生きはじめる場所とたどり着く場所・ネアンデルタール人論93

 数万年前の氷河期の北ヨーロッパにおけるネアンデルタール人の集団のかたちと、同じころのアフリカのサバンナの民の集団のかたちが同じであったはずがない。住む環境が違っていたし、前者が人類拡散の歴史を背負っていたのに対して、後者は人類誕生以来その地にとどまり続ける歴史を歩んできた。そうした違いからくる集団に対する意識の違いがあったはずだ。
 サバンナの民は、家族的小集団で一定地域内を移動しながら暮らしていた。大きな集団では移動生活はできない。現在の遊牧民だって同じで、サバンナでの彼らは、大きな集団を組織できないメンタリティで生きていた。しかしその家族的小集団だけでは婚姻関係を持つことができないから、自然にその小集団どうしのネットワークがつくられていった。それが「部族」という集団の単位だった。それはあくまで家族的小集団の暮らしを成り立たせるためのネットワークであり、部族の全員が一か所に集まって「都市」という大集団をつくってゆくということはなかった。
 まあ実際問題として、サバンナには「都市」が生まれてくるような場所も歴史情況もなかった。原始時代の彼らは、熱帯の灼けつく日差しや大型肉食獣から逃れて、サバンナに点在する小さな森から森へとあくまで小集団で移動しながら暮らしていた。彼らは、その小集団どうしで女を交換していたが、小集団どうしが連携しながらたとえば狩りをするとか、そういう生態は持っていなかった。今でもアフリカ人はミーイズムが強くて集団の連携プレーが苦手な民族であり、だから、近代には欧米人による奴隷狩りの餌食になってしまったし、数千年前の文明発祥のころからすでにエジプト・メソポタミアの文明国家の奴隷にされていたという話もある。
 4〜3万年前のサバンナの民がヨーロッパに移住していって世界の文明をリードするヨーロッパ人になり、サバンナに居残ったものたちは世界の文明から置き去りにされた未開人のままの歴史を歩んでいっただなんて、そんなことがあるはずがないではないか。もしもそのときサバンナ出身のアフリカ人がヨーロッパを席巻していったとすれば、サバンナのメンタリティ=文化で席巻していったはずである。そのメンタリティ=文化で世界の文明をリードするようになれるのなら、サバンナに居残ったものたちだって負けずに文明化してゆかなければ理屈が合わない。
 サバンナの民は、もともと大集団で行動できるようなメンタリティ=文化の歴史を歩んでこなかった。したがって彼らが文明国家を生み出すことは、論理的にありえない。
 原始時代のサバンナの民の「部族」というネットワークは、もしかしたらそのころの世界でいちばん大きな集団だったのかもしれない。ただその集団はあくまで「幻想のネットワーク」であり、じっさいにその集団がひとつの場所に集まって暮らすということはなかった。彼らは、そのネットワークを持っていたがゆえに、家族的小集団の暮らしを守り続けることができた。極端にいえば、彼らは、現在に至るまでの数百万年のあいだ、そんな暮らしを守り続けてきたのだ。


まあ人類史における「幻想のネットワーク」はそのようにしてアフリカのサバンナから生まれてきたのだが、その観念性が数千年前のエジプト・メソポタミアに伝播して国家文明の発祥をもたらし、今や世界中の人類の観念性にもなっている。現代人が共有している国家とか民族とか宗教とかの観念世界だって、サバンナ発祥の「幻想のネットワーク」の観念性が受け継がれさまざまなかたちに発展してきた結果であろうと思える。
それはもともと「幻想」なのだから、いくらでも大きな集団になれる。しかしそれゆえにこそ、それによって実際の集団の動きのダイナミズムを生み出すことはない。それはまあ、その観念世界によって人びとの心を縛り、集団の秩序・安定をもたらすことはあっても、じっさいに人々が寄り集まって連携してゆくことの基礎にはならない。
 その観念世界に浸り共有してゆくことは、絶対的な理想の世界や境地にたどり着くことであり、そこから生きはじめるという動きは生まれてこない。
 人類にとっての「生きる」ことは、「生まれてきてしまった」ことの受難から解放されてゆくいとなみであって、生きてあることは生まれてきたことの最終的な場所にはなりえない。みんな「死」にたどり着くのだ。だから人は、この生からの解放としての「天国」や「極楽浄土」のイメージを持った。
「幻想のネットワーク」とは、この生のたどり着くべき最終的な場所をひとつの観念世界として共有してゆくことであって、「生きはじめる場所」を共有しているのではない。同じ日本人だとか、同じ先祖を共有しているとか、同じ天国にゆくとか、まあそういう観念世界で人の心を縛って集団の秩序・安定がつくられてゆくことには有効であるが、そこから人が生きはじめるとか集団の連携が動き出すという契機にはなりえない。
 まあ「幸せ」というのも、現代人が共有している「最終的な場所」であるのかもしれない。
 平和は戦争よりも幸せだ、戦後の70年は幸せな時代だった、この幸せを大切にしなければならない……そうやって平和と豊かさに向けて安定的にシステマティックに動いている社会を実現した。しかしその結果として、人と人がときめき合いながら連携してゆく場所、すなわち「ここから生きはじめる」という場所=関係を失った。
「幸せ」は「最終的な場所」なのだから、「ここから生きはじめる」という場所にはなりえない。そこから「生まれ変わった」ような新鮮な心地は生まれてこない。
「幻想のネットワーク」とは、個人においても集団においても、この生がたどり着くべき「最終的な場所」を共有してゆくことであり、その場所のイメージを集団と個人が共有しているときに「幻想のネットワーク」が成り立つ。


 吉本隆明は『共同幻想論』というあの有名な著書の中で「共同幻想と自己幻想は逆立する」といったが、そうじゃない。共同体の制度性と個人の自意識が同じ観念世界を共有してゆくことによって、それが人々の心を縛る「幻想のネットワーク」として機能してゆくのだ。この本が最初に出たのは1960年代で、全共闘運動に熱中する当時の学生たちが掲げる「反抗」とか「自立」というスローガンを支える理論として圧倒的な支持を得ていった。ようするに自意識過剰の思想が自意識過剰の時代に受け入れられていった、というだけのこと。人の心は、時代や共同体の制度に踊らされて自意識過剰になってゆく。時代や共同体の制度に「反抗」して新しい時代や共同体の制度をつくろうなんて、その思考や行動自体が、すでに時代や共同体の制度に執着し踊らされている証拠なのだ。その「反抗」や「自立」という「自己幻想」は、少しも「共同幻想」と「逆立」していない。その「反抗」や「自立」それ自体が「共同幻想」なのだ。
たとえば『共同幻想論』では、「山には鬼や妖怪が住んでいるから山の中に入っていってはいけない」という村落共同体の掟が機能していることを「恐怖の共同性」などといって説明しているのだが、それはあたりまえにいって共同体と個人が同じ観念世界を共有している状態であって、「逆立」なんかしていない。みんなが山には鬼や妖怪が住んでいると信じている。つまり、はじめに個人の観念世界としてそういうイメージが生まれ、誰いうとなくそういう噂話を交し合うようになり、それがやがて集団の合意になっていっただけのことで、吉本が考えるような、集団の制度性が個人を支配するためにそういう観念世界をねつ造していったということではない。それは「自己幻想=自意識」から生まれてきた観念世界であり、誰もがそう思うようになっていったことによって、やがて村の掟として機能するようになってきただけのこと。
それをいうなら、「共同幻想は自己幻想に寄生してゆく」のであって、逆立しているのでもなんでもない。
 古代や中世においてはそういうことを信じないものは集団からはぐれて出ていった(山の中に入っていった)から、信じる者だけが集団に残り、それが集団の掟になっていった。
 とくに古代は、そうやって集団からはぐれ出ていったものたちがどこからともなく寄り集まってきて新しい集団になってゆくということが、さかんに起きていたのだ。
 人間の世界で、個人の心よりも集団の心のほうが先に生まれてくるということなどありえない。個人の心が集まって集団の心になるだけのこと。だから「自己幻想と共同幻想は逆立する」ということは論理的にありえないわけで、自己幻想が共同幻想を生み出すだけのこと。そうやって共同幻想を生み出す自己幻想を持ったものたちが集団に残り、定住の歴史をつくっていったのだ。時代や社会をつくっていることは、時代や社会から踊らされていることと同義なのだ。なにが「反抗」なものか。なにが「自立」なものか。吉本隆明だって、時代に踊らされて生きて死んでいっただけのただの凡庸な思想家にすぎない。まあ、いずれそのことがわかる時代もやってくることだろう。
 集団からはぐれてゆく心は集団に「反抗」しないし、「自立」してもいない。あくまで「はぐれている」のであり、はぐれ名が途方に暮れているだけのこと、誰の中にもそんな心模様があるから時代は変わってゆくのだし、その心模様を持ち寄って新しい集団が生まれてきたりもする。
 たとえば「ボーイ・ミーツ・ガール」という人類普遍の体験があり、少年と少女は家族という集団からはぐれていった心模様を共有しながらはじめての恋という体験をする。まあそんなようなことで、古代社会では、そういうかたちで新しい村や町が生まれてくるということが盛んに起きていたのだ。戦争によって町や村の取り合いをするというのはそのあとの時代のことであり、文明社会の歴史は、まずはじめに新しい村や町がどんどん生まれてくるという段階があったわけで、そのときべつに「共同幻想」で新しい町や村をつくっていったのではない。集団からはぐれた心を共有しながら連携してゆき、新しい町や村になっていったのだ。
人類の町や村は、根源においては「共同幻想」によっていとなまれているのではなく、集団からはぐれた心を持ち寄りながらどこからともなく人が集まってくるというその他愛なくときめき合ってゆくダイナミズムがはたらいているし、その関係を失ったら町や村は衰退してゆく。吉本のいうような「恐怖の共同性=共同幻想」だけで町や村の歴史がつくられてきたのではない。「恐怖の共同性=共同幻想」で田舎の町や村の運営が成り立っているだなんて、東京育ちの自意識過剰なナルシストである吉本は田舎の町や村をなめているし、何にもわかっていない。共同体の根源的な構造を問うてゆく思考そのものが、どうしようもなく薄っぺらでステレオタイプなのだ。


 猿としての限度を超えて大きく密集した集団の中に置かれている人間存在は、その閉塞感からどうしても自意識過剰になったりヒステリーを起こしたりしてしまう。そういう状態と折り合いをつけるようにして「集団的な幻想のネットワーク」が生まれてくる。
 まあ、よい社会=集団になれば幸せになれるなんて、自意識過剰の心が生み出すただの幻想だ。人の心は、社会=集団からはぐれてゆくことによってはじめて解放される。そういう解放される心を持っていなければ、人類のような限度を超えて大きく密集した集団の中にはいられない。そしてそれは生き延びることができる「幸せ」になることではなく、生きられない「かなしみ」や「嘆き」に浸されてゆくことであり、心はそこから華やぎこの世界にときめいてゆく。人は、そういう生と死のはざまに立っところから生きはじめる。
集団における「幸せ」という「最終的な場所」を約束するのが「幻想ネットワーク」であるのだが、しかし人が「生きはじめる場所」は、集団からはぐれてゆくことにある。心が集団からはぐれていなければ、集団の中では生きられない。それが「生きはじめる場所」であり、心はそこから華やぎ、人と人のときめき合う関係や人間的な知性や感性が生まれ育ってくる。
「よい社会をつくろう」などというスローガンは、集団からはぐれてゆく心をすでに失っている。
 われわれのこの生は、「幸せ」とか「よい社会」という「生きられる最終的な場所」を目指すことによって成り立っているのではなく、「生きはじめる場所」に立てるかどうかというその「生きられなさ」の上に成り立っている。しかし平和で豊かな社会の現代人はもう、その「生きられる最終的な場所」を共有してゆく「幻想のネットワーク」にばかり固執して、「生きはじめる場所」に立てるかどうかという切実さというか人間性の自然を見失っており、そうやって心の華やぎも人と人のときめき合う関係も不調になってしまっている。そうして不調なのに、知性や感性もときめき合う関係も絶好調のつもりの自意識だけは旺盛だから、ますます問題がこじれてゆくというか、始末にわるい。
 人間性の自然=本質は、幸せな平和で豊かな社会を実現すればいいというだけではすまない。社会からはぐれてゆく心を持たなければ、社会の中にはいられない。


 人は、自然=根源において「最終的な場所」を目指す存在ではなく、「生きはじめる場所」を必要としているのだ。「最終的な場所」どころではない、「生きはじめる場所」に立つこと自体がままならない存在であり、「生きはじめる場所」こそが「死んでゆく場所」でもある。死んでゆくときには、生まれたばかりの子供のように、この世界の何もかもが輝いて見える。それは「生きはじめる場所」であって「最終的な場所」ではない。人は、「生きはじめる場所」に立てなければ生きられないし、「生きはじめる場所」に立って死んでゆく。
 時代は、「最終的な場所」を目指して移り変わってゆくのではない。「最終的な場所」など目指していないから移り変わってゆくのだ。時代や流行が繰り返すのは「最終的な場所」など目指していないからだし、その「移り変わってゆく」こと自体が時代や流行の本質=自然であり、時代や流行はつねに「生きはじめる場所」を探して移り変わってゆく。
 ミニスカートが流行ったからといって、誰もそれが最終的なファッションだと思っているわけではない。ただもうミニスカートを穿かなければ生きはじめることができない時代の状況があるだけだ。
 たどり着くべき場所などどこにもない。生きはじめる場所に立てなければ、人は生きられない。
 人間が死を意識する存在だということは、この世に生まれ出てきてしまったことは「取り返しのつかない過失」だということを意味するのであり、われわれはそこに立って生きはじめることすらできないで途方に暮れている存在なのだ。しかし人の心は、そこから華やぎときめいてゆく。心が華やぎときめいてゆくことができなければ生きられない。人は「最終的な場所」を目指して生きているのではない。「生きはじめる場所」を探しながら生きているだけのこと。そしてその場所を見つけることがどんなに困難であることか。今日の自分は昨日の自分とは、精神的にも肉体的にも同じではない。われわれの「生きはじめる場所」は刻々変化してゆく。変化してゆくことと和解できなければ生きられない。
 人の思考や行動は、「今ここ」の「生きはじめる場所」を探すいとなみであって、約束された「最終的な場所」を持っているわけではない。
 人間はほかの生きものと違って、つねに同じ「自分」であることはできない。人間の「自分」は、刻々変化してゆく。なぜなら、「自分」から解放されてあるのが「自分」だからだ。人間の「自分」は、「自分」を忘れてときめき感動し、何かに夢中になってゆく。
「自分」が「生きはじめる場所」は、刻々変化してゆく。毎日パンツを穿き替え、会社に行くときと冠婚葬祭のときとふだんでは、着るものを替える。会社にいるときの「自分」とふだんの「自分」が同じとはいえないし、親と一緒にいるときと友達や恋人と一緒にいるときと見知らぬ人と一緒にいるときと、相手によって「自分」が変わる。毎日同じものを食っているわけではないし、毎日同じことを考え行動しているわけでもない。「自分」は、つねに生まれ変わってゆく。そういうかたちでないと人は生きられない。
 生まれ変わることのめでたさというものがある。そうやって季節が変わり時代が変わり「自分」が変わってゆく。それは、人がつねに「生きはじめる場所」を探している存在であって、約束された「最終的な場所」に向かって変わらぬ自分で変わらぬ歩みを続けているわけではない、ということだ。
 人は「生きはじめる場所」を持てないで途方に暮れている存在なのだ。「最終的な場所」どころではない。何はさておいても、まず「生きはじめる場所」に立てないといけない。
 生きものの体が動くということは、「生きはじめる場所」に向かって動くということだ。ひまわりの花が太陽に向かって咲いているとすれば、そこが「生きはじめる場所」だからだろう。最初から向いていたのではなく、だんだん向いてゆき、向くことによって開花していった。
 手を伸ばしてコーヒーカップを取ることは、コーヒーを飲むということに向かって生きはじめる行為であり、それ自体はコーヒーを飲むという行為ではない。コーヒーを飲もうとする欲望で手を伸ばすことはできない。手を伸ばす行為を成り立たせているのは、コーヒーを飲もうとする欲望ではなく、手を伸ばすことそれ自体の感覚なのだ。その感覚を持っていなければ、手を伸ばすことはできない。
 人がなぜ二本の足で立って歩くことができるかといえば、二本の足で立って歩こうとする気持ちを持っているからであって、そのことの便利を自覚しているからではない。猿にその気持ちはない。もともとそれは、生きものとして不便になることであり生きられなくなることだったのだ。赤ん坊だって、それによって自由に動き回ることができなくなるのだ。それでも人は、あるとき二本の足で立って歩こうとした。赤ん坊が二本の足で立って歩くことの便利がわかっているはずがない。それでも歩こうとし。歩くことができればほんとにうれしそうな顔をする。原初の人類だって、そのとき「最終的な場所」を見ていたのではない。そこが「生きはじめる場所」だったからだ。ただもう二本の足で立って歩こうとした。猿よりも弱い猿になってしまうことだったのに、それでも二本の足で立って歩こうとした。そこにしか「生きはじめる場所」がなかった。
「生きはじめる場所」が生きものを生かしている。われわれは、生き延びることができるとかできないとか、そんなこと以前の「生きはじめる場所」を探しながら生きているのであり、「生きはじめる場所」をまだ持っていない存在なのだ。そういう「生きられない」存在であり、その「かなしみ」や「嘆き」を基礎にして世界や他者の輝きにときめいてゆく。そこが「生きはじめる場所」になる。


 まあここでいう「場所」とは、哲学用語でいえば「トポス=位相」というようなことになるのだろうが、「この生が生まれる場所」あるいは「この世界が生まれる場所」と言い換えてもよい、意識の根源においてはこの生もこの世界もたえず「生まれている」のであり、そのことの輝き=めでたさに気づき感じてゆく心模様を失えば生きられなくなってしまう。
 すなわち「生まれ変わる」ということ、「移り変わる」ということ、意識の根源においては、この生もこの世界もそういう現象として成り立っている。
 正月のめでたさ晴れがましさは、世界のすべてが新しく生まれ変わっている心地に浸されることにある。まさにここが「生きはじめる場所」なのだ。
 生物学の進化論というのは1000万年1億年単位で考えている分野で、その常識からすると、人類の知能というか文化というか生態の進化発展はまさに驚異的なスピードで、たった700万年でこんなところまで来てしまった。しかも最初はほかの猿と同じでさほど進化することもなく、実質的には後半の3,400万年だけで達成してしまったのだ。人類の歴史に比べたら、チンパンジーもライオンもウマやシカも1000万年前とほとんど同じ生態のままだといえる。
 なぜ人類だけがこんなスピードで進化してくることができたのか。
 おそらくそれは、最初に二本の足で立ち上がったときからすでに思考や行動の自然=本質において「生まれ変わる=移り変わる」というコンセプトを持っていたからだ。
 生物の「進化」の本質は、「発達する」ことではなく、「変化する」ことにある。
 二本の足で立ち上がった当座は猿よりも弱い猿だった人類が今や「万物の霊長」などと自負して食物連鎖の頂点に君臨するようになったからといって、視覚や聴覚などの五感をはじめとする身体能力はむしろ退化し続けている。進化といっても、変化し続けてきたのが人類の歴史だった。「もう死んでもいい」という勢いで、それまでのすべてをご破算にして「生まれ変わり続けてきた」のであり、それが驚異的なスピードの「進化」につながった。
 人類の思考や行動すなわちその生態の自然=本質は「生まれ変わる=移り変わる」ことにある。
 人類の歴史に「最終的な場所」などない。
 つねに生まれ変わり続けるのであり、それはつまり、つねに「生きはじめる場所」に立ち続ける、ということだ。人類700万年の歴史がそうだったし、われわれ現代人だって根源的にはそのように存在し生きているわけで、未来もずっとそんなふうにして歴史を歩んでゆくのだろう。
生き延びる能力を得た状態としての「幸せ」という「最終的な場所」を目指し、そこでの達成感に満足したりまどろんだりすることに人間性の自然=本質があるのではない。
人は、つねに生まれ変わり「生きはじめる場所」に立ち続けようとする。
どんなに愚かで無用で無能の存在であっても、「生きられなさ」を生きている「この世のもっとも弱いもの」を僕は尊敬する。その生まれたばかりの赤ん坊のような「生きはじめる場所」に立ち尽くしていることにこそ人間性の自然と究極のかたちがある。


氷河期の北ヨーロッパネアンデルタール人が生きて暮らしていたということは、つまるところそういうことなのだ。その人類拡散の果ての地が、「最終的な場所=約束された理想郷」であったはずがないではないか。そこは原始人が生きられるはずのない極めて苛酷な環境だったのであり、「幸せ」に浸って生きているものなどひとりもいなかった。次々に人が死んでゆく世界だったのであり、現代人のように生き延びようとする欲望をたぎらせていたら、たちまち気が狂ってしまう世界だったのだ。
それでも彼らは、その地を離れなかった。それは、「生き延びることができない」というその嘆きを共有しながら、そこから切実に深く豊かにときめき合っていったからだ。そういうときめき合う関係さえあれば、生き延びることができなくてもかまわない……じつはそれが人類の歴史というか人類拡散の歴史だったのであり、生き延びようとする欲望をたぎらせてあくせく生きてきたのではない。そんないかにも文明社会的な俗っぽい欲望が、知能をはじめとする人間的な「進化」をもたらしたのではない。
二本の足で立ち上がった人類は、「生き延びる」能力を失った代わりに、どんどん「生まれ変わってゆく」生態を獲得していった。生まれ変わって新しい「生きはじめる場所」に立つということ。まあそれが、人間ならではの「ときめく=感動する」という体験なのだ。
ネアンデルタール人は、その生きられるはずのない極寒の地で、生き延びようとしたのではない。そこは、生き延びようとする欲望を持つことが許されない環境の土地だった。彼らは、「もう死んでもいい=いつ死んでもかまわない」と思いながら生きていた。彼らにとって眠りに就くことは、「このまま永久に目覚めないかもしれない」ということを覚悟することであり、じっさいに「朝になったら冷たくなっていた」という仲間の死と遭遇することは日常茶飯事だった。そうして、自分がまだ生きてあることを思い知る。すなわちそこは、自分が生まれ変わって新しく生きはじめる場所だった。生き延びることなんか思いもよらないことだったが、まだ生きてあるのなら、「生きはじめる場所」に立つよりしょうがない。まあそうやって、生まれたばかりの赤ん坊のように目の前の世界や人にときめいていった。それがあったから、住みよい南の地に移住してゆこうとはしなかった。目の前の「今ここ」にときめいていれば、別の場所など思い浮かぶはずもない。彼らの思いの中にあったのは、「たどり着くべき最終的な場所(理想郷)」ではなく、あくまでも「今ここ」の「生きはじめる場所」だった。
ネアンデルタール人は、生き延びようとする欲望によって生き残ってきたのではなく、「生きはじめる場所」に立ち続けることによって生き残ってきた。


 生き延びようとする欲望をたぎらせることと、「生きはじめる場所」に立ち続けることと、いったいどちらが命のはたらきを豊かにするだろう、脳を活性化させるだろう。
 生き延びようとすれば、意識は、生きてある「今ここ」から離れて「未来」に向いてしまう。しかし生きものの命のはたらきは、「今ここ」の身体のまわりの世界にたいする「反応」として起きていることで、「今ここ」にない「未来」に対する反応など起きようがない。意識が「未来」に向いてしまうことは、「今ここ」の命のはたらきを停滞させてしまうことなのだ。そうやって未来のスケジュールを追いかけてばかりいる現代人は、そのあげくに認知症鬱病やインポテンツになってゆく。
 命のはたらきは、生き延びる「未来」ことなど忘れて、まるごと「今ここ」に反応してゆく。命のはたらきに「未来」のことなどプログラミングされていないのであり、現代人の観念=欲望が勝手にそんな場所を思い浮かべ執着しているだけなのだ。そうして勝手に認知症鬱病やインポテンツになって自滅していっている。
 生き延びるために「反応」するのではない。「生きはじめる」かたちとして「反応」しているのだ。
 人類が生き延びることが目的の存在であるのなら、ネアンデルタール人北ヨーロッパという氷河期の極寒の地などさっさと放棄して南に移住していったに違いない。そうして今ごろ人類は、住みよい温暖な地にひしめき合っていることになる。しかしじっさいには、地球の隅々までばらけて住み着いている。人類にとって「住みよい」とか「生き延びることができる」ということは第一義の問題ではない。なぜなら人類は、「いかにして生き延びるか」という問題以前に、「いかにして生きはじめるか」という問題を抱えている存在だからだ。
われわれはまだ「生きはじめる場所」にすら立てていない。なぜなら心のはたらきも命のはたらきもつねに「生まれ変わってゆく」のだから、「生き延びる」ことなんかできるはずがないし、つねにそれ以前の「いかにして生きはじめるか」という問題を抱えてしまっている。だからこそ、どんなに生きにくい地に置かれても、「さしあたってすでに生きてあるのであれば、ここからどうやって生きはじめるか」という気持ちが起きてくるだけだ。
 人は、根源において「生き延びる」という生のかたちを知らない。だからどんなに生きにくくても、つねに「生きはじめる場所」に立とうとしてしまう。そうやってネアンデルタール人は生き延びることができるはずもない氷河期の北ヨーロッパに住み着いていったし、この国の封建時代の農民は、権力者によるその理不尽な支配をひとまず受け入れていった。そうして人間的な知性や感性の輝き(ときめき)は、その「どんなに生きにくくても生きはじめてみようとする」心模様とともに生まれ育ってくるのだ。
 生き延びることが約束された場所で生きているだけなら知性や感性は停滞してゆくばかりで、輝きときめいてゆく契機などどこにもない。今どきの平和で豊かな社会のこの国の大人たちのブサイクな呆けヅラを眺めてみればそのことがよくわかるし、まあその表情や心模様は、生き延びようとして醜く歪んでしまっている、ともいえる。そんな現代人が人間のスタンダードであるはずがないのに、自分たちこそ人間のスタンダードだと勝手に決めてかかって「生き延びようとすることこそ人間の本性であり、生きものの本能だ」と、そりゃあもううるさいくらいにかまびすしく合唱している。
 人は、生き延びようとする存在ではない。どんなに生きにくくてもひとまずそこで生きはじめてみようとしてしまう存在なのだ。生きにくさは「生まれ変わる」という体験をもたらす。「生きはじめる」とは、生まれ変わって生まれたばかりの赤ん坊のような気持ちでこの世界にときめいてゆく体験のことでもある。
 人は、ユートピアという「最終的な場所」を思い描きながらそれに向かって生きているのではない。「生きはじめる場所」すら見つけられないで途方に暮れている存在であり、世界の輝きにときめいてゆくときにはじめて「生きはじめる場所」に立つことができる。


 人は、猿と違って生きにくさを生きることができる。心はそこから華やぎときめき、人間的な知性や感性が進化発展してきた。ユートピアを目指すから「今ここ」の生きにくさを生きることができるのではない。ユートピアでしか生きられない心が、「今ここ」の生きにくさを生きることができるはずがない。ユートピアなど知らないしどうでもいいから、生きにくさをいとわないのだ。「生きはじめる場所」に立つことができるなら、あとはもうどうでもいい。ネアンデルタール人は、そうやって生きていた。
それに対して平和で豊かな社会を生きる現代人の観念は、その「生きはじめる場所」に立つことが人間にとってどれほど困難でどれほど切実な願いであるかということを見失い、そんな問題などすでに解決しているつもりで「最終的な場所」としての「ユートピア=幸せ」ばかり目指している。
未来の「ユートピア=幸せ」なんかどうでもいい、ただもう「今ここ」の「生きはじめる場所」に立つことができるのならそれでいい。そしてそれは「今ここ」の「もう死んでもいい場所」でもあり、人類はそういう生と死のはざまのせっぱつまったところに立って歴史を歩んできたわけで、そこから人間的な知性や感性が進化発展してきた。
 人間的な豊かな知性や感性の輝きは、生きられないものの「いまここ」の「生きはじめる場所」において生成しているのであって、生き延びることができる幸せに浸っている「最終的な場所」においてはそうした知性や感性も命のはたらきも停滞してしまっているだけで、そうやって生きてきた現代人がやがて認知症鬱病やインポテンツになってゆく。
 われわれの心も命のはたらきもたえず「生まれ変わっている」のであり、この生には「いかに生きはじめるか」という問題があるだけで、「いかにして生き延びるか」という問題など存在しない。
 人の心も命のはたらきも時代も季節も、つねに生まれ変わり移り変わってゆく。その「うつろい」に気づきときめいてゆくことのカタルシスが人を生かしているのであって、ユートピアとか幸せなどという「約束された最終的な場所」などどこにも存在しない。そんな場所を目指すのがこの生のいとなみであるのなら、人類拡散など起きなかった。ネアンデルタール人がたどり着いた氷河期の北ヨーロッパという場所は、生き延びることができる「約束された最終的な場所」ではなく、そのころの地球上でもっとも生きられない場所だったのであり、それでも彼らはそこを「生きはじめる場所」と思い定めて住み着いていった。そうして住み着いてゆくことによって、人類史上もっと豊かに人と人が豊かにときめき合っている社会を実現していった。人は、どんなに生きにくくてもそういう体験があれば生きられるのであり、そういう体験がなければどんなに幸せでも生きられないのだ。そういう体験がなければ、やがては認知症鬱病やインポテンツになってゆく。そういう体験ができないものたちが寄ってたかって「生き延びることができるよい社会をつくろう」と合唱していても、なんだかむなしい。生きられないわれわれは、それどころじゃない。彼らのような守るべき「幸せ」など持ち合わせていない。ただもう途方に暮れて、「今ここ」の「生きはじめる場所」を探しあぐねている。「生きはじめる場所」がなければ生きられないし、人は「生きはじめる場所」に立って世界の輝きにときめいている。そこでこそ、命のはたらきが活性化する。
 生まれ変わって生きはじめるということ、そうやってこの世界は永遠に移り変わってゆくのであって、たどり着くべき「最終的な場所」などどこにもない。
 移り変わってゆくというそのことに対するときめきが人を生かしている。そういう心模様を基礎にして人類の知能や文化は進化発展してきた。人類は「最終的な場所」に向かって進化発展し続けているのではない。世界は永遠に移り変わってゆく、というだけのこと。したがって生き延びることが約束されている生きものなど存在しないし、生き延びようとするのが生きものの本能であるのでもない。
 生き延びることなんかできない。しかしだからこそ、新しく生まれ変わることができる。現代人は、生き延びることに執着しながら、心身のはたらきを停滞・衰弱させてゆく。
 心身の自然で豊かなはたらきは、生き延びることができない「この世のもっとも弱いもの」のもとにある。心身のはたらきが新しく生まれ変わる契機は、彼らのもとにこそある。

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 生き延びて「理想」とか「幸せ」という「最終的な場所」にたどり着くことが、人間性の自然としての人類の普遍的な願いであるのか。まあいまどきは、そのように信じられているのかもしれない。そうやって人々は、国家とか宗教という「幻想のネットワーク」にすがってゆく。しかしそれは文明社会から生み出されてくる制度的な観念のはたらきであって、原始時代以来の普遍的な人の心の動きではない。
 生き延びることができるのなら、「生まれ変わる」ことはない。そのとき時間は過去から未来に向かって飴の棒のように延びているわけで、この生やこの世界がそのように成り立っていると思えるのなら、たどり着くべき「最終的な場所」がなければならない。その場所なしに永遠に生き延び続けることなんかできるはずもないし、人間がそんな虚しさに耐えられるはずもない。「最終的な場所」という目的に向かって生き延びてゆくということにしておきたい。「平和」とか「幸せ」とか「人類の理想」とか「正義」とか「悟り」とか「天国」とか「極楽浄土」とか、まあいろんな「最終的な場所」が思い描かれている。生き延びなければ、「最終的な場所」にはたどり着けない。生き延びることがコンセプトの現代社会には、「最終的な場所」のイメージを共有するさまざまな「幻想のネットワーク」が機能している。
 しかし、生き延びることができない「この世のもっとも弱いもの」は、たどり着くべき「最終的な場所」など思い描かない。思い描くことができない。なぜなら、それこそがもっともむなしい場所だから。彼らには「未来」という時間はない。つねに「今ここ」で死んで、「今ここ」で生まれ変わっている。この生はいつ途切れてもかまわないし、いつ途切れるかもしれないのが彼らの生の与件なのだ。
 まあ、原始人はみなそのように生きていたし、現代にだってそのように生きている人がいる。いや、人間であるかぎり、そのようなせっぱつまった生のかたちが誰の中にも息づいている。
 人間は、もともと猿よりも弱い猿だったのであり、そんな「生きられなさを生きる」という危うい存在の仕方こそが、じつは人間性や人間的な知性や感性を担保している。
 集団的置換説の論者たちは、ネアンデルタール人が氷河期の北ヨーロッパというその度外れて苛酷な環境を潜り抜けてくることができたのはそれほどに知性も感性も未発達でけものじみた人種だったからだ、と考えているらしい。しかしそれは彼らが勝手にそう決めつけているだけのことであって、じっさいはそうではなかったはずだ。人類の知性や感性は生きられなさを生きることによって進化発展してきたのであり、ネアンデルタール人こそ、そのころの地球上でもっともそのような生き方をしている人々だった。
 生きられなさを生きるものは、生き延びようとしない。生き延びることができない存在なのだから、生き延びようとするはずがない。そうして、自然に「いつ死んでもかまわない」と覚悟しているような心模様や行動になってゆく。彼らは、「今ここ」で死に「今ここ」で新しく生まれ変わり続けている。新しく生まれ変わったかのように、世界の輝きに驚きときめいている。「生きられないこの世のもっとも弱いもの」は、いつも生まれたばかりの赤ん坊のような心でこの世界にときめいてゆくことができる。そこにこそ人間的な知性や感性の基礎と究極のかたちがあるわけで、彼らは、生まれ変わり続けている。
 人の心は、瞬間瞬間に生起し続けているはたらきであり、そのつど生まれたばかりの赤ん坊のようなまっさらの心で世界にときめいてゆくことができるのなら、それ以上のことはない。それが、人の知性や感性の基礎と究極のかたちなのだ。
 季節は変わる、時代も変わる、この生もこの世界も移ろい変わってゆく。移ろい変わってゆくものに対する思いは、この国だけの伝統の世界観というより、人類史の普遍的な世界観なのだ。人が生きてあることはそういう思いの上に成り立っていることであり、そういう思いとともに生きながら人類は、驚異的な勢いで進化発展してきた。まあ進化発展してきたのかどうかはわからないが、心も体も生態もどんどん移ろい変わってきた。
人類史における「移ろい変わる」ということ、この問題もまた素通りして通り過ぎるわけにはゆかない。
 せっかくここまで探求してきたというのに、この「ネアンデルタール人論」は、また「たどり着く場所」を見失ってしまったらしい。