黄泉比良坂(よもつひらさか)

この世界と死の世界の境界には坂があり、それを「黄泉比良坂(よもつひらさか)」という。
なかよく国生みをしたイザナギイザナミの話の最後の場面に出てきます。
では、この坂は、上り坂か、下り坂か。こちらから行くときは、下り坂らしい。
西洋では、天国への階段、というが、この国では、神でさえ死んだらこの坂を下りていかねばならない。神が死ぬというのも変な話だが、この国では、神も人間なのです。ただ、われわれよりははるかに長生きするし、信じられないような能力も持っている。
天国は、空の向こうにある。しかし、この国では、空の向こうはない。この世の「果て」としての空があるだけです。アマテラスは、この世の「果て」に坐す神であって、この世の「向こう」にいるのではない。
そして、この世の果てに黄泉比良坂がある。この国には「この世の向こう」という概念がないから、空の向こうに天国を思い描くことができない。もちろん空も飛べないわけだし、であればもう、この地上に死の世界との通路をつくるしかない。だが死の世界そのものがないのだから、もうこの世界の延長でイメージするしかない。
死体は、ほおっておけば、腐ってうじ虫が湧いてくる。イザナミの神だって、死ねばそんなになるのだと、古事記ではいう。どこにも行きはしない、うじ虫が湧いてくるだけだ、と。
空の向こうも、水平線の向こうも、見ることはできない。海に閉じ込められたこの島国では、「向こうがわは何もないのだ」、向こうがわは「見ることができない」、という体験が骨身にしみている。だから、具体的身体的な「見る」という体験によってしか、世界をイメージすることができない。
われわれが知りうる死は、「見る」という体験にしかない。
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イザナギは、死の世界に行ってしまったイザナミに、黄泉比良坂の上から、どうか戻ってくれ呼びかける。イザナミは、じゃあ死の世界の神に頼んでみるから待っていてほしい、でもそのあいだにけっしてこちらには来ないように、と答える。
が、待ちきれなくなったイザナギは、坂を下りてゆき、そこでうじ虫が湧いたイザナミの死体を見てしまう。
怒った悪霊たちに追いかけられながらあわてて逃げ帰り、大きな岩で、泣く泣く坂の入り口をふさいでしまう。
「見る」ことによって事の成り行きがぜんぶだめになってしまう、という展開は、古代の説話にたくさん出てきます。山幸がトヨタマヒメの出産のシーンを見てしまう話も、同じパターンでしょう。
「見る」ことは、いいことばかりではない。それによって世界を成り立たせることができなければ、すべてがだめになってしまう。「見る」ことがすべてだからこそ、それに失敗すれば、報いは受けなければならない。
そのとき、イザナギは、うろたえてしまった。古事記の作者たちは、それを追体験しようとした。そりゃあ、誰だって、最愛の人がうじ虫の湧いている死体になっているのを見たら、うろたえてしまう。他者の死は、もう、思い切りうろたえ嘆くしかないのだ、という認識。それが、見ることがすべてだという態度で生きた古代人の死生観だった。
この生やこの世界の向こうがわをイメージする観念のはたらきを持たない日本列島の人間が死と和解するためには、思い切りうろたえ嘆くしかない。古事記の作者たちは、そのために、徹底的にイザナギを追いつめていった。悪霊や死の国の軍隊やら、もうこれでもかこれでもかと追いかけられる。ようやく黄泉比良坂の入り口を大きな岩でふさいでしまうと、向こうがわのイザナミから、毎日千人の人間を殺してやる、と恨みと嘆きの入り混じった言葉を投げかけられる。いっしょに「国生み」をした仲だというのに、そこまで変わり果てた最愛の人にたいしてイザナギは、じゃあ私は毎日千五百人の子供を誕生させる、と答える。
けっきょくイザナギは、終始泣きっぱなしで、その果てにようやく最愛の人の死を受け入れてゆく。それはつまり、古代の人々の、この生の向こうがわなどないのだという認識と和解してゆく態度でもあった。
日本列島の人間が見ることにこだわるのは、水平線の向こうはもう見ることができない、という体験が骨身にしみているからだ。だから、見えるものだけを信じようとした。
海流の関係で、縄文時代に大陸から日本列島に漂着することはありえても、こちらから漕ぎ出してゆくことは不可能だった。縄文人はもう、あの海の向こうは何もないのだ、と認識するしかなかった。そしてそれは、不可避的に、死後の世界などないのだ、という感慨になってゆく。そういう伝統が、死の国との通路である黄泉比良坂を大きな岩でふさいでしまう、という古事記の発想につながっていったのだろうと思います。