中世の知性と感性・ネアンデルタール人と日本人84


日本列島に人が住み着くようになったのは、7,8万年前だとも20万年くらい前だともいわれているが、とにかくそのときからすでに「生活なんかどうでもいい」という非日常性の文化だったはずである。
人類が生きてあることや日常生活に執着するような生き物だったら、住みにくさをいとわず地球の隅々まで拡散してゆくということは起きていない。
住みにくさこそが、人類の地球拡散をうながした。住みにくいところに住み着いてゆけば、生きてあることや日常生活に対する執着を捨てて、人と人が他愛なくときめき合う関係になってゆく。未来のことなど勘定に入れず、「今ここ」に対する心の動きが豊かになってゆく。
原始人は、新しい土地での生きにくさを拒まなかった。とうぜん日本列島の歴史もそうした原始性とともにはじまっているわけだが、原始人がなぜそのような流儀で生きることができたかといえば、共同体(国家)も戦争もなかったからだろう。共同体として結束してゆく必要も、他の共同体との緊張関係もなかった。



人間には集団の外をうろつきまわる習性があり、そこで新しい人や集団と出会えばかんたんにときめき合っていった。そういう生態がなければ、人類が地球の隅々まで拡散してゆくということが起きるはずがない。
人間というのは他愛なくときめき合ってすぐ集団になってゆく生き物だったが、同時にかんたんに離ればなれになってしまう習性も持っていた。そのようにして、どんどん拡散していったのだ。
人間性の基本は、ずっと一緒にいることではなく、たえず出会いと別れを繰り返してゆくことにある。
人間は、なぜ別れるという習性を持っているのか。べつに嫌いになったからとか、そういうことではないのだが、他者に対しても集団に対しても、くっつき過ぎるとしんどくなってしまうし、離れていると近づいてゆきたくなる。
もともと人と人のあいだにはある断絶が横たわっていて、それを飛び越えるようにときめいてゆく。ときめかないと関係できない断絶が横たわっているし、断絶がなくなってくればときめかなくなってくる。
人と人は、避けがたく別れが起きるような関係性を持っている。そして、だからこそときめき合う。
人と人が一緒にいることを「日常=生活」というのなら、出会いと別れは「非日常」の体験である。つまり「ときめく」ことは、日常を飛び越えてゆく非日常の体験である。
どこからともなく人が集まってくるという現象が起きるとき、誰もが日常から離れてきているのであり、誰もが断絶を飛び越えてゆこうとする衝動にせかされている。そうして、他愛なくときめき合ってゆく。



もしかしたら日本列島の住民は、縄文時代以前から、それぞれが集落を離れて一か所に集まってくるという「祭り=市」の場所を持っていたのかもしれない。もともとそのようにして日本列島の外の北や南や西から集まってきた人々だったのだし、集落を離れてうろうろしたがるのは直立二足歩行の開始以来の人類の普遍的な習性だった。
そして日本列島という行き止まりの地にたどり着いたのは、当然ことさらにそういう習性を色濃く持っているものたちだったはずである。もちろん日本列島まできてしまえばもうそれ以上行くところはないが、それでもそうした習性がなくなるわけではないのだから、そのままあちこちに人が集まってくる「祭り=市」の場所ができていったのだろう。
男たちは狩りをするのが仕事だったのだし、それ自体が集落を離れてうろうろする習性だったともいえる。
その延長として、縄文時代の男たちは、集落を離れて山道を旅するようになっていった。
また弥生時代初期の奈良盆地だって、おそらく集落としてではなく、まわりの山々に住む人々の「祭り=市」の場として発展していったのだ。
日本列島の住民は、数万年前のその歴史のはじめから、すでに集落を離れてうろうろする習性を持っていた。なぜなら人はそこにおいて他愛なくときめき合うということを体験するのであり、そういう体験を重ねながら日本列島という行き止まりの地にたどり着いた人々だった。そしてそれは、はじめに「集落を離れる」という別れの体験があったわけで、「別れる」ということも彼らに染み付いた習性だった。
すなわち「日常」と別れて「非日常」の空間に入ってゆくということ、これが日本列島の伝統の基礎になっている。われわれはそういう心の動き方をする習性を持っている。おそらくそうやってやまとことばが洗練されてきたのであり、外来文化をなんでも受け入れてなんでもデフォルメしてしまうメンタリティになっていった。
以前に書いたが、日本人はそうやって「フェイク」を入れずにいられなくなる習性がある。フェイクという非日常性。縄文土偶などは、フェイクしてデフォルメすることばかりやっている。リアルな造形をする技術があるのに、だ。今どきのマンガだって、リアルな絵の途中で急におちゃらけてデフォルメした絵を挿入してフェイクしてくる。ネット社会では、すぐ絵文字を入れたくなる。そのフェイクを面白がるという、その「非日常性」が日本列島の伝統なのだろう。
言いかえれば、日本人のメンタリティなんか、数万年前に日本列島に住み着きはじめたときからほとんど変わっていないのかもしれない。



日本人は、どうしても非日常の世界に入ってゆきたがる。
日本的な「無常」とは、非日常のことだ。
中世はとくに「無常」が熱く詠嘆的に語られる時代だったが、いったいその語り口のどこに「生活者の思想」があったというのか。日本人はもう、歴史のはじめからずっと「非日常」ばかり語ってきた。「生活者の思想」などというものは、戦後になってはじめてあだ花のように生まれてきただけのものにすぎない。
しかし中世の「無常」という世界観や生命観は、べつにあだ花だったのではない。日本列島の歴史全体に流れる「非日常」に向かってフェイクしてゆくという世界観や生命観がもっとも色濃くあらわれた時代だったというだけのことだ。
「あはれ」「はかなし」「わび」「さび」「幽玄」「数寄」「遊行」「遊狂」「風狂」……生まれてきたことなんかどうせ一期の夢なのだから、ただもう遊び狂えばいいだけだ、と人々は語り合っていた。それは、ただのやけくそとは、ちょっと違う。他愛なくときめいてゆくことができなくて何が人間かという、日本人の身体に刻まれた確かな歴史意識だった。だから、現在の「和風」といわれる衣食住の文化の基礎のほとんどすべてがこの時代に出来上がっている。そこには、「生活なんかどうでもいい」という生活があった。われわれの知らないこの生に対する確かな認識があった。われわれの知らない豊かなときめきがあった。つまり、日本的な知性や感性がもっとも豊かに花開いていった時代でもあった、ということだ。



中世は、いわばルネサンスの時代だった。
古代とは大陸文化である共同体の制度性が日本列島に植え付けられていった時代だった。その、もともと日本人の性に合わない国家運営を無理やり維持しようとしていったことの矛盾がしだいにあらわれてきて大和朝廷の支配が崩壊し、武士が登場し、やがて戦国乱世の時代に突入していった。それはつまり、人々の意識が古代以前の日本人であることの原点に戻ろうとしてゆくムーブメントだったことを意味する。戦国乱世になりながらも、誰もがそれなりに切実に「人間とは何だろう」「生きてあるとは何だろう」「死んでゆくとはどういうことだろう」と問うていったのであり、みんな、共同体の制度が押し付けてくる「生活」などというものをまさぐっているだけではすまなくなっていったのだ。
武士の世界も庶民の世界も裏切りや略奪などで乱れに乱れた、といわれている。しかし人々の知性や感性の探求心がどんどん深く豊かになっていった時代でもあった。米の生産高は飛躍的に上がったし、さまざまな禅や浄土真宗などの宗教が起こってきたし、能や茶の湯連歌俳諧などなどの芸能文化も花開いていった。そして応仁の乱で焦土と化した京都では数寄屋建築や庭園などのより新しく洗練された様式が生まれてきたし、辻が花の衣装の美しさが極まりもてはやされた時代でもあった。
べつに、誰もが俗世間的な裏切りや略奪に血道をあげていたわけではない。そんなことは知ったことではない、と出家したり隠遁したりするものもたくさんいた。



中世の人々の遊び狂う生きざまは、豊かな知性や感性の探求でもあり、日本列島の歴史の源流に遡行することでもあった。
「ただ遊び狂え」といったって、それは、「しなければならないことなど何もない、ただもうせずにいられないことに邁進せよ」ということでもあった。たとえばそれがひたすら「念仏踊り」に明け暮れることであっても、彼らは彼らなりに何かをけんめいに探求していたわけで、それはまあ日本列島の歴史のはじまり以来の誰もが他愛なくときめき合ってゆくという「祭り=市」の賑わいに遡行するという歴史意識であったのかもしれない。
日本列島の文化や日本人のメンタリティのの基礎的なコンセプトは「山の中に入ってゆく」ということにある。そうやって中世には何もかも忘れて遊び狂っていた人たちがいるし、ほんとに山の中に入っていって隠遁生活をしていた人もいる。
小林秀雄は「現代人は鎌倉時代の生女房ほども無常ということがわかっていない」といったが、中世の人々の「無常」という歴史意識は、「生活者の思想」などといって悦にいっている現代ののうてんきなインテリよりもずっと深いものがあったのではないだろうか。
「日本的」であるということは「原始的」であるということでもある。
人類は究極を目指すといっても、その究極の向こうに原始性があるのかもしれない。そのことを万葉人は「たまきはる」といった。何はともあれわれわれの最終的な願いは、さっぱりと死んでゆくことができれば、というところにたどり着く。人は、そういう究極に照射されながら生きてあるのではないだろうか。心は、いつの間にか「非日常」の世界に入ってゆく。その「他愛なくときめく」という原始的で非日常の世界に。
日本的な「山の中に入ってゆく」というコンセプトは、人類の普遍性でもある。
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