騒々しい精神・神道と天皇(57)

たとえば、彼の信奉者には申し訳ないけど、三島由紀夫のこういう言い方は、個人的にはほんとうにむかむかする。腹の底からむかむかする。あんな頭でっかちな自意識過剰の人間に「日本的な精神とは何か」という問題を語られたくはない、と思ったりする。

「……あの戦争が日本刀だけで戦ったのなら威張れるけれども、みんな西洋の発明品で、西洋相手に戦ったのである。ただ一つ、真の日本的武器は、航空機を日本刀のように使って斬死した特攻隊だけである。」(「お茶漬ナショナリズム」『若きサムライのために』より)


日本刀はたしかに素晴らしい工芸美術品かもしれないが、それが「日本刀で戦う」ことを至上の精神の発露として美化する根拠にはならない。そういう右翼的妄想というかセンチメンタリズムというか、いいかげんやめてくれよと思う。刀を振り回せばえらいのか。それで人を脅かして何が楽しいのか。そりゃあ、振り回されたら、怖いさ。そうやって怖がらせたら、それが自分たちの正しさや精神の高貴さの証明になるかのように錯覚してゆく、その薄っぺらな思考のどこが偉いのか。どこが正しいのか。人より優位に立ちたいという、その下司な根性にはうんざりさせられる。
刀で戦おうと戦車やミサイルで戦おうと、人を殺すことになんの違いがあろうか。
刀だって、古代以前においては最先端の文明の利器だったのだ。最先端の文明に飛びつくのは、日本列島の伝統的な精神風土である「進取の気性」のあらわれでもある。
弥生時代はじめは戦争などほとんどなかったのに、たんなる祭祀の道具として銅剣を輸入して喜んでいた。つまり、ただのお飾りだったのだ。そして実際に戦争をするようになっても兵士は石器の槍や弓矢で戦っていたのであり、刀を差していたのは王や大将だけで、そのときでもまだ地位をあらわすだけのただのお飾りだったという説もある。
とにかく刀だって文明の利器のひとつに違いないし、文明社会では避けがたく戦争が起きてしまうことも受け入れるほかない現実であるとしても、刀と刀で殺し合うことが美しいなんて中学生レベルのどうしようもなく幼稚な思い込みであり、どこでそんな知識を仕入れてきたのか知れないが、自分の頭でものを考えていない証拠なのだ。
三島由紀夫ほど自分に執着した人も珍しいし、彼ほど自分の頭でものを考えなかった人もまためったにいない。

「航空機を日本刀のように使って」だって?
あのとき「特攻隊」という戦術が生まれてきたのは日本列島の伝統的な精神風土が「いつ死んでもかまわない」という覚悟の上に成り立っていたからであり、追いつめられたら避けがたくそういう戦術が生まれてくる「運命」だったとしても、日本刀がどうのというような話ではない。
特攻隊という戦術がいかに愚劣で理不尽なものであるかということはわかりきったことであり、そういう作戦を決定した軍中枢の当事者たちだって、戦後になってどうしてあんな決定をしてしまったのだろうと悔いて反省している。
お国のためによろこんで死んでゆく、ということを強制する権利がいったい誰にあるというのか。誰もが三島由紀夫のような思い込みの強い自意識過剰の人間ならともかく、特攻隊の兵士のほとんどは「死にたくない」という気持ちを封じ込めながら懸命に死と向き合っていたのだ。それは自分を捨てて「覚悟」を決めたのであって、三島由紀夫のように熱に浮かれながら自分の死で自分を飾り立てようとしたのではない。特攻隊員は、べつに三島由紀夫のように死にたかったわけではない。命令されて、死ぬしかないと覚悟を決めただけだ。三島由紀夫に命令を下したのは、三島由紀夫以外の誰がいるというのか。自分を捨てたら、死なねばならない理由なんか何もなかった。しかし特攻隊員は、自分を捨てなければならなかったのだ。
「自分」なんか歴史の一部でありこの宇宙の一部にすぎない。自分の意識や思考などはこの宇宙やこの歴史から生まれてくるのであって、意識や思考を生み出す「自分」などいうものはない。自分が扱っている言葉は日本列島の歴史が自分に植え付けたものであって、自分が生み出したのではない。自分が考えたり感じたりすることは、歴史や宇宙という自分が背負っているもろもろの状況から生まれているのであって、自分が生み出しているのではない。
「自分」などというものが、いったいどこにあるというのか?
人の心は、「自分」なんか忘れてしまうことができるようにできている。そうやって人は、何かにときめいたり熱中したりしている。
「自分の美しい死」とやらのめり込んでいった三島由紀夫と、けんめいに死と向き合いながら自分を捨ててその作戦に殉じていった特攻隊員一人一人の心が同じであったとは、僕はぜんぜん思わない。
「特攻隊」という戦術と「特攻隊員」という人の心を混同するべきではない。「特攻隊という戦術」が美しいとか崇高だといえるような根拠など何もないのだ。日本列島はいざとなったらそういう愚劣で理不尽な戦術をためらわず選択してしまうような精神風土になっているというだけで、ただもう、避けがたい歴史の運命だったと、ひとまず納得するしかない。
まったく、「航空機を日本刀のように使って」だなんて、ここで語られている「論理」のなんと薄っぺらなことか。
三島由紀夫アフォリズムなんかどこから拾い集めてきた知識をつぎはぎして語っているだけのことであり、自分の探求心で一から考えたことなど何もない。僕は、『金閣寺』を読んでそれがよくわかった。おそろしく頭がいいんだなあとは思ったが、そこに日本列島の歴史に身をあずけた美意識など、何も感じなかった。
日本刀の価値に執着しながらさんざん自分を見せびらかして死んでいったその過剰で騒々しい自意識のどこに日本的な「無私」の精神があるというのか。
自衛隊のバルコニーでひとりよがりな演説をぶったあげくにこれ見よがしに腹切りを演じてみせたパフォーマンスなど、ただの駄々をこねる子供と一緒のふるまいにすぎないじゃないか。そんな騒々しさよりも僕は、ひっそりと野垂れ死にする今どきの「孤独死」の老人のほうがずっと心を動かされるし、ずっと憧れる。
まあともあれ三島由紀夫だって現代の「オトタチバナヒメ」たらんとしたのだろうし、この国の精神風土がいかに女によってリードされてきたものであるかがよくわかる。

「武士道」とか「大和魂」などというものが「男らしさ」の象徴・証明だと思っているなんて、とんでもない話だ。そんな「いつ死んでもかまわない」という覚悟というか、彼らのいう「散華の精神」というようなものは、女のほうがずっと過激に本質的にそなえている。
日本列島の歴史的な精神風土というものを虚心に問い直してみれば、女の本性・本能すなわち「女性性」にリードされて「武士道」とか「大和魂」が生まれてきただけのことだということが見えてくる。まあ戦前はそういうことを自覚している男なんかほとんどいなかったかもしれないが、今どきの若者たちはあんがいわかっていて、それが「草食男子」という現象にもなっているのだろう。そして古事記の「オトタチバナヒメ」のエピソードは、古代人だってそのことをちゃんと自覚していたことを物語っている。そのとき古代の男たちは、「女はなぜあんなにも潔く死を覚悟することができるのだろう」という問いを共有していた。
何はともあれ政治や戦争がなかった古代以前の1万年は、物理的にも精神的にも、実質的に女にリードされてきた歴史だったのだ。日本列島の精神風土は女によってつくられたといっても過言ではないし、男が女のあとを追いかけ「女の謎」を探索しようとすることは、直立二足歩行の開始以来の普遍的な人間性になっている。
早い話が、猿と違って二本の足で立っている人類においては、女の性器は「探索」しないと見つからないのだ。ようするにそういうこと。そんな人類史の伝統に従って日本列島の男たちは女の謎を探索しながら歴史を歩んできたわけで、その結果として「武士道」や「大和魂」という概念が生まれてきただけのこと。
三島由紀夫は、西洋の記者たちか「日本的な精神とはどういうものか?」と聞かれ、「透明な精神だ」と答えたのだとか。
笑ってしまう。
三島由紀夫ほど自意識に汚れきった不透明な精神の持ち主もいないというのに。
まあその過剰な自意識こそが、彼の才能を偉大なものたらしめていたのだろう。われわれ凡人には、とても真似できない。しかし彼よりはいくぶんか「透明」であることはできているし、三島由紀夫より「透明な精神」の西洋人だっていくらでもいる。
「透明な精神」とは自意識の希薄な「他愛ない精神」のことだとすれば、三島由紀夫の心の中には自意識の魑魅魍魎が騒々しくうごめいている。あんなにも自分を見せびらかすことばかりしたがる男もそうはいない。むずかしい理屈はよくわからないが、あの騒々しさのどこに「透明(=清浄)な精神」があるというのか。
いや今どきは、そういう人間ばかりの世の中だろうか。そういう時代なのだろうか。

三島由紀夫は「憂国」という言葉が好きだった。
しかし「国を憂える」なんて、ずいぶん不潔で騒々しい精神ではないか。自意識過剰の子供が騒々しく駄々をこねているのと一緒ではないか。三島由紀夫の、あの目立ちたがりの態度に、いったいそれ以外の何を感じろというのか。
もっとも透明な精神は、国のことなど端(はな)から頭になく、思春期の少女のようにすっきりと孤立している。
憂国」なんて、国や民衆に対するグロテスクな支配欲にほかならない。その支配欲で国を憂え、国をどうにかしようと企んでいる。神社本庁日本会議も、そういう俗物の巣窟ではないか。右翼であれ左翼であれ、どうして勝手に国のことを決めようとするのか。その過剰な自意識は、ほんとにグロテスクで気味悪い。なのに自分だけは無傷のような顔をして、「透明」ぶりながら厚かましく国や他人を支配しにかかる。そんなに「憂うる」気持ちがあるのならまず自分のその俗物根性を憂え、という話で、その「憂国」という観念そのものが、ひとつの「けがれ」以外の何ものでもない。
起源としての古代神道は、国や宗教のことなどどうでもいいというメンタリティから生まれてきた。民衆は愚かだ。だから「憂き世」と嘆いても、支配欲をたぎらせた「憂国」の情など持たない。憂き世を忘れようとしてしても、変えようとはしない。
古代の民衆は、かんたんに政治や宗教(=仏教)に支配されていった。支配されつつ、しかしそこから解き放たれた神道を生み出していった。
まあ神道は、漢字に対する平仮名のように、仏教のアレンジであると同時に、仏教とは似て非なるものでもあった。だから、かんたんに「神仏習合」になるし、「神仏分離」にもなる。それは、仏の教えを変更しようとしたのではなく、仏の教えからの解放だった。国を変えようとは思わない、国のことなど忘れていられたらそれでいい、それが愚かな民衆の切実な願いなのだ。日本列島の民衆は、女子供のような愚かで他愛ない存在として生きる歴史を歩んできたわけで、じつはそれこそがもっとも知的で感性的な態度でもあることを本能的に知っていた。

まあ、他人の「けがれ」をさげすみ、国の「けがれ」を憂えていれば、自分だけは「けがれ」とは無縁の透明・清浄な存在であるかのように思えるのだろう。右翼であれ左翼であれ、そう思いたがる人間がどんどん増えているのが近代合理主義であり、戦後民主主義の正体だということだろうか。
「けがれ」を自覚することに耐えられないのなら、他人にそれをなすりつけるしかない。「けがれ」を自覚することのできない人間には、「みそぎ」のカタルシスもない。
ともあれこの国の民衆は、この生のなやましさやくるおしさやいたたまれなさに身もだえしながらけんめいに「みそぎ」を果たそうとして歴史を歩んできた。それに対して今どきの知識人たちがこの国の美しい伝統がどうとかこうとかというとき、そうした「民衆の歴史的ないとなみ」にもたれかかっているだけで、彼ら自身には「けがれの自覚」も「みそぎのカタルシス」もない。そうやって、自分だけは無傷なような顔をしてのうのうと「憂国」を吹聴している。その「顔=姿」の、なんとぶざまでグロテスクなことか。
天皇を祀り上げれば「みそぎ」が果たされるのではない。「祭り」は神を祀り上げたところからはじまるのであって、それが目的であるのではない。われわれは、ここから生きはじめる。「けがれ」を負って生きている。生きはじめる場所があるだけで、たどり着くべき場所などどこにもない。自分にそなわっている資格も権利も、何もない。神に手を合わせても、神は何もしてくれないし、神に何も願わない。ただもう「からっぽ」の自分になって、ここから生きはじめる。ここから神を祝福し、ここから世界の輝きにときめき祝福してゆく……そうやって祭りがはじまる。
神に手を合わせることは、「からっぽ」になることであって、何かを得ることではないし、何かを得ようとすることでもない。何もなくてもよい。それでも生きていれば、何かが体験されてゆく。「出会いのときめき」や「別れのかなしみ」が体験されてゆく。その体験のことを「かみ」という。
神に手を合わせることは「呪術」ではない。それで神風が吹くわけでも、あなたの「けがれ」が洗い流されるわけでもない。
この生にけりをつけて、あらためてここから生きはじめる。それが「呪術」を知らない民族の神に手を合わせる作法なのだ。
神道は、「祭りの広場」の賑わいから生まれてきた。国家権力とつながった御大層な神社だけが神道の場であるのではない、ささやかの鎮守の森の祭りの夜店や盆踊りの賑わいにこそ神道の本質が残されている。

明治以降に確立された「国家神道」は、ひとまず宗教から切り離され、天皇の臣民としての「人の道」を説きつつ民衆を支配してゆく装置として機能してきた。
もちろんそれは、ほんらいの神道ではない。
神道の本質に「人の道」などない。
本居宣長は、神道にこそほんとうの「人の道=やまとごころ」があるといったが、「人の道」などないのが「やまとごころ」なのだ。
神道は、仏教による「人の道」の教えに対する違和感がどうしてもぬぐえなくて生まれてきた。「人の道」などというものなどない。誰だって、生きてある「今ここ」のどうしようもないなやましさとくるおしさといたたまれなさを抱えて生きている。生まれてきてしまったことの過ちはもう、取り返しがつかない。どんなに幸せであっても、それは「過ち」なのだ。誰だって、歳を取って死んでゆかねばならない。死んでゆかねばならない生なんか、「過ち」に決まっている。それでも人の世では、無数の子供が生まれ続けている。賢い子も、バカな子も、美しい子も、醜い子も、健康な子も、病弱な子も、身体障害児も奇形児も生まれ続けている。
生きてあることに感謝しなければならない義理なんか、誰にもない。それはすなわち、「人の道」なんかない、ということだ。
「人の道」を決める権利が、いったい誰にあるというのか。
「神」にはあるのか……?
「神」にだってない。だから「神」は、すべてを許している。
神道の「かみ」は、仏教の「仏」やキリスト教の「神」のように、人の道なんか説かないし、誰も救済しない。
人は不幸のままを生きることができるし、そのことのめでたさや美しさもある。
不幸を生きることができない人間の救済願望など知ったことではない。そんな望みを持つなんて、不幸を生きている人に対して失礼だ。明日死んでゆく人に対して失礼だ。
人類の歴史において、かつて縄文人ネアンデルタール人が生きていたということは、われわれ文明人がいかに自意識過剰で病的な存在かということを思い知らされる。彼らは、われわれよりもはるかに苦しくいたたまれない生を生きていたが、われわれよりもずっとこの世界や他者の輝きに他愛なく豊かにときめき、祝福していた。
ときめき祝福しているものは、みずからの救済など願わない。救われてあるから生きていられるのではない、「世界の輝き」が人を生かしている。「世界の輝き」にときめいてゆく体験を「かみ」という。おそらくこれが、神道すなわち神道以前から受け継がれてきた日本列島の「祭り」の伝統の基本的なコンセプトであるに違いない。