2007-04-01から1ヶ月間の記事一覧

再考、前方後円墳Ⅱ

「みそぎ」とは、「みずをそそぐ」ということだろうか。水に流す、という。言葉は、意味として発生したのではない。あとになって意味が加わってくるのが、言葉の歴史なのだ。単純に、水で体を洗うこと、それが「みそぎ」という言葉の根源であるのだろうと思…

再考・前方後円墳

もうちょっと前方後円墳にこだわってみます。 奈良盆地とその周辺の大きな前方後円墳のほとんどは、被葬者がわかっていません。あの仁徳陵でさえ、ほんとうのところは誰の墓かわからない。だから、学術的には仁徳陵ではなく、「大山(だいせん)陵」というの…

始祖の地

古事記で語られている、初代の神武天皇から9代目の開化天皇までは架空の存在である、というのが通説になっています。そしてそれらの天皇は、奈良盆地で生まれ育ったのではなく、列島中のいろんな地域からやってきたことになっている。研究者はこれを、大和…

古事記における漂泊のかたち

古事記に登場する悲劇の主人公は、奈良盆地の外縁をさすらってゆくパターンが多い。これは、奈良盆地の人々が抱いていたさすらう心性の表現として、知らず知らずのうちにそういうパターンになっていったと解釈することもできます。 東征してきた神武天皇は、…

国求(ま)ぎ・いざなう存在としての天皇Ⅱ

奈良盆地に人が住み着いていったのはおそらく弥生時代後期であり、彼らは、住み着くために天皇という存在を求めた。 「国求(ま)ぎ」・・・・・・神武東征の漂泊の旅を、古事記ではそう言っている。 「妻求(ま)ぎ」という旅もある。もちろんこれは縄文いらいの…

いざなう存在としての天皇

縄文時代から弥生時代に移るとき、土器の形や模様が劇的に変わった。多少は大陸の影響もあるだろうが、それよりももっと、作者が女から男に代わった、ということがいちばん大きいのだろうと思えます。 弥生時代初期にどれほどの数の大陸人がやってきていたか…

天皇の祖先

日本列島における漂泊の心性は、世界の果てにたどり着いたことを自覚しつつ、世界の中心に置き去りにされてあることに絶望する・・・そういうパラドックスとしてはたらいている。古事記は、そのパラドックスからの命がけの飛躍として、世界の果てでも中心でもあ…

閑話休題・いまどきの人生論

ときどき、このブログで自分は、どうしようもなく安っぽいことばかり書き散らしているだけかな、と不安になります。不安も何も、そのとおりだ、ということかもしれません。 で、ちょっと気分転換です。 ひろさちや、という人の人生論みたいな本は、わかりや…

天孫降臨と神武東征Ⅲ

古事記が編纂される2、3百年前には、奈良盆地だけでもまだ集落ごとにたくさんの神話があったらしい。それはつまり、日本列島のいろんなところからやってきた人たちが住んでいた、ということを意味する。そうして、それらが、だんだんひとつの神話に収斂し…

天孫降臨と神武東征Ⅱ

濠のある前方後円墳は、おそらく最初は、川や沼地が氾濫したときに濠に水を集めてしまう機能を持っていたのだろうと思えます。そうやって集落や耕作地を守った。その古墳は、人里離れたところではなく、集落や耕作地にくっつくようにしてつくられていった。…

天孫降臨と神武東征

九州宮崎の日向に降り立った神の子が、奈良盆地にやってきて天皇になった。神武東征ですね。一部の研究者は、ここから、奈良盆地は途中で外部からの侵略があったのだ、という説を持ち出してくる。しかし、当時の奈良盆地における社会の構造を考えるかぎり、…

見たて・黄泉比良坂(よもつひらさか)Ⅱ

黄泉比良坂から戻ってきたイザナギは、裸になって「凶(まが)ごと」を犯してしまったことの禊ぎをします。 「凶(まが)」とは、「目がけがれる」という感じでしょうか。自分は、「見る」という行為の大切さと神聖を穢してまった、という自覚が、そのときの…

黄泉比良坂(よもつひらさか)

この世界と死の世界の境界には坂があり、それを「黄泉比良坂(よもつひらさか)」という。 なかよく国生みをしたイザナギ・イザナミの話の最後の場面に出てきます。 では、この坂は、上り坂か、下り坂か。こちらから行くときは、下り坂らしい。 西洋では、天…

アマツカミとクニツカミⅡ

出雲地方では、奈良盆地より圧倒的にたくさんの銅剣などの青銅器が出土しているのだとか。したがって、奈良盆地より強大な共同体が存在していたのだ、という研究者がいます。 しかし戦争は、人が戦うのであって、剣ではない。そのころ出雲地方が青銅器の一大…

アマツカミとクニツカミ

日本人は、旅人の話を聞きたがる。そこから勝手にイメージを膨らませるのが好きだし、得意だからだ。 おそらく「古事記」の神話も、そうやってつくられていった。 ちなみに、韓国人や中国人は、外国からの旅人に自国の良さを教えたがり、日本人は、たとえ自…

古事記における海の底の世界

沖は、奥(おき)ともいうらしい。そこに、竜宮城がある。古事記でいえば、海幸山幸の山幸が下りていったという、トヨタマヒメが住む海の底の宮殿ですね。 で、古代人にとってそこは、この世にはない異世界だったのか。たぶん、そうじゃない。きっとある、と…

スサノオ・世界の果てからやってきた旅人

巨大古墳を造営していたころの奈良盆地には、ことにたくさんの「奴婢」がいたらしい。 彼らはしかし、奴隷、というほど窮屈な身分ではなかったはずです。日本列島は、逃げ込むことのできる山があるし、逃げ込んだ先の村にも旅人を「まれびと」として迎える習…

古事記の舞台

古事記は、稗田阿礼が語った奈良盆地の民間伝承であるはずなのに、日本中のじつにさまざまな土地が舞台になっている。ただの民間伝承であるのに、なぜ日本中が舞台になっているのか、考えたら、これは不思議です。民話というのは、ふつう、その地方だけが舞…

古事記論の前書き

1980年前後に出た「漂泊」(中西進・著)という本は、古事記や古代の伝承から、そうした日本的心性の始原を語っています。そして、唐木順三の「無用者の系譜」は、中世の業平や一遍上人からはじめる。 で、僕は、その問題を、縄文人からというか、日本列…

大和朝廷が生まれるまで

原始人の群れが大きくなって、リーダーがいないと上手く機能しなくなってくると、自然にリーダーになりたい者が生まれてくる。そういう「社会の構造」が、リーダーになりたい者を必然的に生み出す。誰かが「俺やりたい」と手を上げて、じゃあおまえやれ、とみん…

法隆寺は奈良盆地の人々がつくった

法隆寺や飛鳥寺の建立は、帰化人が設計し指導したのでしょうが、それでも奈良盆地の人たちが数百年にわたって培ってきた建築技術があってこそのものであるはずです。伊勢神宮のような高床式住居から始まった弥生時代以来の歴史です。 たとえば、どこの木を切…

言霊(ことだま)と古代人

初期の大和朝廷になかなか文字が生まれてこなかった要因を考えようとするなら、言霊(ことだま)の問題も避けることはできない。ただこれは、やっかいすぎて、素人では扱いかねる面がある。とはいえ、もしかしたら、これがいちばん大きな問題であるのかもし…

文字を持たないころの大和朝廷

日本語ほど発音がシンプルな言葉もそうはない。一音を一文字(かな)で表すことができる。 中国語は複雑すぎて、音声をそのまま文字にすることができない。だから、象形文字になっていった。 西洋の言葉は、「あいうえお」と「ん」以外は、二つか三つの文字…

古代の家族

ある評論家によれば、原初的な共同体は「家族」がだんだん大きくなってつくられていったのだ、などというのだが、それは違うと思う。 親族で共同体をつくっても、すべて近親相姦になってしまう。また家族や親族は、性衝動の上に成り立っているのではなく、親…

邪馬台国と魏志倭人伝

徐福伝説、というのがあるそうです。 紀元前三世紀(縄文時代のおわりころ)、中国大陸の徐福という人が三千人の大船団を組んで理想郷を目指して船出していった、という話が「史記」に書かれてある。 で、日本列島には、青森から九州まで、いたるところに徐…

古墳時代

縄文時代の奈良盆地は沼地だったらしい。 そうして縄文時代後期から弥生時代にかけては地球の気候がやや乾燥寒冷化していった時期だったから、それにともなって、沼の水がしだいに引いていったのでしょう。 が、それでも、すっかり干上がったわけではなかっ…

古代の権力Ⅱ

古代の共同体における、ヒメ・ヒコ制という支配のかたち。 「世界の果て」としての支配者=女王は、呪術をつかさどる。 「世界の中心」としての支配者=男は、現実的な政治を務める。 そのようにして世界の果てと中心が決定されることによって、ひとまず世界…