見たて・黄泉比良坂(よもつひらさか)Ⅱ

黄泉比良坂から戻ってきたイザナギは、裸になって「凶(まが)ごと」を犯してしまったことの禊ぎをします。
「凶(まが)」とは、「目がけがれる」という感じでしょうか。自分は、「見る」という行為の大切さと神聖を穢してまった、という自覚が、そのときのイザナギにあったのでしょう。べつに、死体に自分の体を汚されたということではないはずです。禊ぎ、というのは、そんな単純な行為ではない。ただ体が汚れただけなら、洗ってすぐまた服を着ればいいだけだが、彼は、裸のまま出雲から九州の筑紫の国まで禊ぎの旅として漂泊していったのです。
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日本列島の人間の世界観は、「見る」という身体性の上に成り立っている。
「見る」ことにこだわるのは、見ることができないという体験が骨身にしみているからであり、けっきょくは、見ることができないことそれじたいが救済なのだ、という認識にたどり着くのかもしれない。
だから、トヨタマヒメも、イザナミも「見てはいけない」といった。しかしそれは、見ることができない、という状況ではなかった。見ようと思えば見ることができた。そこに、物語の裂け目があった。そうして、とにもかくにも、もう見たくても見ることができない、というかたちで物語は決着していった。
また、見ることができないものを「ない」ものとして断念するということは、見えるものをよりたしかに見るということであり、見たものはぜんぶ信じるという態度にほかならない。
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「見たて」・・・・・・見るものをたしかなかたちでこの世界に立たせること。
古事記を語り伝えていった人々は、神の姿をたしかに見ていた。神話とは神の「見たて」である、ともいえる。古代人によって神が「見たて」られたのであって、観念のはたらきにおいて神を考え出したのではない。
また、やまとことばにしても、「見る」という身体性の上に成り立っているのであり、それじたいがこの世界の「見たて」として育ってきたのだろうと思えます。
真いわしは、身が多い魚です。それにたいしてひらめや太刀魚は、身が少ない。絶対的な肉の量から言えば、ひらめや太刀魚のほうが多いに決まっている。それでも、「真いわしや秋刀魚に比べると、ひらめや太刀魚は身が少ない」といったほうがしっくりくる。
身が多いとか少ないということは、絶対的な肉の量のことではない、「見たかたち」のことです。「見たて」とは、そういうことではないでしょうか。もしかしたら「身」は、「見」に通じているのかもしれない。よくわからないけど。
魚をはかりにかけて100グラムとか1キロと計量してその数値を信じる世界観もあるが、あくまで「見たかたち」でとらえられる世界観もある。まあ、後者のような世界観がわれわれに残っていなければ、「身」という言葉だってとっくに滅んでいるはずです。
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フッサールという哲学者は、目の前に見えているさいころのうらがわに並んだ目の数を類推しようとするのは、意識の根源的なはたらき(超越論的主観性)である、といともかんたんにいってくれます。たしかに大陸の人々にとっては、ごく自然な意識かもしれない。
しかしわれわれ日本列島に住む人間にとって、それは、けっしてかんたんなことではない。
僕は、真夜中にひとり部屋の中にいると、何も見えない窓の外が、ふだんの見慣れた町であるのかどうかわからなくなってくることがある。窓を開けたら、もしかしたらアメリカかもしれないし、砂漠かもしれない。いや、何もない空虚な宇宙空間かもしれない・・・と。
見えないものは、わからない。日本列島で暮らす人間にとっては、さいころの向こう側の目の数を類推することは、けっしてあたりまえのように身についていることではない。
たとえば、テレビの水戸黄門。毎度おんなじ展開なのに、視聴者は飽きもせず見続けている。わかっているから安心なのではない。そのつどわからない気分で、先の展開など類推することをやめてしまうからだ。日本列島で暮らす人間には、そういう無防備なところがある。そのつど、印籠が出てくるかどうかわからない気分になれる。出てきてから、安心する。安心だから見るのではなく、安心を与えてくれるからだ。
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黄泉比良坂の上でイザナミを待っていたイザナギは、待たされているうちに、ほんとうに坂の下にイザナミはいるのだろうか、と不安になってきた。日本列島で暮らす人間は、見えないものを類推する能力に欠けているからだ。それでつい下りていって、うじ虫が湧いているイザナミの死体を見てしまった。つまり「鶴の恩返し」にしろ、このパターンの説話は、じつは日本列島の人間の、見えないものを類推できない傾向の上に説得力と必然性が与えられている。
しかしそれは、無能だということではない。そのぶん、目の前に見えるものにたいする深い感慨と分析力があるということだ。
水戸黄門の視聴者は、印籠が出てくるときの感慨を、毎回新鮮な気分で味わうことができるのだ。
骨董の世界など、ほとんど目で見て触った感触にたいする感慨と信念だけで成り立っている。
一流の家具職人は、その箪笥の木目を見ただけで、どの地方の山で切られた木であるのかたちまちわかってしまうのだとか。
そういう「見たて」の能力は、日本列島の人間の、見えないものはわからない、すなわちこの生の向こうがわはわからないという死生観の上に成り立っている。
見えないものにたいする断念。そして「見る」という体験にたいする信頼と感慨の深さ。
イザナギが黄泉比良坂に大きな岩=千引石(せんびきいわ)を置いたことは、奈良盆地の人々のたんなる思いつきというより、彼らの死生観が純化されたかたちの表現であり、それはまた、水平線を眺めて絶望した縄文人から受け継いだ歴史的必然ではないかと思えます。