2014-04-01から1ヶ月間の記事一覧
1 日本列島の文学や芸能には「道行き」という言葉がある。これもまあ、かたちとしては日常から離れて「非日常」の「山の中に入ってゆく」というコンセプトの上に成り立っている。 たとえば心中する二人の「道行き」は、意識が「非日常」の死という一点に向…
1 日本文化論のキーワードについて考えている。で、古代の日本人が「山の中に入ってゆく」ということにどんな思いを持っていたかということを語るものを探してみた。 ■あしびきの山行きしかば山人の 我に得しめし山づとぞこれ(元正天皇・万葉集より) この…
1 「山の中」とは「非日常」の空間のことで、「一音一義」の日本語(やまとことば)特有の機能もこのコンセプトともに生まれ育ってきた。 山の中という「非日常」に対する親しみが日本文化の基底にある。それはまあ人類普遍の感慨でもあるのだが、日本人は…
1 山の中に入ってゆくこと……吉本隆明の『共同幻想論』もそこから出発している。 しかし『遠野物語』も『共同幻想論』も、「山の中に入っていったらいけないよ」という「禁制=タブー」の話である。 もともと共同体は人々の「日常」を支配する装置であり、そ…
1 日本文化論を考えようとするなら、どうしても折口信夫と柳田國男を意識してしまう。 柳田國男は、『遠野物語』で「山に入ってゆく」ということを考察した。その思考の方向性はうなずけるが、彼がいうように、日本人の歴史が神や霊魂という概念とのかかわ…
1 柳田国男の「遠野物語」は、山の中に入っていって山人という異人と出会う物語である。 山の中に入ってゆくと、非日常の心になる。そして、入眠幻覚の体験を起こしやすい。しかしこれは、神や霊魂を信じているとかいないということとは関係ない。人間なら…
1 靖国神社は民衆を戦争に駆り立てたA級戦犯も祀っているからよくない、などといわれているが、彼らだってとりあえず「戦死者」なのである。戦争で死んだ不幸な霊魂を祀るのが靖国神社の役割だろう。彼らこそ、ほったらかしにしたら化けて出てきて、またこ…
1 日本列島に人が住み着くようになったのは、7,8万年前だとも20万年くらい前だともいわれているが、とにかくそのときからすでに「生活なんかどうでもいい」という非日常性の文化だったはずである。 人類が生きてあることや日常生活に執着するような生…
1 日本人は、日本列島に住みはじめたときから、すでに「非日常」の世界に遊ぶ心の動きを持っていた。そういう伝統的な美意識というか世界観・生命観から能の話や舞の作法が生まれてきた。 日本語だって、あくまで日本的なそういう美意識や世界観・生命観と…
1 日本列島は、人類拡散の行き止まりの地だった。 氷河期に大陸と地続きになっていた日本列島の地図を思い描いてみる。 そのとき日本列島には、北の樺太の方からも朝鮮半島からも南方からも人が流れ込んできていた。したがってそのあとの時代の縄文人は、そ…
1 起源としての日本語は、一音一音の「音声のニュアンス」を抽出しながら生まれ育ってきた。 人々の会話が、ただ単語を交わし合う段階から文節を持った表現へと発展していったとき、日本語の「てにをは」が生まれてきた。 リンゴは赤い。 リンゴになる。 リ…
1 人類の文化は、生きのびるための生産活動に励むためではなく、人と人の関係をどうやりくりしてゆくかという問題として進化発展してきた。とにかく、問題はそこにこそある。 原初の人類は、人と人の関係の問題として二本の足で立ち上がった。 人間の脳が進…
1 人と人のあいだにはある「断絶」が横たわっているからこそ、他愛なくときめき合う関係にもなれる。 もう、愛とかヒューマニズムなどいうものはいらない。人間はもともと他愛なくときめき合うようにできている。そういう関係になるのが難しい社会であると…
1 われわれは人と人の関係の中で生まれ育ち、人と人の関係の中で死んでゆく。 人と人の関係が、人間の文化の基礎になっている。 われわれは、けっきょく人と人の関係を生きるしかない、それはもう避けられない。 ここでは日本文化の基礎的なかたちを考えて…
1 日本文化論を考えるなら、なぜ男と女がときめき合うということが起きるのだろうか、という問題も避けて通れない。 たぶん男と女の関係の底に流れている心のあやは、それぞれの国でそれぞれ違いがあるのだろう。 日本人の男と女の関係のあやの本質は「源氏…