らの思想や美意識それ自体がひとつの知識であったのだろうと思わせられる。上手にいってはいるが、その内実はあんがいステレオタイプでたいして魅力的でもない。なんだか嘘っぽい。上手にいっていると感心させられはするが、意表を突かれるということはない。まあ今どきはそんな知識だけでものをいいたがるインテリがたくさんいるからこの二人が尊敬されるのだろうし、しかしそれだけのことに追随してもしょうがないではないか。
僕にとっての真の天才は「生きられないこの世のもっとも弱いもの」であり、学ぶべきことはそこにこそあるし、そこにこそ日本列島の伝統も人類史の普遍もある。
「あはれ」とか「はかなし」とか「無常」という感慨はそういう無力な存在に対する視線から生まれてくるのだし、その感慨は世界中の人間が心の底に持っている。その感慨なしに「介護」とか「育児」というような行為は成り立たない。極端にいえば、その感慨は、まあ無意識とか本能というかたちで鳥や魚だって持っている。
生きてあることはひとつの「けがれ」であり、「けがれをそそぐ=みそぎ」ということをしなければ生きてあることは成り立たない。命のはたらきや意識のはたらきそれ自体が「けがれをそそぐ=みそぎ」というはたらきなのだ。
山を見て山だと認識することは、意識のはたらきが「自分=この生=この身体」から離れて山に着地している状態にほかならない。「気づく」ということは、ひとつの「みそぎ」なのだ。どんな小さなことであれ、「気づく」という体験をしていないと、心は澱んだり病んだりしてゆく。
山が山であることに気づいてときめくという体験は、ひとつの「みそぎ」なのだ。この生のはたらきは、「自分=この生=この身体」が「穢れ」であるという前提の上に成り立っている。意識しようとするまいと、この生はそういう「前提」の上に成り立っている。
つまり歴史の無意識として、日本人には日本人なりの「認識する(=気づく)」とはどういうことかという理解がある。そこのところで、すでに仏教の教えに対するなんとなくの違和感があった。山(=森羅万象)は何者がつくり支配しているかということよりも、山の存在それ自体に驚きときめくということのほうが大切だと思う。山をつくり支配している存在を思い敬うことよりも、山が山であることそれ自体が尊いのだ。
まあ神道の「かみ」は、ある意味で神も仏も存在しないということをあらわしているわけで、「存在しない」というそのことの尊厳と不思議を「かみ」という。古代の民衆は無意識のうちにそこまで考えていたし、われわれ現代人よけいな観念が邪魔をして、その深さでこの生やこの世界を直感することはできない。

人がこの生やこの世界をどれだけ深く認識しているかということは、哲学者と名もない庶民とのあいだの差なんかないのだ。そのへんの凡庸な哲学者よりももっと深く認識している庶民はいくらでもいる。庶民は、ただ言葉にできないだけのこと。
口先でエラそうなことをいっても、じっさいの思考や認識においてアホな知識人なんか、吐いて捨てるほどいる。
人の脳のはたらきには、歴史の無意識が宿っている。その歴史の無意識が、幼児に言葉を覚えさせる。だから、まずはその国の言葉を覚える。
そしてなぜ次々に覚えてゆくことができるかといえば、乳幼児は「生きられなさを生きている」存在だからだ。ちゃんと知能が発達してから言葉を覚えるのではない。その前に言葉を覚えてしまうのだ。彼らは、この生やこの世界に対する深い直感を持っている。その直感が言葉を覚えさせる。
言葉のなんたるかも知らない段階で言葉を覚えてゆくことは、あとになって外国語を覚えるよりもはるかに高度な認識(=気づき)のはたらきを必要とする。
記憶力等のたんなる知能や知識は、生き延びようとする欲望とトレーニングによって誰でも身に付くが、人間性の基礎と究極としての知性や感性は、「生きられなさを生きる」ところではぐくまれている。
思考力や想像力や直感力や美的センスや何かにときめき熱中してゆく集中力は、生きてあることのかなしみを知っている人のもとにこそより豊かに宿っている。それは、たんなる努力によって得られる能力ではない。
芸術や芸能やスポーツなどにおいては、子供のときでなければ身に付かない部分がある。大人になってからはじめても本格的なピアニストやバイオリニストにはなれない。
人としての本質的な知性や感性においては、大人よりも子供のほうが豊かなのだ。大人はただ、生き延びるための知恵をあれこれ持っているというだけのことで、それは人としての知性や感性とはまた別のものだ。そしてこのことは、人としての知性や感性はけっして努力によって磨いたり豊かにしたりできるものではなく、生まれつきのものだということを意味する。
まあ、こんなことをいうと「お前は平等というものを認めないのか」といわれそうだが、生まれたばかりの子供はみな天才なのであり、そのあとの努力などというもので差がつくということ自体がおかしいのだし、文明社会は後付けの知恵で差がつくような構造になっているのだから、それはもうしょうがないともいえる。
しかしほんとうは誰だって、自分が大人になることによっていかに多くの知的感性的なものを失っているかということを心の底では自覚しているのではないだろうか。
とにかく、本質的な知性や感性においては大人よりも子供のほうが深く豊かなのだ。
また、本格的な知性や感性はけっして学歴や知識の量では測れないのであり、無学な庶民でもインテリ以上に深く豊かにこの生やこの世界の真実に気づいていたりする。

「プリミティブ」ということは、「幼稚な」ということを意味するのではない。そこでこそ、より高度で深い知性や感性がはたらいていたりする。であれば、古代の民衆の生命観や世界観や美意識が現代人のそれよりも幼稚であったなどということはありえない。人は大人になると変な知恵ばかり貯め込み、かえってより幼稚で浅薄になっていったりする。
人間とはなんと矛盾だらけの生きものだろうと思う。
こういっちゃ悪いが、三島由紀夫折口信夫のような天才がただのアホだったりするし、生まれたばかりの子供こそ天才なのだという側面もある。
古代神道の本質は、三島由紀夫折口信夫から学ぶことなどほとんどない。古代人の世界観や生命観は、古代人から直接学ぶしかない。古代神道がただの野蛮な呪術だったと決めつけることはできない。古代や古代以前の人々は、人の生死や世界の森羅万象について、その直感とともにわれわれ現代人よりもずっと高度で深い形而上的な認識を持っていたかもしれないのだ。
人類史において、言葉を発見した原始人と、言葉を発展させていった文明人とどちらの思考が高度であったかというようなことはいえない。もしかしたら前者の直感のほうが、はるかに高度な知性や感性のはたらきの上に成り立っているのかもしれない。
現代の学問だって、文科系にしろ理科系にしろ、基礎学問のほうが難しかったりする。社会学であれ文化人類学であれ脳科学であれ遺伝子学であれ、哲学が基礎になっている部分も多い。
歴史学だって、証拠を調べること以前の、歴史とは何かと問う歴史哲学という基礎学問もある。
科学の基礎は数学にあるといわれているが、数学に必要なのは知識よりも直感とかセンスというような頭のはたらきに違いない。学問は知識の上に成り立っているが、知識を得ることが学問の成果であるのではない。
まあ、知識をどんなに自慢してもだめなのだ。直感とかセンスのようなものを持っていなければ、じつはどんな学問も成り立たない。すなわちそれは、原始人や生まれたばかりの子供のような直感とセンスなのだ。

日本列島に仏教が輸入され根付いていったということは、ひとまず日本人が仏教を理解したということだろう。そして、それでもそれを契機にして神道が生まれてきたということは、そのとき日本人は仏教だけではすまない世界観や生命観を持っていたということを意味する。すなわち、仏教のその先を考えている世界観や生命観を持っていた、ということだ。
仏教でこの生やこの世界の問題が解決できるのなら、神道など生まれてこなかった。
そのころの仏教は基本的に加持祈祷の呪術だったし、その潮流は全集や浄土宗などの鎌倉新仏教が登場してくるまで続いた。
そして神道は呪術ではない精神文化として生まれてきたわけだが、神仏習合が進むにつれてしだいに呪術的な要素を加えながら権力世界に入り込んでいった。そしてそれと入れ替わるようにして、非呪術的な鎌倉新仏教が民衆の支持を得るようになってきた。
文明社会は人々の生き延びようとする欲望を促し、構造的にどうしても呪術志向になってくるわけだが、それでも日本列島の民衆は、非呪術的な精神文化がないと生きられないところがあった。
たとえば古代の道路や橋などの土木事業のほとんどは、民衆の自治によってなされていた。つまり彼らは、その生のいとなみにおいて、権力(=国家制度)にも呪術にも頼っていなかったということであり、日本列島はそういう歴史風土になっていた。
異民族に侵略されたことのない土地柄だから支配者にすがる必要などなかったし、むやみに生き延びようとする欲望を持たない「無常」の世界観や生命観で生きていたのであれば、呪術にたよるメンタリティも希薄だった。
呪術は彼らの「無常」の世界観や生命観を削いでしまう行為であり、彼らの心を落ち着かなくさせた。だから「蘆原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国(柿本人麻呂)」といった。
民衆は、支配者階級ほど呪術に熱心ではなかった。神道は、呪術に頼らない生き方のよりどころとして生まれ育っていったともいえる。
文明社会=共同体は避けがたく呪術的になってゆくほかないのだが、民衆は、そうした歴史の流れに棹を挿して神道を生み出していった。日本列島の精神風土を「はじめに呪術ありき」で語ってもらっては困る。仏教という呪術に対するカウンターカルチャーとして神道が生まれてきたのだ。そのとき日本列島には、すでに呪術に頼らない世界観や生命観の文化が洗練発達したかたちで成立していた。
言い換えれば、すでにそういう文化を成熟させていたからこそ仏教を受け入れることができた。受け入れても、アイデンティティの危機に陥ることがなかった。

どんな外来文化も受け入れることができる文化、アイデンティティを持たないことがアイデンティティになっている文化。まあ原初の人類は、猿としてのアイデンティティを捨てて二本の足で立ち上がったのだ。日本的な、アイデンティティを捨てて進取の気性をたくましくしてゆくことは、人類史の普遍でもある。
西洋にだって、西洋文化を捨てて日本文化に夢中になっている人間がいる。人間がときめくことができる生きものであるということは、アイデンティティを捨てることができる生きものであることを意味する。誰だって、ときめいているその瞬間においては、「自分=アイデンティティ」など忘れているのだ。
人間がなぜアイデンティティを捨てることができるかといえば、生きてあることに「嘆き」を抱いている生きものだからだ。
ときめきながら生きているのに、生きてあることの「嘆き」を抱えている。「嘆き」を抱えているからときめくことができる。「嘆き」を抱えているからこそ、この生からの超出としての「ときめく」という体験をする。
神道を生み出した古代人は、仏教=呪術による救済を願うことよりも、救済されないことの「嘆き」を手放さなかった。なぜなら、そうした「嘆き」を共有しながら他愛なく豊かにときめき合ってゆく文化をすでに洗練させていたからだ。
四方を荒海に囲まれた日本列島では、大陸の文明制度とは無縁に、ひたすら原始的な生態をそのまま洗練発達させていった。
そのとき文字も宗教も知らない未開の地である日本列島の住民は、文明制度においては子供同然だった。しかしそれがそのまま知性や感性において劣っていたということではなかった。
人としての知性や感性は、生きてあることの「嘆き」のもとに宿っている。だから、大人よりも生まれたばかりの乳幼児のほうが豊かに深くそなえているのであり、それはもう世界中どこでもそうなのだ。
人の知性や感性は生きてあることの「嘆き」から生まれ育ってくるのだし、その「嘆き」が薄れてくるにしたがって知性や感性も鈍磨してゆく。生き延びるための知恵の付いた大人の知性や感性が子供より優れているということなどありえない。
人は生きてあることの「嘆き」すなわち「生きられなさ」を生きようとする。
人間的な知性や感性は、「生きられなさ」を生きるもののもとにこそ、より深く豊かに宿っている。