2015-01-01から1年間の記事一覧

他愛ないときめき・ネアンデルタール人論106

1 原節子のことを書いている途中で「憧れ」という言葉と出会い、これは人類史の「起源論」の大きな問題かもしれない、と思った。 何はともあれこのことは、直立二足歩行の起源ともかかわっている問題なのだ。 原初の森の中で暮らしていた人類は二本の足で立…

原節子という女神

1 原節子論はこれで終わりにしたい。 ともあれ団塊世代の僕にとって原節子の死は、それなりに感慨深いものがあった。 われわれは、まるごと「戦後」という時代とともに生きてきた。 原節子は、その「新しい時代」を歩みはじめた日本人の「憧れの女神」だった…

原節子論・あるがままの自分

1 あのベストセラーの著者の名前はもう忘れたが、『女性の品格』などといわれもねえ。人の品性とか品格というものを、あんな俗っぽいおばさんがあんな俗っぽいレベルで語ってしまっていいのだろうか。あの本の読者たちは、あの著者のおばさんに「品格」とい…

原節子論・遠い憧れ

1 僕は、原節子の映画とリアルタイムで出会っているわけではない。1963年に原節子が雲隠れしたあとから、小津安二郎の作品とともにビデオや名画座などで知ったにすぎない。 それでも、原節子ほど、人の「品性」とか、人類社会における暗喩(メタファー)…

原節子論・女神について考える

1 人類は、普遍的に「女神」に憧れている。 女神に何がしてほしいとか、そういうことではない。 目の前にいてくれるだけでいい。 女神の存在こそが人々の希望になる。 「生きる希望になる」というのではない。「もう死んでもいい」という心地にさせてくれる…

閑話休題・原節子というカリスマ

この国の天皇だって、おそらくその起源においては「カリスマ女優」だったのだ。 まあいまどきは「ネトウヨ」とかのやかましく愚劣な騒ぎもあって天皇論は避けて通りたいところだが、「卑弥呼」の話もあるくらいで、女が天皇だったとしても不思議ではないし、…

閑話休題・女優という生贄

原節子の気品というか品性の輝きは、「貴族的」というのとはちょっと違う。もっと人間としての普遍的な何かなのだ。 原節子を映画のスクリーンの上でもっとも輝かせたのはおそらく、『晩春』『麦秋』『東京物語』のいわゆる「紀子三部作」をつくった小津安二…

閑話休題・原節子の品性

原節子は、1960年代の半ば、突然映画界から去っていった。まだ42歳だったし、いかにも唐突だった。もはや主役の若い美女を演じるということはなくても、「原節子」というブランドはすでに定着していたし、まだまだ活躍の場はあったのに、敬愛する監督…

閑話休題・原節子の死

原節子が死んだ。 日本中に静かな、ほんとに静かな衝撃が走った。 その日の新聞の社説はすべて原節子の死を扱っていた。 事実としては、ある女がこの世界の片隅でひっそりと死んでいったというだけの話で、べつに現在の日本人の誰もがそのことに大きく心を動…

愚かなものたち・ネアンデルタール人論105

1 数万年前のアフリカのホモ・サピエンスとヨーロッパのネアンデルタール人とではどちらの方に言葉が発達する契機が豊かにあったかといえば、より生きられない環境を生きていたネアンデルタール社会の方にあったはずだ。といってもそれは「生き延びるための…

「飛鳥(あすか)」の語源・ネアンデルタール人論104

1 話が横道にそれてしまっているが、そのついでの話をもうひとつ書き加えておこうと思うのだが、今回の記事は長くなってしまいそうです。僕としても、胸の中にたまりにたまっていることがあるわけで。 「語源」のことは多くの人が気になるところだが、文字…

なんとなくの感触・ネアンデルタール人論・103

1 「人の心は言葉でものを考えている」などといわれる。 じゃあ、言葉を知らない人は何も考えないのか。少しの言葉しか知らない人は、少しのことしか考えないのか。たくさんの言葉を知っている人はたくさん考えているのか。 そうじゃない。 人は言葉でこの…

秘すれば花・ネアンデルタール人論102

1 5万年前のヨーロッパのネアンデルタール人とアフリカのホモ・サピエンスとどちらの知能が発達していたかという問題を、どちらの社会で言葉が発達していたかということで語られることも多い。もちろん、そのとき多くのアフリカ人がヨーロッパにやってきて…

官能性の問題・ネアンデルタール人論・101

1 原始人が生きられるはずのない氷河期の北ヨーロッパに置かれたネアンデルタール人を生き残らせたもっとも大きな要因は、セックスにある。彼らの生は死と背中合わせで、人がかんたんに死んでゆく社会だった。とくに生まれた子供の半数以上が大人になる前に…

抱きしめた感触・ネアンデルタール人論・100

1 ネアンデルタール人の祖先が氷河期の北ヨーロッパに移住していったのが50万年前のことで、そのときはまだ屈強な体をしていたわけでもなんでもなく、アフリカに住むホモ・サピエンスの祖先と遺伝子的にはほとんど変わりがなかった。 それでもその極寒の…

穢れと聖性・ネアンデルタール人論99

1 人類の歴史は、世界中のどこでも「生贄」という習俗を持っているらしい。 かつてのインカ帝国やマヤ帝国では罪人の生首を神に捧げていたとか、そんな伝説は、この国の歴史においてもいくらでもある。橋をつくるときに人柱を埋めたとか、そういう習俗が実…

人類を生き残らせたもの・ネアンデルタール人論98

1 前回の記事の最後に、僕自身の願いとして、「<生きられないこの世のもっとも弱いもの>の生贄になりたい」と書いた。 現実にはそんな素敵な生き方や死に方ができるほどの身でもないが、願いとしては、まあそういうことだ。 それはたぶん、僕の個人的な願…

異論と反論・ネアンデルタール人論・97

1 もちろんここでの現在のテーマは「ネアンデルタール人論」ではあるが、ネアンデルタール人のことだけを論じているのではない。基本的な問いは「人間とは何か?」ということであり、そのための「ネアンデルタール人論」です。 というわけで、ここまで書い…

不満の構造・ネアンデルタール人論96

1 たとえば5万年前のヨーロッパのネアンデルタール人とアフリカのホモ・サピエンスのどちらが生き残ることのできる生態を豊かにそなえていたかという問題は、今どきの人類学者が考えているような、どちらの知能が発達していたかということではない。 それ…

献身というサービス・ネアンデルタール人論95

伊勢の事件のことは、よく知りもしないくせに書くべきではなかった。 じつは、あの現場は僕が生まれ育った町のすぐ近くで、何度も行ったことのある場所です。 だから、つい余計な思い入れを込めて書いてしまった。 ただ、これだけは言えそうな気がします。思…

花は美しいか・ネアンデルタール人論94

1 「人間とは何か」ということを考えるなら、人生の目的とか意味とか価値などという無駄なことを語る前に、「生きはじめる場所」についてもっと考えてみようではないか。 息をするとか飯を食うということは「生きはじめる」行為であって、そこが「最終的な…

生きはじめる場所とたどり着く場所・ネアンデルタール人論93

1 数万年前の氷河期の北ヨーロッパにおけるネアンデルタール人の集団のかたちと、同じころのアフリカのサバンナの民の集団のかたちが同じであったはずがない。住む環境が違っていたし、前者が人類拡散の歴史を背負っていたのに対して、後者は人類誕生以来そ…

もう生きられない・ネアンデルタール人論92

1 今の国会でさかんに議論されているらしい「安保法制」の是か非かということについては、国民のあいだでも意見が二つに分かれているのだろうか。議席数の力関係でその法案はけっきょくそのまま承認されるのだろうが、もしも国民投票として問えば、結果はど…

悩むことと嘆くこと・ネアンデルタール人論91

1 ネアンデルタール人が氷河期の極北の地に住み着いていたということは、人類はなぜ地球の隅々まで拡散していったかという問題でもある。彼らは、そのころの人類で、もっとも住みにくい土地に住み着いている人々だった。そこは、原始人が生きられるはずがな…

閑話休題

今回は、電話でちょっとした意見の行き違いになったある人への個人的な送信を書いておくことにします。電話では、どうしても誤解が生まれてしまう。 夏目漱石だろうと小川国夫だろうと村上春樹だろうとカーヴァーだろうとドストエフスキーだろうと、小説家と…

人間的な連携のダイナミズム・ネアンデルタール人論90

1 人類の集団性には、「幻想のネットワークを組織する」という秩序志向の集団性と、「どこからともなく人が集まってくる」というなりゆきまかせのダイナミズムが生まれてくる集団性とがある。前者はおそらくアフリカのサバンナの原始社会で生まれ、それに対…

人類の集団性の二つのかたち・ネアンデルタール人論89

1 人類の集団性には、二つのかたちがある。 アフリカ的な「幻想のネットワーク」によって秩序をつくってゆく「部族の集団性」と、ヨーロッパ的な「どこからともなく人が集まってくる」ようななりゆきまかせの「広場の集団性」、この二つの違いについて考え…

サバンナの部族意識・ネアンデルタール人論88

1 ネアンデルタール人とは何か、という問題について考えています。 僕は英語ができないから外国人と議論することはできない。であれば、この国のネアンデルタール人論の権威である赤澤威氏と議論がしたいものだ思うが、まあその著書を読むかぎり、話になら…

エルカスティーヨ洞窟・ネアンデルタール人論87

1 現在確認されているもっとも古いヨーロッパの洞窟壁画は、スペインのエルカスティーヨ洞窟に描かれた曲線や点線による模様のような絵で、それが4万8千年くらい前のものだとか。 4万8千年前といえば、まだクロマニヨン人は登場していない。ネアンデル…

インポのジジイと不感症のババア・ネアンデルタール人論86

1 この生は、「別れのかなしみ」の上に成り立っている。「別れのかなしみ」というこの生の通奏低音、このことについて考えてみたい。 意識のはたらきは動いているものを追いかける性質を持っている。 追いかけ続けることもあれば、そのまま見送り別れること…