もう生きられない・ネアンデルタール人論92

 今の国会でさかんに議論されているらしい「安保法制」の是か非かということについては、国民のあいだでも意見が二つに分かれているのだろうか。議席数の力関係でその法案はけっきょくそのまま承認されるのだろうが、もしも国民投票として問えば、結果はどうなるのだろう。
きっと反対多数で否決される、という声もよく聞く。
戦争をしてでも国を守れ、という右翼的な意見は最近では多くなってきたが、無残な敗戦を体験したこの国の民衆の戦争アレルギーだってそうとう根深いに違いない。
今度はアメリカが味方してくれるのだから負けるはずがない、といわれても、戦争そのものに対する拒否反応があって、国民を戦争に巻き込むくらいなら国が滅びたってかまない、といっている人もいる。それが憲法第九条の精神だ、といわれれば、そうかもしれないとも思う。
日本という国は縄文時代以来四方の海に守られながら日本列島というかたちでずっと存在し続けてきたといえるが、日本列島の民衆は、明治になるまで国家意識などなかった。だから、国家も国旗も持たなかった。
国家意識など、海外諸国に影響されながら持つようになっただけで、日本列島一万年の歴史の伝統とはいえない。つまり、国家意識が希薄な民族だから、アメリカのお仕着せであれ、憲法第九条を受け入れることができたし、70年ものあいだそれを捨てようとしなかった。げんみつにはアメリカの占領下から独立して以来の60年間、ということだろうか。このごろは中国や朝鮮半島からの外圧が強くなってきているから、とうぜんこちらも「国家」を意識するようにもなってくるが、もしもそれがなければ、憲法第九条はあと100年でも200年でものどかに持ち続けられるのかもしれない。あの国々が、「謝罪しろ」だの「軍備を持つな」などとやいのやいのといってさえこなければ。あの国々こそ日本と戦争をしたがっているようにも見える。そういう外圧がないとは、たしかにいえない。彼らには、「今度は負けない」という気持ちがあるのだろうか。それに、この国の左翼たちが「永久に謝罪し続けるべきだ」というようなことばかりいっているから、彼らも「謝罪しろ」といい続けてもかまわないという気持ちにもなるのだろうか。こちらは謝罪の気持ちを込めてたくさんの賠償金を払い、向うも受け取っているのだから、それはもうそんな要求はするべきではないだろう。そんな要求がしたかったら、賠償金など受け取るな。あなたたちのその態度は下品だ。人間としても国家としてもつつしみがなさすぎる、といいたくもなってくる。
恨み骨髄、日本が何度謝っても彼らの恨みは消えないのだろうな、とも思わせられる。彼らのそんな態度に追い詰められて今回の「安保法制」が出てきたのかもしれない。国家意識の強い民族と希薄な歴史を歩んできた民族とのどうしようもないセンスの違い、温度差、そんな心模様の違いというのもあるのだろうか。おたがい同じ土俵に立てない。ヨーロッパの国どうしなら同じ土俵に立ってそれなりの決着も付けられるのだろうが、この国とあの国々とでは、隣り合った同じ東アジアでありながら、土俵が違い過ぎる。


いや、このページは、そんな議論の是非を考えようとしているのではない。
あくまでも二本の足で立ち上がって以来の人類の歴史について考えたいのだが、ただ「それは戦争の歴史だった」と安直に決めつけている人類学者の意見も多く、そのことに対してなら「いや、そうではないだろう」といいたい思いは大いにある。
戦争をすることは人間の本性か?もしそうであるのなら、今回の安保法制はありうるし、憲法第9条はただの不自然な絵空事にすぎない。
しかし戦争をすることは、人間の本性では断じてない。それは、文明社会の病であって、原始人も戦争ばかりしていたなどと勝手に決めつけてもらっては困る。
原始人は知性や理性が未発達だから本性(本能)のままにもっとかんたんに戦争をしていた、などと考えている人もいる。
 そうじゃない。原始人が本性(本能)のままにしていたことがあるとすれば、それはセックスであり、ときめき合うことだったはずだ。そういう衝動を携えて人類は二本の足で立ち上がり、猿から分かたれていったのだ。
 チンパンジーは戦争のようなこと(=テリトリー争い)をするし、集団内でもすべての個体どうしが争って「順位」を決めている。しかし人類が二本の足で立ち上がることは猿よりも弱い猿になることだったのであり、そんな争いをしていたら、二本の足で立つというその不安定で無防備な姿勢を常態化することは実現しなかった。彼らはその生きられない姿勢のままに誰もが他者にときめき、それこそ「もう死んでもいい」という勢いで他者を生かそうとしていった。それが人の本性・自然なのだ。それが人間として「本能のままに生きる」ということなのだ。人が二本の足で立ち上がっている存在だということをつきつめて考えれば、「人間としての本能のままに戦争をする」などということは論理的にありえない。それは、文明社会の病なのだ。


 氷河期が明けて文明国家が登場してきたことによって、人類の歴史は急激に変化していった。人の心模様そのものも大きく変わっていった。そのとき人類が開けてしまった「パンドラの箱」とは、戦争をするようになったことであり、小さな集団や個人においても略奪や人殺しが起きてきた。
 氷河期が明けて何が変わったかといえば、人口爆発が起きたことだろう。そしてアフリカやユーラシア大陸ではもう、人類拡散が一段落して、定住人口がそのまま際限もなく肥大化してゆくようになった。原始時代のように人類が拡散し続けている状況においては、定住人口は一定数以上には増えなかった。そうやって人類の集団は、たえず離合集散を繰り返していた。
 国家=共同体という大集団が生まれてきたこと、そうやってパンドラの箱が開けられたのであり、それが人の心模様も変えていった。
 人類は、限度を超えて大きく膨らみ密集した集団を持ったことによって、集団ヒステリーを起こして戦争をするようになっていった。まあその大きな集団は人類がかつて体験したことがない規模だったのだから、最初はかんたんにヒステリーを起こしてしまっていたに違いない。そしてその内乱状態になって自滅してしまいそうなヒステリーは、その激情を外に向けて戦争をすることによってしかおさまらなかった。
 最初は、その限度を超えて大きくなってしまった集団の中に置かれることに耐えられなかった。しかし猿の集団はそんなときには余分な個体を追い払うことによって安定を保っているが、人類はそうした生態を持っていなかった。持っていなかったから際限なく大きくなっていったのだが、その新しく生まれてきた「追い払おうとする衝動」を、外の集団に向けていった。猿は、基本的に他の集団を追い払うことはしない。安定して隣接しているだけならいさかいは起きない。他の集団が自分たちのテリトリーに入ってきたときに戦争のような行動を起こす。しかし人類は、隣接しているということ自体が耐えられなかった。たとえば、電車の座席で隣の人と体がくっつき合っている状態に不快感を持つようなことだ。もともと人類は、個体どうしも集団どうしも、たがいの身体=テリトリーのあいだに「すきま=緩衝地帯」を持とうとする生態の歴史を歩んできた。
 しかし氷河期が明けてアフリカ・ユーラシア大陸では人類拡散が一段落し、集団どうしがそうした「すきま=緩衝地帯」がない隣接した状態になり、しかもそのまま集団の人口が爆発的に増えていったものだから、もうヒステリーを起こすことから逃れられなくなっていった。そうして「隣接した集団」とさかんに戦争を繰り返す時代に突入していった。
 人類は、限度を超えて大きく膨らみ密集した集団を持つことによって、戦争をするようになっていった。そしてそれはたぶん、戦争をすることの快楽に目覚めていったということでもある。ヒステリー状態から解放されるのだから、快楽にならないはずがない。
 原始時代には、そんなヒステリーはなかった。それは、アフリカのサバンナではひとまず「部族」という「幻想のネットワーク」の大集団を組織しながらも実際には家族的小集団で移動生活をしていただけだったし、北のネアンデルタール人の社会では集団がたえず離合集散を繰り返していて、いずれにせよ原始時代にそんなにも大きく密集した集団にはならなかったからだ。
 文明社会ではもう、限度を超えて大きく密集した集団の中に置かれてあることの「閉塞感=ヒステリー」からいかに解放されるかがこの生のひとつのテーマになっているし、権力者はそのようなかたちで民衆を解放させることによって権力者になってゆく。そうやって、戦争に呼び寄せてゆく。因果なことに、戦争こそもっとも確実でダイナミックな解放の手段なのだ。


まあ、サバンナで生まれてきた「部族」という「幻想のネットワーク」こそが、氷河期明けの国家文明の発祥の契機になったのかもしれない。だからそれは、サバンナの隣のエジプト・メソポタミアが最初だったのかもしれない。そこでは、アフリカほど家族的小集団にこだわっていなかったし、ヨーロッパのネアンデルタールクロマニヨン人ほど集団の離合集散の動きがダイナミックでもなかった。そこは人類拡散の通り道の地で、彼らも拡散してきたものたちであったが、拡散をやめて居残ったものたちでもあった。そうして気候的に食料資源が豊富な土地柄だったこともあり、定住集団が人口爆発を起こす条件がそろっていた。そうしてサバンナのすぐ隣だったから、「幻想のネットワーク」という大集団の秩序をもたらす観念性をいち早く取り入れてゆくことができた。
 そのようにしてそこは、人類史で最初に「都市」という大集団が発生した土地だった。彼らは、周辺地域と戦争を繰り返しながら「幻想のネットワーク」という観念性、すなわちそうやって大集団の中に置かれてあることのヒステリーを外に向けて発散しながら国家という共同体の制度性をつくり上げていった。
 大集団の中に置かれてあることのヒステリーから解放される生態を持っていないと、文明社会は成り立たない。まあ、そうやって戦争を繰り返しながら文明社会が発展していった。それは、集団ヒステリーから解放される体験だった。
 氷河期が明けて人口爆発が起これば「都市」という大集団が生まれてくるのは歴史的な必然だった。ただヨーロッパの場合は人類拡散の歴史を色濃く持っているから「どこからともなく人が集まってくる」という連携の生態を進化発展させながら集団ヒステリーから解放されることも覚えていったし、そこのところでエジプト・メソポタミアはヨーロッパに比べれば希薄だったために、やがて戦争をする能力においてもヨーロッパに追い越されてゆくほかなかった。


 人類拡散は、「どこからともなく人が集まってくる」という現象の果てしない繰り返しとして起きてきた。集団が旅をして移住していったのではない。原始時代にそんなことをするのは物理的に不可能だったし、そんな大集団を組織する能力もなかった。
 集団的置換説においては、4〜3万年前のアフリカ人がヨーロッパの先住民であるネアンアデルタール人よりも大きな集団を組織してそこに移住していったといっているのだが、そのころのサバンナの民は現在のブッシュマンやマサイ族のように家族的小集団で一定の地域内を移動生活していただけであり、彼らには、寒さから逃れながら洞窟内に寄り集まって定住生活をしていたネアンデルタール人以上の大きな集団を組織できる能力があるはずはなかった。
 人類は、定住生活をしながらそこで人口爆発が起きたことによってはじめて猿としての限度を超えた大集団をいとなむようになったのであり、それは、1万年前の氷河期明け以降のことだった。ネアンデルタール人社会の集団にしても、つねに離合集散が起きていて、大集団になるということはなかった。まあ洞窟や岩陰を住処にしていたのだから限度があった。しかしそのぶん「どこからともなく人が集まってくる」という動きとときめき合う関係のダイナミズムは豊かだった。新しい大きな洞窟が発見されれば、どこからともなく人が集まってきて他愛なくときめき合いながらたちまち新しい集団になっていった。それが、氷河期の極寒の地を生きるものたちに必要不可欠の生態だった。そのときかれらは、集団からはぐれてきた心を共有しながら集団になっていった。
 人類は集団からはぐれた心を持っているから、際限なく大きく密集した集団をいとなむことができる。そういう生態の基礎は、人類拡散とネアンデルタール人によってつくられた。
人は、集団や関係からはぐれてゆく心を共有しながら、集団の連携や関係のときめきを生みだす。
人類集団の生成は,集団からはぐれた心を内包している。だから時代=流行は移り変わってゆく。猿社会のそういう変転はない。新しい時代=流行は、もとの時代=流行からはぐれていった心が集まって生まれてくる。
人の心は、集団からはぐれてゆく。そうしてはぐれていった心が集まって新しい集団になってゆく。新しい時代は、「新しい集団」なのだ。たとえ同じ集団であっても、そういう人間性の自然としての「どこからともなく人が集まってくる」という動きを内包しながら生成している。
 人間性の根源=自然において、人は、集団をつくろうとする存在ではない。集団からはぐれてゆく心を持っているからこそ、国家というこんなにも無際限に大きく密集した集団の中にいられるのだし、その心を持っていなければその鬱陶しく息苦しい集団の中で生きることはできない。猿なら、たちまちヒステリーを起こしてしまう。人がそうならないのは、集団からはぐれてゆく心模様を持っているからだし、集団はその心模様を汲み上げながら生成している。
 集団からはぐれてゆく心模様を持たないで集団(=時代や共同体の制度性)にもたれかかってばかりいるから、認知症鬱病やインポテンツになってしまうし、集団それ自体の動きも停滞してゆく。
 平和で豊かな集団=時代は、人の心を集団からはぐれさせないで、集団に閉じ込めてしまう。戦争の時代なら、戦争を嘆いているぶん、まだ少しはましかもしれない。いや、平和であるとは、時代や共同体の制度性からはぐれてゆく心模様が健全に生成していることにあるともいえる。


 日本列島は、明治以前までは外国との戦争が皆無ともいえる歴史を歩んできた。そういう意味では平和な歴史だったのかもしれない。だから、「憂き世」を嘆く心模様の文化を伝統として育んでくることができた。
 やまとことばの「くに」とは、語源的には「鬱陶しさが募る」というようなニュアンスだったのであって、その限度を超えて大きく密集した集団を賛美する言葉だったのではない。日本列島には、国家を賛美する伝統はない。だから、国歌も国旗も生まれてこなかった。人々は、「くに=憂き世」からはぐれてゆく心を共有しながらときめき合い連携してきた。この、人口密度が高い上に四方を荒海に囲まれてどこにも行けない閉じ込められた島国では、そういう「憂き世」の文化を育てなければたちまちヒステリーが起きて誰も生きてあることができなかった。この日本列島がどこからも侵略されたことがないということは、どこを侵略することもできずにヒステリーのはけ口がなかった、ということでもある。
 日本列島では、国を賛美するのではなく、「憂き世」として嘆くことによってヒステリーから逃れる文化を育ててきた。その「嘆き」から心が華やぎ、人と人がときめき合い連携してゆく文化を育ててきた。そしてそれは、原初の人類が二本の足で立ち上がったときそのままの心模様であり、それこそが普遍的な人間性の自然なのだ。
 猿よりも弱い猿であった原初の人類は、なにはともあれときめき合い連携してゆかなければ生き残れない歴史を歩んできた。しかも誰とときめき合うかといえば、どこからともなく集まってきた見ず知らずの相手とより豊かにときめき合っていったのだ。だから人類拡散が起きたわけで、つまり彼らはもう、誰とでもときめき合ってゆくことができた。彼らには、文明人のような人を恨んだり憎んだりする自我意識はなかった。そんな意識を持って猿よりも弱い猿であった原初の人類が生き残ってくることは不可能だった。
 原始人も戦争の歴史を歩んでいたということはありえない。
 戦争とは集団ヒステリーのことだとすれば、原始時代にそんなことが起きるような限度を超えて大きく密集した集団はなかったし、人類が二本の足で立ち上がったことによって生まれてきた生態は、猿社会のような集団どうしや個体どうしが戦ったり競争したりすることから解放されて(=はぐれて)、ときめき合いながら連携してゆくことにあった。人は、猿よりももっと深く豊かにときめき合う。それが、原初の人類が二本の足で立ち上がって「人間」になった体験だった。
 ときめき合うことが原初以来の人間が人間であることの証しであり、戦争をして殺し合うことは文明社会の病として生まれてきた。そのとき人類は、限度を超えて大きく密集した集団の中に置かれ、ヒステリーを起こした。そうなってしまう問題を、猿なら余分な個体を追い出すことによって解決しているが、人類にはその生態はなく、集団はどこまでも膨らんでいった。そうして、そのたまりにたまったヒステリーのエネルギーが外に向かって発散されていった。
 人類は、ふくらみすぎた集団を削って調節するという生態を持っていないから、集団が際限なくふくらんでゆく。そうして、ヒステリーのエネルギーがたまりにたまってしまう。そうやって、文明社会の歴史とともに、猿のレベルをはるかに超えた「恨み」とか「憎しみ」という感情を持つようになっていった。その感情は、けっして人間性の普遍=自然ではない。文明社会の病なのだ。原始人には、そんな戦争の契機となるような感情はなかった。


 人を支配するとか、裁くとか、差別するとか、侮辱するとか、軽蔑するとか、恨むとか、憎むとか、まあ文明人のそういうややこしい関係意識から戦争が起きてくるわけだが、それが普遍的な人間性の範疇のものだとはいえない。そういうややこしい自我意識は、文明社会の歴史によってもたらされた。それを普遍的な人間性の基礎だということにして原始人も戦争をしていたと考えれば安心する現代人は多いのだろうが、まあそうやって自分たちのややこしい自意識を正当化しているだけのことで、それが人類の歴史の真実だとはいえない。
現代人は、自分たちが人類史上もっとも進化発展した存在だと思っている。だから原始人のことを、自分たちをそのまま未熟にしたような人間だと考えがちなところがある。しかし人類は、文明社会の段階になって知能や思考や心模様が進化発展したのではなく、変質してきただけなのだ。文明とともに心や脳のはたらきによけいなものを抱え込んで変質してきただけであり、人類の脳容量そのものは原始時代よりも増えているわけではない。つまり、べつに知能が発達したのではなく、限度を超えて大きく密集した集団の中に置かれて、原始人が抱かなかったようなややこしい心模様を抱くようになっただけなのだ。人間性の本質そのものは変わらないが、よけいなものを抱え込んでしまったぶんだけ、原始人よりもその本質=自然において不純で貧相になってしまっているともいえる。
原始時代だろうと現代だろうと、人は「生きられなさを生きる」存在であり、それによって人間的な知性や感性が育ってゆくのだが、現代人はその一方で、生きられる能力を得て生き延びようとする欲望を持ってしまっている。
知能すなわち人間的な知性や感性は、生き延びる能力のことではない。その証拠に、本格的な学者や芸術家がひといちばい豊かな生き延びる能力の持ち主だともいえないだろう。そんな能力は、世間ずれしたただの俗物の凡人の方が豊かだろう。
原始人だろうと現代人だろうと、人は生きられなさを生きることによって、豊かな知性や感性のひらめきを体験してゆく。そしてそこにこそ人間性の自然=本質があり、そういう生きられなさを生きる人間性は、原始人の方がずっと純粋で豊かだった。すなわち、生き延びる未来なんか勘定に入れずに、ひたすら「今ここ」にときめき憑依してゆく心模様(=思考や感覚)、そういう集中力こそ本格的な知性や感性のはたらきであり、人間性の自然=本質なのだ。
 「今ここ」を生ききってしまう集中力は、生き延びる未来を喪失した「生きられなさを生きる」もののもとにある。そういう集中力は、生きられなさを生きていた原始人よりも生き延びようとする欲望を生きている現代人の方が豊かだとはいえない。
 多くの人類学者は、「未来に対する計画性」を人類が獲得したもっとも豊かな知能のひとつであるかのようにいうが、それは意識の焦点が散乱しているだけのことで、そんなところから人間的な知性や感性のひらめきが生まれてくるわけではない。
 たとえば、人類は、石器をつくろうとして石器をつくったのではない。石器を知らない段階で、石器をイメージできるはずがない。原始人がなぜ石と石をぶつけ合うということをしたかといえば、石器をつくろうとしたからではなく、ただもう「今ここ」の石と石をぶつけ合うことの音や感触に魅入られていったからであり、その結果として先端が欠けた石が生まれ、それが「石器」であることに気づいていった。つまり、「未来を計画」して石器をつくったのではなく、石器を「発見」したのであり、そうやって人間的な知性や感性が「今ここ」において「ひらめいた」のだ。そういう人間的な「集中力」=「ときめき」が猿のレベルを超えた「石器」を生み出したのであって、「未来に対する計画性」によってではない。
「未来に対する計画性」、すなわち「生き延びようとする欲望」に執着していると、「今ここ」に対する「集中力=ときめき(感動)」を失って、人間的な知性や感性が鈍磨してくる。
 人類は、「未来に対する計画性」で地球の隅々まで拡散していったのではない。それは、未来を失うことと引き換えに、人間性の自然=本質としての「今ここ」に対する「集中力=ときめき(感動)」を深く豊かにしてゆく歴史だった。そうやってどこからともなく人が集まってきて、他愛なくときめき合いながら新しい集団になっていったのだ。
 それは、集団としても個人としても、意識の焦点が一点に結ばれてゆくという体験だった。そういう人間性の自然=本質としての「集中力=ときめき=感動」を、われわれ現代人は、原始人よりも豊かにそなえているといえるだろうか。そしてそれは、はたして原始時代に戦争があったのだろうか、あったはずがない、という問題でもある。


 人間なんか、ときめいてなんぼの存在なのだ。この世界が輝いて見えていること、そういう心模様を体験できなければ人は生きられないし、そういう心模様を豊かに体験できる人じゃないと魅力的ではない。そういう笑顔を持っている人は魅力的だし、誰だってそういう笑顔になれるときはある。人間的な知性や感性はそのようにはたらいている。正しく誠実であろうと、やさしかろうと、そんなことはどうでもいい。つまり、必要なのは、自分の輝きではなく、世界の輝きなのだ。世界の輝きを体験できなければ、自分は輝かない、だからある哲学者は「世界と自分との戦いにおいては、つねに世界の方を支援せよ」といった。人は、自分の輝きを持とうとして輝きを失う。人にときめかれる存在であろうとするということは、人が自分にときめくように画策するということであり、それに成功すれば幸せだろうが、思うようにならなければ相手を恨んだり憎んだりするようになる。自分の輝きや、ときめかれることを願ったり画策したりしない方がいい。そうやって輝きを失ってゆく。自分の輝きなんか、ひとまずどうでもいい。世界が輝いて見えればそれでいいのだ。誰においても他者が輝いて見えていれば、誰もがときめき合っていることになる。少なくとも人類が地球の隅々まで拡散していったことは、そういう関係が生まれてくる体験だったのであり、原始人は、自分の輝きや他者にときめかれることを願ったり画策したりする現代人のような「自意識」は持たなかった。誰もが赤ん坊のように他愛なく他者にときめいていったし、現代人が恋をしたり友情を持ったりすることだってようするにそういうことで、現代人だってそういう心模様を持っていないわけではない。人は誰もが赤ん坊であるところから生きはじめるのだ。
世界が輝いていればそれでいいのだ。それさえあれば明日死んでもかまわない。明日も生きてあることが約束されている幸せが必要なのではない。「もう死んでもいい」という「ときめき=感動」が人を生かしている。赤ん坊や子供や若者は、そういう「ときめき=感動」を持っている。だから彼らは輝いているのであり、大人ばかりが自分の輝きを画策しながら輝きを失っている。そうやって認知症鬱病やインポテンツになってゆく。
 原初の人類が二本の足で立ち上がったことは、世界の輝きを体験することだったのであって、生き延びるためのどんな能力を持つことでもなかった。それによって人類は、より高度な能力を持った猿として輝いたのではなく、ただもう世界が輝いて見えただけなのだ。そこから人類の歴史がはじまった。
 多くの現代人はどうして「人類は原始時代から戦争ばかりしていた」と考えたがるのだろう。この国の人類学の大御所である今西錦司は、「人類が二本の足で立ち上がったことは手に棒を持って戦うためだった」などとくだらないことをいっていたのだが、現在でも、人類学者だけでなく世間一般の多くの人々もまた、人類が二本の足で立ち上がることは生き延びるためのより高度な能力を獲得することだった、と考えている。そして戦争をすることもまた「より高度な能力」のひとつだと世間では認識されているらしい。
 だが、そうじゃない。
 現代社会のもっとも高度な知性や感性は「世界の輝き」に気づきときめいてゆく能力にあり、それが人類史の最初に獲得された能力でもあったのだ。
 人類は、二本の足で立ち上がることによって「戦争をする能力」を獲得したのではない。「猿よりも弱い猿」になり、その能力を失ったのだ。そこから人類の歴史がはじまった。


 人間性の自然=本質は「世界の輝き」を体験することにあるのであって、生き延びる能力を持った「自分の輝き」を持とうとすることにあるのではない。
現代人はもう、生き延びるために世界=社会をつくってゆく能力とか、生き延びることができる自分をつくってゆく能力とか、そんなものばかり欲しがっている。そうやって世界=社会を裁き、人を裁くことばかりしている。そうやって世の中や人を恨んだり憎んだりしながら「裁く」ということを覚えてゆく。そうして「人類は原始時代から戦争ばかりしていた」と考えるようになる。そう考えながら、自分の中の恨んだり憎んだり軽蔑したり裁いたりする心模様を正当化してゆく。自分はそういうことができるだけの知性や感性をそなえていると思いたがっている。そこに「自分の輝き」がある、と。
「自分の輝き」なんかどうでもいいのだ。人は「自分の輝き」を持とうとして輝きを失ってゆく。自分はこんなにも正しく清らかで聡明であるのにどうして人はときめいてこないか。それは、人が愚かで正しくないからだ……そうやって恨みや憎しみとともに世界や人を裁くことばかりするようになって、自分自身が世界や人にときめいてゆく心がどんどん停滞・衰弱してゆく。自分は輝いていると思えば思うほど輝きを失ってゆく、そういうダブルバインドというか自己矛盾の迷宮に入り込んでいる現代人のなんと多いことか。早い話が自意識過剰なのだ。そうやって「世界の輝き」にときめく心を失ってゆく。
しかし人間のもっとも本格的でもっとも原初的な知性や感性は、「世界の輝き」に気づきときめいてゆくことにあるのであって、「世界を裁く」ことにあるのではない。「世界を裁く」能力を持てば、自分は輝いているとか自分は正しく魅力的な人間だと思い込むことができる。言い換えればそれは、「能力=知性や感性」でもなんでもなく、たんなる「思い込み」にすぎない。「ときめき」を失ったところに、どんな知性も感性もあるものか。
政治が悪いだのなんだのと文句をたれて裁いていてもしょうがない。どんな世の中になろうと、人が生きてある「今ここ」の世界は輝いているのだ。そしてそれは、けっして幸せなことではない。どうせ死んでゆくしかない存在なのに、どうしてそんなことを体験しないといけないのか。人は、そうした「かなしみ」や「嘆き」ともに生き、そうした「かなしみ」や「嘆き」の上で世界は輝いている。
すなわち、世界や人を裁くことができないこの世のもっとも弱く愚かなものこそ、もっとも深く豊かに「世界の輝き」を体験している、ということだ。
 大人になってときめかなくなった、などと言い訳をするべきではない。人は、死んでゆくときにこそもっとも深く豊かに「世界の輝き」を体験するのだ。
人は、「死んでゆくもの」として生きている。であれば、基本的には大人になっても「ときめき」が消えることはないはずだが、現代人は、大人になると「生き延びるもの」として生きるようになってゆく。現代の文明社会は、人をそういうコンセプトで生きさせようとする構造になっている。そうしてあるものは生き延びる能力を持ったことの幸せに浸りながら、またあるものは生き延びる能力を持とうとして悩み、人や世界を恨んだり憎んだりしながら「ときめき」を失ってゆく。

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 生き延びる能力を持つことを目指したり、そういう能力を持ったことの幸せに浸ること自体、すでに人間として不自然なのだ。人は生き延びようとして人や世界に対する恨みや憎しみを募らせてゆく。そのあげくに、そこに人間としての本性があると考え、「人類の歴史は戦争の歴史だった」などと倒錯したことをいいだす。現代人の誰の中にも恨みや憎しみの感情があるとしても、それは文明社会の構造によってもたらされたものであって、普遍的な人間性の自然だとはいえない。原始人もそんな恨みや憎しみを募らせて生きていたとはいえない。
 まあ現実問題として、恨みや憎しみが強い人もいれば、そういう感情がもともと希薄な人もいる。それは、人間性の自然として生まれつき誰の中にもそなわっているのではなく、そういう感情が生まれ育ってくるような生き方をしてきたからであり、現代社会は人にそういう生き方をさせてしまうような構造を持っている。それは、人類の遺伝子に組み込まれた感情ではない。人類は、そういう感情で歴史を歩んできたわけではない。
 現実問題として、誰もが、自分の中の恨みや憎しみを持て余して悩んだり人に嫌われたりして生きているわけではない。そして、誰の中にも人や世界に対する他愛ないときめきがある。この世の中にはこちらの胸にしみてくるような素敵な笑顔を持っている人がいるし、赤ん坊はみな持っている。そこに普遍的な人間性の自然を測る物差しがあるのであって、自分の中の恨みや憎しみにあるのではない。いつだって「自分」なんか物差しにならないのだ。なのに現代人の自意識は、「自分」を物差しにすることばかりしている。
 自分が生きていてもいい存在かどうかなどわからない。だから、生き延びるための努力や工夫をしてもいいのかどうかもわからない。その「わからない」ということに自分が存在するのであって、自分なんか物差しなんかない。
 自分なんか生きている価値がない、というのではない。「わからない」のだ。その「わからない」状態を生きることを、人間的な知性や感性という。人間だけではなく生きものはみな、自分は生きるに値する存在だという前提で生きているわけではない。死んだらいけない生きものなど存在しない。滅びたらいけない種や世界など存在しない。すべての存在に「価値」があるのでもないのでもない。そんなことは「わからない」のであり、われわれ人間はそういう前提で生きている存在なのではないだろうか。そうして、ただもうその「存在の輝き」に驚きときめきながら生きている。
 大人になってときめかなくなった、などということがあるものか。生きてあるということはときめいているということであり、べつに生きることに価値があるから生きているのではない。
 生きてあることの価値などわからないこの世のもっとも弱く愚かなものこそ、もっとも深く豊かに人や世界にときめいているのだ。


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 現代人は、生きてあることの価値に執着しながら幸せに浸ったり悩んだりしている。それに対して氷河期の北ヨーロッパという原始人が生きられるはずのない苛酷な環境を生きていたネアンデルタールクロマニヨン人は、そんな価値など「わからない」という前提で生きながら他愛なく人と人がときめき合ってゆく社会をつくっていた。そこは、人がどんどんあっけなく死んでゆく環境だったのであり、生きてあることの価値などに執着していたら誰も生きられなかったし、執着していたらそんな環境などさっさと放棄して暖かい南の地に移住していったことだろう。
 生き延びようとする欲望よりも、他愛なく人と人がときめき合っている現実が彼らを生かしていた。「もう死んでもいい」という勢いでときめき合っていた。それくらい深く豊かに他愛なくときめき合っていた。そしてそういう遺伝子はわれわれ現代人にも残っていて、誰だって他愛なくときめき合う体験がなければ生きられない。生きることの価値を信奉しながら生き延びようとする欲望に邁進するつもりなら、さっさと死んで天国や極楽浄土に旅立ってゆくのがもっとも有効な方法だろう。そこでは、永遠に生きられる。永遠に生きられるがしかし、そんな欲望に執着しながら人は、今ここの「世界の輝き」にときめく体験を失ってゆきながら悩んだあげくに、恨みや憎しみを募らせたり人格をゆがませたりしている。
 内田樹上野千鶴子を見てみればいい、偉そうに人や世界を裁いてみせたって、彼らのもとに「世界の輝き」に他愛なくときめいてゆく体験があるとはいえない。おまえらに人類の未来など決められたくはない。時代は、すべての人が「今ここ」に存在することの「なりゆき」の結果として移り変わってゆく。それはすべての人が決めることであり、誰にも決められないことなのだ。
 生きてあることに価値なんかないのだから、未来なんか誰にも決められないのだ。「なりゆき」とともに移り変わってゆくだけであり、生きてある「今ここ」に価値なんかないから移り変わってゆくのだ。そこに価値があるのなら、「時代が変わる」ということなんか起きるはずがない。
「時代が変わる」ということは、生きてあることに価値なんかないということの証明であり、そんなことは「わからない」ということなのだ。
 人間性の自然は、生きてあることの価値を得る幸せに浸ったり得ようとして悩んだりすることにあるのではなく、そんな価値に対する意識から解放されて「今ここ」に他愛なくときめいてゆくことにある。どんな未来の約束よりも、「今ここ」の「世界の輝き」こそが人を生かしている。まあ、生きられなさを生きていたネアンデルタールクロマニヨン人は、そんなことを教えてくれる。
 誰だって、生きてある「今ここ」の一瞬一瞬においては、どこかで他愛なく「今ここ」の「世界の輝き」にときめいてゆく心模様を体験しているのであり、その体験こそが人を生かしている。
 生き延びようとする欲望が人や生きものを生かしているなんて、内田樹上野千鶴子のような意地汚い観念世界(=自意識)の中だけの話なのだ。
 そんな意地汚い観念世界(=自意識)に執着しているから悩まねばならない。しかし人類は、生きられなさを「悩み」ながら歴史を歩んできたのではない。生きられなさを「嘆き」ながら歴史を歩んできたのであり、人類が地球の隅々まで拡散していったことは、生きられなさを嘆きながら生きられなさを放棄しなかったことを意味する。べつに生きられなさを解決し無化していったのではなく、生きられなさを生きようとして拡散していったのだ。

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 人の心は、生きられなさを生きるところから華やぎときめいてゆく。だからわれわれは、生き延びる能力を持った幸せからはぐれながら、この世の「弱いもの」や「愚かなもの」や「貧しいもの」や「無用のもの」になっていったりしてしまう。人類が拡散していったことはそういう存在になることだったのであり、ネアンデルタール人クロマニヨン人もそういう存在として氷河期の北ヨーロッパを生きていた。
 現代人は、この世の「強いもの」や「賢いもの」や「豊かなもの」や「有用のもの」になろうとして悩む。そうやって生き延びようとして悩む。
 しかし「もう生きられない」と嘆くところから華やぎときめいてゆく心がある。そこではじめて気づく「世界の輝き」というものがある。そういう「世界の輝き」を知らないものたちが寄ってたかって「人類の未来」や「人の生き方」のあるべきかたちを説いたって、何ほどのものかと思う。人類や個人が生き延びねばならない存在だと勝手に決めつけてくれるな。
「人類の未来」や「人の生き方」などという問題は存在しない。
 目の前の「今ここ」の「世界の輝き」にときめいてゆくことができたら人は生きられるのであり、あとはもう「なりゆき」の問題なのだ。人類も自分も未来=明日があるかどうかなど「わからない」ことであり、そこに立ってこそ世界は輝いて立ちあらわれる。
 他者の他愛ない笑顔や泣き顔がどうしてこんなにも人をときめかせるのだろう。今どきの大人たちの得意満面で人を裁いている自慢気な顔やもったいぶって悩んでいるしかめっ面など、下品なだけで美しくもなんともない。
 人間性の自然=本質も美しさも、他愛なくときめき嘆いている「この世のもっとも弱いもの」のもとにあるのであって、生き延びることが上手なものたちのもとにあるのではない。
 生き延びることが上手なものたちがのさばっている世の中だが、そんなところに「世界の輝き」にときめく心模様が生成しているわけではないし、そうやってのさばって生きようとしながら人の心はゆがんだり病んだり停滞したりしてゆく。
生き延びることが上手なものたちがのさばりもてはやされている世の中で、そこに人間性の自然=本質があるというのなら、どうして「閉塞感」などと騒ぎ立て、どうして認知症鬱病やインポテンツや発達障害などというさまざまな社会病理がこうも多発してこなければならないのか。
 生き延びようとする欲望それ自体が「悩む」という閉塞感を生む。そうやって生き延びることができる「未来に対する計画性」を持っても、それ自体がこの生に閉じ込められている状態にほかならない。
 この世に生まれ出てきてしまったことはもうしょうがないことだが、「もう生きられない」と嘆くことによって人の心はこの生から解放され、華やぎときめいてゆく。
 生き延びることができることによって解放されるのではない。まあ、われわれ無能な庶民が、あんまりそういう能力を欲しがらない方がいいのだが、生き延びる能力のあるものがもてはやされる現代社会においては、そういう能力がないものほどそういう能力を欲しがってしまうような構造になっている。
 このことを考えると、いろいろとややこしい問題に引きずり込まれてしまう。
 たとえば、「平家物語」は滅んでゆくものすなわち生き延びることができないものたちを賛美している話であり、この島国の伝統文化として、生き延びることができないものたちがもてはやされ、生き延びることができない「嘆き」から心が華やぎときめいてゆくことに気づいてゆく社会の構造があった。
 いやまあ、人類が「介護」という行為をすること自体、生き延びることができないものがもてはやされる社会の構造が歴史のはじめからあったことを意味しているのかもしれない。

13

 生き延びることができないということ、そういう生と死のはざまに立って人の心は華やぎときめいてゆく。
 この生は、生き延びることができる幸せを称揚しているだけではすまない。そこにおいて「世界の輝き」が体験できるわけではないし、そこにおいて人間的な魅力や知性や感性が生まれ育ってくるわけではないし、そこにおいて人と人のときめき合う関係や人間性の自然=本質が生成しているわけではない。
 こんな平和で豊かな社会であれば、生き延びることのできない嘆きそれ自体を生きることはそれなりに難しいことだし、そういう生のかたちが無視される社会の構造にもなっている。
 しかしそれでも人と人はときめき合っているのだし、その体験がないと生きられない。現代社会の認知症鬱病やインポテンツや発達障害などいった病理的現象は、そういう体験の喪失を意味している。
 冒頭に書いたことに戻っていえば、「生き延びる」ということは人類社会のスローガンにはなりえない、ということだ。なりえるようで、なりえない。人間であれば、どこかしらに「もう死んでもいい」という心模様を持っているのであり、そこからときめき=感動や人と人の豊かな連携が生まれてくる。
 憲法第九条は、生き延びるためのスローガンではない。「もう死んでもいい」という心意気で人と人が他愛なく豊かにときめき合ってゆこうというスローガンだったのであり、じつはそれこそが日本列島の伝統的な歴史風土になっている。
 それは、安保法制と憲法第九条とどちらが生き延びることに有効か、という問題ではない。そんなレベルで言い争っていても同じ穴のムジナだ、といえなくもない。生き延びることが人類の普遍的な願いだとはいえない。
 人々の豊かな連携を組織したいのなら、生き延びる未来のことなんか忘れて「今ここ」でときめき合ってゆく関係を模索してゆくしかない。
 生き延びることができるよい世の中をつくろうとしてもしょうがない。そういう「正義」はこの国の伝統にはない。世の中なんかいつだって鬱陶しいばかりだ、という感慨=嘆きを共有しながら人と人が他愛なくときめき合ってゆく歴史を歩んできたのだ。それがこの国ならではの人と人の関係の伝統であり、じつは人類史の普遍的な生態でもある。
「よい世の中」なんてたんなる「幻想のネットワーク」であり、目の前の「今ここ」に「あなた」が存在するという現実における「世界の輝き」が体験できなければ人は生きられない。「生き延びることができる幸せ」を振りかざしても、この国ではそうそう盛り上がらない。「もう死んでもいい」という無意識の感慨とともに他愛なくときめき合ってゆく関係がこの国の歴史をつくってきた。そういう人と人関係が不調になっている現在の情況は「生き延びること」をスローガンにしたことによって生まれてきたわけで、けっきょくそのスローガンが賛成と反対に二分されたり、「まあどっちでもいいや」と思う層がいたりして、原発反対も安保法制反対も、今のところは権力者に変更を余儀なくさせる力にはなっていない。
 人と人の関係が不調な世の中では、反対派が扇動する通りの世の中の動きにはなっていかないし、もともとこの国では「いい世の中をつくろう」というスローガンでは盛り上がってこなかった。人々は「なりゆき」に沿って生きようとしてきた。季節の移り変わりは人の力の及ぶところではないし、季節の移り変わりを受け入れるように時代の移り変わりもそのまま受け入れてきた。「いい世の中をつくろう」というスローガンを持たないからといってこの国の社会が停滞していたわけではない。だからこそどんどん移り変わってゆく社会だった。伝統など滅びてもかまわない、というのがこの国の伝統だった。そうやって明治維新が生まれ、戦後の奇跡的な復興が果たされてきたのだ。
「まあ、どっちでもいいや」と思ったらいけないのか?
いけない、というんだろうな、彼らは。
人と人の関係が不調な世の中だなあ。